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アセンション『E.A.S.T』コミュのエゴ・・『偽者の自分』の認識〜解放編 (完)

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以前、途中で止まっていたトピの続編を追記し,新たに掲載します。


         エゴ・・『偽者の自分』の認識〜解放編 (完)


自我=エゴ=分離意識…

この分離の幻想がすべての不調和(苦しみ)を生み出しています。

私達はバラバラ(分離)である…という幻想…その分離的思考が分離意識を形成
し、分離の幻想に基づいた『偽物の自分』を形成します。

通常、多くの人達はこの『偽物の自分』を『自分』だと思い込んでいます。

しかし、それは幻想です。

分離的思考によるでっち上げによって、形成された『偽物の自分』を『自分』と
錯覚しているのですが、この偽物の自分…エゴ(自我)は、本当は存在しないもの。

しかし、私達の分離的思考による想念エネルギーがエネルギーを与え続けること
によって『実体化』されて生き延びる『生き物』だと言えるでしょう。

例えば『生き霊』というものがありますが、これは、ある者が強い想念を継続的
に放つことにより『実体化』されます。

想念はエネルギーであり、エネルギーは意のままに動くという性質(法則)が
ありますので、それが『実体化』され、本来は無き『生き霊』というものが
生じるのですが、エゴ…『偽物の自分』の形成の仕組みも、これと似たようなものです。

思考はエネルギー(想念)ですから、そのエネルギーによって『偽物の自分』
という、言わば『生き霊』を『創造』します。

そして、大半の者は、この『偽物の自分』エゴを『本当の自分』だと思い込み、
その偽物に操られています。

エゴは『実体のない生き物』ですが、エゴの欲求はどんな形であれ、『自分』の
アイデンティティーが確立されること。


エゴは、その欲求を満たすために絶えず【思考】を働かせ、自分のアイデンティ
ティを確立しようとします。

エゴは自分が存在していることさえ認識出来ればなんでも良いのですが
(例えば病気、自己憐憫等でも・・・どんな形であれ『自分』が存在していない
とエゴは耐えられない・・プライド・・というエゴが強い人ほど、私・・私を強
調するのはそのためです)その認識作業の要は『自他の比較』…ジャッジです。


エゴは過去のデータに基づいて、善悪、優劣等を常にジャッジするのですが、
その基準は自分本位の決め付けであり、端的に言えば、エゴの仕事は『分離作
業』であり、【分離的思考を働かせること】だと言えるでしょう。


『すべては一体である』というのが真実であり、『本当の自分』は『全統合』
という自己であり、その究極は『神』です。


すべての不調和は分離意識…エゴの創造の産物…。


【思考はエネルギーであり、創造する】


すべての不調和を解決するための第一歩は、思考(想念)を観察し、自分だと思
い込んでいる 自我=エゴ は偽物だと認識することです。


そして、最終的には分離の幻想(統合プロセスの為のツール)…エゴを受容する
こと・・なのですが、まずは認識しないことには統合のプロセスは進展していきません。


今の文明社会は、人間の分離の幻想・・つまり、エゴに基づいて築きあげられた
分離社会ですから、当然、多くの不調和が出てきます。

アセンション(次元上昇)のエネルギーが高まる中、その高まるエネルギーにつ
いて行けないすべての不調和な振動数の低いエネルギーの『歪み』が表面化し、
『問題』となって現れてくるのですが、その表面化し『問題』となって現れてく
る人類のエゴの産物は、解決を求めて現れてくる、宇宙(神)からのメッセージ
だといえるでしょう。

これまでの分離社会のやり方は、対処療法的に『問題』に抵抗し、その問題を解
決しようとする一時凌ぎの解決策でしかなく、問題の根本的な解決になっていな
いことは、今の文明社会の行きづまりや、地球の環境破壊を見れば歴然としてい
ることです。

すべての不調和となって現れてくる『問題』は、人類のネガティブな想念によっ
て創造されたカルマ(行為)の結果であり、その問題に抵抗している限りは、
問題を更に悪化させ、継続して現れてきます。

