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ひふみ神示コミュのひふみ神示の原典

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シュバンさん、ミラムさんならびに「ひふみ神示」のコミュニティの皆様方。

お久しぶりです。先週はおさわがせして、申し訳ございませんでした。人を探しておりましたもので。御陰さまで巡り会うことができました。有り難うございました。

さて、旅の途中で思わぬものを拾いましたので、何かの参考にと報告いたします。

「ひふみ神示」を書かれた岡本さんの「原典」を群馬の黒瀧山不動寺にて拾いました。
「旧亊本記大成経」でひふみ神示はその中の「大成経地球本記」と「大成経神事本記」を説いたものです。この中に「ひふみ神示」の内容全て書かれております。

これは聖徳太子が「富士文献」を翻訳したもので、私が今迄ほざいていた、「富士高天原」とは大成経の中の「大成経天神本記」に書かれていた内容です。

尚この「大成経」は黒瀧山不動寺にありますが、解釈がひふみ神示を上回る厄介もので、頭がおかしくならない様ご注意お願いします。

ここに書かれた内容を「ニギハヤヒ」といいます。「ニギハヤヒ」とは「教え」であって神様とは少々異なっておりますのでお間違いのならないようにお願いします。

聖徳太子はここで黒駒の背に乗り、天に昇り「ニギハヤヒ」を説かれました。二枚目の写真の岩山がその黒駒です。真ん中の木のある所が「馬の背」になっております。少々危険とは思いますが、どうしても神示の解読をお急ぎの方は馬の背に乗り天に昇ってみて下さい。私も昨日乗ってきました。(突然突風がわき起こるので注意して下さい。落馬すると、別の天国にいってしまいます泣き顔冗談でいってるのではありませんので、素人さんやひやかしの方は絶対に行かないで下さい)

「大成経」を解読するのは大変な事かと思います。ぜひ現地に行かれて、岩戸をひらかれるようお薦めいたします。現地への行き方は先日テレビでヨネスケが紹介してましたが(紅葉の名所で)口では言えない程山奥です。
皆様のカーナビで行き先を「黒瀧山不動寺」で設定して下さい。あとは神様が自動的にお導きいたす事でしょう。

ぜひとも行ってみて下さい。しかし現地は狭い道のどんづまりで、駐車場が20台ほどしかありませんので、一気に集中しないようにしてくださいね。ご住職様は気さくな方で何方とも薬草茶を入れてくれてお話頂けます。
私こと「浅間明神会」の者から聞いたと言えば分かると思います。

なおこの後書き込みでご質問頂きましても、旅の途中故、見る機会も少ないのでお答え出来ないと思いますので、ご質問以外で皆さんでお話下さい。

皆様のご活躍を期待いたします。
それでは。旅急ぐ故、失礼いたします。

                             11月8日
                              
                               君寧

コメント(26)

あっ、そうそう書き忘れました。

最初の写真の釣り鐘は黒瀧山の名物で、太平洋戦争で活躍した戦艦陸奥の羅針盤を鋳造し直して造ったものです。

平和を願ってひと突きしてきましょう。その余韻は山々にこだまして、長い間鳴り響きます。

何方でも突けます。
そうですか、「ニギハヤヒ」はご神名じゃなくて、「教え」ですか。
だから【謎】とか【消えた】とかいわれちゃうんですね。

今、コスモビジョンから売られている「ひふみ神示」は、
とある方が勝手に訳された部分もあるので、原典から遠いというお話を、
らむう先生から聞きました。できればその原典のお役を富士山瓊瓊杵
さまが担っていただけないのでしょうか。

【本当の日月神示】みたいな・・・お願いしますよ。
それが富士山瓊瓊杵さまのお役なんじゃないですか??
なんだかそう感じます。<(_ _)>
シュバンさん

出かける前に一言。

教えをひらくためにらもう先生がおられるのですよ。

らもう先生がおひらきになりますよ。

らもう先生は私が先生といってるように、私をここ迄導いて下さった方です。先生に着いていかれれば、道をあやまる事は無いと思います。最もご本人はその事を気が付いてないふりをされてますがね。目がハート

