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「ニーベルングの指環」コミュのベートーヴェン参り

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ワーグナーの小説集より
高木卓訳
読んでいて全く頭に入らないので「ベートーヴェン参り」をワードで打ち込んでみました。
そうする事に因り御大のベートーヴェンに対する思い、第9に対する思いを漸く理解した次第です。
本家取りで私も「ワーグナー参り」を書いてみようかなあとwww
イギリス人の代わりにアメリカ人でwww
登場人物はワーグナー夫妻でwww
ベックリーンの死の島、ルノワールを絡めてwww

そんな気になりました。

コメント(98)

 「歌劇フィデリオ。ベートーヴェン作曲。」
 私は、劇場へ行かずには居られなかった。ガロップの収入がどんなに減ってしまおうと、構う事は無かった。一階の後ろの方の席に着いた時、丁度序曲が始まった。この曲は、以前「レオノーレ」の外題で失敗し、深遠なウィーン聴衆の名誉となった例の歌劇の改作であった。以前は勿論、今度の形式でも、この歌劇が何処かで上演された話は、私は未だ聞いた事が無かった。従って、この素晴らしい改作を此処で初めて聴いた時、私が感じた歓びの程を想像して頂きたい。レオノーレ」を演じたのは、大変若い娘であった。しかしそれ程若いのに、この歌手は、もうベートーヴェンの天才と通じている所があるらしかった。何という情熱、何という詩情、そうして何という深い感動を与えつつ、彼女はこの素晴らしい女性レオノーレを演じた事であろう。この歌手はヴィルヘルミーネ・シュレーダーという名であった。彼女は、ベートーヴェンの作品をドイツの聴衆に対して啓蒙したと云う立派な功績を立てた。というのは、事実私はその宵、浅薄なウィーン人さえも恐ろしい熱狂に陥ったのを見たからである。私自身にとっては、天国の門が開かれたのであった。私は、清らかな明るい気持ちになり、夜と束縛の中から光明と自由の中へ、フロレスタン(歌劇「フィデリオ」の主人公レオノーレの夫)同様私を導いた天才ベートーヴェンを崇拝した。
 私はその夜眠れなかった。たった今体験した事や、明日に迫っている事が余りにも大きく圧倒的だったので、それを抱いて静かに夢路の中へ入れなかったのである。私は起きて居て夢想に耽り、ベートーヴェンの前に出る用意をした。
遂に新たな日になった。焦る心で私は、朝の訪問に相応しい時間を待った。その時間も来た。私は飛び出した。生涯で最も大切な事件を目の前に控えている、という考えで、私は感動していた。
 しかし、尚も私は、恐るべき試練に耐えねば為らなかった。
 ベートーヴェンの玄関の扉に、いとも冷然と凭れて、私を待ち受けていたのは、他ならぬ我が悪魔、例のイギリス人であった。彼は誰彼の容赦無く、従って旅館の主人をも、遂に買収したのである。主人は私宛のベートーヴェンの開き封の手紙を、私自身よりも先に読んで、その内容をイギリス人に洩らしたのであった。
 冷や汗が、瞬間私を襲った。凡ての詩、凡ての天国的感動は、消え去った。私は又してもイギリス人の掌中に陥ったのである。
 「さあ」と不幸な男は言い出した。「ベートーヴェンの前に名乗り出ようじゃありませんか」。
初め私は、嘘を吐いて逃れようと思い、自分は決してベートーヴェンの所へ行く訳では無いと誤魔化そうとした。だが直ぐイギリス人は、私にどんな口実を言わせないようにしてしまった。彼は私の秘密を嗅ぎ付けた次第をざっくばらんに打ち明けたからである。そうして、一緒にベートーヴェンに会って帰らないうちは、私から離れない心算だと宣告した。私は最初穏やかに彼の計画を棄てさせようと試みた。しかし駄目だった。私は憤慨した。やはり駄目だった。ついに私は、足の速さで逃げを打とうと思った。そこで矢のように階段を駆け登り、気違いのようにベルの綱を引いた。だが未だ扉が開かない内に、イギリス紳士は傍へ寄ってきて、私の上衣の裾を掴んで言った。「逃げちゃいけませんよ。貴方の上衣の裾は、掴ましてもらう権利が私に有りますからね。ベートーヴェンの前に出る迄は放しませんよ。」
