ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

言語学コミュの接尾語「み」と「さ」の相違

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 ひろく使われている<接尾語>に「み」と「さ」を挙げることができます。

 現在の機能主義的な言語観に基づく言語論、文法論ではこの語の意義を正しく捉えることができていません。

 さ
〔接尾〕(「さま(様・方)」と同源か)
形容詞・形容動詞の語幹、また、これに準ずる助動詞に付いて名詞をつくる。
1 その性質、状態の程度。その様子。「親切さ」「高さ」「短さ」「苦しさ」「静けさ」「静かさ」「きのどくさ」「男らしさ」「見たさ」など。

 み
〔接尾〕形容詞または形容動詞の語幹について名詞をつくる。
1 そのような状態をしている場所をいう。「高み」「深み」など。
2 程度・状態を表す。形容詞に対する主語としてはその程度、動詞に対する主語としてはその状態についていう。「真剣みが薄い、たりない」「真剣みが現れる」など。漢語の「味」と混同して意識され、味を当て字として用いることも多い。
【日本国語大辞典】

 膠着語である日本語の裸体的な性格を認識論に基づき展開した、三浦つとむによる<接尾語>「さ」と「み」の解明を以下に紹介します。


 「甘【み】」「辛【み】」「暖か【み】」「高【み】」「深【み】」「厚【み】」「重【み】」「悲し【み】」「苦し【み】」「おかし【み】」「ありがた【み】」「すご【み】」

など、かなりひろく使われているが、「さ」はいっそう広汎に「み」の使われないものにも使われる。

 「長【さ】」「軽【さ】」「よ【さ】」「さわがし【さ】」「静か【さ】」「やりきれな【さ】」「男らし【さ】」「かたじけな【さ】」

などがあるし、また

 「頑固【さ】」「大胆【さ】」「惨忍【さ】」「不思議【さ】」

などという使い方も見られる。<形容詞>の語幹がこのように<接尾語>を連結してたくさん使われているのでは、語幹がはじめから一語であると思うのもむりもない。実はこれも実践上の要求なのだが、

【固定・不変の属性は実体にいつもついてまわるだけに、これも実体と同じく、属性の存在自体を独立の対象として扱うことが必要になる。しかも属性それ自体として把握して【質的】に扱う場合と、実体化・凝結化して把握して【量的】に扱う場合と、二つが要求されていて区別して表現しなければならない】。

 前の場合の<接尾語>が「み」、後の場合の接尾語が「さ」である。「暖か」という語幹がはじめから自立した一語として意味があったのではなく、「暖かみ」の場合には属性それ自体として把握しながら<活用>を省略し「み」で性質であることを明らかにしたもの、「温かさ」の場合には属性を実体化して把握しながら「さ」で量的であることを明らかにしたものと解すべきである。

「高【さ】30メートル」「長【さ】10センチ」「重さ【60】キロ」「明る【さ】8ルックス」「さわがし【さ】90ホン」「可愛【さ】あまって憎【さ】が百倍」などと、

 【具体的な量や量的な比較をとりあげるとき「さ」が用いられる】

ことを考えなければならない。また、昔は「逢ふ【さ】」「帰る【さ】」などのように<動詞>の連体形に「さ」を連結して実体化した把握の表現に使っていたことも見のがしえない。「逢いた【さ】見た【さ】にこわ【さ】も忘れ」「誉められた【さ】の身の願い」などと、「逢いたい」「ほめられたい」という希望全体を実体化して捉えかえした、使いかたもある。英語では、length, height, weight など、「長さ」「高さ」「重さ」に相当する別の名詞が存在している。

 同じ実体でもスタティックとダイナミックと把握のしかたを変えることで「流れる」が「流れ」になるように、同じ属性でもスタティックとダイナミックと把握のしかたを変えることで<形容詞> と<動詞>と異なった品詞になる事実も、ここで問題にする必要がある。「赤い」→「赤らむ」、「ぬるい」→「ぬるむ」、「暖かい」→「暖まる」などのような、<動詞>化である。日常生活で、「頭が【痛い】。」という場合と「頭が【痛む】」という場合とがあるが、精神的な苦痛のときには前者を、肉体的で絶えず変化する痛みのときには後者を、意識しないで使いわけている。「痛み」には「痛い」に<接尾語>「み」を連結した性質としての把握と、「痛む」の連用形で実体化した把握と、異なった内容を持つ二種類が存在するわけである。流行歌手の歌う「胸の痛み」と内科の患者の訴える「胸の痛み」とは、文法的に区別しなければならぬ場合もあるはずである。

 同じことが「【楽しみ】」や「【苦しみ】」にもいえる。ところが一方には、「痛い」「楽しい」「苦しい」から実体化した把握の表現として「さ」を連結した「痛さ」「楽しさ」「苦しさ」があって、実体化した把握の表現にも二種類が存在するわけである。そこで、内容的な区別ができないと、

【「痛み」その他の<動詞>の<活用>のありかたから、「み」を<活用>として不当に一般化し、またこれらと同様に実体化した把握の表現である「痛さ」以下についても「さ」を活用だとする解釈が生まれてくる】

