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死後の世界は存在します。コミュの教育の使命

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世界をリードする人材の輩出を


・著者大川隆法・定価1,890円(税込) ・四六判 205頁・発刊元幸福の科学出版・ISBN978-4-86395-306-2・発刊日2013-02-18



【教育関係者、保護者、必読!】
この一冊が、日本の教育を変える!

イジメ問題、自虐史観、教育者の資質と国際競争力の低下……
いまこそ、戦後学校教育の誤りを正し、
「自助努力の精神」「起業家マインド」「宗教教育」によって、
この国の未来を切り拓く―――。


幸福の科学学園創立者・
大川隆法が語る教育の理念、そして実践論。
▽開校わずか3年で県内最難関校に躍進した
 「幸福の科学学園・那須本校」、その驚異の実績!
▽今年4月、琵琶湖の畔で開校をむかえる
 「幸福の科学学園・関西校」に込めた高き理想と情熱!
▽「幸福の科学大学」(2015年 開学予定)が構想する未来社会ビジョン!




 真の宗教を核にした教育こそ、イジメ問題や、教育荒廃に対する最終的な答えだと思う。
 力の続く限り、後世への最大遺物(内村鑑三)の一つと思って、学園事業を成し遂げたい。未来を拓く人材の輩出を実現させたく願っている。
(大川隆法「あとがき」より)




世界をリードする人材の輩出を

まえがき

第一章 教育の使命

1 教育への「バラマキ」を考える
  北海道の「鳩山ブーム」から始まった二〇〇九年の政権交代
  教育内容には踏み込まず、お金をばら撒いただけの民主党
2 教育者のあるべき姿とは
  今、必要とされているのは「二宮尊徳の精神」
  教師には「聖職者としての使命」がある
  「向上心なき者」に人を指導する資格はない
3 明るい未来をつくるための教育政策
  「生き金」と「死に金」の違いを見分けるのが資本主義の精神
  「ゆとり教育」が日本の国際競争力を低下させた
  「どのような志を立てるのか」を生徒に教えてほしい
4 教育界に新風を吹き込もう
  「今までにないもの」をつくり出す方向での教育を
  マルクス主義に潜む「人を堕落させる甘い誘惑」
  学校に必要なのは「智慧を生み出すための教育」
  「教育に対する信用」を回復させるために

第二章 教育への情熱

1 中江藤樹に学ぶ「徳育」の大切さ
  宗教家は本質的に「教育家」である
  「徳力のある教育」が持つ大きな影響力
  「高貴なる義務」(ノーブレス・オブリージ)を教えている幸福の科学学園
2 幸福の科学学園の驚くべき成果
  学園生の文集を読み、思わず知らず涙が流れた理由
  開校一年目で「栃木有数の進学校」となった那須本校
3 国際人材の輩出に向けて
  「日本の未来を背負う真のエリート」を送り出したい
  「この世的なユートピア」を目指している共産主義との違い
  十数カ国語をマスターした「シュリーマンの情熱」に学ぶ
  語学をマスターする鍵は「忍耐力」と「集中力」
4 「高貴なる義務」を背負うために
  失敗を恐れずに「勇気」を持ってチャレンジせよ
  「できない理由」ではなく、「どうすればできるか」を考えよ
  未来のために「福」を植えることが教育事業の真意

第三章 セルフ・ヘルプと愛国心

1 日本の教育に基本的に欠けているもの
  チュニジアやエジプトの「民衆革命」をどう見るか
  国を豊かにする根本は「教育」にある
  「アメリカの衰退」とともに高まる軍事的な危機
  「軍事に関する教養」は知識人の条件
2 戦後日本の発展を支えてきた「教育の力」
  バブル崩壊後、「成功への道筋」を見失った日本
  戦後の日本は、努力によって「貧しさ」から抜け出した
  俳優の演技など、学問以外の世界でも「勉強の効果」は大きい
  大活躍をしている人は「知識・経験・人間学」が非常の深い
3 教育のバックグランドのある宗教的価値観
  社会人になっても学び続けるための基礎づくりを
  「新しい問題に価値判断を加えること」が宗教の使命
  法哲学の奥にあるものは「神の正義」
  今の日本に必要なのは「セルフ・ヘルプ精神」の復活
4 愛国心こそが国を発展させる
  高校時代には英字新聞が読めなかった私
  数万語レベルの語彙がなければ英文週刊誌等は読めない
  戦後教育最大の間違いは「愛国心」を消したこと
  未来のリーダー輩出のために、もう一段の教育の充実を

