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マルクス研究コミュの『ドイツ・イデオロギー』編集問題の争点

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1、『ドイツ・イデオロギー』刊行の歴史

マルクスとエンゲルスにより1845年〜1846年に執筆された共著遺稿『ドイツ・イデオロギー』は完成された草稿とは言い難いほど、さまざまな編集上の問題点を持っている。争点となるのは第1巻第1編「フォイエルバッハ」であるが、本論では『ドイツ・イデオロギー』草稿の編集上の諸問題、編集方針等を示し、『ドイツ・イデオロギー』編集問題を考える一助としたい。

『ドイツ・イデオロギー』第1巻第1編「フォイエルバッハ」が初めて活字となって公刊されたのは1926年のことである。これはモスクワの「マルクス・エンゲルス研究所」の機関誌『マルクス・エンゲルス・アルヒーフ』第1巻に掲載された。編集者のD・リヤザノフの名を冠して通称「リヤザノフ版」と呼ばれる。
その後、リヤザノフはスターリン体制下の粛清を受け、同研究所は「マルクス・エンゲルス・レーニン研究所」と改称し、V・アドラツキーにより編集された『マルクス・エンゲルス全集』(旧MEGA)において発表された『ドイツ・イデオロギー』(通称「アドラツキー版」)が長らく決定版と見なされてきた。しかし「アドラツキー版」はテキストを継ぎ接ぎし、恣意的に作られたもので事実上、偽書に等しいことが後に明らかになる。
1962年にバーネにより未公表の草稿が発見され、1965年には廣松渉によりアドラツキー版の編集上の問題点が指摘され、『ドイツ・イデオロギー』は新たな編集が課題となる。
その後、バガトゥーリャによって編集されたロシア語のバガトゥーリャ版、それを踏襲したドイツ語新版が1966年に現れる。また新MEGA試行版(研究者用に試作された非売品)が1972年にインゲ・タウベルトの編集によって出版される。

従来の諸版の知見を盛り込み、問題点を批判して総括された版が1974年に出版された廣松渉版である(河出書房新社版)。この版において廣松はマルクスとエンゲルスの文章を分け、また草稿の状態に近い形でページを組んだ。また削除された文章、各諸版で報告されている情報を全て盛り込んだ。これにより読者はマルクスとエンゲルスがどのように文章を練り上げていったのかをここから読み取ることが可能になった。『ドイツ・イデオロギー』編集問題においてマルクスとエンゲルスを別人格として語ることが(少なくとも日本において)可能になったのは、廣松渉の功績である。
その後、渋谷正によってアムステルダムのオリジナルのテクストの厳密な調査によって公刊された渋谷版(新日本出版社、1998年)が現れ、これらの研究成果を踏まえた小林昌人の補訳によって2002年に廣松渉版が岩波文庫の新版として出版された。


主な版を以下に表にして示す。

版の通称 (編者他、初出刊行年)
リヤザノフ版(D・リヤザノフ)ロシア語訳:1924年、ドイツ語:1926年
アドラツキー版(V・アドラツキー)ドイツ語:1932年
バガトゥーリャ版(G・バガトゥーリャ)ロシア語訳:1965年
ドイツ語新版(東独『ドイツ哲学雑誌』)ドイツ語:1966年
新MEGA試行版(I・タウベルト)ドイツ語:1972年
廣松渉版(廣松渉)ドイツ語及び日本語訳:1975年
渋谷正版(渋谷正)日本語訳及び解題:1998年
岩波文庫新版(廣松渉、小林昌人)日本語訳:2002年
新MEGA先行版(新MEGA編集委員)ドイツ語:2003年※

※追記:
本トピのコメント4において「みや」氏が指摘されているが、現在新MEGA第I部第5巻の先行版が2003年に出版されたとのご指摘があった。追記して謝意を表したい。ご存知の方でより詳細な情報があればコメントにて提供いただきたい。


2、ボーゲン番号とページ番号のこと

『ドイツ・イデオロギー』において「マルクスの唯物史観が生まれた」とは巷間よく言われることである。が、果たしてそのように言うことは可能だろうか。
このことが問われるのは、第1編「フォイエルバッハ」の章である。
問題はこの草稿の状態であるが、渋谷正編訳版(1998年)や岩波文庫新版(2002年)等にオリジナル草稿の写真がいくつか掲載されている。ところが草稿の写真を見ると驚く。筆者の率直な感想を言えば、『ドイツ・イデオロギー』は完成された著作とは言い難いのではないか。
まず草稿の大部分はエンゲルスによって書かれている。マルクスは部分部分に興味深い補筆、訂正、メモ等を書いているが、基本姿勢はエンゲルスに一任している印象を抱く。草稿の束(ボーゲン)の番号付けは大部分エンゲルスの筆跡によるが、1ページ毎のページ付けはマルクスの筆跡である。したがってマルクスとエンゲルスの思想の相違点をこの草稿から読み解くことが可能だとしても、『ドイツ・イデオロギー』執筆の基本姿勢としては2人が協働で思想を練り上げていった過程であると言えよう。

「フォイエルバッハ」章の原稿は全部で25個のボーゲン(別に全体のための序文を書いたマルクスの便箋も存在する)から成る。
ボーゲンとは何か。大きな紙があるのを想像していただきたい。それを半分に折ると1枚の紙で4ページ分が作れることになる。この1枚の紙のことを1つの「ボーゲン」と言う。つまり1ボーゲンに4ページ分が相当することになる。草稿は更にその1ページが左右半分に2つに区分けされ、ページ左半分がエンゲルス(大部分)による本文、右半分がマルクスおよびエンゲルスによる加筆、メモ等に当てられている。したがってページの右半分がほぼ空欄というページも存在する。また逆にエンゲルスの草稿の右側にマルクスが長大な加筆を行っているページも存在する。しかし左半分が本文であり、この部分の執筆は大部分はエンゲルスである。
ボーゲンにはそれ自体の「ボーゲン番号」がつけられている。またボーゲン番号とは別にページ番号もふられています。ボーゲンの1・2ページ側は「第1紙葉」、3・4ページ側は「第2紙葉」と呼ばれることもある。


3、大きく3つに分類される17個のボーゲン

内容的な文章の連関から見て次にあげる17個のボーゲンは、廣松渉によって「大きい束」と呼ばれたものである。この草稿群は途中で文章が切れている部分が二つあり、全体として3つの草稿(ブロック)のかたまりと言うことができる。ボーゲン番号はエンゲルスの手で、ページづけはマルクスの手でなされている。文だけではわかりにくいので以下に対照表を載せてみたい。

「大きい束」17ボーゲン
ボーゲン、マルクスによるページ付け、その他
{6} 8〜11ページ
{7} 12〜15ページ
{8} 16〜19ページ
{9} 20〜23ページ
{10} a面斜線にて抹殺、b〜d面が24〜26ページ
{11} a〜c面が27〜29ページ、d面はページ付けなし
{20} a面斜線にて抹殺、b〜d面が30〜32ページ
{21} a・b面が33〜34、c面抹殺、d面が35
{84} 40〜43ページ
{85} 44〜47ページ
{86} 48〜51ページ
{87} 52〜55ページ
{88} 56〜59ページ
{89} 60〜63ページ
{90} 64〜67ページ
{91} 68〜71ページ
{92} a面が72ページ、b面は文章が続くが頁付け無、第2紙葉紛失?
※ボーゲン番号はエンゲルスの筆跡。ページ付けはマルクスの筆跡。

よくこの表を見るとわかるが、ボーゲン番号が{11}から{20}に飛んでいる部分がある。 だがマルクスのページ付けは29から30ページにきちんと続いている。ここからわかることは『ドイツ・イデオロギー』草稿はまずエンゲルスが最初に草稿を提示した。そこから編集の手をマルクスが行った、部分部分で異論があるにせよ、基本姿勢としてはそのように言うことが可能であろう。
それゆえ{11}から{20}にボーゲン番号が飛んでいても、それは編集の作業の過程であって、草稿の紛失ではないと言うことになる。{12}〜{19}ボーゲンが存在しないからといって、それは草稿の紛失とは言えないことになる。
次にマルクスのページ付けを見てみたい。
ここには途中でページの欠損がある。問題はここである。