のであって、明治以前は「み」「さ」を<形容詞>の活用と解釈する者が多かった。これは時枝が<形容詞>の<活用>を<接尾語>と解釈したのとちょうど逆である。大槻は「み」「さ」の使いかたを吟味して<接尾語>と正しく規定した。「さ」も日本語の「裸体的」性格を示す好個の例であって、日本語のこのような認識構造を詳細に説明できるか否かは認識論にとって一つの試金石といえよう。

(三浦つとむ「日本語の裸体的性格 七 <動詞><形容詞>が体言化する場合の内容について」より 『認識と言語の理論 第三部』1972 所収)■

コメント(9)

接尾語の話「さ」「み」「め」 辞書
2018-03-12 21:12:58
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12359747491.html

ここでは、辞書の説明に依拠し、

>>『大辞林』にはこんな記述もある。「接続する語が「さ」より少なく、対象の性質・状態・程度を主観的・感覚的にとらえる」。というわけで接尾辞「さ」についても国語辞典を見てみたが、「み」とあまり変わらない記述ばかり。となると、「み」の特性としては「主観的・感覚的」がポイントか。

などと言われているが、全くピント外れな意味不明な解釈と云う他ありません。

そもそも、形容詞とは一体何を表しているのかが全く理解できていません。

辞書の自立語/付属語などという形式的、機能的な品詞分類では品詞そのものの意義を全く理解できないというより、動詞、形容詞、名詞の語の意義の相違、自立語/付属語の意義の相違が理解できていないために品詞区分の根拠もまた不明というのが現状です。■



現在の接尾語「〜さ」「〜み」理解がどの程度かは下記の論稿が明示しています。

国立台湾大学大学院生
曾 寶 儀

「〜さ」派生名詞と「〜み」派生名詞に関する一考察
    ―共起表現をめぐってー
https://www.cf.ocha.ac.jp/ccjs/j/menu/consortia/d002832_d/fil/jap2.pdf

5.おわりに
以上、本発表では(1)語基の性質(2)構文的特徴(3)共起動詞、という三つの面から「〜さ」と「〜
み」派生名詞の相違点を考察した。

a. 語基性質の分野から、「〜さ」派生名詞はいずれも意味の多様性が高い、その形容詞語基の多義
性を反映する。それに対して、「〜み」派生名詞は語基の分野によって、意味用法が限定され、相違するのであるが、「味覚」に関する形容詞の「〜み」派生名詞は「具体的なもの」に限定されるが、「量的な属性」の形容詞を語基とする場合は、かえって「抽象的な物事」に偏ると分かった。

b. 構文的特徴から、「〜さ」派生名詞は常に他の名詞によって「〜さ」の意味・性質を限定しなけ
ればならない。「〜み」派生名詞は存在文の主語として用いられ、「〜み」派生名詞自体が意味の具体性や明確性が強いことを示すと考えられる。

c. 共起の動詞から、「〜さ」派生名詞は思考したり、伝達したりする限定的な内容(具体的、また
は抽象的もの)として用いられることが見られる。一方、「〜み」は積極的「表面からは見られない」「〜み」派生名詞の性質が引き出されることによく使われる//


と纏められているように、現象の周りを堂々巡りしているだけの論稿でしかない。そもそも形容詞、動詞の意義とは何かが理解されていない以上、論理的必然の結果ということになります。

本Topiの考察とは比ぶべきもないことは一目瞭然でしょう。■
>>[2]

改めて言いますが、

><接尾語>「み」と「さ」

誤りです。

接尾語は語の一部ではなく語です。時枝文法が正しいです。

> (時枝、中等文法口語編別記、1950年、5ページ) これは、接頭語、接尾語は、本質的には他の品詞と異なったものではないという考えに基づいている。

と言っていて、接尾語と呼ばれるものを名詞や動詞などとしています。時枝や三浦は、本をたくさんの人に読んでほしいから、接尾語といやいや言っているに過ぎません。「深み」の「み」も「暑さ」の「さ」も名詞です。
>>[3]

>>「深み」の「み」も「暑さ」の「さ」も名詞です。

えッ!!!!!

で、何を表しているのですか?????

君の妄想では、「み」と「さ」の相違は何ですか?????

確かに、感性的な形は異なりますが!!!!!
>>[4]

>で、何を表しているのですか?????

いやですから、実体概念です。






改めて言いますが、

><接尾語>「み」と「さ」

誤りです。

接尾語は語の一部ではなく語です。時枝文法が正しいです。

> (時枝、中等文法口語編別記、1950年、5ページ) これは、接頭語、接尾語は、本質的には他の品詞と異なったものではないという考えに基づいている。

と言っていて、接尾語と呼ばれるものを名詞や動詞などとしています。時枝や三浦は、本をたくさんの人に読んでほしいから、接尾語といやいや言っているに過ぎません。代名詞と同じです。「深み」の「み」も「暑さ」の「さ」も名詞です。


あなたは誤りだったので、君呼ばわりとため口を謝罪してもらえませんか?

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

言語学 更新情報

言語学のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング