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生活保護者の集いコミュの自立支援粘るしか 「10年以上」4割壁は高く

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https://www.yomiuri.co.jp/local/kanagawa/feature/CO050532/20210624-OYTAT50156/


 京浜工業地帯の中心、川崎は戦後、働く若者であふれた。中には、けがや人間関係など様々な理由で仕事を、ひいては住まいを失う人もいた。一時は1000人以上が市内の公園や多摩川沿いに住み着き、一部は今も暮らす。




巡回する場所を歩く吉沢さん。この橋の下で10人くらい生活しているという(川崎市で)
 「ホームレスは頑固な人が多いですから……」。元ホームレスの吉沢清さん(64)は今、路上生活者を訪ねて歩く。食べ物を渡し、天気や体調など何げない会話の中で困りごとはないかを聞く。大事なのは、声をかけ続けることという。「施設への入所や就職など、支援を押しつけても嫌がられるだけ。あとは本人の気持ちの問題で、じっくり待つしかないんです」

 都内の中学校を卒業し、働き始めた。だが、職場の人間関係の不満をパチンコで解消するうちにギャンブル依存症になった。40歳代の頃、「一発逆転を」と職場の金に手を出して負け、川崎市中原区の多摩川の橋の下に住み着いた。

 拠点を東京都大田区の道路沿いに移して缶集めを始め、川崎区の業者まで自転車で売りに行った。大田区で資源ゴミ持ち去り対策が厳しくなった頃の記憶がある。「警察に怒られ、親子連れからは冷たい目で見られるんですが、生きるために必死。住民に20分謝り続けたこともあります」

 東京での五輪開催が決まって立ち退きを迫られ、大田区内の簡易宿泊所へ。川崎市の依存症回復施設を経て、今はアパートで一人暮らし。生活保護を脱しようとアルバイトもしている。同じ立場だった人の言葉は伝わりやすいだろうと、2年ほど前から支援団体を手伝い始めた。

 巡回していて思う。「共通しているのは、人との交流、集団生活が苦手。でも、自分もそうでしたが死ぬ勇気はない。社会に戻らなくても野宿のまま何とかなるんではと考えちゃうんです」



 今年の厚生労働省の調査によると、市のホームレス数は大阪市、東京23区、横浜、福岡市に続いて全国5番目。川崎市には1月時点で182人おり、96%が男性だった。半分は川崎区に住み、全体の3分の1が多摩川沿いで暮らす。

 それでもピークの2003年の1038人から見ると、約2割に減った。市が、1990年代の食料支援から、2004年に「路上から切り離す」支援に転換したのが功を奏した形だ。市は今年度、自立支援施設や相談事業に計約4億1000万円を充てる。この額は過去最高だという。

 逆に言えば、182人の多くはそこから漏れた人々だ。02年の記録で市内のホームレスの平均年齢は56・6歳だったが、16年は62・3歳と高齢化が進む。10年以上路上で暮らす人は4割近くにのぼる。

 なぜ路上に居続けるのか。3000人以上のホームレスと話をしたという支援者は「10人いれば10人の背景がある。ギャンブルやアルコール依存症、地方出身や在日などルーツゆえの差別、家庭環境、失業、人間関係に苦しんだ人も多い。知的、精神障害など内面的問題もある」と明かす。

 だから、自立を支援する施設に入っても4割が退所していくのが実情だ。市の調査で今後について聞き取ると、「路上生活のままでよい」が37%と最多だった。「行政への拒否感や、施設での生活を拒む人も多い。地道に声を掛けて信頼関係を作り粘り強くやるしかない」と市生活保護・自立支援室。自立の前にある“壁”は、想像以上に高いようだ。

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