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小説書き組合コミュの夏の音

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「今日はどこほっつき歩いてたんだぁ?」


老人はいつものように顎髭を撫でながら、年代物の傾いたテーブルでお好み焼きのソースを補充していた。
信章は自転車から降りると、店の入口横の地面から伸びる錆びかけた水道の蛇口をひねり、泥だらけの両足を洗った。この水は真夏でもなぜだか冷たい。


「おっちゃん!これ見てよ。オオカマ!」
「あぁ。またか・・ノブは虫っころが好きだなあ。大きくなったら虫と結婚するか?」


その駄菓子屋は閑静な住宅地の中にポツンと佇んでおり、子供達の隠れた集会場だった。いつも怒ったような顔をした老人が一人で店を切盛っており、腰が曲がり十分に老人の域に達していたが子供達はみんなが呼ぶので自然と「おっちゃん」と呼んでいた。その中でもとりわけ信章は頻繁に店に出入りしていた。


「ノブもなあ、来年は6年生だろ?夏休みの宿題やんないと、かあちゃんに叱られるぞ」
「わかってるって」
「6年生になったら、もうその次は中学校だ。早ぇなあ。こんなにでかくなっちまってなあ」


どんなに両親に叱られようと、少年野球で惨敗して帰ってこようと、老人はいつも同じ態度で信章と接する。強面な眼差しで自分の子を叱るような調子だったが、両親やコーチに注意されるのが心底嫌だった彼も、老人の言葉を聞くのは苦痛ではなかった。むしろ、安らいでいるのを感じていた。

いつも信章が使う箸は決まっていて、三匹のトンボの絵が描いてあった。お好み焼きが皿に盛られ、青海苔とソースを大量にかけそれを一気に平らげる。店のすぐ前の電柱に停まっているらしきアブラゼミのけたたましい鳴き声は、強い風が吹くと少し静まった。


「夏休みの宿題ってのは最後の日にやるもんなんだよ?知らないの? 集中力が大事なんだよ!」
「生意気言ってんじゃねぇ」


小刻みに震える手で皿を取り上げると、台所に持って行きながら

「・・ノブは虫ならなんでも採れんのか?」
「任せなって。この前も山でオニヤンマを採って来たよ!」

老人は珍しく笑顔になり、瓶ジュースの栓を抜いてテーブルに置くと


「ノブよう。おっちゃん、鈴虫が好きでなあ。この時期の夕方はあちこちで綺麗な声で歌ってたもんだ。最近は市の宅地開発だぁなんだって、全然いなくなっちまったなあ・・」
「鈴虫?そんなのいっぱいいるよ」
「今度採ってきちゃくれんか?」


電柱のアブラゼミが飛び去り、水道の蛇口から落ちる水の音が聞こえるようになった。
信章は虫籠のカマキリが脱出を図るのを制しながら


「こんど採ってくる。まかせろよ!」
「そんな虫はいらんぞ」
「え?なんでさ。オオカマ、かっこいいじゃん」


所狭しと並ぶ建売住宅、商店街の喧騒、アスファルトからの茹だる様な反射熱。帰路に着く自転車を漕ぐ音すら暑苦しく感じた8月。巨大な入道雲は、6階建てのマンション建築現場の陰になり見えなくなった。

その後、自転車で10分ほどの荒地に三度行き鈴虫を探したが、捕れるのはバッタやコオロギばかりで信章は半ば諦めていた。
夏休みも終わり9月、何度か駄菓子屋の老人に知らせに行くも店のシャッターが閉まったままで、欲しかった家庭用ゲーム機を買って貰ったこともありいつしか鈴虫の依頼のことを忘れていった。
10月になり、友人と共に店に赴くがやはり店は人気なく閑寂と佇んでいる。


「・・・おっちゃん、どこいっちまったんだ」
「どっか引っ越しちまったんじゃないか?」


---夏休みの宿題を最後の日に終わらせたよ---
その報告をして、いつもの口調で叱られたかった。


隣の家に聞けば老人の行方がわかるのではと友人は信章を促したが、そうしなかった。
何より、そうしてはいけないような気がしたのだ。






-------------------------






会社が盆休みに入り、信章は中学校を卒業して以来の故郷に戻り友人と喫茶店で話を交わしていた。資金繰りが厳しい私鉄の沿線で駅は殆ど昔のままだったが、それと対照的に市は開発に力を入れ生まれ育った街は大きく変貌していた。
バッタやカマキリを捕った荒地の場所は宅地造成されマンションに。小学校へ向かう道にはコンビニが何軒も開店していた。大きな量販酒店も営業している。


