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「らぶらぶ伸二ぃず」コミュの島崎英純のコラム

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島崎英純スポーツナビ小野伸二はなぜ輝けないのか? (1/3)
孤高の天才が抱え続ける苦悩
2009年5月15日(金)
■勝利に貢献するも再び悪夢が襲う

小野はホッフェンハイム戦で久しぶりに好プレーを披露したが、けがのため今季残り試合の欠場が決まった【Photo:アフロ】 小野伸二にとっては千載一遇のチャンスだったのだ。

 2009年4月11日。レギュラーを争うライバルであるミムン・アザウアグが負傷したことで、ボーフムの指揮官マルセル・コラーに選択の余地はなかった。今シーズン、ほぼ戦力として計算していなかった小野をトップ下で起用する。相手は今季トップリーグに昇格して旋風を巻き起こし、ヘルプスト・マイスター(秋の王者)となったホッフェンハイム。その強敵のホーム、ライン・ネッカー・アレーナで、小野は自身の進退を懸ける大勝負に出た。

 42分、ボーフムのCKを相手GKダニエル・ハースがはじくと、そのボールが小野の足元に来た。小野が躊躇(ちゅうちょ)なく左足を振り抜くと、そのシュートに反応したエースFWスタニスラフ・シェスタークがつま先でボールを押し込んだ。ボーフムの先制弾をおぜん立てした小野がチームメートの歓喜の輪に加わる。小野がチームのゴールに関係したのは昨年2月3日、ボーフム移籍後初戦となったブレーメン戦で2アシストをマークして以来、実に1年2カ月ぶりのことだ。これまでチームに足跡を残せずにいた鬱憤(うっぷん)を晴らした小野はその後も好プレーを連発し、チームの3−0の勝利に貢献したのだった。

 暗闇からの生還を果たした小野。アザウアグとのポジション争いはこれからも続くだろうが、ひとつの結果を導いたことで指揮官の評価も変わるだろう。しかし遠き未来に思いをはせた矢先に再び悪夢が襲う。続く第28節、ボルシア・ドルトムント戦。2戦連続先発出場した小野はしかし、53分に相手と接触して右ひざ内側側副じん帯を断裂し、無念の途中交代を余儀なくされた。その後の診断結果は全治6週間。シーズン終盤に突入している今季のブンデスリーガに出場できる可能性は閉ざされ、小野の2008−09シーズンは静かに幕を閉じた。

■ボーフムでは攻撃的MFを任されているが……
 小野が所属するボーフムはドイツ・ルール工業地帯に位置するノルトライン・ベストファーレン州に属する小都市だ。ボーフムの近隣にはドルトムント、シャルケ04といったビッグクラブがあり、その間に挟まれたボーフムは人気、集客ともに彼らに遅れを取っている。
 ボーフムの町並みはつつましい。中央駅からしばらくはショッピングモールが連なるが、10分も歩くとそれは途切れ、閑静な住宅地へと様変わりする。ボーフムの本拠地であるレビルパワーシュタディオンも、その町と歩調を合わせるように控え目で、31328人収容のスタンドはドルトムントやシャルケなどとのダービーマッチ、またはバイエルン・ミュンヘンなどの人気クラブとの対戦でなければフルハウスにはならない。

 サポーターもおとなしく謙虚だ。試合後のパブで寄ってきた中年男性は「日本人ですか?」と言って、ひとしきりチームのことを話してくれた。
「ボーフムの人々はサッカー選手の私生活には干渉しないんだ。だから彼らが街中を歩いていたり、食事をしたりしていても無闇に声を掛けたりしないよ。彼らには落ち着いた生活を送ってもらって、ピッチで結果を残してほしいからね」

 スタジアムに隣接する練習場では、まばらな見学者の前でトレーニングが行われていた。小野は誰よりもランニングにいそしみ、黙々とメニューをこなしていた。
「こっちの練習? キツイですよ。みんなトレーニングでも手を抜かないし、緊張感があるからね。それより、ハセ(長谷部誠)の方には行ったんですか? アイツのチームの方が練習は厳しいらしいですよ。ハセに会ったら『頑張れよ』って伝えておいてください。あと、アイツ、ボルフスブルクとボーフムは同じくらい田舎だと思っているみたいですけど、全然そんなことないですから。ボーフムはデュッセルドルフからも近いし、ボルフスよりも都会ですからね。この点はよく言っといてください(笑)」

 ボーフムで小野が任されるポジションは攻撃的MFである。コラー監督は主に前方中央に位置するトップ下で彼を起用する。しかし前述の通り、トップ下にはアザウアグというレギュラー選手がいる。アザウアグはトルコ出身だが現在はドイツ国籍を有するMFで、当初は07年冬にシャルケからボーフムへ期限付き移籍していたが、08年途中に完全移籍が決まり、今に至っている。実はボーフムはかねてから攻撃的MFの人材を欲しており、同じく08年1月に浦和レッズから移籍した小野も、アザウアグとともに補強ポジションの充実を図る目的で獲得した選手だった。