そのような社会、地球規模の問題でも、結局その社会を形成する人間のエゴ・・
意識の在り方に原因があるのです。

ですので、その原因レベルの問題から解決していかなければなりません。

問題となって現れてくる現象は、その役割を果たし終えた時、初めて根本的な解決に向かいます。

根本的な解決策は、個人的な問題であれ、地球規模の問題であれ、そのような問
題を創造してしまったのは、私達自身に他ならない・・ということを受け入れ、
抵抗するのをやめることです。

すべてを受容することは、すべてを赦すことと同義であり、これは無条件の愛の
在り方です。

すべてを受容し、物事の完璧性を認め、すべてに感謝し、無条件の愛の高い周波
数を放っていくことが、すべての問題解決の鍵であり、アセンションへ至る道です。

この世の現象は、私達人類の創造の結果の現れであり、私達の創造体験のプロセ
スの最中の出来事であり、偶然に起こっていることなど何もありません。

(原因と結果の法則)

私達人類の創造によって、目撃し、体験する分離の幻想の世界を変えたければ、
『すべては一体であり、一部であり、全体である』という深遠な真実に基づい
て、一人一人が統合意識の在り方から、『調和』に基づいた創造行為(カルマ)
をしていかなければなりません。

それには、まず、分離意識の幻想の在り方でエゴを自分だと錯覚し、根本的な原
因レベルで問題を創造し続けている人類の一人一人が統合意識へと意識を改革
し、その在り方を表現していく必要があります。

すべては一体であり、一部であり全体であるアナタが変われば、アナタが目にす
る世界は変わるのです。

『私達、目覚めた者達は、この世の分離の幻想に終止符を打ちます』

===========================


エゴを…分離意識に基づいた思考を観察【見つめる=受容】することによって、
エゴは弱体化していきます。

それに抵抗しようとすればするほど、エゴはますます強くなります。

抵抗するエネルギーは否定のエネルギーであり、否定は分離です。

分離的思考エネルギーが、分離意識に根ざしたエゴをますます強くするのは道理です。

つまり、抵抗することによって、エゴにエネルギー(生命力)を与えてしまうのです。


神との対話という本には、

==================================
『抵抗すれば相手はますます強くなる…見つめれば相手は消える』
神との対話1(サンマーク出版)
==================================

とあります。

つまり、抵抗という否定のエネルギーは、対象となる『問題』をますます『悪
化』させ、見つめる=受容すれば、その『問題』は、問題でなくなる・・という
ことです

しかし、ここで『問題』というのは、分離意識から見て問題と映るということで
あって、統合意識の視点、スタンスから見れば、『問題』というものは一切ありません。

なぜなら、統合意識の視点では、すべてのことが、『あるがままで完璧』であ
り、分離的要素・・否定的エネルギーは、統合(調和)の在り方を表現するため
には、なくてはならない【必要不可欠なツール】と映るからです。

分離意識から見た場合の『悪』(問題)と映る要素の存在意義もそこにあります。

統合意識の視点では『悪』というものは存在せず、分離意識の視点から悪と映る
ものは、分離の度合いが著しい否定的エネルギーであり、悪でない悪を必要悪
(統合プロセスのための必須要素)してその存在意義を認め、赦す(受容)こと
がアセンションするためには、必要不可欠です。

悪(分離)と映る要素を分離的視点から一方的に『悪』と決め付け、非難(抵
抗)することこそが、『最大の分離』なのです。(これがこれまでの分離社会の
やり方です)

統合意識の視点・・・それは、全統合という『神』・・『おおいなる全て』
の視点です。

アセンションのプロセスは、その統合意識の捉われのない視点で『あるがまま』
を見、『あるがまま』を受容することで進展・・加速していきます。




エゴにエネルギー(生命力)を与えない方法・・・その実践



その一

思考を観察してエゴを認識する。

まず、認識すること・・これが基本となる。

そして、本当の私は、この分離意識に基づく思考によって形成された実態のない
自我・・エゴではない・・ということを喝破すること。

そして、蓄積された過去の記憶のデータに基づいて、機械的に反応して生きるこ
とをやめること・・。


その二

エゴの分離思考をジャッジ(裁かない)しない。
分離的思考のおしゃべり(想念)を聞き流し、相手にしない。(受容)

