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Kumuの元気!勇気!バクハツ!コミュのDecade Kumu&×××

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ボクが、98年にDreamsのKumuとして原宿の表参道路上デビューしてから2009年で10周年になります。ぴかぴか(新しい)


てんつくマンやミネハハさんなどの出逢いから人との繋がりなど…

どんな10年だったのか書いてみようかと思います。えんぴつ

コメント(24)


《10周年記念》vol.1

2009年でボクが路上デビューしてコトバ描きになって10周年…。
あっという間と言えば、そうなんだけどいろいろあった。
何かを始めようと思ってる人の参考になればと思い振り返ってみます。



98年に四人でDreamsを結成して後にボクKumuとイラストレーターのKuroeの二人で活動。
でも…活動の仕方がわからない時に出会ったのが、てんつくマン(軌保博光)さん。

ボクが高校の頃に好きだったバンドBAKUの谷口宗一さんをネット検索していたら軌保さんという方が原宿・竹下通りでコトバを書いてると知りたずねました。

そこでコトバを書いてもらい自分もコトバを書いてると話しをしました。
『来週から路上に出よう!一緒にやろう!』と…。
え!来週?路上?
何が必要?と迷いながらその場を後にしたんです。



これが、てんつくマンとの出会いそして路上デビューのきっかけに…。



ひらめきや行動は大切だなって思います。
ライブに行き、ネットで調べ会いに行かなきゃ、てんつくマンに会えなかったわけで…。


つづく

《10周年記念》vol.2



(前回のつづき)
とにかく、路上に出る準備を…ってことで、下に敷くシートやペン、画用紙などを購入。

さらに、いくつかコトバをチョイスして写真と合成してポストカードを作ったりして路上デビューを待ったんです。

いよいよ路上デビューの日にバッグ付きのガラガラカートの中に荷物を詰め込み、原宿表参道へ…。
行きの電車の中はすっごく緊張してて行こうかやめようかドキドキと不安が交差してたなぁ。

原宿の表参道に着くとちらほら路上してる人たちが…約束したキデイランド付近には軌保さんの姿はなく…(あれ…いないのかな?)って不安になり…でも約束を信じて待っていると旅行に使うデカイスーツケースをガラガラさせて軌保さん登場。

「おはよう〜待った?今日もやるで〜」と着くなりカバンから路上セットを広げる。
ボクらも一緒に広げる…。道行く人は、何が始まるのか!?とかなり見られる…緊張。

軌保さんが広げ終わると、いきなり人だかりが…。
すでに少し話題になってたからなのか書き下ろしパフォーマンスにお客さんは夢中。
隣にいたボクらは、その人だかりの人たちに作品踏まれる…。(笑)
少しずつ横に避けながらも軌保さんの様子に圧倒…。そんな時、軌保さんは「隣の子たちは今日から路上はじめたからよろしくな〜」と…。

ポストカードだけ広げてるボクらには、さらっとチラ見して通過…。

確か路上初日は売り上げなかった気がするなぁ。
でも、数時間、軌保さんのパフォーマンスが見れて会話もたくさんできて楽しかった思い出があります。

つづきはまた…。
《10周年記念3》


(前回のつづき)

軌保さんと一緒に路上デビューをきっかけに、ほぼ毎週日曜日には路上に行くようになりました。

二度目の路上では、ポストカードが二枚売れて…暇な時間に書いたイラストやコトバが売れて…370円くらいの売り上げ。

三人で路上に座って…370円。
でも、ボクたちには大金に思えてめっちゃ嬉しかった。
だから、シズラーで三人でお祝い食べ放題!(笑)

370円の売り上げに大興奮。

次の路上では500円…次には700円くらいと路上に行く度に少しずつ売り上げは上がっていった。

でも、隣にいる軌保さんは冊子も販売して…人気もかなりあった。
いつもすごい人だかり…。
その横でやりづらくなっていたのは確かだった。

そしてボクらは全く反対側の通りの今だと表参道ヒルズ前で、軌保さんの手伝いも兼ねて…軌保さんの本をボクたちの路上でも売ることにした。
そして軌保さんの路上にはボクらのチラシを置いてもらい…お互いの宣伝をする相乗効果。

かなりいい感じでした。

軌保さんが地方にイベントで行ってもボクらの噂をしてくれる人がいたり…ボクらの路上で軌保さんに会った話しを一生懸命にしてくれる人がいたりと…。

とにかく楽しい路上が続いていました。


が!!トラブルだってあったわけです。

それは、また次回…。
《10周年記念4》



(表参道の路上の話しのつづき)

路上をやってると、いろんなことが起きるんです。
最初の頃に多かったのは、路上に広げてる作品の上を歩く。

確かに歩行の妨げになってたかもしれないからね。
仕方ないけど…わざわざ踏む人って…。


そして警察。
誰かが警察に注意されてると次々に路上を片付ける波が起きる。

「君たち…ここで商売しちゃダメだよ。しまって!」これは優しいパターン。

「ほら!やめろ!」
これはちょっとビックリするバージョン。

「君たち、片付けて署まで同行してもらうよ。」
これは…チーンです。
署まで行くと書類書いて指にインクつけて印を押す。これを三回やると罰金にさらに連行されるらしい。

で、余談だけどこの指につけるインクが手についたやつはすーって消えるのよ。簡単に!これに感動して騒いでたら怒られた。(笑)
ちなみにボクは二回指紋とられました。

しかし中にはステキな警察の方もいたんです。
「君たち!ここでやっちゃダメなの知ってるよね?いろいろお店の人や地域の人に言われて僕たちも注意してるんだよ。」と言いながらボクらの詩集やらポストカードを見てる。

「へぇーなんかいいコト書いてるね。とりあえず注意はしたから…まぁしばらくしたらしまってね。」と言いながら去ってしまった。
再度通り過ぎたけどニッコリして通過。
そんなこともあるんだなぁ。

ヤクザ屋さんが現れた時もあったけど…。
隣でアクセサリー販売してた、女性の方が「来たわ。あなたたちも片付けなさい」で片付けてセーフだった。

真夏の炎天下で表参道の路上に座り…10月に入ってボクたちに転機が訪れる。
この連載を始めてずっと路上の話しをしてきたわけですが、今回はコトバを書くきっかけになった理由を…。


ボクね、授業中とか家で勉強中にこそこそレポート用紙に物語を書くのが好きでよく書いていたんですよ。
でもね、作文が苦手だった。
苦手ってか…文章が話し言葉になっちゃうのね。
(これ読んでもわかるよね。)
「〜だから」「でも〜」とかね。

中学生の頃だったかな…
国語の先生に準備室みたいな所に呼ばれ鼻血出るまで殴られたもん。
「お前はふざけてるのか!」ってね。
高校生になると国語国文学という授業があって…相変わらず固い文章書けない…成績もいまいちだったかな。
高2になると国語国文学の先生が替わりなんだかピンとこないネチネチした先生だったのね。

受験に備えて授業はやたら論文ばかり…。
なんか…無理して難しいこと書くのが嫌で…結局は、話し言葉で論文を提出。


次の授業で論文返却された時に先生が…………。

『君の文章は論文ではないな。これじゃダメ。でもね、先生はこの文章嫌いじゃない。君のこの書き方は何か文章を書く仕事をやるといいよ。論文ではないけれど「よし」としよう。』と言われたんだよね。


なんか初めて自分が認められた感じがして嬉しかった。

これをきっかけに田中章義さんの短歌や本を読んだり、斉藤由貴さん・銀色夏生さんの詩集読んだりしてコトバを書くようになったんです。


先生の名前…忘れてしまったけど顔や論文を返却されたシーンは今でも覚えてる。

高校生の時に授業中こそこそコトバを書いていたノートは今も持ってる。


ありがとう!先生!(笑)

