ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ひふみ神示コミュのTHE・岡本天明先生

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
さて、いよいよ真打に登場していただきましょうか。
そもそも日月神示を降ろされた岡本天明氏とは、いかなる方だったのか。
このトピックではソコを掘り下げてみたいと思います。
以下は『いけいけ日本探検隊』というサイトからの引用です。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~ikeike/

1.岡本天明の生い立ち

 岡本天明(本名・信之)は明治30年、岡山県の豪農の次男として生まれた。幼少期から霊的な素質があったようで、神霊の声が聞こえたり、見知らぬ老人の姿が見えていたという。天明17歳の時、父親が事業に失敗して破産したため、中学を中退し神戸に移住する。神戸の地で画家としての才能に磨きをかけ、三宮で初めて個展を開くと「天才少年画家あらわる」と新聞で騒がれたりもした。その後上京し、苦学しながら明治大学に入学するが結局中退する。北海道の炭坑夫となったり、東海道五十三次を無銭旅行したりしながら、画業の研鑚に励むが、霊的な体験も数多くしたという。

2.大本教との出会い

 天明が霊の世界と大きく関わっていくきっかけとなったのが、大本教との出会いであった。当時の大本教は出口王仁三郎を中心に「立替え立直し」と呼ばれる地上天国を開くための大運動を展開し、精力的に活動していた。天明は誘われるまま公開講座に参加し、講演を聞き終わる頃にはすっかり大本教に傾倒していた。入信した天明は大正9年、大阪にあった大正日日新聞社に入社し美術記者となった。この新聞社は大本教が買収し、社主には出口王仁三郎、社長は心霊研究第一人者の浅野和三郎で、社員のほとんどが大本関係者であった。仕事が終わると社員一同で「鎮魂帰神法」(ちんこんきしんほう:意図的に神がかり状態を起こさせる習法のこと)を実修し、もともと霊媒体質の天明はたちまち霊現交流の力をつけ、霊的能力に磨きをかけた。

 大正10年第1次大本弾圧事件が起こり、大正日日新聞社も身売りし、大本とは無関係となった。天明も退職しいくつかの新聞社を渡り歩くが、大本は弾圧にもめげず人類愛善会を発足、月刊人類愛善新聞を刊行した。天明は親交のあった出口日出麿(王仁三郎の後継者と目されていた人物)から懇願され編集長に就任し、以後王仁三郎の厚い信任を得るようになり、文才もあったため代わりに原稿を書くこともたびたびあったという。

 昭和10年、日本近代史上最大の宗教弾圧となった第2次大本弾圧事件が発生する。幹部は軒並み逮捕され、神殿も破壊された。人類愛善新聞も廃刊に追い込まれる中で、天明は取り調べを受けただけで逮捕は免れることができた。その後、天明は友人の代々木八幡宮宮司の紹介で、千駄ヶ谷の鳩森八幡神社の留守神主をすることになる。

3.「日月神示」

 昭和19年、修史協翼会(天明が主宰した古代史の研究グループ)の会合で、フーチ(注)の実験を天明も含め10数人で行なった。
(注:中国に起源を持つ占いとされ、10cmほどの厚さに砂を敷いた砂盤の上に、T字型のチボクをわたし両端を2人の霊媒が持ち、招霊の儀式を行なうと、自動的にチボクが動き出し砂の上に文字を描き出すという、自動書記現象のこと)
実験開始後数分で、砂盤の上に「天 ひ つ く」の文字があらわれた。その後何組かが行なったが、同様に「天之日月神」と示されるのみだった。数日後、参加者の1人から天明に千葉県に「天之日津久神社」があるとの連絡があり、約2ヶ月後天明はその神社を訪れることになる。

 参拝後、突如額のあたりが熱くなったと思うや、右腕に激痛が走り、何か書かずにはいられない衝動におそわれた。当時、画家である天明は、絵筆と画仙紙を持ち歩く習慣があった。そして、持っていた絵筆を右手に握ると痛みは消失し、代わりに自動書記現象が始まったのである。意識ははっきりしているにもかかわらず、右手は別の生き物のように、猛烈な勢いで数字やひらがな記号などを書いていく。これが、のちに「日月神示」としてまとめられた神示の初発である。以来、この自動書記は16年にわたり断続的に続けられたが、当初は記した天明でさえ読むことができず、仲間の神霊研究家の手を借りて徐々に解読していき、全38巻の「日月神示」が完成した。

