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言語学コミュの言語とは何か?(2)

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 先に、
  言語とは何か?(1) https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=100934793

で言語をランガージュ(langage:言語活動)とする誤りを指摘しました。

音楽や絵画や写真が音楽活動や絵画活動や、写真活動ではないように、言語の本質も活動ではありません。音楽や絵画や写真が話者の個別認識の表現であるように、言語もまた表現一般として捉えられなければなりません。

この表現とは、話者の認識を感性的な形として具体化することです。音楽は音、絵画、写真は視覚的な形として直接感性的な表現です。

しかし、言語は音声又はインクの線描として感性的な形であると同時に超感性的な概念としての表現であるところにその特殊性、本質があります。

ここに、直接感性的な表現である、音楽、絵画、写真などと異なり、感性的であると同時に超感性的な概念としての言語表現の謎的な性格があります。

この言語表現の過程的構造を捉える事が出来ないため、単に現象的に実体視、あるいは道具と見做すところに、時枝誠記が批判した言語実体観、言語道具説というソシュール的な誤った言語観が生み出されます。

言ってみれば、言語言霊観の一変形ということになります。この過程的構造をラングとパロールという規範を媒介とした立体的、重層的な表現として正しく論理的に展開しなければ科学的な言語論を築くことは出来ません。

このためには、唯物弁証法の論理により、認識の科学的な論理を展開し言語表現の過程的構造を明らかにする必要があります。

そのためには、まず、ラングとパロールとは何であるかをまず解明する必要がありますが、それは次に検討したいと思います。

これまでの展開で、ご意見、異議等あれば御伺したいとおもいます。■

コメント(30)

>音楽や絵画や写真が話者の個別認識の表現であるように、

誤りです。

絵画は視覚の表現です。根拠はここです。

>(三浦、レーニンから疑え、1964年、282ページ) 絵画は視覚を表現する
>>[1]

>>誤りです。

何がですか???

絵画は視覚対象そのものの表現ではありません。人の視覚は単なるレンズではありません。認知言語学と同じ浅はかな誤りです。

そんなことも理解できないのですか???

しかく

可視光線の刺激によっておこる感覚をいい、これによって外界の事物や現象が認知される。視覚は聴覚、味覚、嗅覚(きゅうかく)などとともに特殊感覚の一つとされる。
日本大百科全書(ニッポニカ) 「視覚」の意味

>>[2]

>何がですか???

いやですから、絵画が認識を表現することです。ありえません。対象を認識するのは絵画ではなく話し手なので、認識を表現するのも当然、絵画ではなく話し手になります。話し手が認識を表現するために絵画を使います。

>絵画は視覚対象そのものの表現ではありません。

誤りです。

根拠はここです。

>(三浦、レーニンから疑え、1964年、282ページ) 絵画は視覚を表現する







改めて言いますが、

>音楽や絵画や写真が話者の個別認識の表現であるように、

誤りです。

絵画は視覚の表現です。根拠はここです。

>(三浦、レーニンから疑え、1964年、282ページ) 絵画は視覚を表現する
>>[10]

>>話し手が認識を表現するために絵画を使います。

ありえません。

絵画道具説とでもいうべき迷妄です。

どのようにして、絵画を使うのですか????
(@_@;)

寝言は寝てからにしましょう。

ピカソの絵を見たことがありますか??????

しっかりしなさい!!!!

えっ!!!!!

君い〜〜〜〜〜!!!!

>>[10]

>>絵画が認識を表現することです。ありえません。

何がありえませんなのじゃ????

絵に描かれたのは対象そのものではありません。

その程度の理解もなしにグダグダ言うな!!!
🤬

下記、イラストを見ればあきらかじゃ!!!!!

かっかっか!!!!

喝!!!!
◆」
>>[11]

>どのようにして、絵画を使うのですか????

絵画使用=絵画表現です。







改めて言いますが、

>何がですか???

いやですから、絵画が認識を表現することです。ありえません。対象を認識するのは絵画ではなく話し手なので、認識を表現するのも当然、絵画ではなく話し手になります。話し手が認識を表現するために絵画を使います。

>絵に描かれたのは対象そのものではありません。

はい。

ですから、表現するものです。










>音楽や絵画や写真が話者の個別認識の表現であるように、

誤りです。

絵画は視覚を表現するものです。根拠はここです。

>(三浦、レーニンから疑え、1964年、282ページ) 絵画は視覚を表現する
>>[21]

>>絵画使用=絵画表現です。

君な!!!!

それが、絵画道具観に過ぎないことが理解出来んのかね?????

ま! 君には『レーニンから疑え』は猫に小判なのを露呈しているだけです。
先ずは、「弁証法とは何か」をキチンと理解しましょう。

一体、『日本語はどういう言語か』他のどこをどう読んだら、そういう寝言が出てくるのか君の脳を解剖してみたいと感ずるこの頃です!!!!
('Д')
>>[22]

>それが、絵画道具観に過ぎないことが理解出来んのかね?????

いいえ。

言語を使う=言語道具説ではありません。話し手の思想とは別に存在する言語を使うこと=言語道具説です。絵画も同様です。

>どのようにして、絵画を使うのですか????

絵画使用=絵画表現です。

>何がですか???

いやですから、絵画が認識を表現することです。ありえません。対象を認識するのは絵画ではなく話し手なので、認識を表現するのも当然、絵画ではなく話し手になります。話し手が認識を表現するために絵画を使います。

>絵に描かれたのは対象そのものではありません。

はい。

視覚そのものではなく、視覚が表現されたものです。











改めて言いますが、

>音楽や絵画や写真が話者の個別認識の表現であるように、

誤りです。

絵画は視覚を表現するものです。根拠はここです。

>(三浦、レーニンから疑え、1964年、282ページ) 絵画は視覚を表現する





あなたは誤りだったので、君呼ばわりとため口を謝罪してもらえませんか?

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