名前なんだっけなぁ。
《10周年記念5》

表参道の路上を続けながら、軌保さんと吉祥寺パルコや都内のお祭りで書き下ろしイベントしたりと、いろんな経験をしたんだよね。

あと、かつしかFMの番組にもゲスト出演しました。


バイトの仲間も路上やフリマに来てくれてポストカード買ってくれたりして本当に嬉しかった。
そんなある日、ポストカードを買ってくれた友人から「お台場でコトバ書き下ろしやらないか?」と連絡があった。
彼はお台場のVenusFortで働いていて、たまたま先日買ったポストカードを手帳に入れてあり上司が見て気になったらしく会って話したい」とのことだった。

雨の日も猛暑の日も風が強い日も路上にいたボクらには、当時まだまだニュースポットのお台場VenusFortで書き下ろしパフォーマンスができるなんて、めちゃくちゃビッグニュースだった。

すぐに軌保さんにも報告し「チャンス来たなぁ!しっかり話して来いよ。」と言われボクらは、ワクワクしながらお台場へ向かった。

確か99年の9月下旬か10月のことでした。
いつも営業に行く時と同じ書類に作品集…そして…服装はTシャツにハーフパンツとラフな格好。


営業なのにTシャツにハーフパンツかよって思うかもしれないけど、これも軌保さんから学んだことなんです。

いつもと違う服装でガッチリキメて緊張しまくりで相手と会えば間違いなく緊張や興奮で自分の伝えたいこと、話さなくてはいけないことをいくつも忘れてしまう。
ならば、せめてスタイルだけはいつもと同じで、なるべく緊張せずリラックスモードで行けば、伝わることは多いと…。


VenusFortの裏に通されて話し合いが始まった。

ワゴンや棚などの什器を貸すからみんなが通る広い道でやってほしいとのこと…

しかし、ボクらは迷った。
路上というスタイル…つまり地べたに座っていろんな人たちを見てきた…地べたに座っているのと路上にある手すりに腰掛けてやっているのとは、明らかにボクらの気持ちもお客さんの集まりも変わった。

お台場に店を出したらグッズは棚にボクらは机とイスを与えられて、そこで書き下ろしする。

ピンとこない。

ここでやるなら1日の売り上げの20パーセントを場所代として払わないといけない。
浅草橋などで材料を買いすべて手作りでグッズを作っているボクたちには1日の売上から20パーセントもひかれるのは辛い。
路上と同じ価格ではグッズは売れないということになり再設定を考えた。

さらに、路上では書き下ろしをお客さんが、一枚一円から自由に価格を決める。
自分のためだけに書いてもらったモノの価値を自分で決める。
これもボクらが大切にしていたやり方だったが、ダメが出た。
価格設定がない物は、売ることはできないから必ず設定してもらいたいと…。
ボクらがお台場に来てやる意味あるのか悩んだ。

そして軌保さんに相談した。

「俺もあった。一枚一円からはダメと言われた。
だから、イベント用に額付きにしたり、紙を変えたり…そしてその価格で売れる作品を描いた。価格設定は悩むけれど…お台場でやる価値はある。自分たちで決めろ。」


そしてボクたちは、500円〜1000円の間で設定しようということになり次なる問題の書き下ろしスタイル…路上風にやれるのか…という問題に悩まされた。



つづく。
【10周年記念6】


お台場VenusFortで書き下ろしパフォーマンスをするには次々と問題があったけど、やっぱり路上スタイルがいちばんの問題だった。

お台場のニュースポットで地面に座り表参道のようにはやれないということになった。
しかし、路上スタイルができないのはボクたちにとっては意味もないし、落ち着かない…。

交渉を何度もしたが、ワゴンも什器も使わない…さらに地面に座るなんてVenusFortのテーマに合わないと言われた。


チャンスをくれた友達には悪いが諦めるしかないかという時にVenusFortのデザインや監修をした副館長さんが現れた。

「君たちの条件は、わかった。それでは、メインの階ではなく上の階の通路などはどうだろう?
街の中にお店を出してるジプシーみたいな…君たちもコスチュームを着て…」

つまりボクたちはこの街にお店を出すためにやってきた占い師みたいなテーマをもたせコスチュームも用意したらボクたちの条件をのんでくれるということになった。


コスチュームを着てやることにはかなりの抵抗があったが、作ってくれる友人たちがいたので頼んだ。
お店を出す場所も選んだ…あまり人が通らない感じの橋(渡り廊下)にした。

ここの通りを人がめちゃくちゃ通る導線にしてやろうと思った。
さぁ、場所もスタイルも決まったからどういう店舗にするか雰囲気や配置などを何度も紙に書き構想を練った。

当然だけど借金もした。毎日が店舗の準備で追われていた。

グッズや詩集もたくさん作っておかないと…。
路上にも出ながら出店準備もすすめていた。

かなりハードだったんだろうけどワクワクしていたからなのか辛いとか面倒くさいなんて思わなかった。

ある程度の構想ができた頃に再度打ち合わせをした。
ボクたちのテーマも理解してもらえたが、また問題が発生した。

VenusFortは毎日朝から夜までやっているのだから、ボクたちにもそうしてもらいたいと…

さすがに即答で「無理です」と伝えた。
ボクたち2人で毎日朝から夜までなんて無理。
コトバ書き下ろしパフォーマンスやるわけだからボクたちでなきゃ意味ないからバイトなんて頼めないし、そんな予算もない。
週1日か2日は休まないと作品製作やグッズも作れない。