あとは現地に行かれる事です。

わたしが皆様方をご指導するお役ではありません。「ホオカムズミ」を引っぱり出すのは皆さんご自身です。私は瓊瓊杵。お役は皆さんの道案内だけです。それが神示がいうように「ニニギのお役」です。「この方富士のお山に腰掛けて、皆さんを導く」と書いてあるでしょう。

主人公は皆さんですよ。私は道路標識みたいなものです。
「進め」「一方通行」「ゆっくり進め」「一旦停止」「進入禁止」「この先行きどまり」です。「ゴール」の標識だけはありません。

交通ルールを守らないと事故をおこし、病院行きになります。でも神様総合病院を木花が始めたようですので、心配はいりません。

それからミラム様。

昨夜の「浅間明神会」の会議を覗かれていたとか。下仁田(下ねたではありません)の道の駅まで良く来られましたね。

それでは、失礼します。

                              君寧
あ、だかららむう先生と出会っているのですね。了解しました。
お役目ご苦労様です。<(_ _)>
ん。その大成経は、神代皇代大成経 や 先代旧事本紀大成経 とは

また、まったくことなるものなのでしょうか?

神代皇代大成経も聖徳太子らが 編集したとの伝えが在りますが・・

また別物かな?ぴかぴか(新しい)わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)

機会があれば、読みたいと思います。 というか手元に写本がほしい^^;


>交通ルールを守らないと事故をおこし、病院行きになります

たしかにそのとおりですね。ぴかぴか(新しい)あせあせ(飛び散る汗)ぴかぴか(新しい)

いっぽいっぽ、早とびせずに学んでいかねばなりません。

何事も順序がだいじぞと 最初のころに教えていただきました。


>それからミラム様。

>昨夜の「浅間明神会」の会議を覗かれていたとか。下仁田(下ねたではありません)の道の駅まで良く来られましたね。

ん? えーと・・・ なんだろう? とはたしかにおもいましたが、

遊びに行きましたか??(汗)

本人の意識内ではわかっておりませんぴかぴか(新しい)あせあせ(飛び散る汗)ぴかぴか(新しい)

うーむ。。。(・・*;;

ぴかぴか(新しい)謝謝ぴかぴか(新しい)
こんにちは。ミラムさま。

なかなか出発できません。今頃はらもう先生のセミナーで皆さんおるすかと思います。

旧事本記ですが一般的には江戸時代に豊島屋から出版された「大成経」を元にしたものが多いと思います。
写真のがそうです。中身がいくつも別れていて、「大成経」がつくのはみんなこの関係だと思います。この大成経は旧事本記を簡略化したもので、本来のものとはかなりかけ離れたものでしょう。

黒瀧山のものは表向きにはこの大成経をだしてますが、住職さんの話しでは別の「旧事本記」42巻があるようです。

これは徳川家光がこの寺に封印しました。なぜならばこの黒瀧山こそ聖徳太子がニギハヤヒを解いた場所だからです。

聖徳太子は「富士文献」を秦河勝に訳させたのにニギハヤヒを加え旧事本記を編纂しました。詳しくは私のホームページにて。

http://www.nishifuji.com/takamagahara4.html

秦河勝は徐福の書いた「富士文献」を訳すのに30年ほどかかり、完成した時には聖徳太子は亡くなっていました。富士文献は徐福が漢字のできる前の文字を使用していたため、よけい苦労しました。

私はこれら難解の文書を読むより、聖徳太子がニギハヤヒを解いたその場に行って直接自分の頭を開いたほうが早いと思い、黒瀧山不動寺に行かれる事をお薦めします。

どうしても「旧事本記全72巻」をご覧になりたいのなら、最も元本に近いものが当地にありますので、ご紹介します。

文部化学省の財団法人で「聖徳太子会」というのが当地にありまして、富士宮美恵子様が理事長です。かつては鈴木善幸さんなどもよくこられましたが、ご主人の富士宮瓊光様が亡くなられてからは誰もこられず、いまや私一人が支援者です。

現在この「旧事本記」をどのような形で世間に出せばいいのか富士宮様と検討中なのです。出版社とも相談しましたが、その量は膨大なもので、全てをコピーするだけでも100万円程かかります。お金がない私達にとってとても不可能なこと。悩んでおります。文部科学省からは無理解のため一銭の援助もありません。