1点目:最初の1〜7ページがなく、8ページから始まっている。
2点目:36〜39ページが欠損している。

この欠損を埋めるであろう別の8つのボーゲンが、「大きい束」17ボーゲンとは別に存在する。これらは廣松渉によって「小さい束」と呼ばれた8つのボーゲンであるが、この残り8つのボーゲンを、上の17個のボーゲンのどこのページにはめるかということが『ドイツ・イデオロギー』「フォイエルバッハ」章の編集問題の争点である。


4、残りの8ボーゲンその他

以下の「小さい束」と呼ばれる8つのボーゲンが「大きい束」とは別に存在することが一般に知られている。

「小さい束」残り8ボーゲン
(ボーゲン、草稿の状態、番号筆者)
{1} 章の冒頭部分(第1紙葉ab面のみの半ボーゲン) B
{2} {1}の異稿 B
{1?} {1?}a〜c面→{1}の異稿か。{1?}cd面〜({2?}a面)→独立の文章。 (なし)
{2?} ({1?}cd面〜){2?}a面→独立の文章。b〜d面は余白。 (なし)
{3} 一続きの文。{1}{2}とも{5}とも繋がらない。 E
{4} {3}からの一続きの文。{1}{2}とも{5}とも繋がらない。 B
{5} 独立の文章。{1?}{2?} E
{?} 半ボーゲン。1962年発見。{1}の残り半ボーゲンと推測される。 (なし)

「B」「E」と書いてあるのは、ボーゲン番号を書いた人を指す。Eはエンゲルスであり、Bはベルンシュタインである。
渋谷正氏の研究によれば{1}{2}{4}のボーゲン番号は、{3}{5}のボーゲン番号よりもかなり小さい文字で書かれており、書体も異なるという。したがって{1}{2}{4}のボーゲン番号は草稿執筆以後に整理の際につけられたものであることが推測できる。この推測から1972年の新MEGA試行版では「{1}{2}{4}のボーゲン番号を書いたのはベルンシュタイン」であると判断した。ちなみにこの筆跡はリヤザノフ版ではエンゲルスのものと推定され、アドラツキー版ではマルクスのものと推定されていた。

{1}{2}は、冒頭部分の異稿である。配置位置としては冒頭の欠損部分1〜7ページの下書きだろうということが容易に推測される。
{1?}{2?}についてはやや説明が必要であろう。{1?}a〜c面は一続きの文章で{1}{2}の下書きである。しかし{1?}cd面〜{2?}a面は一連に読むことが可能な一続きの文章になっており、独立の文章になっている。なお{2?}b〜d面は余白である。
{3}{4}については議論が多い。まずマルクスのページ付けがなされていない。{3}のボーゲン番号をつけたのはエンゲルスだが、{4}の番号を書いたのはベルンシュタインである。しかしながらこの2つのボーゲンは内容が一続きなので{3}{4}が一連の文章のかたまりだということには異論が出ないであろう。ただ8〜72ページの中のどこに{3}{4}を配置するかが問題になる。
廣松渉はこの{3}{4}が内容から判断して「{3}{4}は欠損する36〜39ページの下書きだった」と考えた。筆者はこの考え方に賛成で、実際2002年に出た岩波文庫の新編輯版『ドイツ・イデオロギー』ではその配列順になっている。
これに対して渋谷正は、実際にアムステルダムでオリジナル草稿の実地調査を行い、新しく「草稿完全復元版」を作った(新日本出版社、1998年)。渋谷正は廣松渉の編集に批判的である。
筆者は{3}{4}の配置については内容から判断した廣松説に説得力があるように感じられる。渋谷版の存在意義も確かに大きいが、実際、岩波文庫新版を補筆・補訳した小林昌人はこの渋谷版も参考にしたことをあとがきで述べており、実際の{3}{4}の配置は廣松の配置を踏襲している。
{5}をどこに配置するかも難しい問題だが、これは内容から判断して前半部の異稿であると考えられる(廣松渉版では11〜16ページの異稿と考えられている)。この{5}を、{1}→{2}→{1?}→{2?}の後に配列するという考え方と、{1}→{2}→{1?}→{2?}→{3}→{4}の後に配置するという考え方があるだろう。筆者としては「{3}{4}は欠損する36〜39ページの下書き」であるという廣松説を支持するので{1}→{2}→{1?}→{2?}→{5}という配列が望ましいと考える。
次に{?}と表記した半ボーゲンは諸版で{ア}と表記されているものである。これは1962年にバーネによって発見された。これは1枚の断片であり、ボーゲン番号が記載されておらず、その代わりマルクスによる1〜2のページづけがある。ボーゲン番号が記載されていないことから新MEGA試行版(1972年)では「別のボーゲンの第2紙葉c〜d面だったのではないか」という推測をしている。実際のところ、現存するボーゲンで半分に切れているボーゲンは{1}であり、このボーゲンの後半分だったのではないかという考えもできる。ただあくまで推測に過ぎない。
実際に{?}({ア})が{1}の第2紙葉だとすれば{1}→{?}→{2}という順番になるはずだろう。{?}({ア})はマルクスによる1〜2のページづけがされており、「フォイエルバッハ」という選り分けの文字がマルクスの筆跡でなされている。ここから判断すれば{?}({ア})は「フォイエルバッハ」章の草稿であるということになる。この{?}({ア})の配置位置は諸版で意見の一致を見ていない。そこでここでは筆者の考えで「{?}({ア})が{1}の第2紙葉」であるという仮説をとり、{1}→{?}→{2}とあえて考えてみる。