第四章 宗教教育はなぜ大切か

1 歴史的に見た「宗教と教育の関係」
  「宗教教育」は、今の日本にとって難しいテーマの一つ
  儒教や仏教に見る「宗教と教育」の深い結びつき
  「産婆役」としての哲学者の使命を説いたソクラテス
  宗教家と変わらない「ソクラテスの体質と思想」
  「霊能者だったデカルト」と「心霊問題に関心があったカント」
  「最大のオカルティスト」と言われた近代科学の祖・ニュートン
2 学問の未来は「宗教」にあり
  「フロンティアとしての宗教」の研究が学問の進歩を促す
  「宇宙人は否定しないが、人魂は非科学的」と語る某教授
  あくまでも「真理の探究」をしている幸福の科学
  「教養宗教・幸福の科学」には「社会人大学」の機能もある
3 宗教復活の流れが始まった
  「真・善・美」に加えて「信仰」の追求を
  世界の多数派は「信仰を肯定する人たち」で出来上がっている
  神を信じない菅元首相に下った「神罰」
  宗教間の争いは「お互いの理解不足」が原因
4 「宗教教育」を実践する幸福の科学学園
  「知識教育」以前に、情操をつくる「宗教教育」を
  幸福の科学学園生の「感謝」と「祈り」の美しさ
  「神仏の目」を意識した教育が「善の心」を引き出す
  地元と共存共栄していけるような関係を築きたい
  非常にレベルが高く、一般受験が難しい幸福の科学学園
  「医者」や「経営者」づくりに重点を置く関西校

第五章 幸福の科学大学と未来社会

1 大学の開校を早めた経緯
2 幸福の科学大学で学べる専門分野
  人間幸福学部(文系)と未来産業学部(理系)でスタート
  幸福の科学大学「人間幸福学部」の概要
   ・人間幸福コース――帝王学を学んだリーダーの輩出
   ・国際コース――国際社会で活躍する人材の輩出
   ・経営成功コース――経営メソッドを学んだ企業家の輩出
   ・未来創造コース――政治・司法・行政に携わる人材の輩出
  幸福の科学大学「未来産業学部」の概要
   ・宇宙時代を拓く「ロケット」や「UFO」の開発
   ・「未来エネルギー」の開発
   ・「食糧問題」の解決を図る農業・バイオ分野の研究
   ・宇宙産業、交通・移動手段、防災・防衛技術の研究
3 設立理念と将来の展望について
  学生数は「千人から五千人規模」を予定
  すべては「地上ユートピアの建設」という理念のために
  日本と世界の発展に貢献できる人材をつくりたい
  日本と欧米の大学の違いは「信仰心の有無」
  将来の医学部設立は「霊的世界観と医学の融合」が鍵
4 幸福の科学大学が拓く未来社会
  海外からも要望の多い「幸福の科学の学校事業」
  「国際社会で通用する学問」をつくるべく真理の探究を
  文系・理系とも「使える」と言われる人材を輩出したい

あとがき

コメント(9)

まえがき

 すでに教育関連では、『教育の法』『幸福の科学学園の未来型教育』『真のエリートを目指して』(以上、幸福の科学出版刊)などを刊行している。しかし、二〇一〇年の「幸福の科学学園・那須本校」に続いて、この二〇一三年の四月に「幸福の科学学園・関西校」を琵琶湖のほとりに開校予定である。ということで、教育思想や教育理念にする本は一冊でも多い方がよいと考えて、折々に、学校関係者・教育関係者たちに話してきた内容を、新たに『教育の使命』と題して刊行することとした。教育もやはり「理念」が先行してこそ、実践が伴うものだと考えている。
 「イジメ問題」を発端として、学校の創立を決意したが、いささか教育者としても「プロ」の側面が出てきたように思う。私自身も、個人で蔵書十数万冊を有しているほど勉強好きだが、すでに刊行した千点以上の著作のなかでは、英語の参考書も百二十冊ほど出版している(内部限定)。教育は、根性、忍耐、情熱、継続が大切だとつくづく思う、今日、この頃である。

