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言語学コミュの<準体助詞>、<形式名詞>という誤り

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これらについては本コミュニティの以下のTopi でその誤りを指摘した。

<準体助詞>という誤り
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=98571962

<形式名詞>という誤り
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=98246331

そこで指摘の通り、<形式動詞>の場合、「それ自体には【実質的意義が薄く】連体修飾語を受けて名詞句を作る。」と日本語の辞書とは思えない奇妙な解説がなされている。当然ながらこの奇妙な定義に疑問を持つ研究者が存在し、それを論じているが、現在の機能主義/形式主義的な言語論では言語の本質を捉えることができずに、自立語/付属語などといいう誤った品詞区分に依っているため語の本質である意義を正しく捉えることができない。このため、問題の本質を捉えた論理的な展開ができずに議論が混迷、発散することとなる。

玉懸元
[研究ノート]  形式名詞とは何か ― 山田孝雄の『日本文法論』に立ち戻って
https://chukyo-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&index_id=130&pn=1&count=20&order=17&lang=japanese&page_id=13&block_id=21

はその一典型であり、その論理、展開を検討しよう。

「1.はじめに」で、次のように疑問、問題が提起される。


数冊の専門辞典・事典をひくと, だいたい次のようなことが書かれていた。

○形式名詞とは, 実質的な意味が乏しく常に修飾成分を伴う名詞である。
○たとえば「こと」「もの」「ところ」などがある。

一見, この説明に分かりづらいところはない。しかし, 少し考えてみると納得できない点が出てきた。「実質的意味が乏しい」と言うが, その乏しさはどうやってはかるのか。「ところ」と「場所」, 「こと」と「事柄」で実質的意味の濃淡にそれほど違いがあるのか。また「常に修飾成分を伴う」と言うけれども, 「ことがことだから慎重に」とか「ものが足りない」とか, 容易にその反例が見つかるではないか。

その後, 形式名詞と言われるものの用例を集めてみたり, 先学の論文等に学んだりする中で, 次のようなことにたどり着いた。

○実質的な意味が乏しく常に修飾成分を伴う名詞群を形式名詞と呼ぶのではない。【形式名詞の本質的な特徴は別にある。】

そのことが分かって上記の疑問は解消した。それは, 分かってみればあたりまえのようなことだった。形式名詞研究の専門家なら誰でもすでに理解していることだろうと思われた。したがって, はじめに自分の参照した専門辞典・事典類の説明がいささか古くなっていたに違いないと考えた。
ところが, ごく最近刊行された大部の専門事典で「形式名詞」を調べてみると, 次のようにある。

○名詞の分類の一つ。実質的意味をもたず, 具体的な内容を補う成分を伴って用いられる語をいう。(中略) 「ところ・こと・ため・とき・もの・はず・まま」などがあげられる。(佐藤武義・前田富祺ほか/編 2014, 「形式名詞」の項より)

これは, かつて納得しかねた辞典・事典類のものとまったく変わらない説明である。これでは, 筆者と同じ疑問をいだく人が出てくることだろう。
そこで, 形式名詞の本質的な特徴を求めてたどった道程をノートとして書き留めておくことにした。//

そして、「ある専門的な事典で『形式名詞』の項目を調べると次のようにある。』と定義が引用される。

(1) 名詞の中の一種。形式体言とも呼ばれる。自立語でありながら【その意味内容が抽象的】で実質的意味に乏しく, 独立して出現することがなく, 常に修飾語を伴う。類似の語に準体言・不完全名詞・吸着語がある。これに対し実質的意味を持つものを実質名詞という。文法論者により異同があるが, 形式名詞には「ひと・もの・こと・ところ・はず・ついで・つもり・ため・くせ・あいだ・ゆえ・かぎり・あまり・件・都度・途端」などが挙げられている。(後略)
(小池清治ほか/編1997, 「形式名詞」の項より)//
〔注: 【】は引用に当たり付加。〕