5、「フォイエルバッハ」章の全体の構成

先述の考えから以下に筆者の編集案を示したい。
以下のような配列になる。

(ボーゲン、マルクスによるページ付け、および推察)

{1} 冒頭部分
{?} 1〜2ページ
{2} 冒頭部分{1}の異稿?
{1?} ボーゲン{6}〜{8}の異稿?
{2?} ボーゲン{6}〜{8}の異稿?
{5} ボーゲン{6}〜{8}の異稿?
{6} 8〜11ページ
{7} 12〜15ページ
{8} 16〜19ページ
{9} 20〜23ページ
{10} a面斜線にて抹殺、b〜d面が24〜26ページ
{11} a〜c面が27〜29ページ、d面はページ付けなし
{20} a面斜線にて抹殺、b〜d面が30〜32ページ
{21} ab面が33〜34ページ、c面抹殺、d面が35ページ
{3} ページ付け無し。欠損する36〜39ページの下書きか?
{4} ページ付け無し。欠損する36〜39ページの下書きか?
{84} 40〜43ページ
{85} 44〜47ページ
{86} 48〜51ページ
{87} 52〜55ページ
{88} 56〜59ページ
{89} 60〜63ページ
{90} 64〜67ページ
{91} 68〜71ページ
{92} a面が72ページ、b面は文章が続くがページ付け無し、第2紙葉紛失



※主な参考文献として

○K・マルクス/F・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳、岩波文庫、1956年
○K・マルクス/F・エンゲルス『新版ドイツ・イデオロギー』ゲ・ア・バガトゥーリャ編、花崎皋平訳、合同出版、1966年
○K・マルクス/F・エンゲルス『手稿復元新編輯版 ドイツ・イデオロギー』廣松渉編訳、河出書房新社、1974年
○K・マルクス/F・エンゲルス『[新訳]ドイツ・イデオロギー』服部文男訳、新日本出版社、1996年
○K・マルクス/F・エンゲルス『草稿完全復元版ドイツ・イデオロギー』渋谷正編訳、新日本出版社、1998年
○K・マルクス/F・エンゲルス『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』廣松渉編訳、小林昌人補訳、岩波文庫、2002年
○廣松渉『マルクス主義の成立過程』至誠堂新書、1974年
○廣松渉『エンゲルス論』佐々木力編、ちくま学芸文庫、1994年(初出:盛田書店、1968年)
○岩佐茂/小林一穂/渡辺憲生編著『『ドイツ・イデオロギー』の射程』創風社、1992年





※以下、コメントにおいて少しずつ各ボーゲンの状態について書いていきたい。
異論並びに草稿についての情報等があればコメントで自由にご指摘願いたい。

・{序文}→ コメント1
・{1} → コメント7
・{?} → コメント8および9

以下、引き続き、コメントにおいてそれぞれのボーゲン・草稿の状態を記していきたい。


コメント(10)

