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小説書き組合コミュのpiano

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鍵盤に手を置く。

彼はまだそれを触りだして3か月と日が浅い。足もぶらぶらと遊ばせている状態で、彼の体はペダルで音を響かせることすら出来ない。

だが、彼は非凡な才を持っていた。絶対音感だとか、初見で見事に指を躍らせることが出来るとか、そういう種類のものではない。

プライマリーなベースの習得を待たずに、心が訪ねたくなるような階とテンポで耳に触れた人々の意識を引っ張ってしまうのだ。

その小さな作曲は、とても短い間ではあるけれど、レッスンをすべき先生の時間でさえ止めてしまうほどのモノだった。

彼は最初、レッスン中に隙を見ては、こそこそと遊ぶのに一生懸命だった。けれど、自分が好き勝手にピアノと遊んでいる間、誰もが放っておいてくれることに気付いた。

彼にとってその特別はとても奔放な愉快に他ならなかった。

そうして彼は小さな作曲をどんどん大きくしていった。そうすることが単純に心地よかった。

押し付けられる指使いに囚われることなく、彼は彼の思いのままにピアノと触れ合う時間に由るようになった。

彼の音と、その連なりと、途切れ、強弱は、そうして人々の耳に触れるようになった。無邪気な毎日の中で生まれる無垢な表現の繰り返しが、蓄積を見、広がり、そして、触れるものを止めた。

彼は、それをしている彼こそが、彼だと確信した。

人々は、どうやら止まりたいようだ。

そのために、彼の作曲に触れようとするのだ。

彼は、彼だからその望みに応えることが出来、それがなんだか彼の役割と捉えられるようになった。



しかし、人を止める彼の遊びは禁じられた。

限られた時間の中でする仕事の濃度を争う社会においては、彼がする音楽の効果は弊害でしかなく、排除すべきものと、危険なものと、扱われたからだ。

社会での回りまわるバトンの受け渡しを止める事は、古ぼけた懐中時計の一部が役割を放棄することと現象的には変わらないが、それ自体の価値の相違によって許されないことと捉えられた。

人を止める役割は、社会の求める役割ではなかった。しかし、彼が見る彼の役割は、人を止めるものだった。

だから、彼の役割は殺された。

ピアノに纏わる彼是に由っていた彼の大きな時間と心は、彼に巨大な空白を突きつけた。そして、埋まることなく空白であり続けた。

彼は、普通に生きる以外の彼らしい振る舞いを許されなかった。それは、彼らしい振る舞いではなかった。

ピアノと離された彼は、鼻歌を歌うことがやっとだった。しかし、ピアノと触れ合っていたあの特別な効果は表れる事はなかった。

その状況に於いても、空白と向き合う現実が待っていても、彼は幼い音楽の躍動を捨てることが出来なかった。
出来ずに、必死に自分自身のすべてを使って大きく、大きく、イメージを膨らませた。
何の役にも立たないが、それが彼の喜びだったからだ。

彼は、効果、影響、それらを超えて、無邪気で無垢な流れを澱ませない事を望んでいた。それが痛みの蓄積と知りつつも。

だから、彼は日常において彼の作曲にたくさんの餌を与え、たくさんの愛でそれらを可愛がった。

彼は彼の中にある作曲を、信じることを辞めなかった。


その間も社会は動き続けた。

動き続けた為に、進行が、その勢いが、制御を超えてしまった。誰もが競争ゆえの競争に焦燥し、居もしない怪物に追われるようになった。システムとは制御をかけられてこそシステムであるのだが、手を付けられるほど成長した利己心の激突に、それを動かしている者たち自体が翻弄される有様になっってしまった。


