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特攻隊員の話をしようコミュの沖縄の魂、伊舎堂用久大尉

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1945年(昭和20年)2月18日

伊舎堂用久大尉が隊長を務める特別攻撃隊「誠第十七飛行隊」は、同大尉の生まれ故郷、石垣島に進出した。

日頃から公私をはっきりと区別していた伊舎堂大尉は、妹が手作りのご馳走を持って時折面会に訪れても、会おうとしなかった。飛行団長の柳本大佐の勧めにも、

「部下は他府県の出身者がほとんどで、帰ろうと思っても帰る所もない。いくら肉親でも、部下の手前、忍びがたい」

と、最後まで面会を断り通したという。こうして、家族との接触をかたくなに慎んできた伊舎堂大尉だったが、出撃の日が近づいた3月には、日頃世話になった島の先輩や知人を訪ね、身の回りの品を形見として贈ったりし、惜別の意をそれとなく伝えるようになった。

3月26日午前4時、伊舎堂隊長率いる誠第十七飛行隊は石垣基地を出撃。同日午前5時50分、慶良間列島西方洋上を警備中の敵空母群に突入した。

伊舎堂の出撃を知らずにいた両親は、この日、大尉の妹が料理した心尽くしの慰問品を持参して基地に赴いたが、役場まで来たところで、「今明け方出撃、特攻戦死」を知らされた。

この報を聞いて愕然とした母親は取り乱すまいと必死にこらえていたが、こらえきれずに泣き崩れ、周りの人の涙を誘ったという。さすがに父親は毅然とした態度で

「用久は軍人として、御国のために立派に奉仕することができた。むしろ、本望と言うべきではないか」

と妻を慰めたという。


両親も間に合わなかった伊舎堂大尉の出発であったが、基地の特設工兵隊の中隊長であった義兄だけが、身内として出撃を見届けることができた。同日未明、整備員から伊舎堂隊長の出撃の連絡を受けた義兄は、兵舎から1キロ離れた飛行場まで懸命に駆けた。

飛行場に着いたときには、飛行機はまさに飛び立つ寸前で、伊舎堂大尉は正面を一心にみつめていた。飛行機にしがみついた義兄に気がつくと、伊舎堂大尉は後ろを振り返り、ただ一言

「姉さんによろしく」

とだけ告げた。続くことばを投げかける間もなく、九九式襲撃機は滑走を開始し、轟音とともに大空に舞い上がった。

コメント(14)

公私をはっきり区別していて妹さんにも会おうとしなかった。

他の人の立場になり、公の部分を徹底させた事に感銘しました。
最後の「姉さんによろしく」がなんとも言えません。
飛行機にしがみついた義兄…想像するだけで…涙がこぼれます。

どうしてこんなに立派に逝けるのでしょうか?
心の中を見れるものなら見てみたい。

地元だからこそ区別を付けたい、命を賭す作戦を控えているからこその律儀さなのでしょうか、隊員の気持ちを考え、些細な事でも不協和音が出るようなことはしたくないと言う思いなのでしょうね

よっちさんが書いてあるように
>家族に会うと気持ちに迷いがでそうだとか、この世に未練が残ってはいけないとか
こう言う思いもあったのかもしれませんね

どちらにせよ、強い意志が無いとできることでは無いと思います
自らを戒め、部下への範を示そうとした精一杯の行動だったのでしょうね

>義兄様が最後に見送り会うことができて、それがご家族とご本人には救いになったのではないでしょうか
まったくそう思います、どの特攻兵士の話を聴いても辛すぎる話ばかりですからね
みなさん、ありがとうございます。

実は、沖縄にいると、沖縄戦のことをみなが学ぶのですが、そこへ、日本軍がいかにひどいことをやったかというのが強調されているように思うのです。

沖縄は確かに日本の犠牲になっているわけで、それはもう、本土の人は足を向けて寝られないくらいのもんですが・・・

しかし、この教育の中に少しでいいから、沖縄にこのような立派な特攻隊員がいたということを入れてくれると嬉しいし、それは子どもたちの誇りにもなるのではないかと思い、ここへ載せました。
特攻隊ではありませんが、当時沖縄決戦間近と成った時に赴任してきた島田叡県知事

「誰かが、どうしても行かなならんとあれば、言われた俺が断るわけにはいかんやないか。俺は死にたくないから、誰か代わりに行って死んでくれ、とは言えん」
そう言って沖縄の地へ赴き、命を賭して県民のために働いた県知事
彼の残した足跡も感動する物がありますね

是非彼を取り上げた作品ができないかと思うばかりです
あ、この人、激動の昭和史『沖縄決戦』に出てきてますね。

僕はこれを見ていて不思議に思ったんですよ。沖縄県知事がとんずらしちゃったら、なんで本土のぜんぜん関係ない人が知事をやるんだろう?って。

映画の中ではほんとに沖縄県民のためにできることを全部やってるという感じでした。
沖縄県最後の官選知事と言うことですよね
当時はまだ政府?から任命されて各都道府県の知事は選ばれていたそうです

何故、兵庫県生まれで沖縄とはまったく関係ない彼が・・・と言う疑問も残りますよね
まぁその辺は上層部の勝手な人事なんでしょうけど

私も映画『沖縄決戦』で彼の事を知り映画の内容とは別にこの知事の事に興味を持ったんです、と言っても何も調べたりしたわけではないんですが^^;

沖縄に赴くに当たって、特攻隊士と同じような決意で臨んだんだろうなと思うと、凡人の私には想像もつかない葛藤があったんだろうなと思います
敵をどれだけ倒したとか戦果としては何も無い行動ですが、最後まで「人の命」を守り抜こうとした行為は、特攻隊員たちと並び称すべき英霊だと思います

もし彼の手記などが残っているとしたら、また違ったの意味での戦争の意義や悲惨さを思い知らせれるんだろうなと思います、
>くまさん

すばらしいお話をありがとうございます。

どなたの話も胸を打つものですが、特攻隊員の「人間」としての強さ、とか、
志の高さとかは、もしも特攻に出なかったとしても、語り継がれておかしくないもの、を持っていたんでしょうね。

また、ご紹介お願いします。
Katsuyaさん

この話、知覧で買った大判の本「ただ一筋に征く」という本に載ってました。

>もしも特攻に出なかったとしても、語り継がれておかしくないもの、を持っていたんでしょうね。

そう思います。沖縄の人ってけっこうテーゲーみたいに見られがちですが、なかなかどうして、本土の人に勝るとも劣らない立派な方です。小学校でこういう立派な人が沖縄にいたんですよ〜って教えればいいのにな〜。
初めてまして。
私は石垣島出身の山田です。
伊舎堂用久さんのお話を書いて下さって
ありがとうございます。
伊舎堂用久は私の親戚です。
貴重なお話を見れてとても嬉しいです。
今月末、石垣島を訪れ、伊舎堂大尉の顕彰碑に参拝して参ります。
靖國神社みたままつりに奉納されていた懸雪洞です。

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