 驚いて、私は向き直って彼を振り切ろうとした。そう、私はこの傲慢なブリテンの奴を腕ずくでも防ぎたいと思ったのである。すると扉があいた。年老いた女中が現れて、我々の妙な有様をみて、暗い顔付になり、扉をまた直ぐ閉めそうな様子を見せた。不安な心で私は、声高く自分の名前を言い、ベートーヴェン氏から呼ばれたのだと断言した。
 婆さんはまだ疑っていた。当然の事乍ら、イギリス人を見て懸念を起こしたらしかった。その時偶々(たまたま)ベートーヴェン自身が、突然彼の私室の戸口に現れたのである。その瞬間を利用して私は素早く中へ入り、先生の前へ進んで、言い訳をしようとした。だが同時に私は、イギリス人をも中に引っ張り込んでしまった。奴が私を、相変わらず確り掴んでいたからである。奴はその計画を実行したのであり、我々がベートーヴェンの前へ出た時、初めて私を放したのである。私はお辞儀をして、私の名前をたどたどしく名乗った。ベートーヴェンは、名前は孰(いず)れ判らなかったにしても、手紙を寄越した男だという事は分かったらしかった。彼は私に、部屋に入るようにと言った。すると、ベートーヴェンの怪訝な目付き等には構わず、イギリス人は急いで私の後から滑り込んだ。
 今こそ私は聖殿の中に居たのである。然し、救い難いイギリス人の為、恐ろしく狼狽させられていて、幸福を幸福らしく味わうのに必要な楽しい自覚を失っていた。ベートーヴェンの外貌は、そのものとしては決して快い愉しい感じを与える性質のものでは無かった。彼はかなり不体裁な普段着を着て、赤い毛織の紐を腹に締めていた。長い強(こわ)い半白の髪の毛は、乱れて頭に纏わり着き、親しげでない暗い顔付は、私の狼狽を少しも払い退け得無かった。我々は、紙やペンが沢山載っているテーブルに就いた。
 その場は不快な気分であった。誰も物を言わなかった。明かにベートーヴェンは、一人でなく二人で来られた事で機嫌を悪くしていた。
 やっとベートーヴェンは口を切って、ざらついた声でこう尋ねた。「貴方はLからお出ででしたね。」
 私は答えようとした、だがベートーヴェンは私を遮って、一枚の紙に鉛筆を添えて出しながら、こう付け加えた。「書いて下さい、私は耳が聞こえないのです。」
 私はベートーヴェンが聾である事は知っていたし、それは覚悟の上で来たのであった。にも拘わらず、「私は聞こえないのです」とざらついた声で言われた時、胸を刺される思いがした。嗚呼、歓びも無く貧しくこの世に生き、音の力の中に唯一の高揚を知って、しかも「聞こえないのです」と言わなければならないとは。瞬間、私はベートーヴェンの外見や、頬に浮かぶ深い悲憤や、眼差しの陰気な不満や、唇に込められた反抗などが、すっかり解った気がした。嗚呼ベートーヴェンは耳が聞こえなかったのである。
 混乱して、如何したら分らず、私は非礼を詫びる言葉を書き、それからイギリス人同伴で訪問するに至った事情の説明を簡単に書いた。イギリス人は、その間物も言わず、満足らしくベートーヴェンの向い座っていたが、ベートーヴェンは私の数行を読むや否や、かなり激しくイギリス人の方へ顔を向けて、御用は、と尋ねた。
 「私は栄光にも」とイギリス人は答え始めた。
 「解りません」とベートーヴェンは早急に遮って叫んだ、「私は耳が聞こえないんです。また多く話す事も出来ません。御用を書いて下さい。」
 イギリス人は、一寸静かに考えた。其れから、洒落た五線紙帳をポケットから取り出して、私に言った。「よろしい、こう書いて下さい。私は作品をベートーヴェンさんに視て頂きたいのです。気に入らない箇所があったら、傍に×印(バツてん)を付けて頂きたいんですが。」
 私は言葉通り彼の要求を書いた。今こそ彼を追っ払えると思ったからである。そうして、事実そうなった。ベートーヴェンは読んでから、奇妙な微笑みを浮かべて、イギリス人の作品をテーブルの上に置き、あっさりと頷いて言った。「孰れ送りしましょう。」
 これでイギリス紳士は、頗る満足して立ち上がり、特別に素晴らしいお辞儀をして別れを告げた。私はほっと息をついた。彼は去ったのである。
 今や初めて、私は聖殿に居る感じがした。ベートーヴェンの顔色まで明らかに晴れてきた。彼は私を一寸の間静に見て、其れから言い始めた。