コメントにおいてトピ主「のぶりん」が各草稿・ボーゲンの状態を適宜少しずつ書いていきたい。なおご質問、ご高見等をコメントに他の方が書かれるのは自由なので、ご意見があれば書き込みをいただきたい。しかしながら不適切と考えられる書き込みの削除の是非は、トピ主・服管理人ののぶりんの裁量で判断することをご海容いただきたい。




○序文“Vorrede”の書かれた便箋について

これは『ドイツ・イデオロギー』が2巻本で構想されていた時期に、第1巻の序文として書かれたものであり、全文マルクスの筆跡によるものである。用紙は便箋が用いられており、1枚の便箋を2つ折りにした4ページ分があり、そのうち3ページ分途中までが執筆されている。これにはボーゲン番号もページ付けも記載されていない。リヤザノフ版とアドラツキー版はこの「序文」を収録している。現在進行中の新MEGA第I部第5巻にはこの「序文」も収録される。


版形:198mm×318mm(渋谷正が現代史文書保管研究ロシアセンターのリュドミラ・ヴァシーナに照会した報告による)


草稿の状態等:
上述したように『ドイツ・イデオロギー』の序文以外の他の草稿は全て左右半分2つに区分けされ、ページ左半分がエンゲルス(大部分)による本文、右半分がマルクスおよびエンゲルスによる加筆、メモ等に当てられている。左半分が本文であり、この部分の執筆は大部分がエンゲルスになっている。

ところが「序文」“Vorrede”は他の草稿のように1ページが左右に分けられていない。マルクスは便箋のページを全面使って文章を執筆している。しかしこの序文は未完であり、執筆は3ページ目の半分までである。また2〜3ページは斜線によって抹消されている。4ページ目は白紙である。

冒頭の文章は直接話法によって書かれているが、これはヘーゲル左派の口調を真似して皮肉ったもののようである。またこの序文中で3人の男があげられ、批判の槍玉にあげられているが、これは順番にL・フォイエルバッハ、B・バウアー、M・シュティルナーのことである。
 あと、新MEGA先行版というのがありますね。
みやさんへ>
情報、ありがとうございます。感謝します。
寡聞にして知らないのですが、「新MEGA先行版」というのは1972年「新MEGA試行版」とは別のものですか。とすればこの版は現在進行中の新MEGA第I部第5巻に先行して刊行された版でしょうか。
もしよろしければ執筆年代、編集上の特徴等をご教示いただければ幸いです。何も知らずに申し訳ありません。
みやさんご指摘の「新MEGA先行版」はやはり1972年のインゲ・タウベルトによる「新MEGA試行版」とは編集方針も異なっているのでしょうか。非常に興味があります。また上記のコメント1の「序文」は収録されていますか。ご存知の範囲でわかればご教示いただければ助かります。
 私もコピーをもらっただけでまだ読んでおらず、詳しくは分からないので、データだけ記載しておきます。私が分かる範囲では、この版においては、基本的にマルクスおよびエンゲルスが執筆した順に配置するという方針で編集したと言うこと、だが細かな点でミスが多く論文などで引用するにはリスクがあるということです。たぶんそれなりに大きい大学の図書館には入っています。

 Marx-Engers-Jahrbuch2003
 Herausgegeben von der internationalen Marx-Egels-Stiftung Amsterdam


