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京都のロック喫茶コミュの初めてのロック喫茶

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生まれて初めて行ったロック喫茶は「ポパイ」
田舎から来た18歳の少年が裏通りをさまよいながら
やっとたどり着き勇気を出してユニオンジャックのドアを
開けるともう一枚ドアが、、(音もれ対策か?)
そしてそのドアを開けると大音量と客の視線がいっせいに、、
心臓ドキドキでやっとのことでコーヒー頼んで
1時間後に出て来た時はフラフラでした。

コメント(76)

ミューズは何度か行きました。
「ソワレ」「フランソワ」「築地」
「ラクンパルシータ」はよく行ってました
四条河原町周辺が私のテリトリーでしたから(笑)
名前のない喫茶店は堺町錦小路あたりだった?
イノダコーヒーの筋下がって、たどり着いたような記憶が、、
現「六曜社地下店」マスターOさんはシンガーソングライター
でもありますが、ここにいましたよね?
雑誌でコ−ヒ−特集する時は必ず載ってます。


ブルース、フォークがよくかかってた東山三条の「マッコールズ」
高田渡さんがここで初めてミシシッピージョンハートを
聴いたと言ってましたが
私もここで初めてビッグビルブルーンジーを聴きました。

少し年下の世代がよく行ってた「ドラッグストア」
私は行ったことなかったけど、よく名前は聞いた。
ジャズ喫茶ですが
四条小橋の「ダウンビート」
小粋なジャズがかかる素敵な場所でした
たしかワンスピーカーでしたね。
ここで常田富士男さんに2回遭遇しました。
三条本店もありました。
ポパイでかかるレコードはほとんど輸入盤でした
輸入盤の方が発売が早いし音質がいいと言う神話があり
輸入盤でしか手に入らないハードロックの名盤が多数ありました。
例えば「SIR LORD BALTIMORE 」「DUST」「 ELF」
「 BOOMELANG」「 BULL ANGUS」
などハードロックマニア睡髄の貴重盤がいっぱいありました。

高野電停前の「ジュジュ」何度か行きましたが
ある時友達と閉店までいてお金がほとんどなく
とりあえず四条河原町まで行けばなんとかなるので
行けるとこまでタクシーで行って後は歩こうと言うことになり
タクシーに乗り込むとラジオで連合赤軍のリンチ殺人のニュースが
タクシーをおりてえらい時代になったなあ、日本の未来はどうなる?
と泣きながら歩いたのが昨日のことのように思い出されます、、
あれから35年以上経過
それ以来ジュジュには行ってない。
始めまして
京都の70年代初頭を知る者です。

古株は「ポパイ」で、69年にはありました。明け方までやっていたので、明るくなってからよく鴨川の河川敷を歩いて帰りました。
レコードを大量に盗まれて、それが遠因で閉店してしまったと言うのはウワサ?

「縄文」ができたのは70年夏と思います。
烏丸今出川上ル。民家を改造した黒塗りの木造家屋だった。
騒音問題はどうしてたんだろ?
九州の方でコミューンを作っている「部族」系の人が経営してる、と聞いたような。
ポパイの都会的な感じとはちがった、手作りっぽい雰囲気でした。
電線を巻くでっかい糸巻き(ドラム?)をテーブルにしてましたね。
ここも73年くらいに無くなったかな?
80年代になってから、祇園の方で再開店したというウワサを聞きましたが、ほんと?

「だむはうす」は京大農学部前、できたのは71年かな?
ここのトイレは、入ると正面に落書きがあった。
・・・・・「よく来たな、まあ座れ」・・・・・
(しょうもないことしか覚えとらんバッド(下向き矢印))

あと、マップ、スタディールーム、ほんやら洞、名前の無い喫茶店、パレット、あたりもよく行きました。

だいぶ忘れてますんで、また思い出したら書いてみます。
ピコさんもっと思い出して下さい
私も思い出しました

捨得のテリーさんがやってた銀閣寺近くの『墳』
2度ほど行った記憶があります
旅館(遊廓?)みたいな雰囲気で音楽は流れてるのですが
ヘッドホンがあってそこからはまた違う音楽が流れてたような気が?
トイレは鏡張りだった?