 「あのイギリス人には、さぞお腹立ちしたろう」とベートーヴェンは言った、「まあ私に免じて我慢して下さい。ああいった旅行のイギリス人共の為、私はもう芯の髄まで苦しめられて居るのです。彼等は、今日貧乏な音楽家に逢いに来るかと思えば、明日は珍奇な動物を見に行くといった有様です。貴方をイギリス人と間違えたのは、お気の毒でした。お手紙では、私の作品にご満足だそうですが、有難い話です。私は自分のものが世間に受けようとは、今は殆ど思っていませんから。」
 こう親しく話掛けられて、私は間も無く凡ての煩わしい拘りを無くした。喜びの慄きが、こういう単純な言葉に触れて、全身を貫いた。私は筆談で、ベートーヴェンのどの作品を聞いても熱い感激に満たされるのは、本当に私独りだけの事では無い。其れ故私が何よりも熱望するのは、例えば私の生まれた町の直中(ただなか)でベートーヴェンに逢えるという幸福を、何時か市民達に持たせて遣れたらばと思う事で、そうなったらベートーヴェンも、その町では彼の作品が聴衆総てにどんな感銘を与えるかを確信できるであろう、と述べたのであった。
 「そうでしょう」とベートーヴェンは答えた。「私の作品は北ドイツではもっと好かれるでしょう。ウィーン人には屡々(しばしば)腹が立ちます。彼等は日頃良くない物を聴き過ぎているので、真面目なものを真面目に聴こうという気を、絶えず持つ訳にはいかないんです。」
 私はそれに反対しようとして、昨日「フィデリオ」の上演に行った事、フィデリオが聴衆から極めて明白な熱狂を以て迎えられた事等を持ち出した。
 「ふむ、ふむ」と先生は呟いた。「フィデリオですか。だが解っています。皆今は唯見栄で拍手しているんです。つまり私がこの歌劇を改作したとき、専ら彼等の助言に従ったのだと、決め込んでいるんですよ。其処で骨折りに報いる心算でブラヴォーを叫ぶんです。気は好いんですが、頭が有りませんね。だから私は、利口な連中よりは未だしも彼等に付いて居るんです。所でフィデリオは御気に入りましたか。」
 私は、昨日の演出が私に与えた印象を伝え、追加の曲に因って全体が素晴らしい結果になったと述べた。
 「腹が立つ仕事ですよ」とベートーヴェンは答えた。「私は歌劇作曲家じゃありません。少なくとも私は、二度と歌劇を喜んで書きたいような劇場は、この世の中では知りませんね。自分の思い通りの歌劇を書こうとすれば、聴衆が逃げ出すでしょう。それには、詠唱(アリア)も二重唱(ドウェット)も三重唱(テルツェットterzetto)も、今日(こんにち)歌劇を綴り合せている全ての道具が、一向に見出せ無いんですからね。そうして私が其の代わりに作る物は、歌う歌手も在りますまいし、聴きたがる聴衆も無いでしょう。彼等は皆、華やかな嘘や、煌びやかな出鱈目や、甘ったるい退屈さだけしか知らないんです。真の音楽劇を創る者が在れば馬鹿と思われるでしょうし、実際そういった作品を、自分だけで取って置かずに人々の前に持ち出そうとすれば、そう思われかねませんね。」
 「では如何いう生き方をしなければ為らないんでしょうか」と私は興奮して尋ねた、「そういう音楽劇を創り上げる為には。」
 「シェイクスピアが作品を書いた時の様にするんです」。激しい位な答えであった。其れからこう続けた。「従って色々賑やかなガラクタ曲を作っては、いい加減声が出る女達に調子を合わせて、
彼女等が其れを歌って拍手喝采(ブラボー)を得れば何よりだ、と思うような者には、パリの婦人洋服屋にでも成れば良いのです。だが音楽劇の作曲家には成れませんね。私にしても、そういった冗談等が出来る性質(たち)では無いのです。ですから利口者達が、ベートーヴェンが楽器には通じている様だが、声楽は頗る不得手だ、等と言っている事も良く分かっています。彼等は、声楽とは単に歌劇音楽の事だと思っているので、そう云うのも尤もですが、私がそんな出鱈目に安住する様になったら、其れこそ大変です。」
 そこで私は、「アデライーデ」(ベートーヴェンの初期の歌劇。詩はマディソン)を聴いた後の尚且つ彼の声楽への輝かしい使命を敢て否定する者があると、彼自身実際思っているのか、と尋ねてみた。
 「そうですね」とベートーヴェンは暫くの後答えた。「『アデライーデ』や、ああいったものは、結局大したものでは無いので、上手な専門家達の手に折よく巧く入れば、彼等が優れた芸を人前に出す伝手として役立つ訳なんです。
(村正注)多分此処から文字を色違いにして強調したかったけど無理なので取り合えず改行でw