裁いてしまった場合は、ネガティブな余計な想念を出さないで、ただ『赦す』


その三

瞑想訓練等も併用し、思考の停止状態をつくる。

リラックス状態で集中し、感じることに全意識を向けている時は自動的に思考は
停止状態になる。

当然ながら、思考が停止している時は、エゴの出る幕はない。

思考が停止している状態・・・それは『今』に在る状態である。

この『今』にある状態がエゴからの解放の要であり、瞑想の目的もそこにある。

なぜなら、思考は過去の記憶や、その記憶のデータに基づいた未来の予測の中に
だけ存在し、決して『今』の中に在ることは出来ないからだ。


今・・・それは、時空を越えた、私たちが本来在る場でない場・・・。

そこは『永遠の今』の領域である。

私達が、思考の停止状態をつくり、その『永遠の今』の領域にアクセスする時、
無限・・神からのエネルギーの流入が起こる。

波動は上昇し、生命力に満ち溢れ、その『今』に在る深さの度合いが深まるに連
れて、『すべて』との一体感、無限の至福の喜びを感じられるようになり、
日常でも高次元からの素晴らしいインスピレーションが多発するようになる。


その四

『私の源は神であり、すべてと一体である』という統合意識の視点で
極力日常を過ごすよう努め、『他』の分離的言動をジャッジせず受容する。

エゴがしゃしゃり出てきて裁いてしまった場合は、裁いた自分も含め、無条件に赦す。

『神』はいかなる存在も裁かない。

統合意識の神の視点、スタンスでは、いかなる要素(存在)に対しても『裁き』
とは無縁である。


その五

利己的な想いでなく、世の為、人の為、神(すべて)のために祈る。

そのような祈りを行じる時、エゴの出る幕はない。

『すべては一体』なので、世の為、人の為、神の為に祈ることは、
結局自動的に『自分の為』ともなる。


その六

『すべてのことは、完璧である』ということを認め、すべてに『感謝』する。

分離意識の視点から、『良い』と思う出来事も、『悪い』という出来事も、
すべてが完璧な宇宙のシステムに則って起こってきていることであり、
私達が目撃し、体験する出来事は、私達の行為(カルマ)の結果であり、
新たな原因となるものである。

自分の身に、例えどんなことが起こってきたとしても、それは、私達が過去の蒔
いた種の実りであり、偶然に・・一方的に起こっていることなど何もない・・と
いうことを、常日頃から機械的に反応しようとする偽者の自分・・エゴに言い聞
かせ、統合意識の視点に立ち、物事の完璧性を認め、素直に感謝する。


私達が、分離意識の視点から、『悪い』と思う出来事は、自分の内に内在してい
る否定的カルマを解放する時に現れてくる現象であり、分離意識の視点から、
また新たな否定的想念を放出しなければ、現れてきた時点で役目は完了であり、
否定的カルマは『清算』となる。

(現れてきた時点で『清算』は、否定的、肯定的カルマの両方に言えることです
が、統合意識・・神の視点では、否定的、肯定的という極性のエネルギーとは映
りません。その視点とは、『あるがまま』を視る視点です)


否定的なカルマを解放してくれる現象に対して否定的なエネルギーで『抵抗』す
ることは、自分が『嫌だ』と思っているものを、また新たに『欲しい』といって
呼び寄せていることと同じであり、『悪循環』の連鎖を生み、これほど愚かな行
為はない。

分離意識の視点から、良いと思えること、悪いと思えること・・・どんなことが

起こってきたとしても、喜んで感謝してそれを迎えることにより、すべては清算
され、祓い清められる。(調和)