縄文はたしかに電気コードのドラムのテーブルでした
当時けっこうそう言うの流行ってた
お金もなかったしどこかで貰って(拾って)きたんでしょう
それと外人さんが多かったと言う印象があります
ここにいたヒロシさんはのちに家業の?大工になり
私のレコ−ド棚をほとんど実費で作ってくれました
高さ160cm 幅180cm奥 行き30cm(感謝)
4回引越ししましたが(大変だった)
今もあります、ただレコードは売り飛ばしてだいぶ減りました。
墳は変な人もいました
クリシナ系?の坊主の外人や「われは宇宙より来る将軍なるぞ」という
完全にいってるフーテン?もいました。
友人と行ってそこを出てしばらくいくと
警察が乱入?危機一髪!と言う事もありました
あ、それからミューズ5月に閉店したとのことです
もう一回行きたかった。
思い出したこと少々。

「だむはうす」のイスはビールケースに薄い座布団乗せた物だった。

「縄文」のヒロシさんって、横幅の広めの顔で(失礼!)アフロヘアの人ですか?
「縄文」の店員さんで、細面でストレートのロングヘアを後ろで束ねていたユキさん(?)という人が
後に「パレット」をやっていたような記憶が。

「墳」は行ったことがあると思うけどが、あまり記憶に無い。
クリシュナ坊主が出入りしてる、という話は聞いたような。

えー、当時としては怪しい格好で街を徘徊していると、時々酔っ払いのおっちゃんに絡まれました。
「ねーちゃん、どっから来たん?、付きおうてや。」

で、私は「われは宇宙から来たりし姫なるぞ、頭が高ァ〜イ衝撃」と叫んで
煙に巻いて逃げることにしていました。
もし、私を見かけておられたのなら、「完全にいってるフーテン」ではございませんので爆弾

(いや、やはりこりゃ「完全にいってるフーテン」ですな)
ポパイの椅子も一部?ビールケースに座ぶとんでした
経済的な理由でロック喫茶はそういうの多かったです
私の知ってるフーテンは男性でした。
ヒロシさんは小柄だったような?
話変わりますがジャズ喫茶のブル−ノ−ト初めて行った時
(ポパイに行った3日後)
カウンターの奥の方に一見してその筋のひとが
座ってたので緊張して顔を見ないようにしてたのですが
帰る時マスタ−ごちそうさまの声に聞き覚えが、、
菅原文太さんでした(笑)
京都の撮影所で仁義なき戦いシリーズをやってる頃でしょう
円山公園音学堂でのフラワ−トラベリンバンドのライブ(1972?)
でジョ−山中が京都にはマップと言うロック喫茶があります
この曲は通称マップですと言って演奏した曲の原曲は
「クニ河内とかれのともだち」名義のアルバム『切り狂言』
の2曲目「人間主体の経営と工事」です
おれには〜ちずがないのさ〜♪ってやつです。

ジョー山中、そんなこと、言うてましたか???
私、全然、記憶ない・・・・。
・・・・あ、でも、そのコンサート行きました〜〜〜exclamation ×2
1973年4月ですぅ・・・・・。
おはようございます。

こんなブログを見つけました。

http://blog.goo.ne.jp/hwj-takahashi/d/20050119

円山野音と象
もしかして、これ???

http://www.youtube.com/watch?v=EDBdMnkcx0E&feature=related

どなたか、確認してください〜〜(願
73年4月?5月?その頃ですね。
私そのコンサートで受付の横でフラワーとゲスト(たしか?)
の藤舎推峰(横笛)のレコ−ド売ってました(
当時十字屋でバイトしてたもんで)
トイレに行くと言ってはコンサ−ト見てました。
youtube観ました!