 しかし何故声楽が、楽器と同様に、偉大な厳粛な芸術種目(ジャンル)を成してはいけないのでしょうか。ことに上演の場合は、言ってみればシンフォニーの時オーケストラから要求されるのと同様に、軽薄な歌手達から尊敬される様な、つまりそういうジャンルに何故成ってはいけないのでしょう。
  人間の声と云うものは、元々存在しているのです。其れ処か、声はオーケストラのどの楽器よりも、遥かに美しい高尚な音の器官なのです。

 この声を、楽器と同様に独立して用いてはいけないのでしょうか。そうしたらどんなに斬新な結果が得られないとも限りますまい。

 則ち人の声は、その天性が楽器の性質と全然違ってますが、正にその特性が一段と強調され確保されて、多様極まる結合を生み出させるのです。
 楽器が代表するのは、創造と自然との原始器官です。楽器で表現されるものは、決してはっきりと規定されたりはしません。というのは楽器が再現するのは、原始感情そのものですが、其れを心の中へ採り入れ得る人間すら、恐らく未だ存在していなかった頃、最初の創造の混沌の中から生じたそんな原始感情ですからね。
しかし人間の声と云う神霊になると、すっかり話が違ってきます。声は人間の心、及び心が持つ完結した個人的な感覚を代表しています。声の特性は、ですから制限されてますが、その代わり規定されていて明瞭なのです。
そこで楽器と声というこの二つの要素を、合わせてごらんなさい。結合させてごらんなさい。無限なものの中へ漂い出て行く激しい原始感情は、楽器に代表され、人間の心が持つ明瞭な規定された感覚は、声に因って代表されていますが、その原始感情と声の感覚とを向き合わさせてごらんなさい。第二の要素である声の参加は原始感情の闘争へ快い宥めの作用を及ぼし、その流れに、一筋の規定された統合された進路を与えるでしょう。
一方、人間の心は心で、そう云う原始感情を取り入れる事に因って、限りなく強化され拡充されて、以前は最高のものを漠然と予感していたのに、今度は其れを神の意志に変えて、はっきりと内部に感じる事が出来る様になるでしょう。」
 ここでベートーヴェンは、酷く疲れた様子で、一寸話を止めた。それから軽く吐息を吐いて話続けた。「勿論この問題の解決を試みると色々厄介な事にぶつかります。歌わせる為には言葉が要ります。だがそう云うあらゆる要素の統合の基礎となるような詩を、言葉で表現する事は、誰が出来ましょう。文学は其処で控えて居ざるを得ない、と云うのは言葉はこの問題に対して、余りにも弱い器官だからです。
私は孰れ一つの新作をお聴かせする心算ですが、そうすれば、今日述べた事、思い出しになるでしょう。新作は、合唱付きのシンフォニーです。お断りして於きますが、助けを求められた文学が不十分だと云う厄介な事を片付けるのは、どんなに困難だったでしょう。だが結局、シラーの美しい賛歌『喜びに寄せる』を使う事に決めました。勿論この場合でも、世界中の如何なる詩も表現できないものを表現する事は、思いもよりませんが、兎も角も此の賛歌は、高尚な高揚的な作品です。」
 ベートーヴェンの巨大な最後のシンフォニーは、当時精々漸く完成されたばかりで、未だ誰も知らなかった、ベートーヴェン自ら、こういう示唆に因って、私に此の第9シンフォニーを完全に理解させてくれたのであり、その為に与えられた私の幸福は、今日も尚名状し難い位である。ベートーヴェンからこれ程愛想よくされる事は、確かに珍しい事であり、私はすっかり感激して感謝の意を表したのであった。同時に私は、彼が作曲した新たな大作の発表を、期して待つべしと言われたの驚喜の心を表明した。私の目には、涙が浮かんでいた。私はベートーヴェンの前に跪(ひざまず)きたかった。
 ベートーヴェンは、私の感激の興奮に気付いたらしかった。彼は私を半ば憂鬱に、半ば揶揄的に微笑みながら見て言った。「この新作が問題になったら、弁護して頂ける訳ですね。私を忘れない居て下さい。利口な連中は、私を気違いだと思うでしょう。少なくともそう言うでしょう。しかしRさん、私は予(かね)てから気違いになる位不幸せには違いないでしょうが、気違いにだけは未だ成っていない、と云う事は良く御分かりですね。世間の人々は、彼等が美しくて良いものだと思い込んでいる物を、私が書くように要求しているのです。然し彼等は、この憐れな聾者が全く自分自身の考えを持たなければならない、と云う事を考えて居ないのです。つまり私は、自分で感じる以外には作曲する事が出来ない、と云う事ですね。彼等が奇麗だとする物を、私は考えたり感じたりは出来ないのです」。彼は皮肉に付け加えた。「と云う事が、当に私の不幸なのです。」