 二〇一三年 一月三十日
       幸福の科学グループ創始者兼総裁  大川隆法
       (幸福の科学学園創立者)
あとがき

 わかりやすい切り口で私の教育思想が語られている一冊だと思う。関西校の設立から、さらに幸福の科学大学開校への希望に満ち満ちている内容だ。
 学園那須本校への評価も高まりつつあり、自信もついてきている。学園関係の先生方や、生徒たち全員が力をあわせて、素晴らしいものをつくろうと努力してきた結果だと思う。この運動が日本や世界の学校教育をリードするものになることを願ってやまない。
 真の宗教を核にした教育こそ、イジメ問題や、教育荒廃に対する最終的な答えだと思う。
 力の続く限り、後世への最大遺物(内村鑑三)の一つと思って、学園事業を成し遂げたい。未来を拓く人材の輩出を実現させたく願っている。
 私の宝物たちよ、未来に向かって羽ばたいてゆけ。

 二〇一三年 一月三十日
       幸福の科学グループ創始者兼総裁  大川隆法
       (幸福の科学学園創立者)
第一章 教育の使命

二〇一〇年十月一七日
北海道・幸福の科学・新札幌支部精舎にて

1 教育への「バラマキ」を考える

 北海道の「鳩山ブーム」から始まった二〇〇九年の政権交代

 本章では、「教育の使命」というテーマで述べていきます。
 私は、この章のもとになる説法を、幸福の科学の新札幌支部精舎で行いました。北海道では、特に学校教育に関して問題が多いようなので、教育問題について重点的に述べたいのです。
 要するに、「北海道には、学校教育における“ガン細胞”がある」ということです。
 日教組(日本教職員組合)というのは全国的に有名ですが、そのなかでも、北教組(北海道教職員組合)には、さらに輪をかけたぐらい大きな問題があるようです。
 北教組では、国政選挙等で、教師が熱心に選挙活動をしたり、候補者に組合から不正に資金を提供したりするなど、「教育よりも、自分たちの地位の安泰や安定を考え、将来、自分たちが不利にならないようにすることに熱心な団体であるらしい」ということを聞いています。
 話は少しずれますが、私は、その札幌での説法の前日、飛行機で北海道に入りました。その飛行機のなかで、私の前の席には当時の民主党政権の外務大臣が座ったのです。私は「あなたの外交はなっていない」と言って、後ろから頭をコツンと叩こうかと思ったのですが、彼は、席に座るやいなや、いびきをかいて寝始めました。
 彼は、飛行機に乗っている一時間半の間、ずっと寝ていましたが、私は勉強をしていました。これが彼と私の違いです。
 その一時間半の間に、私は、本多静六博士の本を一冊読みました。本多静六というのは、明治期に、苦学をして立身出世し、富豪になり、また教育のほうにも足跡を残して、近代日本の建設に大きな貢献をした人です。
 私は、その人の本を一冊読み終え、さらに、時間が余ったので、幸福の科学の仏法真理塾「サクセスNo.1」の塾生や「幸福の科学学園」の生徒たちが使う大学受験用の「英単熟語集」の校正をしたのです。
 その外務大臣は、飛行機に乗ってきたときも、降りるときも、私に気づかず、そのまま行ってしまいました。よほど、お疲れだったのでしょう。
 ともあれ、二〇〇九年の総選挙では、鳩山ブームが起き、彼の地元の北海道を中心に政権交代の動きが起きたようなところでもあるので、北海道には、「日本の国がよくなったか、悪くなったか」ということについての責任があると思います。
 当時、私は、「鳩山氏が首相になると、この国は危ない」と、随分警告したのですが、北海道民も、他の国民も、聞く耳を持ちませんでした。
 そして、私が言ったとおり、一年もたたないうちにガタガタになり、いろいろな面で問題が出てきました。
 まず、「外交」が駄目なことは分かっていましたが、「経済」も「景気対策」も全然駄目でした。