「聖徳太子会」は昭和天皇の義父の「クジノ宮」様が設立され、当時の首相原敬さんが会長をする由緒正しい団体です。それがいまの状態となり、私一人の孤軍奮闘、悲しい限りです。

その日の生活も困る状況の中、財団の「宝物」に気が付きこれを世に出すことを決心しました。では超内密事項ですがこの旧事本記の由来をお話いたします。言っていい事かどうかわかりませんが。

これは皇室の関与してる「聖徳太子会」として旧事本記は絶対必要であり、それを編者の秦河勝の御心霊を呼び起こし、「自動書記」にて作り上げたもので、最も原典に近いものと思われます。

それを行った時期が私は正確にはしりませんが、丁度「ひふみ神示」の降りた時期と一致するような気がします。
実はこの秦河勝様の御心霊をよびおこしている時にリークして岡本天明さんに一部が降りた可能性があると思います。だから岡本さんの「ひふみ神示」は暗号化して難しくなってしまったのでしょう。内容はかなり近いようです。

それ故、ひふみ神示の原典と言わして頂きました。
旧事本記全72巻を御見せする事はできますが、いかにして世に出すかの具体的な策を持ってこられてからになるでしょう。

それ故、読むより体験。黒瀧山不動寺に行かれたほうが得策かと思います。

写真は最初が馬の背にある開山された潮音道海禅師のお墓。ニギハヤヒの岩戸になってます。写真に写ってる秋元さんが岩戸開き中。
2番目はこの開山堂の屋根に葵紋と、菊花紋が。徳川の秘密がここに。
3番目は馬の背にある「ニギハヤヒ」の石碑。
>なかなか出発できません。

あはぴかぴか(新しい)あせあせ(飛び散る汗)ぴかぴか(新しい)

>今頃はらもう先生のセミナーで皆さんおるすかと思います。

あっなるほどぴかぴか(新しい)わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい) だからわたし、いまかいたんですね。

意味不明ながら層思いました晴れ


そして詳しい内容ありがとうございます。(といってもまだまだ一部と観じております)


神代皇代大成経 や 先代旧事本紀大成経 はひつようなときに

ひつようなところだけふと おとずれるので ちらちらと読んでいるのですが、

確かに膨大な量ですよね。(汗)


そして、個人的に以前来た重なるキーワードがいっぱいぴかぴか(新しい)あせあせ(飛び散る汗)ぴかぴか(新しい)

秦 徳川家康・家光 徐福。。


>現在この「旧事本記」をどのような形で世間に出せばいいのか富士宮様と検討中なのです。
>出版社とも相談しましたが、その量は膨大なもので、全てをコピーするだけでも100万円程かかります。
>お金がない私達にとってとても不可能なこと。悩んでおります。
>文部科学省からは無理解のため一銭の援助もありません。


あはっぴかぴか(新しい)あせあせ(飛び散る汗)ぴかぴか(新しい) なぜか私の元には良く似たお話が届いたりします^^;

みなさん、出そうにも打ち出してみてもどこも通らなく、お金もなく、途方にくれている。。

というか、考え中のかたばかり。。

そんな方々向けに動こうとひそかに準備中です。

わたしでお力になることがありましたら、ぜひ、お声を掛けてください。

神の御心と時節もあるかとは存じますが、みなのアイディアを集めて動く時かと存じますぴかぴか(新しい)晴れぴかぴか(新しい)


想いが誠で、世によいものなら、時を得てして どの道を選んでも 通りますぴかぴか(新しい)

がんばってくださいぴかぴか(新しい)晴れぴかぴか(新しい)


黒瀧山不動寺.

実は以前より届いているお名前でしたが・・・

機会が訪れた際に、参りたいと思います。(いまはうごけません^^;)

深い内容ありがとうございます。

ぴかぴか(新しい)深謝ぴかぴか(新しい)


PS

はなしはかわりまが、6の意味をご存知でしょうか?