(祓い清めとは、消滅させることではなく、すべてのエネルギーを陰陽調和の本
来の状態に戻すこと・・。 その表れとしては、偏った状態にある陰陽どちらか
にあるエネルギーが一気に放出され、現象として急激に現れてきます。・・・ 
例・・病気が快方に向かう時に現れる好転反応)


喜びの伴った感謝は自動的に『受容』していることであり、
なおかつ、高いの波動(振動数)を放出する。

その在り方は、無条件の愛の在り方であり、調和の在り方である。

分離思考…否定的(不調和)エネルギーによって創造された想念エネルギーを
一気に反転させ、肯定的(調和)エネルギーに転換する。

(憎悪の念と感謝の念の放出時の脳波の波形はまったく同じ・・違うのは、それ
が『逆転』している波形というところだけです)

当然、分離的思考…想念エネルギーによって創造された実態の無いエゴはエネル
ギーを奪われ、次第に弱体化していく。

(私達の内で主導権を握っていた強力なエゴは、暴走して様々な方法で
アイデンテティーを確立しようとする必要性がなくなる・・なぜなら、
エゴの欲求は生き延びる・・存在を認めてもらうことで、私達が【統合意識の視
点】で、自分を受容し、自分を愛してあげることで、エゴの欲求は満たされるから・・。 

自己愛を排するのではなく、自己愛を大きく・・小我を大我へと大きく広げ(自
他愛)ていくこと・・。 

(『一部』を排しては、全体ではない)


(自分をいたわり、愛してあげてください。 アナタは すべて・・『神』=
『大いなる我』から無条件に愛されているのだから・・)


その七

『すべては一体である』という統合意識の視点に立ち、その在り方を、表現する。

(何かに成ろうとしてそうするのではなく、その在り方・・すでにそうである状
態を表現する・・ということ・・何かに成ろうとして、『それ』になることは出
来ない・・なぜなら、成りたい『状況』を創造するから。  

真実の絶対領域に永遠に在り、全統合という『すべて』にすでに在るすべての存
在の魂レベルの唯一の欲求は、その領域の本来の在り方を、この世で体験を通し
て知ること・・【本当の自分】=【大いなる自己】を表現すること)

その真実の在り方をこの世で表現し、体験を通して知ることの喜びを分かち合う
ことこそが、私達の至福の喜びであり、本来の在り方を示す行為である。

今という瞬間瞬間が、その真実の素晴らしい在り方・・喜びを表現し、体験し、
自分を通して神の光を世に現し、この世の神・・『神人』と成るまたと無い、
素晴らしいチャンスである。

