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盛岡てくりコミュの盛岡の本屋さん 5 伊藤書店と誠山房 他

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ちょっと極端な言い方かもしれないが、高松神社あたりから坂道を下って、上田を通って(ちょっと曲がるけど)、本町を抜けて、上の橋を渡って、200メートルくらい先の辺りまで、商店街が一つながりになっていた。道の両側には、生活に必要なものを売る小売店がたくさんあった。小売店は、スパーマーケットが登場しても、そこそこ生き残っていたと思う。

この道成にあった記憶にある限りのスーパーをあげてみよう。高松の池の入り口あたりにスーパーがあった気がする。…これは気がするだけで、本当はなかったかもしれない。ちょっとはずれてNHK盛岡支局の裏あたりにCOOP生協があった。道を戻って、上田と本町の境目あたりに、むらかみスーパー。上の橋手前の、かつてSY内丸という映画館があった通りの右角にもスーパー。左のちょっと奥にも、ここいらではもっとも大きなスーパーがあった。

3キロ足らずの間に、5つもあったことになる。スーパーマーケットが出来たことで、小売店が廃業に追い込まれるといったこともあったとは思うが、私の記憶の限り(といっても25年は前の記憶だが)では、共存していたような感じがする。

さて、この長い通り沿いの本屋さんについて。まずは、高松神社よりずっと奥の盛岡三高の前から。


●伊藤書店三高前支店/高松三丁目

1980年代前半に登場したと思う。緑が丘に向かう通り沿いの、三高の向かいにできた。この本屋さんができた時に、既に通りも拡張されていたような気がする。

店舗面積はそんなにない。六坪程度だったと思うが、買い物をした記憶はないし、二、三回覗いただけのつきあいだ。上田通りにあった「伊藤書店」の支店だ。文庫と雑誌とマンガと学習参考書が中心の典型的な学校前書店だ。今はないみたいだ。

高松神社を左手に見ながら坂を下って、田中屋書店と高松書店を右手に見ながら高松交差点を越えて上田通りに入ると、すぐ左手に画材屋があった。狭くて、あまり選択肢のない品揃えの画材屋だった。どこかの学校にでも卸していたのだろうか? (くまがい文具と言ったらしい)

この通り沿いで小学生の私が通った店といえば、中程右手にあった「だいまる模型店」だ。ここではプラモデルというより、工作用のバルサ材を買ったり、モデルガンを見たりいじったり、買ったりした。だいまる模型店は現存しているとの情報を得た。嬉しい。と、思ったら別の方から、つい最近、廃業したとの報告を受けました。残念です。

この道をどんどん進むと、昔は専売公社の工場跡地が廃墟としてあった。現在は中央病院が建っているか、当時は強大な廃墟で、中学生の頃、よく忍び込んで遊んだ。窓ガラスは割り放題だったし、工場の跡だから、床に段差があったり、巨大な穴があいていたり、意味がわからない特殊な作りがしてあって、それはワクワクしたものだった。

大学の夏休みで帰省した時だったか、友人から借りたシングルエイトという8ミリカメラで、この廃墟の中を撮ったりもした。その専売公社廃墟の手前のはす向かいに、上中生と一高生の御用達の小さな本屋さん「伊藤書店」があった。


●伊藤書店/上田一丁目or三丁目

やっぱり今は存在していない本屋さんだ。記憶にある最初の伊藤書店は、入り口が木枠にガラスの入った引き戸で、本棚や台は、木製だった。店の中に段差があったような気もする。文庫本とマンガと雑誌と学習参考書の店。畳12畳弱く
らいの床面積があったような気もするが、曖昧だ。

中学生の私は、ここで文庫本をたくさん買った。星新一とか北杜夫の文庫は、たいてい、伊藤書店で調達した気がする。あの当時、文庫本よりも小さいサイズで、「石坂洋次郎文庫」(出版社は忘れた…)というのが出ていた。そもそも私の世代で石坂洋次郎なんか読む人はいないのだが、サイズが珍しくて、伊藤書店で何冊か買った覚えがある。講談社から「遠藤周作文庫」というのも出ていた。それも何冊か、伊藤書店で買った記憶がある。それらの文庫本は、その後、古本屋に売り払ったので、実家にもあまり残っていない気がする。

