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スポーツの感動コミュの語り継がれる友情 清原 桑田

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1983年夏の甲子園において、PL学園を優勝に導いた清原と桑田は「KKコンビ」と呼ばれ、今もなお読売巨人軍で活躍。

清原は1年生の時からPL学園の4番を打ち、桑田もエースとしてともに5期連続甲子園出場を果たす。
1983年夏の甲子園大会  優勝
1984年春の甲子園大会 準優勝
1984年夏の甲子園大会 準優勝
1985年春の甲子園大会 ベスト4
1985年夏の甲子園大会  優勝

清原の持つ、甲子園通算13本塁打という記録は未だ破られていない。高校通算本塁打は64本。


当時のPL学園は現在と比較しても、高校野球史上最強の怪物チームであったことは間違いない。



清原は、1985年ドラフト会議の目玉であり、清原本人は読売ジャイアンツ入りを熱望していたが、当初彼を指名するであろうと思われていた読売が急遽指名を桑田に変更。
西武ライオンズが清原を1位指名し、会見で涙をのんで入団拒否の意思を表すも、西武が清原、清原の両親を説得し、入団に踏み切る。

親友の桑田は早稲田大学に進む事を決めていただけに複雑な心境のまま、読売の一意指名を受け入れ、入団。

清原は1986年にルーキーながら31本のホームランを放って新人本塁打記録の最多タイを記録、新人王を獲得。

また2年目には、入団を熱望していた巨人と日本シリーズで対戦。
3勝2敗で日本一へ王手をかけた第6戦、3対1とリードして迎えた9回表、2死走者なしでの場面で、一塁を守っていた清原が優勝を目前にし、守備中に号泣。
このシーンは今もなお、清原の男気として野球ファンに語り継がれている。

97年より夢の巨人に入団し、KKコンビが復活する。
二人は高校時代から今もなお全く違うタイプの選手、人間であるが、
お互いに相手と程よい距離を置き、見守る姿は、
お互いが友として、選手として尊敬しあっているからである。

そして今年でプロ入りからはや20年。
怪我に悩まされ、長期戦線離脱を余儀なくされる事もしばしば。
2005年、この二人KKコンビの野球人生のピリオドが迫っている。

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