 06年からの2シーズン、浦和でプレーした小野の主戦ポジションはトップ下だった。一方、それ以前のフェイエノールト所属時(01〜06年)は当時の指揮官だったベルト・ファン・マルワイク監督に素養を見抜かれ、いわゆるボランチのポジションで覚醒(かくせい)した。ちなみに小野は、このボランチという呼称には違和感を覚えていて、「僕のポジションはセントラルMF」と公言していた。
 フェイエノールトから日本へ帰還を果たした第2期浦和時代(06〜07年を指す)のプレーを見ると、小野に守備意欲の発露は感じられなかった。実際ファン・マルワイクも小野のプレースタイルを「サーカスのようだ」と皮肉り、小野に自省を促してもいた。それでもオランダでプレーしていた小野は確かに、攻守両面で影響力を及ぼした希代のプレーヤーだった。

 <続く>









島崎英純スポーツナビ小野伸二はなぜ輝けないのか? (2/3)
孤高の天才が抱え続ける苦悩
2009年5月15日(金)
■浦和時代に経験したポジションのミスマッチ

06〜07年の浦和在籍時はトップ下で起用されたが、満足のいくパフォーマンスは発揮できなかった【Photo:FAR EAST PRESS/AFLO】 ギド・ブッフバルト政権およびホルガー・オジェック政権時の浦和(04〜08年)は個人能力を重視した独力打開のサッカーを常とうとしていた。それはオジェックが解任されてゲルト・エンゲルスが指揮した08年シーズンまで貫かれ、エメルソン、ワシントン、ロブソン・ポンテらの外国籍選手や田中マルクス闘莉王、三都主アレサンドロ、阿部勇樹、山瀬功治(横浜FM)、高原直泰らの日本代表級選手を次々と獲得して選手層を厚くした時期と重なっている。

 そして小野も06年シーズンから、そのチームの一員となった。だが小野にとって誤算だったのは、小野自身のパーソナリティーが個を重視するのではなく、組織を重んじるタイプだったことだ。実際、07年シーズンにエース・FWワシントンが規律違反を犯して欠場した第8節・鹿島アントラーズ戦では、小野を中心とした中盤でのパスワークで相手を圧倒した浦和が1−0ながら圧勝。小野はこのサッカースタイルに自信を深めたが、翌節のジェフ千葉戦ではワシントンが当然のごとく復帰して小野がベンチ行きを命ぜられ、当時の指揮官であるオジェックを名指しで批判している。

 小野の特長は周知の通り、周囲とのコンビネーションをもとに、広角な視野と正確無比な技術を駆使したパスやシュートにある。その反面、1対1でのシチュエーションで多用するドリブル打開やチャージはそれほど好まない。だが当時の浦和は、その1対1の局面を生むことを主眼に置いていた。これでは小野の特性は生きない。
 特に小野に与えられたトップ下のポジションは個人に依存する場面が多々あり、彼のプレーを窮屈にさせた印象がある。私見では、第2期浦和時代の小野の適正ポジションはフェイエノールト在籍時と同様、ボランチ(本人の言うところのセントラルMF)であったと思う。

■適正はボランチも長谷部を超えられず
 ではなぜ、小野は浦和でボランチの役割を与えられなかったのだろう。かつての指揮官、ブッフバルトとオジェックは彼を一貫してトップ下で起用し、時を経るごとにスタメンからベンチ要員へと、その立場を変容させている。

 攻守両面の役割を担うポジションとはいえ、昨今のボランチにはさまざまな特徴を持つ選手がいる。例えばミランのアンドレア・ピルロ(イタリア代表)はアンカーと呼ばれるワンボランチで、自陣低い位置で相手のプレッシャーを避けながら好パスを配給するテクニカルな選手である。一方、レアル・マドリーなどで実績を築き上げたクロード・マケレレ(元フランス代表)は広範囲なエリアを動き回ってカバーリングに奔走し、味方選手を陰で支えるタイプだ。またチェルシーのフランク・ランパード(イングランド代表)のようにフィジカルとテクニックを備えて攻守両面で高次元のプレーを披露する選手もいる。
 つまりボランチには攻撃、守備にそれぞれ特性がある者、あるいは両輪で貢献を果たす者といったように、チーム事情によってフレキシブルに役割が変化するポジションでもある。

 小野はどちらかと言えばピルロと同種だろう。ちなみにフェイエノールト在籍時にはほとんどの時期をポール・ボスフェルトとコンビを組み、屈強でハードワークをこなすこの元オランダ代表MFのフォローを受けて、小野は攻撃面のかじ取り役を担っていた。
 これと照らし合わせると、第2期浦和時代の小野は鈴木啓太とピッチ中央でコンビを組むのが適切だったはずだ。しかし残念なことに鈴木の相棒には長谷部誠という有望な若手がすでに君臨していた。つまり当時の浦和には小野に肉薄する攻撃力と、小野にはない守備能力の高さを有する“セントラルMF”が、すでに存在していたのだ。