私が中学生の頃には、ちょうど、文庫サイズのマンガが出始めた時期でもあった。私は、「ちばてつや文庫」を数十冊持っている。だから私の持っている「あしたのジョー」は文庫本だ。それらの半分は、伊藤書店で買ったものだ。

サッシの戸に改装され、床がフラットになったのは、私が中学に通っていた頃だったか、その後だったか、記憶が曖昧だ。上田中学に通っていた三年間、この本屋さんは随分と利用した。ただ、経営者のオヤジのことがなぜか大嫌いだった。


●謎の八百屋書店/上田一丁目

伊藤書店から上田の交差点に出て、夕顔瀬橋方面に曲がると、左手に岩手銀行があった。その向かいあたりに四畳半程度の広さの八百屋があった。その店ではなぜか、マンガのコミックスを売っていた。本屋なのかといえば、本棚はなく、野菜売場の一角に段ボール箱を積み重ねて本を売っていた。本といっても、マンガ週刊誌と講談社コミックスがメインだったから、品揃えもかなり偏っていた。

オイルショック後で定価がまだ定まっていないコミックスは、380円もしたりした。それまでは220円から260円だったのだが、あっという間に値上がりした。320円平均に落ち着いたのは、しばらく経ってからだった。

この八百屋の本屋さんでは、連載終了からだいぶズレて出版された白土三平の「ワタリ」など新刊コミックスを売っていた。店の作り上、立ち読みもできなかったが、不思議な店構えが気になって、よく前を通って、様子をうかがった。私が中学に通うようになった頃には、この八百屋本屋さんはなくなっていた。本を売らなくなって、普通の八百屋になったのかもしれない。

中学生の頃、この並びには、ソニーの専門店もあった。当時、ソニーのカセットテープは、紙箱に入って売っていた。60分が赤箱。90分が青箱だったような気がする。オープンリールをカセット化したLカセットいう、全く普及しなかった製品が、大々的に売り出されていた。ソニーだけが開発し、他のメーカーは追随せず、2年も持たなかったような気がする。

ちょうどこのソニーの電化製品を売っていた店のあったあたりにできたのが「誠山房」書店だ。


●「誠山房書店」半分レコード屋の書店/上田一丁目

私は1980年に高校を卒業して盛岡には3月までしか住んでいないから、この本屋さんは1970年代の末にできたのだと思う。鰻の寝床のような奥に細長い形で、奥の方ではレコードを売っていた。ここで本を買った記憶はないが、デビューしたての「ジャパン」というバンドのシングルレコードを何枚か買った。ジャケットに少女漫画のようなイラストが使われていた。ジャパンのアルバムは、材木町の「村定楽器」で買っていた。多分、村定で買い物をしたのは、その時が最後だったと思う。この本屋さんは、随分前になくなった気がするが、最近まであったのかもしれない。


  本町通り編へつづく

コメント(2)

 まずは余談から

>高松の池の入り口あたりにスーパー
 これは覚えています。昭和48年頃まではよく使っていましたが、名称が思い出せません。

 「SY内丸から左のちょっと奥の方のスーパー」というと「いちのへストア下小路店」の事ではないでしょうか。だとすれば現在はジョイスと改名して営業中です(毎年帰省の度に使っているのでなくなっている事はない・・・と思いますが)
 ここでは開店当初、最近日本から撤退したデイリークイーンのハンバーガー店が入っていた事を覚えています。

 謎の八百屋書店
 この文を見て思い出しました。昭和45年頃までは確かにあったと思います。本よりも「天井から下げて売っていた文具風の玩具」の印象が強いですね。建物自体はその後もしばらく残っていた記憶があります。

 この通りにはむらかみ(現ファル)の本店もあった記憶があります。もっとも当時はスーパーなんだか市場なんだかわからない不思議な構造でした。昭和46年前後に現在の所に移転したと記憶しています。

 本屋の話なのにスーパーの話になってしまいすみません。
>いんべさん

頼もしいコメント、ありがとうございます。
謎の八百屋書店! 「天井から下げて売っていた文具風の玩具」! そういや水鉄砲なんか売ってました! 一体、あの店はなんだったのでしょうか。

スーパーも地元資本のものは、どんどん駆逐?されていった感があります。

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