ここで気づくのは、これほどまでに細かい御大のことだから、bist du rein(お前が本物なら)という言葉や、Mich duenkt, dass ich dich recht erkannt(お前が誰だか読めてきた気がする)という台詞には当然無理にでも愚者の動機が当てられて良いはずなのですが、当てられていないことです。
続くlass mich dir bluehen!ではソプラノが、アラビアンな感じの高音を重ねます。くねくねと怪しげな誘惑…といえばアラビアかい!と短絡すぎて突っ込みたくなりますが、音楽の上での効果は絶大。確かにこれはユーゲントシュティール。それまで直線だった音楽の輪郭線に急に曲線が交わる感じです。
このエロスの表現!
ついで、彼女はパルシファルの両親について触れると共に、彼に名を告げるために待っていたと語ります。
次の歌詞は意味深。
was zog dich her, wenn nicht der Kunde Wunsch?
直訳すると「その知らせ(つまり、両親や名のこと)を望む気持ち以外に、何があんたをここに引き寄せたと?」となりますが、このder Kunde Wunschは同時にKundry自身のWunsch、つまり願望なわけですね。
直後、Doch ihr Wehe〜からは突然ヴォータンの苛立ちのような旋回音型が挿入されます(母の嘆きの動機。覚えなくてもいいでしょう)。パルシファルがクンドリーの言葉にグサっと来ているのが手に取るようです。最後のUnd-Herzeleide-starbではそれがさりげなく詠嘆の動機の断片につながっています。
・詠嘆 A
http://pippo.sakura.ne.jp/mp3/lm/kyuusai.mid
御大の偉大なるワンパターン、チョイ見せ。覚醒への布石です。
続くパルシファルのWehe! Wehe!から、やっと本格的な覚醒が始まります。やれやれ。
まず、言葉だけ第1幕のアンフォルタスを踏襲。
ティトゥレルに開帳を迫られた時の、Wehe! Wehe mir der Qual!につながる発言。あの時アンフォルタスはErbarmenやStrafeといった単語を反復していたことを思い出しましょう。