ということで週2日休みもいただいた。

最終的に書き下ろしは800円で設定し、VenusFortには1日の売り上げの20%払うことになりスタートするのであった。

正直すべて手作りのボクらに20%はきつかったけどね。




つづく
《10周年記念・7》



お台場・VenusFortでの準備が進む中、やはり問題は、うちらが敷物をひいて地面に座ることだった。


これを長テーブルや占い師みたいなブースで一緒にやらされるのだけは避けたかった。


交渉を繰り返し…



とりあえずボクたちのやり方でやってみることになった。

アテンダントクルーとして働いていた友人やその仲間たちも歓迎してくれた。


出来上がった空間は、館内放送とは別の音楽が流れ、小さな噴水のオブジェも購入。

渡り廊下なので少し暗めで怪しい雰囲気が漂いまくっていた。

そこにVenusFort側から言われ作ったコスチューム…

これだけが、ボク的にはかなりマイナスイメージ。




さて、いよいよ…

Dreams type-Venusの始まりだ。



初日、VenusFort関係者がたくさん訪れた。

声をかけてくれる人、ただジロジロ見る人…

お客さんは完全にドン引き…

暗闇に変なコスチュームの2人は…やはり…


初日にしてボクはヘッドを外し、イラストレーターのKuroeのヘッドも外させた。

怪しさが薄らいだ。


場馴れしてないのもありボクらの売上は数日は数千円といまいちだった。


ヘッドを外して、数日後にはお客さんがチラホラ…人が足をとめていると気になり人は集まり始める。


コトバの書き下ろしはしなくてもグッズや詩集が売れていった。

営業時間中は、お昼ご飯以外は座り続け、お客さんがいなければ作品を書き続けた。


路上とは違い風や雨など天候を気にすることがないから、いろいろな面ではかどった。


時おり、他のお店の方々が休憩中に書き下ろしをやりにきてくれたり…

少しずつ波に乗ってきた。

そして、書き下ろしにはいろんな人たちが…



つづく

《10周年記念 VOL.8》






お台場・ヴィーナスフォートは、当日かなりの人気スポットで、土日には大変な賑わいでした。


書き下ろしも順調で、平日でも10人以上、土日なら30人以上…

詩集やグッズも毎日何かを作らないと翌日は、人気のポストカードが売り切れ状態だったり、キーチェーンが売り切れだったりと、嬉しい反面、寝られない日もありました。





ちなみに、ポストカードは一枚一枚、自宅のプリンターで印刷して袋に入れる。

詩集も、1ページずつ印刷して半分に折り、全ページまとめてホッチキスでとめて、製本テープで仕上げるというもの。


当時のプリンターって、ウィーンガシャって何度も往復して、印刷するから1枚印刷するのにかなり時間がかかったし、いきなりインク切れでかすれてたり…


ホントに大変でした。
詩集作りは、印刷しながら眠ってしまい朝なんてことが当たり前でした。



ボクたちは詩集が売れた時にお客さんに「裏表紙にサービスで書き下ろししますよ。」っていうことをしていたため詩集はかなりの人気で欠かせないグッズのひとつでした。




お台場は、原宿の表参道の路上とは違って、天気によって閉店なんてこともなく、また毎回すべてを木箱に詰めて帰ることもなく、さらにヤクザ屋さんや警察にビクビクすることもなくなかなか快適でした。




ただ、お客さんに変化があったんです。
基本的に週5〜6日間は、同じ場所にいるから、頻繁に「私にコトバを書いてください」と言う女性が現れたのです。


最初の2回は、


ボク「あっ!この前は、ありがとう!あれからどう?」


お客さん「いやぁ、私はやっぱり職場でひとりぼっちなんです。」


ボク「そっかぁ。でも絶対変われるよ。」


なんて話していたんですが、毎週コトバを書いてくださいは、さすがにポエムをただ書いてるわけではなくその人を見てインスピレーションで、書いてるボクとしては、何にも思い付かない…。


だから…次に現れた時にボクは彼女に「毎週のように来てくれるのは、嬉しいけど、ボクが書いてあげたことやってる?ホントになんとかしたいなら、ボクが書いたことやってみてよ。いつも来てくれても、あなたが何も変わらないなら、書くことないよ。」


めちゃくちゃ淋しそうな顔をしていたけれど、彼女は立ち上がって「わかりました。今まで書いてもらった書き下ろし見てがんばります。」と行って帰っていった。



ボクの中では、インスピレーションでコトバを書くのは占いでもないし、悩み相談室でもなかったから、ちょこちょこと通うお客さんには同じような対応をしていた。




ある日、若いカップルが現れてかわいい感じの彼氏がコトバを書いてくださいと座った。




書き下ろしを男性に頼まれることは珍しくしかも笑顔なイケメン。



目を見たら笑顔の割に目は笑ってなかった。


迷うことがあるなら自分のインスピレーションを信じて動いたらいいみたいなコトバを書き彼氏と話をした。

「ボク、大学生なんですけど、親に行けって言われて受験して合格したので、今は楽しくないんです。
ボク本当は留学したいんです。」


ボクは、彼に「確かにいろいろお金のこともあるだろうし、親は学歴を気にするかもしれないけど、自分の人生は自分で選んで、選んだからには、その道に誇りをもって進まなきゃね。
人生一度きりだしね。」



それから、数ヶ月後に彼からメールが来た。


『両親に自分のキモチを話し、大学を辞めて留学することにしました。ありがとうございました。Kumuさんと話せてよかったです。』


正直、(マジで??)と思ったけれど、『留学できると決まってから体調もよく、彼女も理解してくれて…今から楽しみです。』と書いてあって、ちいさな勇気が新たな一歩に繋がったんだなぁと思った日でもありました。




そして…ある日……






つづく。

《10周年記念 VOL.9》

(98年からDreamsのKumuとして活動した時の話です。)




ある日の朝一番に、ボクらの目の前にある女性が現れたんです。


おしゃれな女性で、数名の男女を連れて…



女性「おはようございます。お久しぶりですね?」


ボク「おはよ。……」


女性「わかりませんか?」

ボク「あ!○○さん!めちゃくちゃ変わってるやん。」


そう!あの毎週毎週来ていた女性だったんです。

服装もスタイルも変わってたし、何より友達連れてるし…



ボク「わぁ〜たった2ヶ月くらいで、めちゃくちゃ変わったね。」


女性「はい!あの時に、変わらないなら来るなみたいに言われて…でも、また会いたくて…私、変われたみたいです。今日は職場の仲間を連れてきました。」



ボク「わぁーありがとうね。」



そして、彼女にもお友達にも書き下ろしをしました。

めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えてます。


その前の、留学を決めた彼にしても、今回の彼女にしても、「ありがとう」の報告だけでも嬉しいのに、仲間まで連れてきてくれて…ホントにボクが元気もらってたくらい。




彼女は、その後もちょくちょく差し入れをくれたり遊びにきてくれました。




そんなある日、お台場・ヴィーナスフォートに下駄にイカツイ服装にパンチにサングラスの男性が一人でボクの前に座った。




ぶっちゃけ焦った。
緊張したし、なんで?みたいなキモチ。


男性「おう。にぃちゃんが何か書いてくれるんか?」


ボク「はい。インスピレーションでコトバ書いてます。」



男性「そうか、なら書いてくれ!」



わぁ〜めちゃくちゃ恐い。
全くコトバ浮かばない。


とにかく恐い。


ボク「あの…目を見て書くので…サン…サングラス…」


男性「あん?サングラス外さないと書けへんのかい?」


ボク「はい。できれば…」



内心、もうサングラスいいわって思ったけどね。


そしたら、男性がサングラスを少しずらした。


男性「これで、ええか?」

ボク「はい。ありがとうございます。」


そこに、彼女らしき女性が現れ「何してんの?何これ?書いてもらってんの?いいから次行こうよ〜」



男性「やかましい!今、にぃちゃんがコトバ書くんや。黙っとけ!」



マジこわっ!



覚えてないけど、思い付いたコトバを書いたんだよね。




そして、イラストを加えてもらい完成した書き下ろしを男性に見せると…




男性「ありがとう!ホントにありがとう!ええこと書いてくれたわ!」

と、書き下ろし料金を遥かに超える金額を置いていったのを覚えている。




とにかく、お台場では、おばちゃんの団体やら、男子高校生の団体やら…いろいろなお客さんに出会えた。




この頃から、休みを利用して出版社やラジオ局などに営業に行くようになった。



つづく。





お知らせ
☆★☆★☆★☆★☆★☆★Kumu・コトバ描き10周年★☆★☆★☆★☆★☆★☆
〓What's Jam ?〓
〜The Garden of Eden〜
《Birth》

コトバ描き10周年記念チャリティ・イベント

〓Kumuのコトバのリーディング(朗読)。

2009年6月20日(土)

千葉県市川市・本八幡
HAKKA CAFE


〓チケット・2500円(ドリンク代別)先着50名様に、Kumu手書きオリジナルポストカード付き

*全席自由席*
(各回25名予定)

☆チケット予約受付中。
mixiメール・各メンバーに直接メールで申し込みしてください。

昼の部
開場14:30/開演15:00

夜の部
開場17:30/開演18:00


《10周年記念 VOL.10》

路上〜お台場と書き下ろしパフォーマンスをしていた99年はテレビやラジオにも取材されました。





Dreamsとして活動して、初めてのテレビ出演は、「クイズところ変われば」だったかな。


軌保さんのおかげで、親しくなったサンクチュアリ出版の本の売り方などが少し変わっていてクイズになり、その映像のエキストラでした。



その次がテレビ東京「夕方いちばん」という番組で、路上人の特集で軌保さんが取材され仲間のボクもってことで、家にまで取材に来たんだよね。




軌保さんに影響されてコトバ描きになった話をインタビューで話した。



どちらも、かなり緊張したのは覚えてるし、放送を見た時の不思議な感じは、今も覚えてる。




ラジオは、かつしかエフエム「理とDreamsの歌謡大行進」と番組名に名前まで入れていただきました。


路上での活動話をたくさんしました。
そして、打ち合わせでは聞かされてなかったんですが、「この番組ではゲストに歌を唄っていただいてますが…」といきなり言われ焦りまくり。



番組の収録を一度とめてもらい歌う曲を選びました。




「もしもピアノが弾けたなら」西田敏行


これを歌いました。



きっと微妙だったんだろいうなぁ。(笑)

99年の主な活動は、こんな感じ。


毎日が新鮮で楽しかったなぁ。





つづく。





お知らせ!