わたしもはっきりとすべてはわかっておりませんが、大事なことかと存じます。

よろしくおねがいいたします。

かしこ ミラム拝
地元県でしたので

行ってみましたが・・・途中で挫折

「馬の背」

高い所苦手は方は無理しない方がいいです(素の感想

急勾配な所ですので

体力も多少は使います

登山靴買って後日登山してみます(本日の気温6〜8°でした
何度もしつこくすみません。

亞の字さんはやいですね。
「馬の背」のあんな危ないとこまで行かないで手前の開山堂迄でよろしいかと思いますが、馬の背に乗るのが一番早道なのが確かのようですが。

一つ言い忘れた事があります。

黒瀧山不動寺に中曽根前首相が残した歌碑がありました。

   天の川 

  我がふるさとに

  流れたり      
              
   

中曽根さんはしってたのだ。

黒龍山不動寺の本堂の裏には御本尊の不動明王さんが瀧に打たれている。
行ってみると瀧の水が枯れている。

私も一句駄作が出てきた。


 不動瀧

  水がなくなり

  龍となる

                   君寧


お恥ずかしいしだいで。 バイバイ冷や汗あせあせ(飛び散る汗)
大成経ではないのですが、旧事本紀10巻本が、現在発売中の「歴史読本」で特集されています。

旧事本紀に関しては、長くなりますから、またいろいろと感想を書かせて頂きます。

ものすごく、深いものがあります。宮藤斎臣という先生がかつていらっしゃって、私たちの研究グループにも、大成経には、長年深く関わってきたメンバーもいます。

いろいろと神事というか、こういう事は繋がっているのです。

また、ひふみ神示の天授者の岡本天明先生は、旧事本紀10巻本は、お読みになっていました。

「二十五有法」という、ひふみ神示の言葉は、旧事本紀10巻本の中に出てくるものです。

いわゆる「未然本紀」を含めて、これからもクローズアップされてくるものでしょう。

らもう先生

話しがごちゃごちゃになってすみません。黒瀧山と富士宮様のとこの旧事本記の話しは全く別の話し。
ただ富士宮様の所のは皇室が正式に秦河勝のご心霊を呼び起こして書き綴ったと言われてました。凄い事を皇室はされるものかと思い報告した次第です。
富士宮さんのとこに行ってその光臨した時期を確認してきます。もし昭和19年ころでしたら大事件になります。リークした事になります。こちらのは昭和天皇がされた事なので本物である事は間違いありません。
旧亊本記の混乱は江戸時代に豊島屋という出版社が「大成経旧事本記」というかなりいい加減な写本を発売し。伊勢神宮からクレームがつき発売禁止となったことが原因だと思います。この「大成経」が付いたものはみんなインチキ本だと思います。それで皇室が著者の秦河勝をよびおこしたのでしょう。
直筆は大化の改新で蘇我蛦蝦夷が燃やしてしまいましたのでそんざいしてません。

黒瀧山不動寺の話しになったのは、徳川家光が黒瀧山不動寺に隠してあった旧事本記を没収して江戸城に持ってきたという記録があり、その事実確認に寺を訪れたのです。
そして住職と話し込んでいく内についに寺にまだ旧亊本記がある事を突き止めました。それでこんな山奥に住み込んで守っていたのでした。
ただ住職さんが口を滑らされて言った事。深く入らないほうが良いと思います。それで住職さんは資料には江戸時代のインチキ本「大成経」の写真を載せてますが、明らかに寺にあるのは違います。だって家光の時代には「大成経」は出版されてませんでしたから。

これにこだわる必要はありません。寺の奥に進むと分かります。菊の紋と葵の紋が並んだ開山堂がたってます。その場所は「馬の背」と呼ばれてます。
この寺は徳川の隠し寺。徳川家光はここに聖徳太子の編纂された「旧亊本記」を封じ込めたのでした。

何故だろう。その理由は聖徳太子がこの場所で「旧亊本記」を解かれたのが分かりました。聖徳太子は厩橋(前橋)におりました。直ぐ近くです。
私が訪問したのは前橋で聖徳太子祭りがおこなわれていた10月22日でした。聖徳太子がお生まれになった厩橋(前橋)では聖徳太子の誕生日の節分と10月22日は妙安寺の聖徳太子堂に集まり、太子の教えを学びます。その帰り道によったのです。