 教育内容には踏み込まず、お金をばら撒いただけの民主党

 さらに、「教育」については、バラマキをして、力を入れているつもりでいたのでしょうが、肝心要の「教育の内容」には踏み込んでいないところが問題でした。
 「とにかく、お金さえ出せば、教育支援をしたことになる」という考えを持っていたようですが、「国家が財政赤字で困っている。本当に財政破綻するかもしれない」と本気で考えていたならば、ただただバラマキすることなど、できるものではありません。
 お金を出すに当たっては、「それが有効なお金かどうか」ということについて、しっかりと考え、周到な準備や研究をして対策を立てなければいけませんが、民主党は、そういうことを考えておらず、結果的には、選挙で「票の買収」をしただけのように私には見えました。
 要するに「民主党に票を入れてくれたら、お金をこれだけあげます」と言っているように聞こえ、二大政党が買収合戦を行っているように見えたのです。
 国民は、その現金にパクッと食いついていきましたが、悲しい限りです。「そんなことをしてよいのか。この程度の内容の教育に、お金をばら撒いて、本当によいのか」と、立ち止まって考えるだけの知性が欲しいところですが、「本当に情けないな」と感じました。
2 教育者のあるべき姿とは

 今、必要とされているのは「二宮尊徳の精神」

 最近、神奈川県では、二宮尊徳像が復興されつつあるという不思議な現象が起きているようで、「二宮尊徳の像を立て直す学校が、少しずつ増えてきているらしい」という記事が出ていました。
 以前、私は「二宮尊徳像を立てれば、その像が日教組と戦うだろう」と述べたことがありますが(『富国創造論』〔幸福の科学出版刊〕第1章参照)、基本的に、そういう面はあるでしょう。
 教育を通して、この国を発展させたり、各人の人生を成功に持っていったりしようとするならば、やはり、「二宮尊徳的な精神」が要ると思います。それは「努力を通して、人格や人徳が磨かれなければいけない」ということです。
 勉強において精進することで、人は立派になっていきます。そして、その立派な人が、よい仕事をなすような社会をつくらなければいけないわけです。
 したがって、人物として立派になると同時に、よい仕事をする人になるような教育をしなければいけません。そのモデルの一人が、二宮尊徳だと思うのです。
 しかし、今、学校の先生たちは、上の人に管理されたくないために、「自分たちを管理するな。勤務評定をするな」と言って抵抗運動をしています。そういう先生が、生徒を正しく管理できるかというと、できるわけがありません。
 生徒のほうも、先生がやっているように、「私たちを管理するな」と言うはずです。「先生が上の人の言うことをきかないで『楽をしよう』としているのなら、私たちだって同じだ」ということで、学級崩壊も学力の低下も、当然、起きてくるでしょう。
 やはり、生徒は、上にいる先生を見習い、だんだん似てくるものなので、そのあたりが問題なのではないかと思うのです。

 教師には「聖職者としての使命」がある

 生徒によく勉強をさせようとするならば、まず、先生が、自ら「勉強をする姿勢」や「学問を愛する姿勢」を見せなければいけないし、その「学徳」が、人格を高め、世の中への貢献につながっていくところを見せなければいけないと思います。
 そのような先生は、自然に慕われるようになるでしょうが、一生懸命に「労働者の権利」を主張しているような先生には「尊さ」がありません。そういう先生を見ていると、少し悲しい気持ちになるものです。
 やはり、教師には「聖職者としての使命」というものがあるのではないでしょうか。
 私の場合は宗教家ですが、「人類救済運動」について考えていると、やはり時間の「たつことなど、すっかり忘れてしまうところがあります。
 周りの人たちからは、「総裁は延々と仕事をしていますね」というように言われるのですが、本当に、延々と仕事をしています。「人類救済運動は『終わりがない戦い』である」と思っているからです。