☆★☆★☆★☆★☆★☆★Kumu・コトバ描き10周年★☆★☆★☆★☆★☆★☆
☆What's Jam ?☆
〜The Garden of Eden〜
《Birth》

コトバ描き10周年記念・Disney出演者15周年・バースデーチャリティ・イベント


Kumuのコトバをゲストの方が、リーディング(朗読)。

スペシャルゲストも登場予定。(トーク)



2009年6月20日(土)

千葉県市川市・本八幡
HAKKA CAFE



チケット・2500円(ドリンク代別)先着50名様に、Kumu手書きオリジナルポストカード付き

昼・夜通しチケットは、3500円(各回ドリンク別)


*全席自由席*
(各回25名予定)

☆チケット予約受付中。
mixiメール・mixiコミュニティのイベント申し込み・各メンバーに直接メールで申し込みしてください。


昼の部
開場14:30/開演15:00


夜の部
開場17:30/開演18:00


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



《10周年記念 VOL.11》




1999年の年末、家のプリンターはフル稼動だったと思う。


冬休みに入り詩集やポストカードがどんどん売れて間に合わないくらいだった。




毎日のように、ポストカードや詩集の印刷をして、袋詰めしたり、製本したり…



そして、2000年元旦。




いつものようにお店をオープンした。



ヴィーナスフォート内は福袋を抱えた人たちで溢れかえっていた。




こんなにたくさんの人がいたら書き下ろしも期待大だなぁって思っていると、おばちゃんたちが、ボクたちの周りに群がりはじめ…


『これ、なんか書いてくれるの?』

『この間、テレビで見た人だわ〜』

と、ワイワイ。



(この前?たぶん軌保さんだなぁ。)と思ったボクは『それは、ボクの師匠みたいな存在の軌保さんですよ。』と説明。



『あら!そうなの?でも、イラストもかわいいし、一枚書いてよ。』


オープンして30分くらいから、いきなり書き下ろしをはじめる。


一枚書き上げると、他のおばちゃんたちも書いてほしいと…中には、今から娘に会うから娘用に…なんて注文まで…。


このおばちゃんたちの盛り上がりで、ボクたちが出店している通路は、人だかりが出来はじめた。


詩集やポストカードを買ってくれる人、書き下ろしをする人…明らかに二人では、捌ききれないくらいの人でいっぱいになり…

書き下ろしだけで、30分待ちになった。




一人に対して、ボクがコトバを書き、イラストレーターのKuroeがイラストを描く、そして完成したらコトバの説明をするというやり方だったので、5分以上はかかった。




書き下ろしを待つ列がどんどん伸びていき、ヴィーナスフォートのスタッフ(アテンダントクルー)さんが、来てくれて整列してくれました。



その時点で2時間待ちくらい。



お客さんが2時間待ちならボクたちは、その倍くらいは書き続けていた。


途中で、名古屋から両親が来ていたけれど、話す時間もなく書き続けていた。



結局、5時間近く書き続けて、やっと休憩できた。



ボクの書き下ろし道具の色鉛筆もかなり短くなったし、お正月用にたくさん用意したグッズもほとんどなくなってしまった。



もちろん、閉店まで書き下ろしはかなり続いていた。


結果、過去最高の売上の日でした。



とにかく、指先から腕全体が痛くて…さらに、足腰もかなり痛くなっていたことがいちばんの記憶だったかな。(笑)



もちろん、翌日もかなりの人が来てくださり、お正月で色鉛筆の買い足しもできずホントに短いヤツで書いてた気がします。



あっという間に三が日が過ぎていった。



全国からたくさんの人たちに会えて話せてホントに楽しかったなぁ。




つづく。


《10周年記念VOL.12》

お台場で、ボクたち自身が驚くほどの人だかりで、毎日があっという間に過ぎていった。


グッズも手作りキーホルダーやストラップ、Tシャツ、ミラーと思い付くものは作りまくった。



缶バッチは特に人気だった。

この缶バッチは、軌保さんの繋がりで知り合った当時、TBSラジオの牧さんという方が、『缶バッチを手動で作る機械あるから作りに来たら?』と言ってくださり、時間を見つけてはTBSに行き人通りの少ない通路でハンマー片手に缶バッチを作ってたなぁ。




お台場・ヴィーナスフォートで無事に年を越して順調に書き下ろしパフォーマンスをしていたんだけれど、それはいつまでも続かなかった。




ヴィーナスフォート内の若い社員さんたちと高齢の社員さんたちの間でボクたちの路上スタイルのパフォーマンスが問題になっていたのだ。




ある日、若い社員さんがボクたちに相談をしてきた。


『実は、私たちは、この路上スタイルで注目を浴びてしかも、初めのお話通り人通りの少なかった通路を人が行き交う通路にしてくれたことに感謝しているんですが、上の役員さんたちが路上スタイルを理解してくれなくて……で、この通路であれば、規模を縮小してテーブルを置いてやっていただくか、下の階にいる占い師のところで一緒にやっていただくことになりそうです。』と言ってきた。




ボクらは、悩んだし、迷った。



お台場の人気スポットで、天気も気にせず5ヶ月やってきて、何度も足を運んでくれる方や友達に宣伝してくれたりして、本当にたくさんの出会いの輪が広がっていたし、路上のように毎日出店して片付けて重い荷物を電車に揺られて運ぶこともなかった。


しかし、ボクたちがやりたいやり方でパフォーマンスしなかったら意味がない。



数日後、ボクらは担当者さんと話をするために事務所に向かった。




『いろいろ考えましたが、ボクたちは、路上に座ることによっていろんなモノが見えてきたり、コトバが浮かんだりするんです。
ボクらがやりたいコトをやりたいやり方でやらなきゃ何も伝えられないんです。
それに、みなさんにも迷惑かけたくないんです。
だからヴィーナスフォートでの出店は辞めます。』




めっちゃ勇気が必要だった。
辞めて路上に戻る?
生活できる?
いろいろ考えた。

でも、今まで書いてきたコトバを嘘では終わらせたくなかった。



担当者さんは、『やはり今の場所で縮小や占い師と一緒では違いますよね?本当に続けてほしいんですよね。』と言ってくれた。



『ありがとうございます。でも、路上スタイルは変えたくないんです。』



担当者さんは、さらに上の方と話し合ってくれたけれど、交渉は成立しなかった。


2000年3月にヴィーナスフォートを出ることになった。



つづく

《10周年記念 VOL.13》


ヴィーナスフォートでの出店が終了すると決まったその日にボクは、思いつきで、ヴィーナスフォート1階のパレットタウン・サンウォークの事務所にいきなりアポなしで向かっていた。