2回目の浅間明神会の皆さんとの訪問で大変な事が起こりました。
同行した秋元さんに「ニギハヤヒ」が光臨したのです。突風吹き荒れもの凄い状況の中何がおこったのかと思ったら、秋元さんが岩戸の前で泣き崩れており、「涙が止まらなくなってしまいました」といって立ち去ったのです。
後を追うと一つの石碑の前に立ちすくんでました。するとOさんが「あら何これ。ニギハヤヒって書いてあるわよ」と。

秋元さんは厩橋城の城主の子孫です。ちょうどその頃前橋市内では聖徳太子祭りも終わり、「秋元祭り」がはじまろうとしておりました。
いずれ秋元さんの口から「ニギハヤヒ」が解かれるものと思います。

そして重大な事がわかりました。
聖徳太子は黒駒に乗り天に昇った、という話しがあります。これは今迄は聖徳太子が黒駒にのって富士山に登った。と思われていました。
真相が分かりました。
太子が乗ったのは黒瀧山の馬の背。そこに行き天に昇り「ニギハヤヒ」を手にいれたのです。それを説いたのが旧亊本記だと分かりました。

それで皆さんにひふみ神示を学ぶのも大変かと思い、手っ取り早く太子と同じに馬の背に乗り、天に昇って「ニギハヤヒ」を手にされたらいかがかと思いご案内いたしました。
亞の字さんが本当の馬の背にまで行かれたようですが、これはもの凄く危険です。岩戸ひらかれる時すっ飛ばされそうな風がふきました。別の天に昇ってしまいます。私は開山堂の裏にある開山された潮音道海禅師のお墓の場所で良いかと思います。
危険な場所ゆえ気お付けてください。

                              君寧
基本的な質問ですが、【旧亊本記】と【ひふみ神示】がどういう関係なのか、

私は知らないのです。教えていただければ幸いです。

先代旧亊本記というのは、物部氏の系図が書いてある、

いわゆる【古事記】とは違うもの、と言う認識しかありません。

私が勘違いしているのか、日月神示と、どういう関係になるのでしょうか?
うーむ、生長の家の谷口まさはる氏が書かれた【古事記と現代の予言】と言う本を

持っています。やっぱり予言でんでしょうかね、詳しく読んでいないでつ。猫
らむうさまの感想、とても楽しみです揺れるハート

古来の文献って、なぞがいっぱいで何気に好きだったりします。

あぁ、考古学に進めばよかったっあせあせ(飛び散る汗)


古来の言霊には、時やその他心根や開き度合い、理徳(解く)の姿により

いろいろな詠み解きができるようになっているようです。

とくにひらがな、またオシデ文字などのほか、古来のマツリゴトを治めるものが

必要な時に書いた各神代宇宙文字(お伊勢さんなどに納められています)などは

どんどん波動音になっていきます。

波動を読む=いろいろな読み解きへとも繋がるようです。

そして、全世界での今現在の唯一の共通語は数字です。

読み音はちがっても、12345678910の数は同じです。

数字は文字よりも、もっと多くの情報をこめる事が出来ます。

読めるものには読めるその道理があります。


以上の点で、ひふみ神示も最初、

数やわからない文字で降りたのではないかと思われます。


って、な〜んでこれ かいているんだろうぴかぴか(新しい)あせあせ(飛び散る汗)ぴかぴか(新しい)


そだ。予言の言葉を見てからだ^^;

なにはともあれ、古来の文献は奥深いでしぴかぴか(新しい)富士山ぴかぴか(新しい)
富士山瓊瓊杵さん。

浅間明神会の今後の動きが大変楽しみですね。

黒瀧山不動寺の事は、私も初耳の事が多いので、今後も宜しくお知らせ下さい。

ひふみ神示とも「霊的な関係」がある、としか今は申し上げられませんが、今後の推移らよっては、より深い神的な関係が解明されるかも知れませんね。

極めました。

神は波動。教えはニギハヤヒです。

黒瀧山は三蔵法師のお寺です。法師の探し求められた神典「ニギハヤヒ」はここにあります。

聖徳太子もここでニギハヤヒを手にいれました。

孫悟空になって行って、波動を受けて下さい。

私のような八かいでもいけました。ブタ

さあ亞の字さんに続いて下さい。行けばわかります。
> それ故、ひふみ神示の原典と言わして頂きました。

にゃるほどー、、秦川勝のご降臨??とリーク・・・・

うーむ、聖徳太子は【平将門】と【ヤマトタケル】の丁度中間なんですよ。
私的な歴史観によりますと、ヤマトタケルが【火】の種で、それを実現
したのが【水】のハタラキをした聖徳太子です。
で、その【太子】からできてきた【律令制度】をぶっ壊して、坂東武者の
時代の【火種】を蒔いたのが【平将門】。でそのコンセプトを持ち、
鎌倉幕府の青写真を頼朝と政子に託したのが、【千葉常胤(ツネタネ)】。