 「向上心なき者」に人を指導する資格はない

 学校の先生が、自分たちを「一労働者」と規定して、「生徒たちに感化力を及ぼしたくない」という方向を向いているのなら、それは大きな問題です。
 そういう教育が日本全国で主流となっておりながら、しかも、教育費をタダにしていく方向に進んでおりながら、先生の方が「教員免許の更新はあまり行われないし、教育の質も問われない」ということであれば、やはり「堕落するな」と言っても無理ではないかと感じます。
 「競争の原理」には、一見、厳しい面もありますが、教育の質を高めるためには必要なことです。実際、塾は競争が激しいため、塾の先生を尊敬している生徒が非常に多い反面、学校の先生を尊敬している生徒は少ないのです。
 昔はそうではなく、学校の先生を尊敬している人が大勢いましたが、今は、塾の先生を尊敬している人のほうが多くなっています。塾の先生の場合、教員免許を持っていない人のほうが多いと思われるにもかかわらず、そういう状況になっています。
 学校の先生は、競争率が十数倍もの難しい教員試験に受かっているので、本来は塾の先生よりも偉いはずなのですが、「いったん資格を得たら、あとは楽ができる」という方向にいくと、やはり、人間は怠けてしまいます。何か資格を得ても、三年もすると、もとに戻ってしまうので、努力を積み重ねて精進していかなければ、駄目になっていくのです。
 基本的に「自分自身で目標を設定し、努力していこう」という気持ちのない人には、指導者としての資格はないでしょう。向上心のない人を指導者にすることはできません。向上心なき者に、人を指導する資格はないのです。
 「ただただ下がっていく」という感じで、楽をしていく方向に流れていき始めたら、その人は、生徒が手本にするには足りないと思います。
 したがって、「常に、一歩でも二歩でも自分に磨きをかけようと努力している先生の下には優秀な生徒が育ってくる」と考えてよいのです。
3 明るい未来をつくるための教育政策

 「生き金」と「死に金」の違いを見分けるのが資本主義の精神

 もちろん、「勉強する意欲を持っているにもかかわらず、家庭が貧しいために勉強の機会が得られない」という人に対して、積極的に教育の補助をするのはよいことですし、ぜひ、そうあってほしいものだとは思います。
 しかし、勉強する気が全然なく、サボりたいだけの人に対して、「学費がタダだから、とにかく学校に行きなさい」というような後押しをするのは考えものです。これでは、その補助金が、本当の「無駄金」「死に金」になってしまいます。
 一方、本当に勉強したいのに学校に行けない子供には、何とかしてチャンスを与えたいものです。そういうお金は「生きてくるお金」です。
 このへんの、「生き金」と「死に金」の違いを見分けるところが、難しく言えば、「資本主義の精神」そのものだと思うのです。
 先の民主党政府の考え方には、そういう精神が欠けていて、どちらかというと、票を買うために、教育費と称してお金をばら撒こうとしたところがあったと思います。
 その結果、どういうことになったかというと、最初に、八ッ場ダムの建設中止等を打ち出したものの、その一年後には、「五兆円の財政出動をする」ということになりました。
 それは、二〇〇九年の政権交代当初から、私が予想していたことです。「こんなことで絶対に済むはずがない。結局、財政出動をすることになるし、日銀も、お金をもっと出さざるをえなくなるだろう。」と思っていました。「結果が見えていない」というのは、本当に悲しいものです。

 「ゆとり教育」が日本の国際競争力を低下させた

 とにかく、この国の未来を明るくしたかったら、自分たちよりも後に来る人たちが、自分たちを乗り越えていけるような状況をつくらなければなりません。先生というのは、生徒が自分を追い抜いていくことを喜びとしなければいけないのです。
 そのためには、「後ろ姿」を見せなければいけません。自分が努力している後ろ姿、背中を見せながら、「後から来る君たちは、私を乗り越えて先へ進みなさい。それが、この国の発展につながるし、世界のためにもなるのだよ」と教えなければいけないのです。
 これは、「自分たちだけの権益を守ろう」などという堕落したスタイルの先生にはできないことです。
 しかも、「ゆとり教育が大切だ」と言って楽をしてきたツケが、日本の国際競争力の低下となって表れています。それだけ、日本の学力水準が下がってきているのです。
 これから復活させようとしているところですが、ゆとり教育では、教育内容が三割ぐらい削減されました。
 例えば、昔は、中学三年間で習う必修単語が千語ぐらいあったと思いますが、それがだんだん減らされていきました。特に、ゆとり教育下の指導要領では、そのうちの基本語が百語にまで減っていったのです(説法当時。二〇一二年より必修単語は千二百語に増加)。
 英語圏では、「乞食になるのにも三百語は必要だ」というように言われているので、この程度では使いものになりません。世界に出せる人材など、育ちようがないでしょう。
 今、当会は中国を批判していますが、その中国のほうが、日本よりも英語をずっと熱心に勉強しています。中国人は、みな、「出世したり、お金を儲けたりしたい」という理由で、英語をよく勉強しているのです。
 中国人も、韓国人も、「自分たちのほうが、日本人より英語ができる」と、自信満々です。彼らの国では、英語力が出世や就職に直結するのですが、それは、非常に合理的で、現実主義的な考えです。そういうなかにあって、日本は、現状にあぐらをかき、転落へ向かっていこうとしているとしか思えません。