事務所に入ると、室長さんは外出中で女性の社員さんが、連絡先を教えてくれた。




後日、アポを取りサンウォークの事務所に向かった。



この頃の自分は、いい意味で自信ついてきた頃で、なんでもうまく行くと信じていた。

だから、すんなりアポなしで行けたんだと思う。




やっぱり、自分を信じることは大切なんだよね。






室長さんはボクらのことを知っていた。

『君たち通路でコトバ書いてる人でしょ?気になってたまに覗いてたよ。ところで、話は何?』


ボクはヴィーナスフォートでのことを全部話し、サンウォークでやれないかと交渉した。



『え?ヴィーナスフォートでの出店終了なの?
なるほどね…サンウォークも系列は同じなんだけど…まぁ…いいんじゃない?』と快く迎えてくれた。



場所は、ペットショップやヴィレッジヴァンガードの前。




なかなか素敵な場所。



しかも、ヴィーナスフォートよりも出店料金を安くしてくれたのだ。



全てのグッズを材料を買い、手作業で作るボクたちにとって、場所代が安くなるのは本当に助かった。



サンウォークでの出店は、まずはゴールデンウィークのみ。


次は様子を見てとのことだった。




ヴィーナスフォートの出店や他の場所でのイベントに来てくださった方は知ってるとは思いますが、めちゃくちゃ大きな布に書き下ろしをしたモノを垂れ幕のようにしていたんだけれど、よく『売ってもらえませんか?』と聞かれた。



布を買いに行って、下書きして…と時間もかかるけれど、描く場所がなくヴィーナスフォートの出店がオフの日や営業終了後にアテンダントクルーの控室の壁を借りて数作品描いたことがあります。



今もまだ持ってるのかなぁ。


ひとつは、どこかの幼稚園に。


あとシンガー・ミネハハさんが持っているのは確かなんです。




さて、4月はどうしよう…


この頃から、急激に原宿・表参道の路上出店は厳しくなっていた。




どこかで出店できないか探すことにした。


つづく

《10周年記念 VOL.14》


ヴィーナスフォートでの出店が3月末まで、次の出店はゴールデンウィークのお台場・サンウォーク。



4月はどこでやろうかと、いろいろ探していると、比較的新しい商業施設・亀戸にあるSun Streetで、パフォーマンスを募集していた。



早速、連絡して担当者と話すことに。



意外にすんなり話は進み、4月からSun Streetで毎週パフォーマンスが出来ることになった。


ヴィーナスフォートのように毎日ではない分、もの作りに時間を使えることができて、嬉しかった。





3月末でヴィーナスフォートを終了することを今までアンケートを書いてくれた方々にメールする作業がハンパなく大変だったのは覚えてる。



そんな中、カメラのキタムラの社員さんが書き下ろしをした後に名刺をくれた。
「よかったら連絡ください。何かやりましょう!」


ボクは、さっそく連絡をするといきなり社長さんと話すことになり、そしてなんといきなりカメラのキタムラグループのメディアシティBOM旭町店で路上パフォーマンスがやれることになった。


ヴィーナスフォート出店中だったけれど、2000年3月7日・21日の2日間、東京・町田にあるメディアシティBOMでやらせていただいた。


めちゃくちゃ嬉しかったのは、新聞の広告にボクたちの宣伝を入れてもらえたこと、そして店内にめちゃくちゃデカイ垂れ幕をイラストやコトバ入りで作っていただいたことでした。


なかなか評判がよく、4月にもやれることが決まった。





そして、ヴィーナスフォートでの最終日は、お世話になったアテンダントクルーの方やスタッフさんに書き下ろしをプレゼントした。




いろいろあったけれど、ヴィーナスフォートの出店は素晴らしい経験だった。



ホントに感謝のキモチでいっぱいだった。




友人に車を出してもらい、全て家に運んだ。



照明やら癒し系な道具やらものすごい荷物が部屋を埋めつくしていた。




4月に入り、Sun Streetの出店日。


新しい場所での出店は、めちゃくちゃワクワクしていた。


出店前に何度か足を運んでいたからお客さんの流れも大体わかっていた。



好きな場所を選べたので入口付近で路上スタイルで出店。




近くに他の路上パフォーマンスも行われていた。





お客さんはかなり通り過ぎるけれど、立ち止まることがほとんどなく…


若い人たちが時々、グッズを手にする程度だった。


ヴィーナスフォートで、ものすごい人だかりを体験していたボクたちにとって、なんか無視されてるんじゃないかと不安になるくらいだった。



Sun Streetでの初出店は、ほとんど何も売れず書き下ろしもゼロだった。



翌週には、場所を変えてみたものの、結果はほとんど変わらなかった。



なんでだろうと考えていると、先週ボクらの隣にいたおじさんが声をかけてきた。


『君たち原宿やお台場では、すごい人気だったんじゃない?』


『えぇ、まぁ。』


『若い人が好きな感じのパフォーマンスだもんな。
でも、ここじゃ難しいな。』


『何故ですか?』


『こういった亀戸や浅草みたいな下町は、他の場所からの文化をなかなか入れたがらないんだよ。だから、原宿やお台場でやってたって看板に書いてあったら、じゃーそっちでやればいいのにって思われちゃうんだよね。』



なるほど…確かにSun Streetでの出店中に、通り過ぎる人の中に、なんで亀戸でやってんだろうねみたいな会話を何度か耳にした。



ここでは、ボクらは受け入れてもらえないのかも?



いろいろ試行錯誤したもののSun Streetでは、いい感触は得られなかった。




でも、とてもいい経験になった。

面白いこともあった。


ボクらが出店してる日に、師匠でもある軌保さんが本の出版イベントでSun Streetに来たのだ!



軌保さんも『こんな風に会えるなんて、オモロイなぁ。Kumuちゃんたちがワクワクして動いてるからやな。お互いまた続けてたらどっかで会えるな。』




ボクもそんな気がした。





つづく


《10周年記念 VOL.15》



亀戸のSun Streetでの出店以外の日は、ゴールデンウィークにお台場での出店があるためグッズを作りまくっていたか、フリーマーケットなどで出店してたかな。



あとは、アポなしでいろんな出版社を巡って連載したい気持ちを伝えてました。


そして、2000年4月22日



再び、町田にあるメディアシティBOMでの一ヶ月振りのパフォーマンス。


前回は店外でのパフォーマンスでしたが、今回は室内でやらせていただきました。


なんと、今回も新聞広告にボクたちの宣伝を入れていただき本当に嬉しかった。


原宿の路上やお台場でパフォーマンスをしていたと書いていただいたおかげで、たくさんの人たちと出会えました。






そして、またまた嬉しいお話が!



なんと、メディアシティBOMの福島店でもゴールデンウィークにやってみないかとのこと。



しかし、ゴールデンウィークは、お台場での話があったので、調整をすることになった。



お台場・サンウォークの室長と話して、4月29日〜5月3日までの出店で、5月4日と5日は福島県に行けることになった。



かなりハードスケジュールだったけど、辛かったって記憶はなかったかな。


むしろ、楽しかった。






2000年5月

一ヶ月振りにお台場に復活!