その神の光を世に現すことが、私達・・『目覚めた者』の役割であり、統合意識
の視点に立ち、大アセンション(大岩戸開き)を成功に導く者達の使命である。

=======================================

物語・・・『アナタの宝物』

『アナタの中に埋もれていた宝の地図を見つけ、手にしたのだから、その地図に
従ってアナタ自身の足で道を歩み、今すぐ宝物を取りに行きなさい。 

道のりは険しくとも、地図に従って道を行けば、宝物が手に入ることは確実である。 

誰かが先にその宝を見つけてしまうのではないかと心配する必要はない。  

なぜなら、その宝は『すべて』という宝で、減ったりなくなったりすることがな
い宝物だから。

しかし、アナタはその道を自分の足で歩まなければ、その宝物を手に入れること
は出来ない、なぜなら、その道のり・・今という瞬間こそが、アナタの宝物なのだから・・。 

だから、アナタは自分の足で一歩一歩歩んでいかなければならない。 


今という瞬間、瞬間の一歩一歩を踏みしめながら・・。  



・・その地図には、多くの道が記されていた。 

そして、もっとも近い道のりには、『喜びの道』と記されていた。 

山あり谷ありの険しい道だが、ある者は、やはり、地図に記されていた通り、
至福の喜びに満たされてその道を歩んでいた。

その険しい道を至福の喜びで満たされて行く一人の男の額には、『神の王国』へ
の道を歩む者、『イエス・キリスト』と書かれていた。

彼には多くの追従者がいたが、彼と共に険しい道を歩んで行ける者は少なかった。  

また、額に同じ刻印がある、釈迦牟邇という者がいた。 

彼にも多くの追従者がいたが、やはり、彼と共に険しい道を歩んで行けるものは
少なかった。

その他にも数人、額に同じ刻印がある者達が険しい道程を至福の喜びで満たされ
て歩んで行く者があった。 

だが彼らと共に険しい道を歩んで行ける追従者は少なかった。

しかし、遥か後方には、多くの者達が、額に同じ刻印を押され、その険しい喜び
の道を至福の喜びで満たされながら、行列をなして歩んで行くのが見えた。

その者達は、天の時を得、天の岩戸が開き、そこから吹き込んでくる追い風に加
勢されて、額に刻印のあった先達達よりも安楽に険しい道程を至福で満たされな
がら歩んで行くことが出来た。

その先頭に立つ集団の額には、『地の岩戸を開く者』という刻印もあった。

多くの者達が、手を取り合い、助け合いながら、共に険しい道程を

楽しそうに歩んでいたので、私にはその大勢の者達が、たった一人にしか見えなかった。

多くの者達が歩むと更に後方の者達は、足跡で慣らされた険しい道を更に安楽に
歩んでいくことが出来た。 

そして、各々が大きな宝箱を携えて道を歩んでいた。・・・自分の内にある
宝箱を・・私はそれを見て、ただ嬉しかった。 


『私はアルファでありオメガであり、永遠にアナタの宝箱の内に在る』 
 

==========================================


今という瞬間瞬間に、無条件の愛・・喜びという高い周波数を放つこと・・・
これが『岩戸』(アセンションの扉)を開く鍵であり、人類の集合意識を高い周
波数に引き上げることに繋がる『最大の奉仕』である。

アナタが、毎瞬毎瞬、その様な高い周波数の在り方を表現する時、語らずとも神
のメッセンジャーとなり、天と地を繋ぐ神の柱となる。(アメツチノカム柱)


すべて(神)に感謝・・

すべて(アナタ)に感謝・・

すべて(自分)に感謝・・・・ナマステ   


2009年1月29日 天の一二九の神(天のひつくの神)の日にサナート・クマラと共に記す。

コメント(2)

あいかわらず、プレアデスの文章は凄いよねぇ(♪)。

ACIMにおいては「私たちは身体ではない。」と言われます。

私たちは「霊」であり、分断された「個々の霊」などはないと。
一見分断されたように見えるのは「心」であり、そのなかに「矛盾」を
内包していると。(自我と聖霊)

統合へのプロセスにおいて不調和を調和へと変貌させる方法として
「赦し」と言うことがカギになるのですが、僕もそうだったのですが、
「自我による赦し」を行おうとしてしまうことがよくあるんですよね。

そもそも、自我は「聖霊」を忘れた心。その自我に「聖霊」による
神の贈り物である「赦し」を行えるはずもなく・・・。

これに気付くまでは「赦すことによる苦痛や敗北感」が付きまといました。
(今でも、簡単には「赦す」ことができないですけれど。)

気高い心を見つめていきたいと思いました。感謝♪
ナマステ(合掌)。

ナグさん

コメント感謝ぴかぴか(新しい)

なるほど…自我と聖霊…。

そうすると、聖霊は魂的な存在…のような感じなのかな?

そして、分離はしていない…と。

その辺は『神との対話』とも一致しているね。

統合のプロセスを説明する本や教えは、表現の差異はあれど、根本的なところでは、きっと大方一致しているんだろうね。

これだ…という魂に響く教えや情報をつかんだら、(自分自身で受け取る情報も含めて)後は実践あるのみ。

あれこれ迷っている場合ではないもんね…時期的に。

日月神示には、『迷いは欲から』…と示されています。

共に精進して行きましょう

ナマステぴかぴか(新しい)

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