 そう言ってベートーヴェンは立ち上がり、早い短い足取りで部屋を横切って歩いた。私は深く心の奥底まで感動して居たが、同じく立ち上がった。私は身体が震えて居るのを感じた。身振りでも筆談でも、話を続ける事は私には出来なかったであろう。今は私の訪問が、先生にとって煩く成り兼ねない潮時が来た事を、私は意識した。感謝と別離の深い感情の籠った言葉を紙に書く事は余りにも白々しく思われた。私は帽子を手に取りベートーヴェンの前へ進んで、私の心に起こったものを、私の眼差しで読んで貰う事で満足した。
 ベートーヴェンは私の心が分かったらしかった。「お帰りですか」と彼は尋ねた。「もう暫くウィーンにお出でですか。」
 私は、今度の旅行はベートーヴェンを知るより他に何の目的も無かった事、破格の接待を辱(かたじけの)うし目的が達せられたと思えばこの上なく幸福である事、明日は再び帰りの旅路に就く事等を書いた。
 微笑み乍らベートーヴェンは答えた。「今度の旅行の費用をどうして調達なさったかお手紙で拝見しましたが、ウィーンに留まってガロップを作られては如何です。此処ではああいうものは、中々受けますよ。」
 私は、自分にとってああいうものはもう終わった、再び今度の様な犠牲を捧げるに足りそうなものは何も知らない、と説明した。
 「ええ、ええ」と彼は答えた。「そりゃあ解りますよ。老い耄れ(おいぼれ)の私だって、ガロップを作れば、もっと楽には成りましょう。だが今までの通りにやっていけば、苦しさは相変わらずですね。
ではお達者で」と彼は続けた。「私を憶えていて下さい。不愉快な時は何時も私を思って我慢してください。」
 感動して目に涙を湛えながら、私は別れを告げようとした。その時ベートーヴェンは更にこう呼び掛けた。「待ってください。あのイギリス音楽家を片付けようじゃありませんか。何処に×印を付けたら良いか、見てみましょう。」
 そう言って彼はイギリス人の五線紙帳を取って、微笑み乍ら素早く目を通した。其れから再び丁寧に閉じ重ねて一枚の紙に包み、太い楽譜ペンを掴んで、包装紙全体に渡る巨大な×印を書いた。そうして私に、こう言い乍ら渡した。「あの幸せな男にこの傑作を渡してやって下さい。あれはバの字ですよ。だが長い馬の耳(原文では「ロバの耳」で「馬鹿の耳」の意味。音痴への皮肉)は羨ましいですね。では、さようなら。今後もどうか宜しく。」
 そう言って彼は私を解放した。感動して、私は彼の部屋と家を去った。
*
 旅館で私は、イギリス人の従者が、主人のトランクを旅行馬車の中で整頓しているのに出会った。則ち彼の目的も達せられたのである。彼もやはり忍耐を証明した事は、私も認めざるを得なかった。私は部屋に入り、明日帰り徒歩旅行に就く用意を同じく整えた。イギリス人の作品の包み紙の上の×印を眺めた時、私は大声で笑わずにはいられなかった。しかし、この×印はベートーヴェンの記念であり、私は我が巡礼の悪魔めに、これを渡したくなかった。素早く私は心を決めた。包み紙を取り、自作のガロップを探し出して、それをこの呪いの包み紙に包んだ。イギリス人の作品は、包み紙無しで人に頼んで渡して貰い、それに短い便りを添えた。その中で私はベートーヴェンがイギリス人を羨ましがって、何処に×印を付けたら良いか分からないと語った、と伝えた。
 旅館を出た時、私は、不幸せな相棒が馬車に乗るのを見た。
 「さようなら」と彼は私に呼び掛けた、「随分お世話になりました。ベートーヴェンさんにお近づきなって嬉しい次第です。所で、一緒にイタリアへ行きませんか。」
 「イタリアでどうするんです」と私は聞き返した。
 「ロッシーニさんにお近づきになりたいんです。とても有名な作曲家ですからね。」
 「お達者で」と私は叫んだ、「私はベートーヴェンを知りました。生涯それで沢山です。」
 我々は別れた。私は尚も憧れの一瞥をベートーヴェンの家に投げた。そうして、高め清められた心で、北に向かって歩きだした。
(以下村正注)
この作品はワーグナーがリガ(現在のラトヴィア)で劇場で仕事を見つけたが、意にそぐわない作曲を延々と作らなければならなく、なんだかんだで劇場支配人のホルタイに嫌われ(だだしミンナは別)いた。