なんかいろんな意味でワクワクしてた。


一ヶ月前までは、ヴィーナスフォートでパフォーマンスをしてたわけで、ヴィーナスフォート関係者にはほとんど連絡しないで同じ建物の1階サンウォークに復活なんて…しかも、場所も明るくて、ワクワクしまくり。




今回は場所が狭いためグッズはワゴンへ、書き下ろしはもちろん路上スタイルでやらせていただいた。



本と雑貨のお店・ヴィレッジヴァンガード前だったのと、この年に動物うらないが爆発的人気で、そのブースが斜め前にあったため若者がたくさん集まってくれて初日からいいスタートをきれた。




ヴィーナスフォートにあると思って来てくれた方が、あきらめて1階に来たら偶然ボクらを見つけてくれた人がいたり、原宿の路上でボクらを知った人が来てくれたり、軌保さんから聞いて来てくれた人など、たくさんの人たちと出会えた。


亀戸のことがあったから少し不安ではあったけど、あっという間に自信を取り戻して書き下ろししたのを覚えてる。





ヴィーナスフォート関係者が偶然通りかかって、びっくりされたことも何度かあった。



それと、ヴィーナスフォートのショップの店員さんが休憩中に書き下ろしに来てくれたのも嬉しかった。


ヴィーナスフォートでの出店中は、なんか恥ずかしくて来れなかったみたいでした。


サンウォークの方々も、様子を見に来てくれて、評判もよかった。



そして、夏休みにも同じ場所でやれることになった。




とにかく、連日すごくたくさんの人と話、あっという間にゴールデンウィークは過ぎていった、もちろんグッズもあっという間になくなった。






そして、すべての荷物をまとめて早めに帰宅して翌日の福島県入りに備えた。





作れるグッズは、深夜まで作り続けた。




翌日は、早朝から福島へ。



駅構内にメディアシティBOMがあり、ピボットフェスタが開催中で、そこでの出店となった。




お店の方もすごくよくしてくださり、本当に楽しくパフォーマンスができた。



99年に路上を始め、最初は売上がゼロという日もあった。



とにかく路上を楽しみたくて、警察に注意されたり指紋取られても、ヤクザさんに睨まれても続けた。




約6ヶ月後には、お台場のヴィーナスフォートでパフォーマンスができるようになり、詩集は、3ヶ月で300冊以上売れた。


イベントなどにも呼ばれるようになり、本当に感謝しまくり楽しみまくりでした。



そんなことを考えながら、初の地方パフォーマンス、福島での2日間を過ごした。



楽しいことって、さらに楽しみ続けることで、夢にハイスピードで近づけるって実感しました。



つづく


《10周年記念 VOL.16》


2000年 夏休み


ゴールデンウィークに続き、お台場パレットタウン内サンウォークでSummerイベント『少年冒険』を開催。



今回は、ワゴンも使わず完全に路上スタイル。



この夏休み長期イベントのために、グッズもクリアファイルやレターセットにTシャツ、ミラーにうちわなど、種類豊富にしてみた。


今回は、かなりスペースをいただき…やりたい放題。(笑)



やりたい放題さが、ウケたのか、毎日たくさんの人が書き下ろしに並び、グッズを購入してくれた。



グッズに関しては、今までにないくらい売れていき、本当に自分たち2人では、作りきれず…イベント前半で、グッズの在庫が減り…もちろん売上も落ちていた。


とにかく最低限、詩集とポストカードは、徹夜しても作り続けた。



もう2人では、グッズの制作をしながら、書き下ろしパフォーマンスをするのは、きつくなってきて、とうとう貼紙を作ったんです。



《オリジナルグッズを作ってくれる業者さん募集中》


この貼紙でグッズを作ってくれる業者さんが現れたら本当に助かるし、もっとちゃんとしたグッズをお客さんに提供できると思っていた。




連日の書き下ろしの状況を見て、フジテレビ739『まるごと生お台場情報739.』の取材を受けました。



お台場で、床に座って言葉を書くというパフォーマンスは、やはり目についたようで、面白く取材していただきました。



もちろんスカパーには入っていないのでオンエアは、見てません。(笑)





そんな絶好調な毎日が続き、残すところあと3日という早朝に突然飼っていた猫が発狂しだした。



ボクらは、飛び起きものすごい形相で発狂する猫に対して、何か飲み込んでしまったのかと思い、暴れまくる猫の口に手を入れた。



すごい勢いで噛まれたけど、ボクも必死。

しかし、何も詰まってる様子もなかった。



そして、数分後に動かなくなった。


ボクらは、あまりに急な出来事に声も涙も出なかった。



友達で動物薬の研究をしてる人がいたので、とりあえず連絡して状況を話した。


猫は犬などに比べると、まだまだわからない病気が多く、薬も少ないらしい。

しかも、いきなり体内にウィルスが回り脳などに影響が出ることもあるから、突然死ぬこともあるとか。





真夏に亡くなった猫を放置してはおけないし、とはいえお台場のイベントを中止にもできない…。



とにかく、早朝ではあったけれど友達に連絡して火葬などをしてくれる場所を聞いた。



すると、その友達が行きは送迎してくれると…。


さらに、火葬場に予約もしてくれた。


しかも、事情を話すと火葬場のオープン時間より早くやってくれることに。

本当に助かった。



亡くなった猫を段ボールに入れてエサなども入れた。




とりあえず、サンウォークの室長さんに電話をして留守電を入れると、しばらくして電話があり、「大丈夫?本当にご愁傷様でした。今日のイベントは中止しましょう。2人とも精神的にも辛いでしょ。」と言ってくれた。



しかし、ボクは「いや、サンウォークのオープン時間には間に合いませんが、行きます。」と答えた。



「いやいや、本当に毎日すごく大変だったし、こんなことあったんだから休みなさいよ」と室長さん。



「ありがとうございます。でも、必ず行きますから。」と言って電話を切った。



ボクらは、本当に起きたままのような服装で火葬場に向かい火葬してもらった。


昨日まで元気だった、朝の絶叫していた猫が骨になったの見てめちゃくちゃ悲しかった。

倒れるかと思った。



でも、あまり泣いてしまうと目が腫れてしまうと思って、耐えていた。



火葬が済み骨壷に納めてもらった。



ボクらは、骨壷を持ってお台場に向かった。



めちゃくちゃ辛かったけど、亡くなった猫にお台場でのボクらのイベントを見守ってねって思いながら、昼前にイベントを開始した。




その日、家に帰り他の猫たちに骨壷を見せながら、めちゃくちゃ泣いたのを覚えてる。






つづく。


《10周年記念 VOL.17》



突然、猫が亡くなった翌日も、通常にイベントをしていた。


残り2日間完全燃焼やぁ!って意気込みあったなぁ。


あいかわらず書き下ろしパフォーマンスは好調だった。


それが、なんか悲しむ時間をなくしてくれた感じだったなぁ。






夕方になると人も少なくなり、ボーッとしていると、一人の恐そうな男性と年配の女性が立ち止まり、何かを話し合っていた。



なんだろ?
見た目は、サングラスもしてるし、ヤクザ屋さんっぽいなぁ…



いきなり男性の方が近寄り話しかけてきた。



「あのさ、あの貼紙見たんだけど、さっき来たらすごい人だかりで話しかけられなかったけど…グッズ作る業者探してるの?」



サングラス外したら、萩原流行さんかと思った。


つまり、外しても恐い感じ。





「え、あっはい。探してます。本当に作る時間なくて…」





「うちら、あっ、こっちは、俺の母親なんだけど二人で両国でキャラクターグッズの卸し販売なんかしてるんだけど、力になれるかも。連絡してよ。」と名刺を差し出す男性。



いやいや、とりあえず恐すぎだから笑顔で返事してみた。


「本当ですか?ありがとうございます。」



チャンスきたぁ!


でも、恐そうだからなぁ。


とりあえず、明日のラストイベントを終えたら考えようと思った。



お台場パレットタウン内・サンウォークのイベントは、本当に最後まで盛り上がった。


大好きなヴィレッジ・ヴァンガードにも行けなかったくらいね。



まぁ、普段行きまくってましたけどね。(笑)






翌日もパフォーマンスをやりたいくらいだった。



22日間のイベントで書き下ろした人数は、300人以上。


詩集は、163冊売れて、他のグッズなども過去最高に売れた。



ヴィーナスフォートでやっていた頃に来てくれた方々も遊びに来てくれたり、ご飯を差し入れしてくれたり…本当に「ありがとう」をたくさん言ったイベントだったな。


サンウォークの室長さんも「また機会あればやりましょう!」と言ってくれた。



そして、この後次々といろいろな波がやってくるわけです。




つづく。


《10周年記念 VOL.18》


夏休みイベントが終了して、猫のこともありグッタリな数日間を過ごしていた。


この前の、恐そうな男性から貰った名刺を見て、(あぁ〜どうしよう。)と、考えていた。



ん〜ボクらだけで直接話しても、難しい話し合いはできないしなぁ…あっ!そうだ!



