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ネタばれシアターコミュのオフサイド・ガールズ

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2007/09/16 シャンテシネ(東京・日比谷)

「あれっ?」という終わり方に拍子抜けした人も多かろう。後から冷静になって考えれば、冒頭にポスターをぼったくり価格で売りつけられたあの女の子(女の子たちには全員役名がついていないので「あの女の子」と言うしかないが了承してほしい)は、ちゃんと、前回の不幸な事故で亡くなってしまった選手の人数分の7本の花火を付けて、勝利に沸くイランの本物の繁華街に消えていく。あの女の子の目的は十分に達せられたのだ。それがどういう形式であるかは別として。

大学にまで入れてやったのにこの様(ざま)かと言われた女の子や、軍服のレプリカを着た女の子たちがその後どうなったのかまでは描かれていない。どさくさにまぎれて逃げたところで映画は終わっている。雇われ警備員だったあの軍人たちが言うように「リストは送ってある」のが本当なら、いずれ捕まえられてしまう可能性はなくはないのだろう。しかしそのあたり、イランの軍や警察がどのように対処するのかがわからないため、なんとも消化不良な感覚をもってしまう。

しかし外国映画というのは、その作られた国の文化の基礎知識がないとわからないものなのだ。たとえば「誰も知らない」の中で、食べるものに困窮した子供たちは自宅近くのコンビニから廃棄処分されるはずの弁当やおにぎりをもらって何とか凌いでいる。これは、「コンビニエンスストアの惣菜や弁当類は賞味期限が切れたら廃棄処分されるのだが、賞味期限が切れていても食べるのには支障が無いため知人や本人がこっそり持って帰って食べることがある」という習慣がある国や地域でないとわからない。「みなさん、さようなら(アカデミー賞の外国映画部門で「たそがれ清兵衛」が日本作品初の受賞になるかもということでものすごく盛り上がっていたのに結局この映画に取られてしまったことで有名になったのだけれども上映館が異様に少なくて見たことがある人はとても少なくなってしまった曰付き(いわくつき)の映画)」はその国の病院の仕組みや安楽死に対する考え方がわからないと理解できない。「ライフイズミラクル」はアフガン関係の闘争がどのように推移したかわからないと真意は突けない。冒頭のクマの意味が予備知識なしでわかる日本人はごくごく少数ではなかろうか。私はパンフレットを読んで初めて知った。

この「オフサイドガールズ」で監督が描きたかった事は何だろう。

それは、サッカーに勝ったことでもなんでもなくて、いや、勝つということを織り込み済みで、それに付随して「サッカーで盛り上がっているけど何か忘れていませんか?」という問いかけなのではないだろうか。

思い出してみれば、ほんの30年ぐらい前までは日本もそういう国だった。都会はわからないが、私が過ごした田舎の町では男尊女卑は当たり前。多分今でも私の親ぐらいの世代の人たちはそういう考えを持ったままなのだろう。見掛けの上では日本では男女平等と言ってはいるが、本質のところ、そうではない、ことは、みなさまもうっすらと体温でわかっておられるとおりである。

映画の中の軍人たちの物言いに、かの国のそのあたりが実に生き生きと描かれている。表向きは「粗野な男性たちの口汚い野次などは女性に聞かせてはならない」というようなことを盾にして逮捕された女の子たちを統制しようとするけれど、もともとが軍の仕事ではないためか指揮系統や実際の行動の基準などはばらばら(座れと言ったり立ってろと言ったり下がれと言っても誰も聞かなかったり)で、しかも女の子たちの方が明らかに一枚も二枚も上手なので、それに翻弄されて振り回されて結局怒鳴りつけるしかできない現場の長の哀れさが、かの国でももしかしたらこれから女性が地位を確立していこうとしているのかな、という印象を受ける。

しかし、人々の間で、もうちょっと絞って言えば家族の中で口伝えで伝承されていくような考え方の根本は、国民の文化の中で根強く残る。イランが日本のような表向きは自由な国になるのがいいことなのか、それとも今の文化をそのまま継承していくことがいいことなのか、それは一映画鑑賞人としての私があれこれ言える問題ではない。私はたまたま、映画の中で彼女たちが生まれたかったと言っている日本に生まれたが、たまたまイランに生まれた可能性だってある。もっと違う国に生まれた可能性だってある。仮にイランで生まれ育って、仕事の関係で日本に長い間住んで、それでこの映画を日本で見たとしたらどう感じるだろう。イランってまだこんななのかと思うのか、やっぱりこういう考え方の国じゃないとなじめないと思うのか。

どちらの国の考え方が勝っているのか劣っているのかなどというのは、実のところ、意味のない話なのかもしれない。イランに生まれた人はイランがすべて、日本に生まれた人は日本がすべてなのである。

この映画の英文原題は「offside」である。
サッカーのルールの中で、オフサイドは非常にわかりにくい。学生時代に体育の授業でちょっとだけサッカーをしたことがあるだけの私(と、大多数のあなた)にとってはなおいっそうわかりにくい。

ウィキペディアによると、
「オフサイドポジションにいる選手にパスを出すことを禁止したルール」なのだそうだ。
オフサイドポジションとは、次の3つをすべて満たした位置のことだそうだ
1 相手の陣内にいる
2 ボールより前
3 相手の2番目に後ろの選手よりゴールラインに近い位置
  (つまり敵の一番後ろの選手とそのすぐ前の選手の間。ゴールキーパーが一番後ろにいる場合だったらキーパーとキーパーに一番近い選手の間ということになる)

多分、「反則」という意味としての原題「offside」なのだろう。
この女の子たちは、女性がサッカー場に入ることは禁止であることを知った上で、それでも堂々と反則行為をする。しかし、それがなぜ反則なのかは誰にもよくわからない。わからないけれど反則だとされているし、審判(=ここではあの雇われ軍人たち)の判定も今ひとつあいまいなところがあるようだし。

あいまいなルールであっても、反則は反則。しかしそれもゲームが終わるまで。

イランという国が持っているあいまいなルールに翻弄される人たちも、ひとたび何かのゲームが終われば、それはそれ、なんとかなるさ。なにかそういう、この映画に携わっている人たちが、思ってはいるけど国内では口に出しづらいことを、サッカーに準(なぞら)えて表現したかったのではなかろうか。私にはそう思える。

そして、何かが大きく変化するときというのは、得てしてこういうことがきっかけになったりするのだ。
この映画がイラン国内で上映できるようになったら、何かが変わり始めたということだろう。きっと。

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