チョイ時間的に戻すとその頃のミンナは商人ディートリヒと娘(ミンナは瘤つき)を連れてドレスデンへ駆け落ち。因り戻す戻さないの磨った揉んだ経由、因り戻し。( ;´Д`)
そしてもう一回同じ相手と駆け落ち今度はハンブルグ。(;・∀・)ハッ?
もう一回因り戻す戻さないの磨った揉んだ経由、因り戻し。
「心入れ替えますので置いておいて下さい。」
二ちゃんねるの鬼女板テンプレの如きのようなセリフとドラマがあった気がする。いや、絶対あった筈(笑



リガへは夫妻でやってきた。

ミンナは美貌故に劇場支配人のホルタイが横恋慕、しかし子供を身籠った故女優を引退、主婦業に専念しようとしていたミンナは劇場支配人の望むような希望(看板女優、枕その他)を拒む。じゃあ夫のワーグナーを贄にしようと策謀渦巻く状態。

ワーグナーにとって其処は居心地の良い場所ではない故、彼はそこで一発奮起し、パリで自分の作品グランド・オペラ「リエンツィ」の上演を夢見、パリへ活路を見出そうと決意。その当時借金の債権者から旅券を押さえられていたのでそれら債権者から逃れるため映画007シリーズのような脱出劇を繰り広げた。世間でいう所の夜逃げ。
 債権者の目を晦ますため陸路では無く海路を選び1839年7月の9日決行。
>ロシアのリガ
>ドイツのケーニヒスベルク
ピラウに向かう道中乗っている馬車の横転事故。その際ミンナは流産。
>ドイツ港町ピラウ>コペンハーゲン経由ロンドン着貨物船テーティウス号に乗り込む
そこからバルト海横断
>デンマークのコペンハーゲン
一回目嵐遭遇。
そこから避難するため
>ノルウェーのサントヴィーケ
二回目の嵐遭遇(笑
上記二回の嵐の遭遇とサントヴィーケの水夫及び港町から「彷徨えるオランダ人」の構想を得る。

を経てロンドン

そこで以前から連絡を取り合っていたジャコモ・マイヤベールがロンドンに偶然逗留している事を突き止め彼の逗留先へ訪れる。
突然の訪問にも拘わらず、マイヤベールは彼の才能を認めパリのオペラ座へコネを繋いでくれた。
(村正注・続き)
おかしいなぁこんなに克明に書く心算が無かったんですけど。

とりあえず大急ぎで。

でその後パリでコネだけでは貧窮し、マイヤベールが紹介した楽譜出版社のシュレザンジェールが与える仕事は音楽界の下隅(下積みじゃないよ!)の世界ばかりでうんざりしていた時代です。
シュレザンジェールが出版する『ガゼット・ミュジカル・ド・パリ』で4回に渡って発表された作品
『ベートーヴェン参り』が好評で。ワーグナーは作曲家ではなく作家としてデビュー(えっ
このマイヤベールの仕打ち(ワーグナーはそう思い込んでしまった)に暗黒のパリ時代として貧窮と屈辱に耐えた原因でユダヤ嫌いになったらしいです。

パリで誰からも顧みられず、貧窮と絶望の内に死んでいく若いドイツ人作曲家についての短い物語

とAspects of Wagner:Bryan Magee著で称されてます。
邦題『「ワーグナーとは何か」より深く識る為に』ブライアン・マギー著:音楽之友社


希望が在れば文章起こししますがどうでしょう?

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