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鶴見俊輔コミュの鶴見俊輔のつきあい

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「つきあい」を大切にするというのが鶴見さんのよく言ってきたことだ。しかし、それは一つの集団内の「つきあい」をさしているわけではない。転向研究会をしばしば「つきあい」でサボったと、若い世代から批判されたこともあったが、彼のつきあいは、多元性を大切にしたい彼の独特の言い回しであろう。
 それは藤田省三的に「処士横議」などと金縛り的な表現を避けている。そして藤田さんのような独善的エゴイズムも避けている。
 しかし、久野収と違って「つきあい」を強調せざるを得ないほど鶴見さんはいろいろな集団とのつながりを大切にしていた。それが「つきあい」の強調になる。
 しかし、思想の科学研究会の古い面々のように「つきあい」を集団内の付き合いに閉じ込めるようになると、だんだん集団はダイナミクスを欠くようになる。
横断的な付き合いのできるタイプは、そのような閉鎖集団でははじけものになる。
 鶴見さんは現在、「もうろく」を研究していると言っている。仏教を河合氏との付き合いを通して論じている。その広がりを、日本人の集団が学ぶのはいつのことだろうか。 

コメント(10)

竹内好 ある方法の伝記 (鶴見俊輔著) のあとがき
。。。。。。。。。。。。。

このこと(スキャンダル)にふれて書くと、私的感情が入ってきて、竹内好の肖像が色づけられる。この道を私はとらず、竹内好が私とのつきあいのなかった人のように、その著作をとおして彼の肖像をつくった。・・・・・
桑原武夫さんとの関係は特別なものがあったのではないか。桑原さんが京都大学人文科学研究所の所員に鶴見さんが入ったとき多田道太郎に詫びをいれに行ったことがエピソードになっている。
 桑原さんが、革マルの理論家対馬忠行氏が鳴戸の渦に身を投げて死んだとき、その死に無念を表白した際、鶴見さんは、あんな完全に敗北した人間の死をも桑原さんが慨嘆していることに感動した、とどこかで書いていた。
桑原武夫はルソーの告白の訳文やフランス革命期や百科全書派の共同研究のリーダーだった。しかも、懐の深い桑原は「石川啄木のローマ字日記」の訳と解説も書いている。
 学界や言論界を見ると、桑原程度の人材も今の日本にはいない。鶴見さんはもうろくを研究しているという。たぶん、鶴見さんは日本文化のもうろくを言っているのではないだろうか。

桑原武夫は次第に人々の記憶から薄れているようだが一度でた著作集は復刊されてもいい。
鶴見俊輔氏が「人を見る目がない」ということを良く聞いたことがある。僕は何回か、高畠からおなじことを聞かされたことがある。もっとも鶴見さんの人を見る目がない良い例は高畠自身かもしれない。僕がメキシコにいる間、かれは「生活者の政治学」52ページ以降で天皇の元首化をまじめに書くような陰湿な転向を演じていた。
政治学の教師としてのその変節を高畠は威張り腐った態度で正当化しようとしていた。それは僕を鶴見さんをも疑わせている。まあ、誤解する権利は僕にもあるのである。
鶴見さんは今、思想の科学研究会に集まっている青年たちと静かなつきあいをしているようだ。これは読売新聞の主筆などより健康な日常であることは疑いない。
鶴見俊輔は、かなりの頻度で「大衆」という言葉を使ってきた人だが、基本的には「大衆の欲望」と異なる線で「大衆」を評価してきた。だから、大学のような「欲望地帯」には結局、無反省にとどまることができなかった。
実際、僕には花田清輝よりも付き合いにくい相手で、一種の断定的な口調でこちらの話をさえぎられたことがある。
だから、僕の中には小さな疑いが鶴見さんの思想に対して存在している。つまり、大衆の小さなこだわりからの自覚を、鶴見さんには汲み取れない面があるのではないかということ。
しかし、それはほとんどの人たちが他者から汲み取ることのできないものでもある。
三田村四郎は転向する前、警官をしていたことがある。僕らは無産者で親戚には自衛隊員だった奴もいる。このような種族、鶴見俊輔は敬遠するだろう。彼は高野長英、後藤新平、鶴見祐輔、佐野学、佐野碩、鶴見太郎などとの血縁関係にある。。。。糞みたいな自分で僕は結構です。
自分に主体性がないからか、自分という存在に根拠がないからか、僕はやたらに人に傷つき、人から影響を受け、人の言葉に左右されたりする。
鶴見俊輔がどこかで「妻は出来た人物で私の部屋のものには手をつけない」とか何とかいっている文章を見たことがある。それを読んだ小生は、そういう立派な人を女房にしようとして、ついに60を超えてしまった。言論人には生まれたときに同輩を虐殺させてしまったイエスのような悪徳がある。
昨日、わが一人住まいのボロ屋にやってきた女性は、朴にとって貴重な記録類や新聞雑誌をすべて捨てようとした。全く駄目な女としか縁がないのは、僕が鶴見俊輔ではない証拠であろう。
鶴見俊輔が長生きして、いまどのような状態かは知らないが、彼が若い人への期待をあまり持っていないような感じもどこか伝わってくる。同世代以下の人たちとの付き合いが長かった彼には若い人たちのつながりとしての戦後史がある。僕は彼に比べたらずっと若いのに、今は動脈瘤の問題で、かなり精神的に参っているところがあって、昨年の後半は福島に行くことを真剣に考えていた。しかし、MIXIのメキシコ永住組でも触れているように、自宅近くに核廃棄物の廃棄所があることがわかって、むしろここにいるほうが、「その面」では意味があることになってしまった。しかし、余命いくばくだ、ほとんど僕は由井忠之進的な気持ちになっている。日本大使館からは国籍離脱届を突き付けられているけど、日本の現在に危機感を感じている。だけど、鶴見俊輔も死ぬだろう。そのことを考えると、少し死に時を伸ばしたいと思ってしまう。もっと、もっと絶望したくなっている。

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