結局、その他の専門辞典・事典類の引用も合わせ、次のように結論する。



以上を見ると, 常識的な理解では, 次にまとめる二点が形式名詞の特徴のようだ。

(3) 形式名詞に対する常識的な理解
  a. 実質的意味が乏しい
  b. 常に修飾成分を伴う

さて, 形式名詞が(3) のようなものだとすると, 実質的意味が乏しく常に修飾成分を伴うものを日本語の名詞の中から切り分けようとすれば, ある名詞群をうまく切り分けることができて, それらが形式名詞だということになるのだろうか。言い換えれば, (3) は形式名詞の内包的定義たり得ているだろうか。以下, そのことを検討する。//


ここでは、<「実質的意味が乏しい」と言うが, その乏しさはどうやってはかるのか。>と「実質的意味が乏しい」と言う内容に対する疑問ではなく、正しく機能主義的な発想に基づき「その乏しさはどうやってはかるのか」と、その確認方法、機能の問題に疑問が横滑りし次のような指摘がなされる。


まず, (3) のうち意味的な側面を語る「実質的意味が乏しい」という点について。これによってある名詞群を他から切り分けることは, 実際上できない。なぜなら, どこからどこまでが実質的意味に乏しい名詞で, どこからどこまでが実質的意味に乏しくない名詞なのかということは, 実質的と非実質的という対立の性質上, 決めようがないからである。この(3a)は, 形式名詞を他から切り分ける手がかりとして, 実際上は機能しない。//

対象の本質を明らかにするのではなく、あくまでプラグマティックな機能的発想に終始し、次の問題提起となっていく。


ここで, 次のような疑問が浮かぶ。かりに「はず・つもり・件・都度・(ところ・くせ・あまり・まま)」の語群をくくって形式名詞と名付けたとして, それが日本語文法の記述や説明にどう役立つのだろうか。わざわざ文法用語を立てるからには, それ相応の意義がないといけない。しかし,(3b) によってこの語群を他から切り分け, それを形式名詞と呼ぶことに
したところで, 日本語の文法論にとってどのように有意義であるか, その見通しは立ちそうにない。(3b) もまた, 形式名詞を他から切り分ける手がかりとして有効に働かないことは明らかである。//


このように、<形式名詞>と呼ばれる語の意義ではなく、その区分の有用性、文法論としての意義という機能主義的な発想に横滑りし、語とは何か、名詞とは無いかという本質的な問題は脇に押しやられてしまう。これでは、科学的な品詞区分など全く望むべくもなくなる。

結局、「形式名詞の本質的な特徴は別にある。」という最初の正しい直感は忘れ去られ単なる機能主義的な循環論に陥る結果に終わっている。

先に指摘の通り、<形式名詞>とはその内容が抽象的であることに其の区分の本質があり、本来<抽象名詞>と呼ばれるべきものである。上に引用された、

(1) 名詞の中の一種。形式体言とも呼ばれる。自立語でありながら【その意味内容が抽象的】で実質的意味に乏しく, 独立して出現することがなく, 常に修飾語を伴う。類似の語に準体言・不完全名詞・吸着語がある。これに対し実質的意味を持つものを実質名詞という。文法論者により異同があるが, 形式名詞には「ひと・もの・こと・ところ・はず・ついで・つもり・ため・くせ・あいだ・ゆえ・かぎり・あまり・件・都度・途端」などが挙げられている。(後略)
(小池清治ほか/編1997, 「形式名詞」の項より)//
〔注: 【】は当方が引用に当たり付加。〕

で述べられているように、【その意味内容が抽象的】であることこそがその本質であるが、それを「実質的意味に乏しく, 独立して出現することがなく」と<名詞>の意義を理解できずに、「独立して出現することがなく」と機能の問題にすり替える他ないところに現在の言語論の欠陥、限界が露呈している。

こうした形而上学的な発想に終始していては科学的な言語論の確立は全く望めないこととなる他ない。■

コメント(51)

・まるで生きている「よう」だ。

あなたの意見は「よう」は推量判断辞ですが、それだとおかしいのが、推量判断辞「よう」は、例えば、

・月が出「よう」。

未然形に続きますが、「生きているようだ」の「よう」は連体形に続いています。

それと、「花が咲くだ。」の「だ」は詞と辞の統一を考えると省略と言えますが、「月が出ようだ。」の「だ」は詞と辞の統一を考えても省略とは言えませんし必要がありません。あなたの意見だと、「生きているようだ」の「だ」は何のために存在するのでしょうか?