象も写っているし、風景からしても円山野音で間違いないと思います。

しかし、こんな映像が残っているなんて…。

この次の年に同じ場所でキャロルとミカ・バンドのジョイントを観ました。
(1974年7月)
象さん、
やっぱり、そうですよね〜手(チョキ)
私も、めちゃ2、びっくりです・・・。
34年半もたってるのに、今exclamation、見られるなんて・・・。

私も、キャロル、円山野音、行きました〜〜〜ハート
あ、今、はっきり、思い出しました〜〜exclamation ×2

その前、1973年にキャロルがフジダイの屋上でライブやったの、行かはりませんでしたか??
ジョニー大倉失踪のときでした〜〜〜あせあせ(飛び散る汗)
おはようございます。

キャロルが藤井大丸の屋上でやったのは知りませんでした。

女性のツインヴォーカルになった、ジャッキー吉川とNEWブルーコメッツは
観たことあります(笑)
他のロック喫茶のコミュの書き込みに閉店ソングのことが
書いてありました
そういうのがあったのかなあ?
デパ−トなんかは閉店でテ−マ曲とアナウンスがながれます
私がバイトしていたレコ−ド屋では蛍の光のレコード最後に流してました
私が係でした(笑)
ロック喫茶の場合は閉店時間遅いし残ってるのはたいがい常連なので
そんな必要はないと思うのですがやはり儀式としてなのか?
自分だったら何かけるかなあ?
ドアーズのジエンドだと重いし、、長いし、、聴き入ってしまうかも
皆さん、どんな曲がいいと思います?
ロックじゃないけど
BALビルの近くにあった「カーネーション&カーネーション」
ソウル専門っていうかディスコ全盛の頃?
ブルースやサザンソウルの輸入盤置いてあったし
ソウルの専門誌も充実してた
出来たた当時よく行きました
アフロヘアーの店長は今どうしてる?
ケーキ屋さんの2階でしたっけ?

何回か行ったことがあります。
ロック喫茶とはまたちがった選曲で、
客層もファッショナブルだったような気がします。
あ〜〜〜、なんとなく、覚えています・・・・・が、
時期は、もうちょっとあとではないでしょうか???
1975年頃?
ここの店長そのあとパンプキン&パンプキン
(記憶違いかも知れませんがそんな名前)
をオ−プンしたと聞いてます
たぶん?勘違いかな?
「ザコ」ってブルース喫茶いまでもある?
移転したって言う噂も耳にしたけど
健在なのかな?
今から35年位前バイトのレコ−ド屋の帰り
四条河原町を歩いていると
歌声喫茶『炎』の階下でいかにも純朴そうな高校生2人が
どうする?と言い合ってる
どうしたと聞くと修学旅行の自由時間で入ろうか入らまいか
迷ってると言う
そんなとこ行っちゃあ将来ろくなもんにならない
これからロック喫茶に行くからついといで
コーヒーくらいおごってやるとポパイにつれて行きました
40分後集合時間があるからとフラフラになって出て行きました
人助けしたつもりが、、あの高校生のその後が気になる
青森だか秋田だか?忘れた。
ジャムハウスにはたまに有名人が迷いこみました
城みちるがマネ−ジャーらしき人と一緒に来て
たまたま出たばかりのビリージョエルのストレンジャーかかってて
あ〜 ビリージョエルだ!と言ったので
アイドルのくせになかなかやるじゃん!と思いました。
松平健も「暴れんぼう将軍」始まったばかりの頃来ました
当時まだ23位生意気でした
マネージャーが顔見ないようにして下さいと言ったので
誰が見るかと無視しました
ハードロックガンガンかけて参ったか!と言う感じでした。
でも最近マツケンサンバを聞くと体が勝手に反応します(笑)
長谷川きよしもお付きの人と一緒に来て
帰る時ここはいいジャズ喫茶ですねと言われた
その時かかってたのはキンギクリムゾンの「太陽と旋律」
「ジャムハウス」や「饑餓」でものすごい可愛い美少女に遭遇
当時あんな可愛い娘はめったにいなかった
遭遇したくて通ったけどそれっきりでした
次に見かけたのはその半年後週刊プレイボ−イ(平凡パンチ?)の表紙で
風吹ジュンでした。
ものすごい柔和で腰の低い紳士が入って来て
帰ったあと他の客があれ若王子のマスターじゃない?と言ったので
テレビの新撰組の土方歳三役の栗塚旭さん?
イメージちがうなあ

こんばんは、初めましてです、、

かなりの亀レスですが、、↑のMOJOWESTのyoutubeひょっとしたら僕が写っているかもです、、わーい(嬉しい顔)

いやぁ、懐かしいなぁ、、、、

演奏していた曲は『HIROSHIMA』だったかな?