 「二二八八れ十二ほん八れ Θの九二のま九十のΘのちからをあら八す四十七れる」(Θは<○>の中央に<、>)と書いて「富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力をあらわす世となれる」と読む。これが「日月神示」(あるいは「一二三」(ひふみ)と呼ばれる)の冒頭の1行目である。その内容は言霊・数霊(かずたま)・古神道の奥儀に関するものが数多く含まれており、さらに将来にわたる地球的規模の危機を救うためのメッセージが隠されているという。

満月鳩森八幡神社のトピック
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=35770194&comm_id=263044

コメント(9)

4.至恩郷の創設

 「日月神示」を取り次いだ後、天明は神主職を辞し、昭和22年に宗教法人「ひかり教会」(至恩郷の前身)を創設し活動したが、その後岐阜へ移住し大病を患った。完治後の昭和30年大本関係者の招聘により、三重県菰野町に移り住んだ。そして「至恩郷」と名づけたこの北伊勢の地で、錦之宮の辻天水とともに、大本裏神業と深く関わっていくこととなる。(大本裏神業については<錦之宮>の項で詳述)
晩年の天明は、クレパス画や水墨画など様々な作品を描き続け、昭和34年には東京で第1回クレパス画展を開催。大阪ニューヨークなどでも個展が開かれ、画家としての名声が広まった。昭和36年からは残りの人生を燃焼させるかのように画業と神業に打ち込み、昭和38年65歳でその数奇な生涯を終えた。

5.至恩郷の現状

 天明亡きあと妻である三典氏が至恩郷を主宰し、2ヶ月に1回発行の「至恩通信」を刊行している。

[お問い合わせ先]

 【至恩郷】 三重県三重郡菰野町5833−2 
 【天之日津久神社】 千葉県成田市台方字稷山 麻賀多神社内の末社

【参考図書】
「月刊ムー 1995年3月号」(学習研究社) ・ 「日月神示」 中矢伸一著(徳間書店) ・ 「日月神示はなぜ岡本天明に降りたか」 岡本三典著(徳間書店)  

-----------------------------------------
以上の文章は、サイト『いけいけ日本探検隊』の管理人さんから、許可を頂いての転載となりました。惟神旅行記の≪至恩郷≫というページを丸ごと転載です。ありがとうございます<(_ _)>
http://www5a.biglobe.ne.jp/~ikeike/sub3-7-1.htm
シュパンさま の管理人 御苦労さまです┌<_*_>┐
ありがとうございます ┌<_*_>┐

<関連リンク集>でございます<(_ _)>

☆岡本天明−Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E5%A4%A9%E6%98%8E

☆至恩郷 詳細
 http://www.rirc.or.jp/data/output.cgi?id=99021805

☆岡本天明を巡る人々
 http://sumeramichi.net/soutei/tenmei.html

☆関係書籍集
 http://astore.amazon.co.jp/asceleadsalo-22/503-9712024-7594332?%5Fencoding=UTF8&node=5
天明展だそうでつ。。猫 絵画展だと思います。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=20615399&comm_id=1001236

たぶんシュバンも行きます。

場所は渋谷。14日(土)〜16日(月)の3日間。
岡本三典さん(天明氏の奥さん)もいらっしゃるとのこと。

本日行って参りました↑。。猫

三典(みのり)先生は、91歳だとおっしゃっていましたが、
背筋もピンと伸び、笑顔がとても輝いていました。
お友だちにこうおっしゃっていたんですよ。

「これまでは160歳まで生きられるって言ってたけど、
 今は200歳よ〜るんるん

超ビックリでつ。。わーい(嬉しい顔)