 「実社会で使える人材」を育てるために必要なこと

 高校の参考書を見ると、「これは中学校の参考書かな」と思うほど易しい内容が載っていたりするので、このようなことでは駄目だと思います。
 幸福の科学は、今、教育事業も行っていますが、「最終的に実社会に出て使えるレベル」を考えると、やはり、その途中において埋めていかなければいけないものがあります。
 先生は、「自分が担当しているときに楽だったらよい」とか、「生徒が文句をいわなければよい」とか、そのように考えるのではなく、生徒が実社会に出て使えることを教えなければいけません。
 そういう意味では、社会で実際に仕事をした人などに教員資格を与えてもよいと思うのです。
 例えば、「国務大臣は、その過半数は国会議員から選ばなければならない」とされていますが、半数未満なら国会議員ではない人が大臣になっても構わないわけです。
 それと同じように、教員にも、「教育学部系の人でなければならない」という必然性はなく、ほかの学部を出た人のなかにも、学力があり、教え方がうまい人はたくさんいます。
 さらに、例えば、営業系やサービス系で仕事をした人だったら、学級崩壊を起こさないような授業が、わりに簡単にできてしまうかもしれませんし、あるいは、マネジメントや経営を経験した人だったら、学校をうまく運営できるかもしれません。

 「どのような志を立てるのか」を生徒に教えてほしい

 民主党の教育政策を見ていて、私は、「やや甘いのではないかな」と感じていました。もしかしたら、そこに最大の無駄があったのかもしれません。「最大の善意で行っていることが、最大の無駄になるかもしれない。」ということを知ったほうがよいでしょう。
 今、当会は、海外活動も行っており、インドやネパール、アフリカの一部でも、教育支援活動を行っています。本当に何もないような国の子供たちにとっては、ノート一冊、鉛筆一本など、いろいろな教材は非常に尊いものですが、物が豊富すぎる日本においては、気をつけないと、堕落する道へと入っていく危険性があります。
 とにかく、「自分を高める」という気持ちを持っていない人、あるいは、立志、すなわち「志を立てる」という気持ちを持っていない人には、やはり、教員たり資格はありません。
 教科の試験をするのも結構ですが、生徒たちに、「あなたは、どのような志を立てているのか」ということをきちんと訊いてほしいのです。特に、「少年よ、大志を抱け!」と言ったクラーク博士がいたわりには、北海道はまことに情けない状態にあると思います。
4 教育界に新風を吹き込もう

 「今までにないもの」をつくり出す方向での教育を

 日本は、何とかして、「マイナスの引力」から脱出しなければいけません。
 私は、「地方も梃入れをしなければいけない」と思っていますが、確かに、東京から離れれば離れるほど、疎外感や、うらぶれた感じが出てきて、「さみしい、悲しい」という気持ちになりやすいでしょう。
 しかし、そういう感情にとらわれていてはいけないのです。やはり、日本の足でしっかりと立ち、もう一度、自分たちの力で立て直さなければいけません。「考え方で人間は変わるし、考え方で世界は変わっていくのだ」と思い、努力しなくてはいけないと思うのです。
 現にあるものだけで考えても、しかがたありません。やはり、何か、「今までにないもの」をつくり出していくことを考えなければいけなのです。「今まで世の中になかったもの」「今までの発想にないもの」をつくり出し、生み出していく。そういう方向に向かって教育をしなければいけません。
 その意味で、企画力や発想力のある人、新しい価値を生み出していこうとする勇気を持った人、アイデア豊富な人をつくっていかなければならないのです。

