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セカイ系カップルコミュの情報&考察

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このままだと寂しいので、
一応セカイ系について書いてあるメディアの情報を。

11月9日の読売新聞夕刊6面に
西尾維新氏の戯言シリーズが取り上げられています。
そこにセカイ系の単語が。
用語の解説として、
「恋愛などの日常と、世界滅亡などの大状況が、
無媒介に直結するような世界観を持つ作品群」
と書いてありました。

日常の定義がなされていないので、
自意識セカイの日常なのか、
社会的な日常なのかが曖昧ですね・・・。
はてなの定義だと前者なんですが。
(そしてどちらがより萌えるかと言われたら、
私は前者を選んでしまう)

他にも情報をお待ちしてます。

コメント(4)

「はじめまして」のとこよりこっちの方がいいと思うのでカキコします。

視点が主人公以外でセカイが描かれている作品は、「セカイ系」というものからはみ出してしまうんじゃないでしょうか?

セカイ系というからには、やはり誰かしらの意識の中の「セカイ」を描かなければいけないわけで、その誰かというのは当然主人公ですね。

で、主人公の意識内の「セカイ」を示すためにはどうしても主人公の心理描写を中心にせざるをえないでしょう。

一般的なセカイ系作品の主人公を脇役においた場合、そのキャラの印象としては

「根暗で社会性が欠け勇気もないオタク男」

というレッテルを貼られること間違い無しです。

要するに
「主人公になれそうもない男が主人公として祭り上げられる」
というのが世界系の主人公でしょう。

現に、主人公よりヒーロー的な存在がほとんどの作品で登場しています。

こんな人間が主人公になるのは、
「誰でも自分の人生においては主人公であるはずが、どうもそうではないように感じられる劣等感の裏返し」だからではないでしょうか?
というのはすこし考えすぎでしょうか?



設定的にも世界観的にも
「恋愛などの日常と、世界滅亡などの大状況が、
無媒介に直結するような世界観を持つ作品群」
という読売新聞的セカイ系に分類されるであろう作品

「天空の城 ラピュタ」

がセカイ系であるという話は聞いたことがありません。
これは主人公のパズーがヒーローらしいからでしょうか?

それともやっぱり「ラピュタ」はセカイ系ですか?


まあ、僕は読売新聞の解説に問題がありありだと思うんでセカイ系ではないと思いますが・・・。
書き込みありがとうございます。

視点の問題に関して。
「意識内=セカイ」なので、それを書く為に主人公視点が必要になってくるようですね。
社会がすっぽ抜けているのだから、三人称視点で書く必要がなくなったというのもありそうです。

ただ、セカイ系小説を「厳密に」画像化した場合、ファーストパーソン・シューティングゲームの視点仕様でゲーム・マンガが作られなくてはならない筈ですが、
そうなっていない事を考えると、文と画の表現方法の違いが浮かび上がってきます。
(一人称の小説における、「主人公がまったく感知しない事」を如何に書くか等)

試しに、三人称視点で主人公を書けば、辰巳さんがおっしゃる通り、
「根暗で(略)オタク男」であり、
ほとんど「外面的に動作ない」人物です。

「自分のセカイ」だから「主人公は自分である」んでしょうか。
エヴァンゲリオンが放映されていたのと同時期(1995年前後)、
「自分の人生は自分のもの・主人公は自分」と叫ぶアニメや小説、声優ソングが多かったように記憶しています。スレイヤーズは特にそうかと。
その流れで「自分」が主張する意識が作られたのではないかと思っています。
1990年代は一応「努力」も叫ばれていたように感じるのですが…。
流れ流れて、「主張的な自意識」だけが残ったのかと。
(余談:「努力して打破する」作品は少なくなっていると言われているらしいです。
ジャンプ作品が顕著で、最近の作品は「危機的状況に陥った場合、元ある才能が開花していく」だけだと)

そうして、
>「誰でも自分の人生においては主人公であるはずが、
>どうもそうではないように感じられる劣等感の裏返し」
でジャンル「セカイ系」が作られたのでしょうか。


読売の解説は…、正直自分も違うと思ってたのですが、
「新聞」という(オタクに染まっていない/ただし最近の読売は偏ってますが)メディアで報じられていたので載せてみました。
言葉は本来の意味を変化させて広がる可能性があるので、
メモ書きとして載せておきたいと思います。


天空の城ラピュタがセカイ系の可能性!
おもしろいですね。
うーん、私は「セカイ系ではない」気がします。
やっぱり「ヒーローらしい」が分かれ目なんでしょうか。
最初から行動力ありますし、自分からヒロインに寄って行ってます。
それと、「人に頼む」動作が一直線にできています。
(セカイ系の住人はおちゃらけやクライマックスでしか
「謝る」「頼む」動作をしない気が)

あと、パズーの視点が何を見ているかに寄ると思います。
パズーが「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」と思いながら、
思考の8割がシータでなく自分の事を考えていたと仮定するなら、
ラピュタはセカイ系かもしれませんね。
キールさんの考察読ませていただきました。

確かに都市化による共同体意識の低下は存在しますね。

そして自分の趣味・嗜好による共同体の中で「気遣いをしなくても話の通じる仲間」みたいな社会性があまり必要のないコミュニティーを形成している風潮も感じます。

さらには核家族化、共働きの増加によって、もっとも根本的な社会である「家庭」の中にすら個人主義を持ち出されるようになった時代です。

そんな家庭に育った子供がセカイに閉じこもってしまうのもある意味し方のないことなんでしょうかね?


>昨今の萌えブームの影響で女性キャラやヒロインが活躍するのが当たり前ですからねぇ。
そうなると、強い男性キャラや主人公は必要ないし、そうやって去勢された主人公は、等身大的になって読み手との親和性も高くなり、感情移入もしやすくなる・・・。

について、
最近の流れとして、何か事件があったり闘いがあったりするとき、中心となって解決しなければいけないのはヒロインですね。
主人公は傍観が基本。
まれに手助けするときもありますが・・・。

で、ここで現実に(ありえませんが)同じシチュエーションになったとき、自分はどうなのかと置き換えて考えると、やっぱり主人公のような行動をとる(何もしないのも含めて)だろうと思います。
むしろ、主人公結構がんばってるときもありますしね。

そういう点では主人公はあくまでリアルなんですよね。
対してヒロインは非常に非現実的な存在なんですよ。


「自分」の周り(セカイの中)はどこまでも現実的で、その外で起こることはどこまでも非現実的」

そのギャップの激しさが「セカイ系」の特徴でもあるんでしょうね。

例えば、ヒロインが「天性の才能を持ったアスリート」で世界の強豪と戦う。
程度の非現実さではセカイ系とはなかなか思えないですしね。


で、「現実と非現実」が共存するのが携帯やインターネットの世界ではないかと。
ディスプレイの中で起こっていることはバーチャルだけども、それを見て端末を操作している自分はリアルである。

なんだか「はてな」のセカイ系の定義にも上手く当てはまるような気がします。


なんか無理やりまとめて関連付けた気がしますがどうでしょう?

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