■セントラルMFとしての成功はフェイエ時代
 小野が有する卓越したスキルを発揮する上で最も重要なのは、いかに相手からのプレッシャーを受けずにプレーできるかにある。
 清水商業高校から浦和に加入した98年当時のJリーグは牧歌的だった。今よりもスピード、技術ともに途上だった日本サッカー界では、敵陣深い位置でもゲームメーカーが相手のチャージに遭わずにプレーできた。しかし時代は流れ、日本、そして世界のサッカーが変革を余儀なくされると、ゲームメーカーは絶滅の危機にひんする。そして彼らのようなテクニシャンは、その場所をサイドや自陣深くに移動させ、コレクティブなチームの中で自身が生きる道を模索するようになった。

 ファン・マルワイクが小野をトップ下で起用しなかった理由は、そのスキルを相手に妨害されたくなかったからだろう。だから指揮官は小野を敵から“隠し”、トップ下に機動力を有するトーマス・ブッフェル(元ベルギー代表)やヨン・ダール・トマソン(元デンマーク代表)を置き、前線のピエール・ファン・ホーイドンク(元オランダ代表)やロビン・ファン・ペルシ(オランダ代表)らを含めた攻撃陣を後方から操る役目を、小野に与えたのだ。

 浦和在籍時の小野は大半においてトップ下を務めたが、第1期浦和時代(98〜01年)と第2期浦和時代とでは、その役割や置かれた環境が異なる。第1期は彼の特性を生かせる適正ポジションだったが、第2期は必ずしも彼にマッチしたポジションではなかった。この点は、現状の小野を語る上において重要なファクターになる。

 <続く>





島崎英純スポーツナビ小野伸二はなぜ輝けないのか? (3/3)
孤高の天才が抱え続ける苦悩
2009年5月15日(金)
■ドイツでもトップ下で結果を残せず

セントラルMFでプレーしていたフェイエノールト時代。小野はかつての輝きを取り戻すことができるか【Photo:PICS UNITED/AFLO】 実はドイツ・ブンデスリーガは諸各国に比べてトップ下がいまだ活況を呈するリーグである。ブラジル代表のジエゴ(ブレーメン)はその代表例で、彼のようなテクニカルな選手であっても、チームのシステムが整備されていれば存在意義がある。また今季躍進しているボルフスブルクではズベズディン・ミシモビッチ(ボスニア・ヘルツェゴビナ代表)がトップ下の位置でアシストを連発し、エディン・ジェコとグラフィテの強力2トップを操っている。
 ボーフムのコラー監督もトップ下を擁するシステムを採用する指揮官だ。しかし小野はそこで結果を残せなかった。

 昨今のブンデスリーガは全般的にハードワークが要求されるタフなリーグでもある。守備時にはチーム全体が自陣に引いてブロックし、攻撃時にはバックラインを高く押し上げてチーム全体が敵陣へと侵入していく。残留争いに巻き込まれているボーフムにおいてもしかり。選手に求められる条件は攻守両面における献身性にある。そしてドイツにおけるトップ下の役割は攻撃専任ではなく、むしろ前線からのファーストディフェンスとチーム全体を掌握するリンクマンの仕事が求められる。
 その意味において、小野がアザウアグとのレギュラー争いに屈したのは、彼の宿命でもある度重なるケガだけが要因ではないと考える。要は、小野はトップ下としては、フィジカルと守備面において評価をされ難い選手であるのだ。

 分かりやすい例を挙げれば、浦和でも同じシチュエーションが起きていた。小野はフィジカルとテクニックを兼ね備えたポンテにトップ下の座を譲り、ベンチ行きを余儀なくされている。ポンテはかつてレバークーゼンで攻撃のタクトを振るったドイツ型のプレーメーカーだ。ドイツ人であるブッフバルト、オジェックがいずれも小野をトップ下の選手と定め、ポンテとの天秤(てんびん)を図り、ひとつの結論を導いたのは興味深い事項である。

■小野が生きる道はまだある
 結局、クラブチームで小野をボランチに起用し、その才能をピッチで存分に発揮させたのは、オランダ人のファン・マルワイクだけだった。そして、それは小野自身がこだわる“セントラルMF”というポジションの特異性を表している。

 重症を負った小野は今、日本の地でリハビリに励んでいる。ボーフムとの契約は来年夏まで。彼自身は来季もブンデスリーガで戦う覚悟を決めている。そして、こう思う。彼の生きる道は、まだまだあると。だが、そのためには彼を正当に評価し、彼を生かすシステムを構築する指揮官が必要だ。そして小野は、その指揮官に認められるために自身の存在価値を高めなくてはならない。

 つらいリハビリも不慣れな環境も苦にしない。ピッチでは笑顔を浮かべてプレーし、大好きなサッカーボールと戯れる。しかし、その内面は今、激しく揺れている。果たして彼は、どこに向かおうとしているのか。

「楽しむためにサッカーをする」

 その生き様は、孤高をいく。

<了>

コメント(2)

Double Teeさん、お久しぶりです。
伸二の分析がぴったりはまっていますね。
今リハビリで頑張っているので今度こその思いで応援しましょう。
コメありがとうございます。目がハート

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