その他の報告も後ほど。。猫
岡本天明作、【三貴神】です。

左から天照さま、素戔嗚さま、月読さま。

素戔嗚さまは、なぜか『生まれ赤子』を抱かれています。

この三貴神の絵が、一番重要度が高いと感じました。

あと、イザナギ・イザナミさまもいらっしゃいました。
らむう先生の日記から転載させていただきます。
電球
-----------------------------------------------------------
「共感覚者・岡本天明先生と日月神示の色霊学」

☆「共感覚」、この言葉も最近かなりポピュラーになってきた。

☆「共感覚(きょうかんかく、synesthesia, synasthesia) とは、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。例えば、共感覚を持つ人には7という文字に青い色を感じたり、音階のミの音に緑色を感じたり、ハンバーグの形が苦い味に感じたりする。 英語名 synesthesia は、ギリシア語で共同を意味する接頭辞 syn- と感覚を意味する aesthesis から名づけられた。感性間知覚。」(ウィキペディア)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E6%84%9F%E8%A6%9A

☆歴史上の有名人にも、「共感覚者」は沢山いる。

オリヴィエ・メシアン(作曲家) スティービー・ワンダー(音楽家) ワシリー・カンディンスキー(画家)アレクサンドル・スクリャービン(作曲家) レオナルド・ダ・ヴィンチ(美術家) ウラジーミル・ナボコフ(作家)リチャード・ファインマン(物理学者) 宮沢賢治(詩人、童話作家) アルチュール・ランボー(詩人)ニコライ・リムスキー=コルサコフ(作曲家)etc.

ランボーは、「A は黒、E は白、I は赤、U は緑、O は青」で始まるソネット『母音』を残しており[3]、しばしば共感覚の証拠とされる。 これがランボーのイマジネーションによるものか実際の感覚であったかは不明である、とされる。

☆「神経学者のリチャード・E. シトーウィックは、共感覚の診断のために用いる基準を以下のように決定した。
1. 共感覚者のイメージは空間的な広がりをもち、はっきりと限定されたロケーション(位置)を特定できることが多い。
[訳註]共感覚者は空間的なイメージの中で、自分の位置している場所がはっきりと分かる。
2. 共感覚は無意識的に起こる。
3. 共感覚の知覚表象は一貫性がある。
4. 共感覚はきわめて印象的である。
5. 共感覚は感情と関係がある。
シトーウィックは、空間の広がりを見据えた実験を提言したが、最近の多くの研究はこれを正しくないとしている。例えば、共感覚者の中には文字の色や、単語の味が「わかる」のであり、実際に視覚器や味覚器で感じているわけではないのである。」(ウィキペディア)

また、いわゆる「霊的能力」と「共感覚」の関係性についても、以下の様な見解がある。

「共感覚の研究により、霊能者が描写する現象も説明がつく。
 多くの自称霊能者は、人のオーラを感じると述べ、オーラを特定の人々が放つ色鮮やかなエネルギー場と描写することも多い。だが、ロンドン大学ユニバーシティー・カレッジ(UCL)の共感覚研究グループのリーダー、ジェイミー・ウォード博士によれば、知り合いに会うと色を感じる――感情と色の共感覚を持つ――人もいるという。
 「一部の人が持つ他人の色鮮やかなオーラを感じる能力は、はるか昔から民話や神秘主義のなかで重要な位置を占めてきた。……人間が、特別装備のカメラや訓練を受けた人にしか捉えられないオーラ、つまりエネルギー場を放っていると考える必要はなく、共感覚の現象が起きていると仮定すればこと足りる」とウォード博士は語った。」

http://wiredvision.jp/archives/200503/2005030901.html

岡本天明先生の絵を見ていると、特に色彩豊かなクレパス画について感じるのだが、そこに描き出されている世界が、「言葉」に対する色彩だったり、物に対する共感覚的描写だったりするのではと、以前から考えていた。

そして、上記の様に、霊能力と言われるもののある部分は、「共感覚」の領域で理解できるのでは、と考える。

しかし、岡本天明先生が感得していた世界は、この共感覚だけではとらえきれない深遠なものがあるのは確かだ。

最近子供達の共感覚を、素直に受け入れ理解する若い親たちも現れ始めているという。

そして、見えないはずのものが見え、聞こえないはずの音が聞こえる、その先には一体いかなる黙示的光景が広がっているのか、彼ら「越境者たち」を自分のこととして想像・理解することは、私たちのこれからのさらなる課題のように感じられる。

