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言語学コミュの庭 三郎『現代日本語文法概説』に見る非論理性―機能主義文法論の迷妄

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これまで、機能主義的な言語論、文法論の誤りについて言及してきましたが、典型的な文法概説のHPが公開されているので、検討してみましょう。
http://niwanoda.web.fc2.com/bunpou/0mokuji.html

現在のソシュールパラダイム下の日本語学、文法論がどの程度かは、庵 功雄『新しい日本語学入門 ことばのしくみを考える 第2版』〔スリーエーネットワーク)が言語の本質を二重文節に求めていることからも明らかですが、本『概説』も、

「言語」とは、難しく言えば、意味・情報伝達のために人間が築き上げてきた「記号の体系」です。

などと述べ、さらに、

記号とは、ある形式(感覚でとらえられる形)を持ち、それにある意味(頭に思い浮かべる何か)がついているものを言います。かんたんな例としてよくあげられるのは交通信号です。

と、言語と交通信号を同一視するお粗末な言語観に基づいています。それゆえに、

文法とは、文を作るための法、つまり規則のことです。

と中学生レベルの文法観を披歴しています。これは、日本語文法学会 (編集)『日本語文法事典』が文法事典を称しながら、「文法」の定義を載せられない機能主義的な欠陥事典であるのと同根です。

このため、語とは何かを明らかにすることができず、<「文」が基本の単位になります>と生成文法と同じアプリオリな文実体観から出発するしかないことになります。

この根本的な転倒は、品詞論がなく、実体としての文から機能単位を語として定義する他なくなっています。そして、お粗末なことに「品詞分類は、基本的に学校文法のものです。」と学校文法の品詞分類表を掲げるしかありません。こうした、寄せ集めのごった煮文法が展開されるため、全く論理的な統一がなく、言語事実を正しく捉えることができていません。

語の活用の説明も誤っており、次のような説明がなされています。

食べ−ない   なぐr-areru   食べ−させる

 (「なぐる」は「五段動詞」なので、「語幹」は「nagur」で、これはローマ字を使わないと表せません。くわしくは第2部の「活用」を見てください。)//

日本語を論じるのに「ローマ字を使わないと表せません。」というのは、日本語の音韻とは何かが全く理解できていないということです。日本人が日本語を話すのに「ローマ字」を意識して話すなどというのはナンセンスの一語しかありません。

そして、

品詞の説明の中に、他の専門用語が出てしまいました。基本的な術語の説明に他の術語が出てしまうと、結局堂々めぐりになってしまうので〜

と「結局堂々めぐり」の議論を繰り返すしかありません。続いて、[述語・補語]の説明がされますが、

  動詞と名詞とを組み合わせて文を作り

と文が動詞と名詞からなると述べた後に、名詞文を取り上げ、次のように記します。

名詞文の型は前に述べたように、

  N1 は N2 です

です。//

ここには、動詞はありません。全く矛盾したことを平然と述べています。品詞ということを理解出来ていない以上、こうした非論理的な展開になる他ありません。

この後、<名詞文の「は」と「が」 >や格助詞、名詞節や、種々の文について述べられていますが、出発点がこのような矛盾に満ちていては論理的一貫性など求めうべくもありません。

対象の本質を捉えることができなければ、現象、形式、それで説明できない所は機能に頼る他ありません。

このように『概説』は、形式主義、機能主義的な言語論、文法論の現状をリアルに反映しています。

「ぜひ、ご意見、ご感想をおよせください。」

と記されているので、率直な意見、感想を述べさせていただきました。■

コメント(68)

>>[28]

いやですから、まず三浦は「日本語はどういう言語か」で、

>むしろ昔の学者が使った動辞の名称を復活させるのが妥当です。

と言っていますが、昔の動辞の動は活用です。しかし、三浦は語を活用の有無で分けるのは適切ではないと言っています。つまり、動辞という言葉は次元を考えて助動詞と比べればふさわしいと言っているだけで、ふわさしい名称であるとは考えていないと思います。

そのうえで、

>(あなた) そして、辞の中で客体間の関係、資格など【静的な】関係認識を直接に表現するのが助詞で、判断、推量、意志、時制など【動的な】主観の認識を直接に表現するのが助動詞です。

このコメントであなたは【動的静的を活用の有無という意味ではなく、】助詞助動詞の説明で「静的」「動的」という言葉を使っていますが、三浦本人も本の中であなたのように助詞助動詞の説明で「静的」「動的」という言葉を使っているのでしょうか?いないのでしょうか?