前からいろいろ助けてもらってるTBSの牧さんに連絡して相談してみた。



すると、牧さんがTBSでその業者の人に一緒に会ってくれることになった。


早速、恐そうだった業者の男性に電話をして日時調整をした。


これで、安心。



話し合いの当日、TBSの1階のカフェで会うことになり向かうと、カフェにはドリフターズのいかりやさんが打ち合わせをしていた。



いやぁ、子供の頃、ひょうきんよりドリフ派だったから、かなりガン見しちゃいました。(笑)



それで、話し合いは基本的に牧さんと業者の男性・お母さんの3者で行われ、牧さんから、その業者にいろいろ仕事を依頼することもあるから、その代わりボクたちの面倒を見てあげてほしいと。

業者の男性も、牧さんから依頼された仕事の売上の一部は、ボクたちに使いますということになった。





TBSを出るとさっそく男性は、ボクたちに「近いうちにうちの両国の事務所においでよ。」と言って帰って



その瞬間にお母さんの方が一瞬なんだか微妙な顔をしたのは見逃さなかった。



それから、数日後にパソコンにある学生からメールが届いた。


[ボクは大学の学園祭の担当なんですが、お台場で書き下ろしをしていただき、とても感動しました。うちの大学の学園祭に出てもらえませんか?]




え?
学園祭??


ボクらが、大学の学園祭に出るの?

いやいや、タレントじゃないしなぁ。



戸惑いながらも何度かメールのやり取りをして学園祭をやることになった。





TBSでの話し合いから数日後に両国の事務所に向かった。


事務所の斜め前には、男性の母親がやっている小さなお店があり、そのお店をたまに覗いてくれたら、この事務所を好きに使っていいと言ってくれた。


電話もFAXもパソコンも自由に使っていいからと、合い鍵もくれた。


小さい事務所だったけど、ここを自分たちの事務所にしていいなんて、嬉しかった。


さらに、その男性(Yさん)の仕事を手伝ったら給料もくれるということになり、ボクたちは家で山積みになっていたグッズや路上セットなどを友人の車で運び、数日で事務所の中は、本当にボクたちのキャラクターでいっぱいになった。


そして、夏休みに稼いだお金で事務所用のパソコンとプリンターを中古で購入。

何も考えず買いに行った、ボクたちは買ったのはいいが秋葉原から両国に運べず、Yさんに連絡して運んでもらったりと数日間でかなり打ち解けていた。




これで、家でも事務所でも作業ができるようになった。



数日後には、そのYさんから事務所のドアに貼るネームプレートをプレゼントされた。


【HONEY MUSTARD】


ドアに貼ってくれたプレートを何度も見て感動した。




グッズの材料を仕入れるのは浅草橋だったので、両国から歩いて買い出しにもよく行っていた。




グッズの制作スピードはかなり順調だった。



が、気になるったのはYさんのお母さんが時折見せる嫌な表情だった。


特に話していて、嫌なこと言われたり、されたりしないけど何か引っ掛かる。


事務所で音楽流して作業してても、たまに何か言いたそうに覗いてくる。




ある日、Yさんがいない時に、お母さんが事務所に来て「作業は順調に進んでる?なんか息子が、あなたたちに力入れてるみたいだけど、私は反対だったのよね。まぁ、事務所の電話番や私のお店の様子見てくれてるから…いいんだけどさ。」




ん?
息子と母親の意見は一致してないのか?



ちょっと不安になったけど、笑顔で「すいません。でもボクたちも頑張りましから。」と答えた。



それから数日後にボクらとYさんとお母さんで食事に行った時にお母さんの口から「○○(息子の名前)、あのさ、私、この子たちに本当の気持ちを言ったわよ。」


「え?何?何言ってるんだよ。俺がちゃんと面倒みるんだからいいんだよ。」



と話が始まった。



なんか気まずい空気。



てか、事務所として動き出して一週間でこんな話し合い?



結局、Yさんが「お母さんは、口挟まないでくれる?俺がやるから。」ということで、おさまった。




のか?



つづく


《10周年記念 VOL.19》



ボクたちは、夏休み以降は、ちょこちょこと川崎のカワサキアートマーケットや青山のフリーマーケットなどに出店していた。


本八幡のPATiOのフリマにも相変わらず登場してました。



グッズ作りにかなりの時間がさけたので、ネットで通販を始めたり、うちらのグッズを置いてくれるお店を探したりしていた。



さらに、Dreams全国へ!という書き下ろしパフォーマンスを展開した。

〈あなたのためだけに元気になる言葉とやすらぐイラストを描く書き下ろしパフォーマンスやグッズ販売を全国でやります!少人数のパーティーから大規模なイベントまで個人ならギャラはいりません。(交通費・食事代・宿泊代だけでOK)〉というもの。


さらに、ラジオやテレビでトークもしたいとあちこちで言いまくった。



とにかく動く時間があったので、グッズ作りに疲れたら散歩がてら営業みたいな。(笑)





さてさて、大学の学園祭。
場所は、東京工業大学。


初めて学園祭のパフォーマンスは、緊張してた。




外のブースで路上風にパフォーマンスしてもらいたいとのこと。


他にも似たような路上人がいたと思う。



が、天気が微妙…



路上と同じように出店したものの、飲食店やタレントのライブの方が明らかに人気。


しかも、悪天候だから…



ほとんどグッズも売れず、書き下ろしも数名で終わった。



ん?いいの?



まっ、経験だからなぁと思ってました。



交通費などを頂き終了。



学園祭は、微妙って印象だったな。




そんな中、ボクらに事務所を提供してくれたYさんが、「原宿で書き下ろしパフォーマンス復活しないか?」と提案してきたのだった。



「え?原宿で出店できるんですか?」


「知ってる人が原宿の土地をかなり昔から仕切ってる人だから、話してみたらなんとかなりそうなんだよ。」




「マジっすか?どの辺りですか?」


「今度会って話してみよう。」ということになり数日後には竹下通りを入ってすぐのカフェで会うのだった。



話し合いの当日…やっぱり…さらに見た目は、恐そうなおっさんでした。



でも、めちゃくちゃいい人で、今までの話しをしたらすんなり場所を提供してくれることに。


「いきなり、店舗じゃ家賃も払えんだろうから俺がやってるサングラス屋の前はどうだ?」


「どこですか?」


カフェを出たらすぐ裏だった。

そう、竹下通りを入ってすぐに今でも左側にアイドルの生写真を売ってる場所がある反対側。

入口にサングラスが売っていて、ネックレスやロックアーティストのコスチュームがあったりさらに奥はプリクラやゲームセンターになってる所。



「え?ここでやっていいんですか?」



「好きな時にやったらいい」



ボクたちは、週末に出店することになった。


一回につき場所代を払っていた気はするけど、いくらだったかは記憶ない。


でも、良心的な金額だったと思う。




つづく



《10周年記念 VOL.19.5》



そんなある日。

Yさんが、亀有駅前の花屋でキティちゃんやディズニーのご当地アクセサリーを売ることになったから手伝ってくれと言われた。


ボクらのグッズも少し置いていいと言われたからはりきっていた。






駅前の花屋。
正直びっくりした。

めちゃくちゃ汚い。

店内もひどいが、ガラスも真っ白ってくらい汚い。


お店に着いたのは昼過ぎで、明日からグッズを販売すると…


いやいや、店内臭いし、グチャグチャだし…花屋?