スサノオ→大国主→国津神
ヤマトタケル→聖徳太子→律令国家
平将門→千葉常胤→鎌倉幕府
新田義貞→明智光秀(天海)→江戸幕府

これが私の観る、と言いましょうか探求させられている歴史の流れで、
【火水十字の法則】みたいな感じが歴史の流れにある、というのが持論です。

で、なぜひふみ神示のコミュの管理人をしているかと言いますと、
【天ノ日月の神】→【大国常立神】 が【火・水】の流れで、自分の
歴史観の最終章(最始点)みたいなところに存在しているからです。

【国常立】さまは【火】というイメージが強いですが、創り完成させたの
なら【水】のハタラキかもしれません。あるいは【イズノメ神】としてなら
大本的に【水】が理解しやすいかと・・・。

私がもし本を書くとしたらそのへんですね、【火水(カミ)】のハタラキ。
でも【土】と【光】も大事な要素ですね。そこを探求するのに、岡田先生
や、ニニギ様と出会う必要があるのかもしれないと感じます。

ちょっと、私なりにシナップスを繋げてみました。。<(_ _)>
シュバン様

さすが的を得てますね。

わたしは「天海上人」は織田信長だと思うのですが。証拠の数々あります。

天海上人は川越の喜多院にいたことになってますが、実際は世良田の長楽寺におりました。お墓はここにあります。

天海さんの命日からすると、明智なら117歳、織田さんなら100歳位です。

さらに明智は北朝です。小田、徳川が南朝で朝廷との繋がりのため明知を利用しました。

らもう先生には一度話した事ありますが、「ちょっと変だぞ本能寺の変」の物語があります。

また後ほど。
「ちょっと変だぞ本能寺の変」の物語。

また、日記でも拝見したいです。織田信長の首塚から始った、一連の当時のシンクロは、とても興味深いものでした。

富士高天原→大化の改新?→聖徳太子→南朝→後南朝→織田信長→徳川家康→明治維新→富士宮下文書と大本弾圧→現在→2012年?

の流れが想定?されますが、此の辺りの流れの検証を、富士山瓊瓊杵さんには、詳しく日記等でお願いしたいです。
わかりました。

早速今日写真アルバムで南朝物語が始まりました。

見て下さい。

本日のテーマは「宗良親王の寝床」です。

らもう先生ぜひ「お歌」をそえて頂ければと思います。

涙に次ぐ涙。南朝悲歌紙芝居が始まります。
> わたしは「天海上人」は織田信長だと思うのですが。証拠の数々あります。

うーん、証拠というより、織田信長が江戸幕府の青写真を創れる器とは思えない。
私の中では評価が低すぎるのでしょうか・・・。後ほど日記にも伺いいます。<(_ _)>
11/16 (日)

釣り鐘⇒開山堂⇒馬の背⇒栗山の名水⇒砦の湯

本日、馬の背に乗ってきました。

不動寺自体に着いたのが夕方で・・・
(本当は別の場所に行こうとしてたのですが、運命の分かれ道でコチラを選んでしまい・・・)
鐘を鳴らし、ヒビキサメヤラヌ内に開山堂へ、
そしてなんとかヒがオチル直前に馬の背に乗る事が出来ました。
乗っていた時間はわずか数分、みるみるうちに辺りが霧に被われはじめ、
ヒもオチテ暗くなりだしたので、早々と退散しました。

その後近くの湧水、栗山の名水を汲ませて頂き、上増田温泉、砦の湯に浸かり、東京まで戻ってまいりました。

ここで言うニギハヤヒとは十種の神宝、数霊 ヒフミヨイムナヤコトとは関係ないのでしょうか?

そして次訪れるべき場所をおススメください。 アリガトウゴザイマス。 ン

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