僕が覚えているのは、ミキサーが機器操作を間違ったのか途中でジョーの声が聞こえなくなって、ジョーが何回もミキサーに向かって合図を送っているのだけど気が付かなかったようで、ついにジョーが切れてしまい『ミキサーのバカヤロー』って叫んで楽屋に引っ込んでしまいました。

そうしたら、何故か内田裕也がステージに出てきて『みんなでジョーを呼ぼうよ』ってなノリで『What I say?』を歌い出し、、、、

例の『アーアア、あーああ、アーアア、あーああ、あ、あ、あ、あ、わぉー』のところでジョーが飛び出してきたと言う何とも演出くさい出来事がありました。わーい(嬉しい顔)
その場面うろ覚えですがなんとなく
多分その時会場のそとにいて内田裕也さんが何か叫んでたような、、
マイミクさんからの極秘情報
バタリングラムがすごい秘密の場所に復活してるという?
私も秘密の場所にロック喫茶復活するか?
自宅開放ロック喫茶?収拾つかん!

この記事と写真は必ずしも一致しません
未調査なので、、、
ずいぶん前のスレみたいですが、
昔、京都で浪人してた頃よく行った「ロック喫茶POP EYE 」をふと思い出したもので
検索したところ、ここに行き当たりました。
懐かしいです。
museの話も上がってましたね。もちろん何回か行きましたが、
関東の大学に進学したあとも夏はずっと京都市内のツレの下宿に寝泊まりして、
museの斜めくらいにある氷屋さんで夏バイトしてました。
頑丈な自転車のハンドル前に板が着けてあって、そこに氷載せて、先斗町や祇園やら長い髪なびかせて走り回ってました。
でも、3年頃に、そこが店じまいしたんだっけかなぁ。
そのあとは、museの横の高瀬川に掛かる橋を渡った向かいの酒屋で酒の配達バイトしてました。
めちゃ、ナツカシイです。
もう誰も読んでないところかもしれませんが、書いてみました。
では。
僕は京都の円山音楽堂でコンサートをやってた東山安井のビルにあったスタディールームを
調べてて、ここに行き着きました。
POPEYEも懐かしいです。当時、京都市内のロック喫茶、ジャズ喫茶はだいたい行ってました。
museというのは覚えがないです。
僕がよく行ってたのは木屋町の飢餓です。今出川通り、ほんやら洞の向かいのあたりのビルの2階にあったロック喫茶は、何でしたっけ?クリムゾンのLPの絵があったかな?
ジャズ喫茶は、鳥類図鑑、マンホール、52番街、ZABO? 何かによく行ってた。
鏡張りのトイレがあったのはPOPEYEでしたか?
大学時代がニューウェーブ、テクノ、パンク全盛期だったので、東京のナイロン100%など行きましたが、今、京都でテクノ喫茶やりたいなあと思っています。
でも 僕の音楽のルーツは1970年代の京都のロック喫茶、ジャズ喫茶、円山音楽堂のフラワートラベリングバンドや、村八分のコンサートです。遠藤賢司も円山で見ました。藤井大丸屋上でのてるてる坊主コンサートにもよく行きました。ジョニー大倉のいない3人のキャロルも見ました。
浅川マキもよく行きました。京都のコンサート お時に浅川マキが寄るというgieにも行きました。
中学の時には 琵琶湖のレークサイドフェスティバルに3年連続行きました。スゴイ人たちが出てました。最高の時代でした。
京都の音楽喫茶を調べていたらこちらにたどり着きました。
最初の書き込みが2007年9月、もう15年以上前ですね。
そして最後の書き込みが2018年11月11日。ほぼ5年前。
こんなサイトを作らせて頂いています。
もう誰もご覧にならないと思いますが、参考までに。

https://sunsetgang.wixsite.com/kyoto-ongakukissa
>>[75]
はじめまして〜〜。
久々にmixi を開きました。
ゆっくり読ませていただきます。
ありがとうございます。

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