これ、掃除からするの?


とりあえず、まずはどんな店内にするのかディスプレイや配置から考えてくれと言われた。


うちら何?


と、思ったけど考えた。



提案が通り掃除や片付けを始めるが、店長である男性は全く協力的ではない。


とにかく、邪魔。




ボクたちは、近くの生地屋で棚にひく布を買ってきたり、店内の物を外に出したりしてるのに…


しばらくすると、店長が話しかけてきた。


「君たちは、Yさんの従業員?」


「いえ、違いますよ。」


路上パフォーマンスなどをしてることを話した。

「そうなんだ。Yさんの会社の人ではないんだ。いやね、僕は、この店内改装は反対なんだよね。JRとあの人たちが話してキャラクターグッズを売るって勝手に決めてさぁ。」とグチグチ始まった。



「そうなんですか?でも、ハッキリ言って今のままじゃ花もあまり売れないんじゃないですか?花屋としても、キャラクターグッズ販売店としても人が入りやすいようにしますから!」と答えて、作業にとりかかった。




その作業は深夜まで続き、全く最初の店とは違うかわいい店内になった。

花屋とキャラクターグッズのコラボ的な店内。


もちろんボクらのグッズも端っこに置かせてもらった。



とりあえず、関係者の方々からは、絶賛された。



その日は、Yさんに家まで送ってもらった。


とにかく、恐ろしく汚かった花屋はかわいくまとまっていた。


この日は、正直クタクタだったのを覚えている。



その亀有駅前の花屋から、ステキな出会いが始まるのだった。




つづく。



《10周年記念 VOL.20》



亀有駅前の花屋の改装をして、しばらくしてから店長から電話があった。



「ある女性が、ちょこちょこ来ては君たちの詩集を見ていたんだけど、今日大量に買っていったよ。」



「本当ですか?」


「あぁ、だから詩集がもうほとんどないよ。補充したら?あとね、その女性が君たちと会えないか?とメモ残していったよ。」



「え?どんな女性ですか?」


「おばちゃんだな。」



「おばちゃん…わかりました。明日、補充に行きます。」

ボクは、おばちゃんが詩集を大量買いって意味がわからなかった。


何に使うんだろ。



翌日、お店に詩集やキーホルダーなどを補充して、店長からメモを受け取った。



「よかったね。キティちゃんより君たちのグッズの方が人気あるよ!しかも、花も売れるようになった。ありがとう。」と言われた。



当時、ご当地キティちゃんは出始めでかなりの人気だったのに、端っこに置いたうちらのグッズの方が人気だなんて、嬉しかった。




グッズは通販や花屋さんのおかげで売上を伸ばしていて、またボクたちで作りきれなくなり時々、事務所に友達が来てグッズ作りを手伝ってくれていた。



正直、ヴィーナスフォートやサンウォークなどで出店していないと、直接お金を手に入れてなかったから不安ではあったけれど、蓄えもあったし、Yさんからもたまにお小遣をもらっていたのであまり気にしてなかった。





事務所に戻りメモにある電話番号に電話をかけると「社団法人・青少年育成協会です。」と言われた。



なんだ?
しゃだん…ほうじん?
なんちゃら育成会?



「あ、あのそちらに○○さんって方はいらっしゃいますか?」



「はい。おりますが、現在面談中です。」


「じゃ、電話あったことを伝えてください。」と事務所の電話番号を教えて電話を切った。



なんだか、怪しい団体みたいだなぁ。
宗教かな?
馬鹿なボクはいろいろ考えていた。(笑)



しばらくしてから事務所の電話が鳴り、出ると○○さんだった。



「Kumuさんですか?お電話ありがとうございます。わたくし、社団法人・青少年育成協会の○○です。」


めちゃくちゃ上品で優しい声の女性でした。


「はい。なんか詩集をたくさん買っていただいて。あ、詩集を買っていただいたら書き下ろしサービスなんで、近いうちにしましょうか?」



「いえ、素晴らしい詩集だったからね、ここの人たちにあげたくて買ったのよ。一度お会いしたいわ。」



青少年育成協会とは、学校や職場などでイジメにあったりして、ふさぎ込んだりしてしまった方たちがカウンセリングなどを受ける場所で、メモを残した○○さんは、相談員…つまりカウンセラーさんでした。




しばらく電話で話していると、「あなたたちに会わせたい子がいるから原宿で出店してる時に伺います」と言われた。



そして、約束の日…。



ボクらの前に、おばちゃんとおばあちゃんそして、少女?らしき3人が現れた。


「こんにちは!はじめまして。○○です。」とおばちゃんがあいさつをしてきた。



この女性がカウンセラーさんなんだ。


そして、おばあちゃんと手をつないでる少女を紹介してきた。



「この子が、あなたたちに会わせたい○○さん。」



少女は、カウンセラーさんとおばあちゃんの間からうつむいたまま動かない。



ピクリとも動かない。



「こんにちは。」



全く反応がなかった。



とにかく帽子を目深にかぶり動かない。



ボクは、どうしたらいいのか迷ってしまった。



つづく。


《10周年記念 VOL.21》


ボクは、もう一度話しかけてみた。


「こんにちは。原宿は初めて?」



「初めてではないわよね。ずいぶん前にきたわね。」とカウンセラーさん。



「そうなんだぁ。」



「○○ちゃん何か書いてもらう?」とカウンセラーさん。



すると少女は、首を振った。



「時間もかからないし、座ってくれたら書くよ。」とボクが言ったと同時に、少女はダッシュ。




え?!



ア然としてるボクらにカウンセラーさんは、「Kumuさんたちは、ここに居てください。大丈夫ですから。」




カウンセラーさんに続き、おばあちゃんも追いかけて行った。




ボク、何か悪かった?


ん?


正直びっくりした。




その後、1時間後くらいにカウンセラーさんから電話がかかってきた。



「Kumuさん、ごめんなさいね。驚かれたわよね。彼女は、もうずっと心を閉ざしていてね、私とおばあちゃんにしか心を開いてくれないの。」



「そんなんですか?で、大丈夫でした?」



「うん。彼女ね…まぁ彼女だけではないんだけれど、カウンセリングを受けてる子たちは、カウンセリングを受けるだけでお金がかかるから、親にこれ以上迷惑かけたくないって気持ちが優先してしまって…だから書き下ろしでお金がかかるならいらないって思ったみたいなの。」



「そうなんですか。」



「ごめんなさいね。また改めて会いましょう。」



ボクは、近いうちに青少年育成協会に行くことを約束した。





そんなある日、Yさんから「Kumuくんさ、ダメだわ。亀有。」



「え?なんかトラブルですか?」



「あのさ、キティやミッキーが売れないと、俺にも業者にもお金は入らないのよ。」


「はい。」


「ところが、売れてるのが、Kumuくんのグッズばっかりなんだ。」



ボクの詩集やグッズが売れ行き好調で、あちこちの雑貨屋やファンシーショップで帰るアクセサリーがあまり売れてないと…だから、このままでは、困るからボクたちグッズは撤収と言われた。



原宿でやらせてもらってるし、亀有ではカウンセラーさんとの出会いもあったからいいかなって思って了解した。




しかし、結局しばらくしてからキャラクターグッズは全て撤収になった。




Yさんは、うちらのグッズが好評なことは、喜んでくれていたが、逆にキャラクター申請などしていないから盗作されるのでは、と心配してくれていた。





数日後、著作権などをやっている法律事務所の方がボクらの事務所にやってきた。



つづく。

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