 
みやさんへ>
なるほど。ありがとうございます。
本当の意味で“現在の新MEGAの先行版”なのでしょうね。
2003年ですから岩波文庫新版が出た後に、新MEGA編集委員が研究用に作成したものなのでしょう。
まあ、でもオリジナルのテクストを調査・研究した渋谷版があると、この先行版も厳密に評価できそうですね。ありがとうございました。今度見てみたいです。
関心があるのは新MEGAの先行版における「小さい束」{1}{2}{1?}{2?}{3}{4}{5}{?}の扱いと配列順序ですね。現在の新MEGAの編集方針は時間系列順の配列を踏襲していると思いますので新たな文献学的知見が気になります。
○ボーゲン{1}について
ボーゲン{1}は{1?}を改訂して成立した「フォイエルバッハ」章の冒頭部分に当たる。実際に{1?}ab面の文章は{1}に近似しており、エンゲルスの本分にマルクスの欄外の書き込みも見られるため、この{1?}を清書したものが{1}であると推測される。{1}の本文は全てエンゲルスの筆跡によって書かれており、マルクスの書き込みはない。第2紙葉までの半ボーゲンであり、cd面は存在していない。
なお新MEGA試行版では{?}(1962年にバーネにより発見された半ボーゲン)がこの{1}の第2紙葉(cd面)である可能性が高いとしている。

版形:199×319mm(新MEGA試行版による)

草稿の状態:
なお{1}というボーゲン番号はベルンシュタインによって書かれたものと推測される。この{1}の番号は用紙の上部中央に記載されており、リヤザノフ版では{1}のボーゲン番号の筆跡をエンゲルスと推測し、アドラツキー版ではマルクスの筆跡であるとみなしている。
文章はa〜b面3/4程度書かれ、b面の文章には最後に太い横線が一本引かれて、残り1/4は白紙になっている。なお1と書かれた後に標題の「フォイエルバッハ」が記載されているが、渋谷版の報告によればこれには下線が付されている。これはいずれの版にも報告されておらず、アドラツキー版のみこの標題を太字で印刷するにとどめている。
○ボーゲン{?}について
この半ボーゲンは廣松版、2002年岩波文庫新版では便宜上{ア}と呼ばれているものであり、1962年にS・バーネによって初めて世界に公表されたものである。ちなみに本コミュのトップ画像はこの{?}の写真の一部である。これは1枚の紙片であり、表裏にマルクスの筆跡で1〜2のページ付けがなされている。
7のコメントにもあるように、新MEGA試行版(1972年)ではマルクスが「1)」というページ付けを記したページにボーゲン番号が記載されていないことから、この{?}が半ボーゲンである{1}のcd面(第2紙葉)の可能性が高いとしている。

版形:199×319mmだったと推測されるが草稿の損傷が激しい。

草稿の状態:
左半分の文章はエンゲルスによって書かれている。
マルクスによって「1)」とページ付けされた面は右半分には、無数の人の横顔の落書が書かれており、その隙間を縫うようにマルクスの覚え書きが多く書き込まれている。そのため判読は困難を極める。
マルクスの1〜2のページ付けがあり、また「フォイエルバッハ」という選り分けの文字も書かれているので、この草稿が「フォイエルバッハ」章に含まれることが推測されるが、現存する草稿の中での位置を特定することができない。トピックの方では新MEGA試行版の推測から、この草稿を{1}の後に配置したが、これは定説ではない。
1ページ目は文章の途中から始まり、最初に書かれている文字は“milie”と判読される。これは“Familie”(家族)のスペルの途中ではないかと推測されている(廣松版では『聖家族』の題ではないかとも推測されている)。ちなみにこの単語をバーネは“muhe”と判読している。
訂正:上記8のコメントについて


{?}1ページ目の冒頭の単語について。
S・バーネの判読は正しくは“muhe”ではなく“mühe”である。
○ボーゲン{2}について
用紙の上部中央にボーゲン番号の{2}が記されているが、この筆跡については以下のように見解が分かれている。

新MEGA試作版  →ベルンシュタインの筆跡
リャザーノフ版   →エンゲルスの筆跡
アドラツキー版   →マルクスの筆跡

内容は「フォイエルバッハ」章の冒頭部分を示唆する内容で、最初に「I.フォイエルバッハ。A.イデオロギー一般、とりわけドイツの」と書かれて文章が始まる。
推測であるが、恐らく章の序説が{1}であり、これはその続きであるか、あるいはその異稿であると考えられる。ただし文章は未完成である。

版形:198×315mm

草稿の状態:
第4紙葉は後半約2/3が白紙になっており、未完のままになっている。
文章自体はエンゲルスの文章にマルクスが部分で手入れをするかたちで執筆されており、エンゲルスとマルクスとの共同執筆によって原稿が書かれたことがよくわかる。


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