もし使っているのであれば、どの本の何ページか教えてください。

私は判断などに動的という言葉を使うことに違和感を感じますね。
>>[39]

>>動辞という言葉は次元を考えて助動詞と比べればふさわしいと言っている

意味不明です????
発想に違和感を感じますね。

>>[40]

>(あなた) そして、辞の中で客体間の関係、資格など【静的な】関係認識を直接に表現するのが助詞で、

三浦本人は本の中で助詞の説明で「静的」という言葉を使っていますか?
>>[49]

>>三浦本人は本の中で助詞の説明で「静的」という言葉を使っていますか?

使っていたようないないような??
>>[50]

>(あなた) そして、辞の中で客体間の関係、資格など【静的な】関係認識を直接に表現するのが助詞で、判断、推量、意志、時制など【動的な】主観の認識を直接に表現するのが助動詞です。

終助詞は客体間の関係の認識を表しません。そうすると、助詞の中から終助詞は外さなければいけなくなります。

語を活用の有無で分けるのは誤りです。終助詞と助動詞の違いは何かと考えたときに、あなたの言う動的かどうかでは分けられないのではないでしょうか?動的の基準は一体何でしょうか?禁止辞「ろ」「な」が動的ではないと言えるのでしょうか?感嘆辞「よ」「なあ」が動的でないと言えるのでしょうか?

終助詞と助動詞を分けることはできないと思います。一緒にして終助詞 (名称がふさわしいかどうかは別として) としてその下位分類に終助詞と助動詞を入れるべきではないでしょうか?
>>[54]

>>一緒にして終助詞 (名称がふさわしいかどうかは別として) としてその下位分類に終助詞と助動詞を入れるべきではないでしょうか?

まあ、よく考えてTopiを立てて下さい。

ここで、あなたの思い付きをグダグダ云ってみても始まりません。■
>>[55]

>ここで、あなたの思い付きをグダグダ云ってみても始まりません。■

いいえ。思い付きではなく、しっかり考えた意見です。

終助詞と助動詞を分ける基準は何ですか?一緒にまとめて何が問題ですか?終辞の下位分類に判断辞、時制辞、禁止辞、命令辞、「なあ」「よ」などの感嘆辞があって何が問題ですか?
>>[62]

>>しっかり考えた意見です。

それをTopiで展開してください。
きちんと検討しましょう。
>>[62]

ところで、本Topiの「機能主義文法論の迷妄」は理解できましたか?
>>[64]

以前、あなたは主従は形式主義だ、語と語にやくざのような力関係などあるわけないと笑いました。そうすると疑問なのが、三浦は、

> (三浦、日本語の文法、1975年、222ページ) 資格に違いがあるいわゆる主従複合がある

と言っています。三浦は主従を形式主義だとまったく言っていません。主従について肯定しています。例えば、

> (三浦、日本語の文法、1975年、223ページ) 実体と属性との関係も主従複合であって、

と言っています。あなたの意見はまったくの誤りだということでよろしいですか?

笑ったこと、誤ったことについてトピック主として誠実に謝罪していただきたいのですが。
>>[65]

>>トピック主として誠実に謝罪していただきたいのですが。

何を寝言を並べているのですか????

Topiと無関係な寝言を並べ誠実な当方のフォロワーを混乱させている事実を真摯に反省し誠実に謝罪していただきたいのですが。

そうでなければ今後は全く無視します!!!!
>>[66]

あなたは、入れ子図=認識構造だと言いました。そうすると、3つの疑問が生まれます。1つ目は、入れ子図は表現段階なのに、なぜ認識段階の構造と言えるのですか?2つ目は時枝は入れ子=主従なのに、三浦は時枝の定義を否定していないのはなぜですか?3つ目は、なぜ関係詞の認識構造に入れ子図が使われていないのですか?

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