ちなみに三浦は「よう」を辞とは言っていません。時枝は詞と言っています。時枝説で考えれば、すべてつじつまが合いますが。
>>[14]

>>あなたの意見は「よう」は推量判断辞

これは接尾語ですね。
三浦もそう云っています。
『日本語の文法』p258を参照下さい。
>>[15]

・まるで生きている「よう」だ。

>これは接尾語ですね。
三浦もそう云っています。
『日本語の文法』p258を参照下さい。

言っていません!完全なあなたの誤読です。

>(日本語の文法・258ページ) 時枝文法では「そう」【も】接尾語に入れているが、

おそらくあなたはここを誤読したと思いますが、この文の「も」は、「よう」も接尾語だから「そう」もということではありませんよ。なぜならば、時枝文法では「よう」は形式 (抽象) 名詞で接尾語ではないからです。

「よう」は抽象名詞です。ブログの内容書き直しなよ。恥ずかしくないの?
>>[18]

>>「よう」は抽象名詞です。

そんな寝言を並べて恥ずかしくないの?
>>[19]

・まるで生きている「よう」だ。

>そんな寝言を並べて恥ずかしくないの?

どの口が言っているの?三浦は「よう」を接尾語としているとは言っていませんでしたが。「よう」が抽象名詞ではない根拠は一体何ですか?ちゃんと根拠を言ってからあれこれ言いなよ。
>>[21]

>>「よう」が抽象名詞ではない根拠は一体何ですか?

どの口が言っているの?
「よう」が抽象名詞である根拠は一体何ですか?ちゃんと根拠を言ってからあれこれ言いなよ!
>>[22]

・まるで生きている「よう」だ。

>「よう」が抽象名詞である根拠は一体何ですか?ちゃんと根拠を言ってからあれこれ言いなよ!

は〜?私はあなたと違って根拠を言ってからあれこれと言っていますが。ほんとあなたは人の話を聞かないねえ。性格が悪いねえ。もう一度言いますが、

1点目、連体形に続くからです。

2点目、「父のような人」の「よう」が抽象名詞だからです。ちなみに「な」は属性に付きますが、大正時代の本を読むと「名詞+のやうの+名詞」と「やうの」と「の」と書かれています。つまり、大正時代の物書きは「よう」を名詞と見ていたということです。おそらく橋本の誤りが一般化したと思います。

3点目、2点目から「よう」は単独で使え「よう」が接尾語とは言えません。接尾語という選択肢は消えます。

4点目、もし辞であれば未然形に続かないとおかしいです。

5点目、辞「だ」と、詞と辞の統一をするからです。

6点目、「月が出よう。」とは言いますが、「月が出ようだ。」とは言わないからです。

以上です。

次はあなたの番だけど、抽象名詞ではないと断言的に言ったけど、根拠は何なの?
>>[37]

>>私はあなたと違って根拠を言ってからあれこれと言っていますが

あれこれ言われていますが、<名詞>とは何か理解できていますか?
>>[38]

・まるで生きている「よう」だ。

><名詞>とは何か理解できていますか?

実体概念を表す語です。客体的表現です。必ず辞と結合します。それで、「よう」が抽象名詞でない根拠は何?早く言いなよ。

「父のような人」の「よう」は抽象名詞です。「私のため」の「ため」と同じです。

・私の「ため」
・父の「よう」

・生きている「ため」だ。
・生きている「よう」だ。

「ため」と「よう」は、まったく同じ語の種類です。
>>[38]

・あの人は生きている「よう」だ。

で、あなたの意見は例文の「よう」は辞でも接尾語でも抽象名詞でもないというものですが、であれば「よう」は一体何者だと考えているのですか?早く結論を言いなよ。
残念ながら、未だに<準体助詞>という誤った名称に囚われ、

>> そもそも〈準体助詞の「の」〉が正体不明のところがあって。

https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12802021905.html

と混乱、迷走されているのが現状である。■
自立語/付属語 などという形式/機能を規準に語を分類していては名詞とは何かも明確でないままに、

>>実質的な意味が乏しく常に修飾成分を伴う名詞である

と循環論法を繰り返すしかない。名詞もまた対象の一側面である普遍性の抽象であることが全く理解できていないのである。■

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