疲弊した人類が醸成した空気は、時間を止める事を望んだ。



そうして、彼はホールに通された。かすかな光だけが届く、薄暗い大きなホールだった。

中央にピアノがいる。望んできた時間を思う間もなく、彼はピアノに駆け寄り抱きつくように鍵盤に覆いかぶさる。

誰が、この場を用意して、何を求めているか。そんなことを想像する余裕もないほど、彼の飢えは激しかった。

一息於いて、彼は鍵盤に手を置く。届かなかったペダルにも足が届いた。彼の外見は立派な大人だった。しかし、その中にある幼い音楽の躍動は無邪気さと無垢さを保存していた。

彼が殺さなかった純粋な蓄積がそれを可能にした。

手が、動く。

置いていく音達が、ピアノから飛び出していく。箱、装置と彼が交わるだけで世界が生まれた。

それを聞いているのは、人類だ。

人類は、自分たちが作り上げた怪物と彼を戦わせるべく、ラジオの前にいた。

彼の造る世界は彼が宇宙の暗闇に光る恒星のごときビジョンを用意した。ラジオから放たれる音達をが人類のイメージを操る。

彩豊かな音符や記号が彼の指先から溢れ出しているのが、手に取るようにわかる。

ピアノの実態は見えない。彼の動きも、同じく。どう表現すれば適切か判断をしかねるが、今、社会はピアノの可能性の中で起こっている世界に連れて行かれた。世界の外枠がピアノであるような感覚を、人類の誰もが思った。


彼の宇宙に虜になる。指先から生まれてくるのは、光だ。光が何かを産み続けている。闇に在ることを示すのは、そのおかげといっていい。光が色彩を露わにし、輪郭を切り取る。やわらかく見つめることができる弱さまでたどり着いたとき、その立体までを把握することがやっと可能になる。
どんどん、彼の指先から世界が生まれる。2重螺旋が躍る、起源を示す。光がすべてを産んだ。証明するまでもない。彼の手によって暴かれていく。科学も思想もその意義をはぎ取られる。謎のない世界へ彼は導こうとしている。
謎のない世界。疑いのない世界。好奇心のない世界。時間のない世界。

扉が現れる。とても重厚で砦の門を思わせるほどのもの。扉しかない、その左右は彼が作った世界だ。異質な存在に周りは息をのむ。
激しい低音が扉をたたく。力を与えている彼の、滴る汗は実態を持って飛び散ってしずくとなる。
彼は、それを気にも留めず連続して低音で隙間を作る。扉は確かに切り取った向こう側の世界を守りきれなくなってきている。
扉が少しの空間を許したことを切っ掛けに、彼は高音の歯切れ良いリズムで涼しげに突破しようと試みる。

そのうちのどの音かが向こう側の世界にたどり着き、あちら側から扉を開ける力として活躍していく。彼によって役割を持たされた音が、使命を果たす。彼もまた、彼の役割をもって全うする。

息をのむ人類の時間は止まった。彼が作る表現と苦悩をただ見つめる事しかできない。そこにおいて言えば、余りに無力。

人々のイメージに焦燥の怪物が呻くのが見える。純粋な純粋と邪悪な純粋が扉を挟んで拮抗している。

開いた。扉が、開いた。

そこで、彼は演奏を辞めた。止まった時間が動き出し、彼の造った世界も、それが用意した扉も、その先も、一気に消え失せた。

彼が作り上げた作曲はそこで終わりだった。

社会という邪悪な純粋を彼は扉の向こう側に追いやらなかった。

人類は想念する
「なぜ、演奏を辞めたのか。」

彼は、話す。

「僕はそれを目的としていないから」

人類は願う

「早く、この曲を作り上げて向こう側へ連れて行ってくれ」

彼は話す。

「この曲はできあがってる。」

彼はそういうと、グランドピアノの中に入りつっかえを外して蓋を閉じた。

社会は彼の手によって、邪悪な純粋さを失わなかった。

人類は彼の手によって、邪悪な純粋さを確認した。


彼は、ピアノにこもってしまった。

蓋をあけても彼はいない。


絶望か?喰われるか?

違う。


純粋な純粋が人類に響いた。


人類は、彼がそのペダルを踏める大人になってまで純粋な純粋を保っていた事に感謝をしなければならない。

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