言葉、数、色、、形、それらに対する「霊的位相」を理解しようとする時、この「共感覚」の問題は、避けて通れない大きな課題であることは確かなようだ。 平成20年7月19日
-----------------------------------------------------------
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=874407957&owner_id=17790362


             
<岡本天明先生と大本裏神業>

このへんはらむう先生にしか語れないので、また登場していただきましょう。

--------------------------------------------------------------
裏側と言うと、大本系の「裏神業」にも関連が出てきそうな感じですね。

私は、龍神系では、大本の裏神業系で「錦之宮神業」などの三雲龍三氏が天授されたぴかぴか(新しい)「三雲龍三神示」(「龍宮神示」)と御神縁の深い、「真奈井龍神」と御神縁があります。

この「錦之宮神業」と言うのは、現在ある同名の団体とは、すでに霊的に断絶しています。かつて辻天水氏が主宰しておられた「錦之宮」が北伊勢菰野の地にあったことで、皇霊学者の武智時三郎翁がこの北伊勢に来訪され、それを追うように、岡本天明先生も「北伊勢」にやって来られ、「北伊勢神業」がさらに進展したのです。

言わば、第2次大本弾圧で大本を離れた神業者たちは、ある種の独自のネットワークを持っていたのです。

その中で「オリオンの三つ星」と大本で言われていた三雲龍三氏は、数々の韻律の整った神示群を、戦前に「錦之宮」の辻天水氏との共同の御神業として行っていました。

この三雲龍三氏は、丹後の比沼真奈井神社や琵琶湖、比良山などでの御神業を通し、「真奈井龍神」との御神縁を深めていきました。

惜しくも、終戦直前に中国で戦死しましたが、その御経綸の流れは、「明けの明星12月8日の仕組」として、「人類覚醒の神仕組」として、岡本天明先生の神様の流れの中にも、不思議な神仕組として流れていると言うのが、私の見解です。

実際に北伊勢至恩郷時代には、岡本天明先生は、「三雲龍三神示」を読んでいたと、当時の機関紙には書いてあります。

神磁場的には、「丹後半島」が、大本系では龍神系では大切な場所です。
いわゆる「タニハ」の仕組ですね。

国祖国常立太神の御肉体として、龍体列島日本を考える時に、この「丹後半島」をどう御経綸的に位置づけるかは、重要な課題です。

この真奈井龍神は、国祖国常立大神の御顕現する「井戸」として掘られた、淡路島の神代村の「元井戸」の御神業にもつながっていきます。この井戸を掘るように出口王仁三郎聖師から密命を帯びたのが、淡路四州園の古代イスラエル遺跡発掘にも尽力した、武智翁に娘婿の白山義高氏です。

さらに、この神的流れが、錦之宮でお祭りされた「茜(あかね)大神」へと、御経綸的に進展していったのです。

その流れの中に、武智時三郎翁と岡本天明先生の「真釣り合わせ」の御神業によって遂行された「北伊勢神業」がある点は、銘記しておくべきことです。

武智時三郎翁が、神づさんだという神歌があります。

クローバー『神代より流れ尽きせぬ長良川美濃尾張経て伊勢に入るかも』ぴかぴか(新しい)

この神歌の持つ御神意は、これから2012年に向かう神様の大きな流れでもあるのです。
クローバー左の写真は、左が武智時三郎先生。右が岡本天明先生。中央は、広島の佐藤氏。
ちなみにこの方は、天明先生亡き後に「御神示」を出されていましたが、惜しくも若くして亡くなられました。

クローバー左の写真が、大本で「オリオンの三星」と言われていた、三雲龍三氏。
「龍宮神示」あるいは「三雲龍三神示」と言われている「幻の神示群」を、戦前に発表していました。この方も惜しくも若くして、中国の上海で、戦病死されました。るんるん

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ひふみ神示 更新情報

ひふみ神示のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。