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特攻隊員の話をしようコミュの父への思い胸に秘め 富永靖少尉

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第58振武隊 富永靖(やすし)少尉(特操1期) 長崎県出身、22歳(1922/9/13〜1945/5/25)
昭和20年5月25日、都城より出撃し特攻戦死

富永少尉は、フィリピンから台湾への「敵前逃亡」で有名な富永恭次中将(陸士25)の長男で、慶応大学(確か経済学部だったと思います)の出身です。高木俊朗『陸軍特別攻撃隊 3』では、特操の試験に不合格の結果に終わりながら、当時陸軍次官だった実父・恭次中将の権力で合格となり、さらに当時東京勤務だった実父からわざわざ1番近い熊谷飛行学校に入校させ、休日のたびに来校した富永中将はいろいろと息子の教育に注文をつけ、学校関係者を困らせたそうです。

この後、東條内閣の総辞職により、東條派の富永中将はフィリピン・マニラの第4航空軍司令官に左遷(左遷するポストが空いていたというだけの理由で全く経験のない航空へ移ったというのが驚きです)、「後から私も続く」、「息子も出撃させる」などと言い、特攻隊を送り出していました。

しかし、戦局が悪くなるや、富永軍司令官は台湾に逃亡、予備役となります。その間、靖少尉は明野で3月29日に第58振武隊に編入され、5月25日朝4時50分都城東飛行場より出撃しています。その際、当時そこに滞在していた参謀に「これを家族に」と言い、財布を渡したとのこと。父親のことには何も触れず、立派に死んでいったそうです。そのあまりに堂々とした態度に後でその参謀が下士官に「あれは誰か?」と尋ねると、「富永閣下の息子さんです」という答えが返ってきたと言います。実父の挙動によって生じた家の汚名を晴らそうという気持ちだったのでしょうか?

なお、恭次中将はこの後終戦直前に復帰、満州へ転出し、そのままシベリア抑留に遭います。帰国後、台湾逃亡については「部下にだまされて台湾へ言った」と主張したまま亡くなります。

コメント(6)

なんか、複雑な気持ちになりますね。
父親は、本当にどこまでも腐っていたんでしょうか。
あまり詳しくないので(敵前逃亡の件)こちらのご紹介を読む限り、息子さん(ご本人)の思いはどこへいってしまうのだろう、と思いました。
我が子までも、特攻で送り出しながら、自分はウソ(憶測ですが)をつきながら生きていた。
戦争という時代の狂気が、人間そのものまでおかしくしてしまうのかな、と感じました。
詳しいことは知りませんが、かっちゃんさんのコメントですと、

富永中将を上官には持ちたくないですね。

息子の富永少尉は父親の言動を知っていたんでしょうか?
知らないで逝ったのでしょうか?

参謀が下士官に「あれは誰だ?」と聞くくらいだから相当に立派な態度
だったんでしょう。
ということは父親の言動は知っていたと思う方が自然でしょうね。
>Katsuya@Free Tibetさん

「戦争という時代の狂気が、人間そのものまでおかしくしてしまう」と言えるのかもしれませんし、戦争が人間そのものの醜い部分を誘発するのかもしれません(性善説と性悪説の違い?)。ただ、1つだけ言えるのは、こういう悲惨な時代がかつて存在していたということだと思います。この時代をどのように理解し、そこで学んだことをどう未来に生かしていくか―それが自分に与えられた命題であるように思っています。
>て〜しゅんさん

確かに上官には持ちたくないです(笑)。ただ、会社の上司と一緒で部下は上司を選べないので、困りものですが…。

父親の言動については知ってたと思います。これは、陸軍始まって以来の事件ですので。知らずに済んだとは到底思えません。ただ、実は自分が特操の試験に不合格だったらしいということはご存じだったかどうか分かりません。親が士官学校出身者だと子どもは入りやすいなどというのは、もともと日本軍における暗黙の了解だったので。
>よっちさん

肩身の狭い思いはあったように思います。まあ、周囲もさすがに「おやじさんのことどう思う?」とは聞けないでしょうが…。

特操の試験に受かった人=あんなおじいちゃんたち(笑)ですが、10倍の難関を突破したわけですから、優秀な方々でしょう(だと信じたい…)。少なくとも早稲田大学の競争率よりは高いです(笑)。

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