「そういえば北町の駄菓子屋のおっちゃん、覚えてるか?」
「ああ。おっちゃん・・・か」


老人の店は区画整理の一環で取り壊されたということ、老人がもう10月のあの日には既に亡くなっていて、身寄りが無く遺体の発見が遅れたなどということも、これらはすべて彼にとって驚くに値する話では無かった。
ただ、聞きながら駄菓子屋のあった場所に行きたい衝動に駆られていった。あの日の約束を思い出す。


「鈴虫・・・」
「どうした、ノブ?」


彼は店を出ると、商店街を抜けマンションの建ち並ぶ住宅地に入り、急ぎ足で駄菓子屋に向かった。もはや暑さも忘れ、脳裏には老人のいつも怒ったような顔と顎鬚がちらついた。
あの時、鈴虫を捕まえ届けられなかった悔しさと老人へお別れが言えなかった切なさが溢れて、目頭が熱くなっていった。


鈴虫、いなかったんだ。おっちゃん、ごめんな。


少年野球グラウンドからは子供達の歓声。信章は走り出した。新しい照明塔を越えると、懐かしい一角が見えてくる。
薄暮の街灯に群がっていた蛾のうちの一匹が彼の顔のすぐ前を横切ると、速めていた足を落ち着かせ立ち止まった。駄菓子屋のあった場所はとうに通り過ぎていた。


「急に何なんだよ。どうせこんな所来たって何にも無いぜ」
「・・・ごめん」


喫茶店の会計を済まし彼を追ってきた友人は、周囲を見渡して斜め後ろを指差した。

「あのマンションのあたりだろうな」

二人は電柱を越えマンションの前まで歩き、周囲を見渡す。信章は何かあの頃の面影を探したかった。
日が暮れると共に増す小さな虫達の鳴き声が外構のプランターから聞こえ、彼らが近づくと聞こえなくなる。
最近建ったばかりに思われる、外構の緑が美しいレンガ調外壁のマンションだった。

「おい、これ!」


そこには真っ黒に錆付いた水道管があのときのまま、店の入口横だった場所にあった。
信章はすぐに錆だらけの蛇口に駆け寄り、水を出そうとしたがどんなに蛇口をひねっても空回りするだけだった。


遠くから微かにヒグラシの声が聞こえてくる。
夕暮れの涼風が吹き、二人は何も語らずに縁石がボロボロになった排水口と水の出ない蛇口を眺め続けた。


いつしか虫の鳴き声が再び耳に入ると、信章はプランターの雑草を分けて虫を探した。


コオロギが一匹床に落ちて足元に近付いたが、すぐにそこから逃げて見えなくなった。


コメント(5)

小さい時に通っていた駄菓子屋さんを思い出しました
おっちゃんやお好み焼きや町の雰囲気もそっくりです(^-^)
登場人物と街はほとんどノンフィクションなんですよ。。
似てると言われると嬉しいです。こちら東京の下町ですが、日本そこかしこに同じ雰囲気があるんでしょうね〜
時間がいろんなモノを良くも悪くも変えてしまうのも同じなんでしょうか。
コメントありがとうございましたmm
雰囲気があって
かなり面白かったです。
作品の方向性、
趣旨が違うかも
しれませんが、
物語にもう少し
嘘があったら
さらに味が出るかも
しれませんね。

最後の、水道から水が出ないシーンが切ないですね。
私には、すっと読めて胸に落ちました。
私も、こういう風景を記憶の中に持ってるからかも知れませんね。

逆にこういう風景を知らない方に、この話がどう読まれるのか、
興味があります。
>B型さん
ありがとうございます。ニックネームに共感を覚えました(笑 
ど素人なもので、どこまでノンフィクな部分を混ぜるべきなのかとか、セオリーみたいなものは全く理解していません(泣
おっちゃんの存在感を出すためにもう一工夫あっても良かったなあとか思いますが、文字数を多くしたくない部分と葛藤してこうなってしまいました。
方向性に関してはいつもこんな感じですね。日常から離れられません。またそのスキルもありません。。


>野良な何かさん
同じ種の郷愁・・というより子供の頃の純粋さとその周辺の変遷というテーマだと、少なからず共感していただける部分があるのかもしれませんね。
水と虫、風とか日の光。才覚無い自分には描写がすごく難しくて今でも「ああすれば、こうすれば」ばっかりです・・
言葉にして口からなら伝えられることなのかもしれませんが。

暖かいコメント本当にありがとうございます。

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