 マルクス主義に潜む「人を堕落させる甘い誘惑」

 特に、教員組合の根本の部分には、マルクス主義が深く入っていると思いますが、すでに私は、「共産主義の御本尊」とでも言うべきマルクスの正体を暴きました。(『マルクス・毛沢東のスピリチュアル・メッセージ』〔幸福の科学出版刊〕第1章参照)。
 彼は、死後、地獄に堕ちており、しかも、自分が地獄にいることさえも分からずに、ずっと眠っているような状態でした。
 そのような人の教えを学び、それを広げて、どうするのでしょうか。結局、彼の思想には間違いがあったのです。
 「一見、よいことをしているように見えても、あまり簡単に多くの人が賛同するもののなかには、人を堕落させる甘い誘惑がたくさんある」ということを知らなければいけません。
 例えば、「お金が儲からないのは、大資本家が悪いからだ」という言い方はあるでしょう。あるいは「お金持ちが悪いのだ。だから、自分たちにはお金がないのだ」という言い方もあるでしょう。そのように言う方が楽ですし、多数を形成するのは簡単かもしれませんが、そうは言っても、この世の中で、事業をして成功していくのは大変なことです。創意工夫が必要ですし、多くの人の支持を受けなければ、実際に、成功することはできないのです。
 その秘密をマスターしなければ、自分がそうなることはできません。謙虚に学ばなければいけないところがあるにもかかわらず、単に、「彼らは悪いことをしたのだ。自分たちには、一切、何も問題はない。だから、金をよこせ」と言うのは、はっきり言えば、「合理的強盗」です。

 学校に必要なのは「智慧を生み出すための教育」

 他の人が一生懸命に稼いだものを、「法律で合理的にばら撒け」とだけ言うのは、よくないことです。やはり、「人々が智慧を付け加えることによって、新しいものを生み出していく」ということが大事なのです。
 智慧を生み出して、新しい産業を拓き、新しい産物をつくり、今までこの世になかったものをつくることができれば、多くのニーズを生み出して豊かになることができます。そういう教育をしなければいけません。
 つまり、「智慧を生み出すための教育」が必要であり、その基礎になるのが、実は、学校教育のところなのです。
 その学校教育においては、まず、「努力する習慣」を身につけさせることが非常に大事です。「努力して繰り返し学び、マスターしていくことによって、人間は賢くなっていくのだ」ということを実感させることが大事なのです。
 努力してマスターすると、賢くなっていきます。賢くなったら、応用が効いてきて、社会に出ていろいろな仕事をするときも、あるいは、新しいことを勉強するときも、その「自分で勉強する力」を生かしていけるのです。そのことを知らなければいけません。

 「教育に対する信用」を回復させるために

 昔は単純に尊敬されていたものの、今は、教育に対する信用が非常に落ちています。その信用を回復させなければいけません。「勉強ができることが、非常に社会を発展させるために、どれほど役に立つか」ということを示すために、今一度、教育に梃入れをし、底上げをしなければいけないと思うのです。
 日本では、一九九〇年ごろから二十年以上、不況とデフレとが重なったような状況が続いており、全体的に調子が悪いのですが、そのあたりから、私の母校でもある東京大学の評判も悪くなってきました。「官僚たちが国家の運営に失敗したために、日本が駄目になった」という理由で、官僚人気もなくなり、東大の人気も少し落ちたわけですが、私には、それが悔しくてしかたがありません。
 「よく勉強した人は、仕事ができなくなって、この世を悪くする」というのであれば、教育そのものが崩壊してしまいます。それは断じて許しがたいことです。
 やはり、よく勉強をしたならば、その「勉強した成果」「努力した成果」を、ほかのものに応用して、他の人を幸福にし、「教育が社会を発展させる力になっていく」ということを実証しなければなりません。
 そのためには、先生が持っているエートス、すなわち持続的な精神的態度が非常に大事です。「よく勉強をして、世の中の役に立つ人間になっていけ!」ということを、繰り返し教え込むことが大事だと思うのです。
 ところが、北教組などは、「競争を排除して、成績が全然分からないようにし、さらに、落ちこぼれている子に対してさえ補習をしない」という方針をとっています。左翼教育には、「下」のほうに対して優しい面もあるのですが、「平等に接するために、落ちこぼれた人に手を差し伸べず、何もしない」という面もあるようです。しかし、これでは単なるサボりでしょう。
 こういう教員組合から、違法な献金を受けて選挙で当選するなどというのは、恥ずかしいことです。
 まず、腐り切った教育界に新風を吹き込むことができたら、そこから、「新しい何か」が始まっていくでしょう。
 「新しい力」が欲しいと思います。十年、二十年と、「新しい旋風」を送り続けていきたいものです。

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