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盛岡てくりコミュの盛岡の本屋さん 4 田中屋書店と久保庄書店等

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個人手な思い出話を、しかもだんだん長文化してきてすいません。


■高松書店と田中屋書店と久保庄書店、その他

前九年の好文堂を出て館坂橋を渡ると左側に「高松外科」があった。今も開業しているのかは確かめていないが、私の最初の記憶にある1960年代にはまだ木造だった。鉄筋コンクリート造りに建て替えられた後、外科の他に内科も加わった。外科の高松先生はスポーツマンで、スキーが得意だった。斜面を滑る先生の姿が、網張スキー場のポスターになっていたりした。

高松外科の向かい側には、「谷藤」という銭湯があった。1970年前後に廃業して、三、四階建てのビルになった。一階には「ルピナス」という洋菓子屋が入り、上は賃貸アパートだったと思う。これも現在はどうなっているか、確かめていない。

谷藤ビルの前から右折すれば梨木町につづく道を渡ると、角か、角から二軒目くらいに、本と化粧品を扱う店舗面積が6畳くらいの狭い店があったような気がする。80年代半ばのことだ。これは気がするだけで、記憶は曖昧で、本当に勘違いかもしれない。床屋の千田の向かいあたりの位置だ。床屋の千田も、七十年代半ばにできたのだったと思う。

この通りの、両側が岩大に挟まれる手前、左側には畑が広がり、その一角に「須原産婦人科」というのがあった。岩大の間を進んで、盛岡体育館を右に見ながら通り過ぎ、上田小学校とNHKの間を抜けると、その先に高松の交差点がある。現在はバイパスがメインの交差点になっているが、開通する以前は、高松神社に繋がる細い道(高松通りと言うのか…)がメインだった。この通りも、私が高校生くらいまでは、商店街だった。


●高松書店/高松一丁目

高松通りの入り口の、上田通りを背にすると左側角に「高松書店」があった。やはり今はなくなってしまった本屋さんだ。70年代の半ばに登場して、90年代半ばまではあったように思う。

6から8坪くらいの、奥に細長い四角い店舗だった。道路面の入り口を背に、コの字型に三面の本棚、真ん中に一列の本棚。レジは入り口付近の右手にあったような気がするがあまり覚えていない。マンガと雑誌、学習参考書がメインの本屋さんだった。

きっと上田小学校、上田中学、久保高(随分前から名前が変わっているらしい…)、盛岡一高、盛岡三高あたりが客層だったのだろう。後に三高の前には「伊藤書店」の支店ができるが、これについては後述します。


●田中屋書店高松支店/高松一丁目

「高松書店」の一軒おいて隣り、くらいの近いところに、「田中屋書店」の高松支店があった。肴町の田中屋書店と同じ店名だったので私が勝手に支店だ判断しているが、違っていたかもしれない。この本屋さんは、高松書店が登場して間もない頃に出来たと記憶している。六畳程度の四角い空間の奥に、二畳弱くっついたような、奥細変形の店舗だった。高松書店がなくなるよりも前になくなっていた。

ここの本屋さんには、古い角川文庫や創元社の文庫が充実していた。なぜか映画の原作小説がたくさん並んでいた。売れ残りだったのかもしれないが、中学生の私は、それらの文庫本を随分と買った。『太陽がいっぱい(リプリー)』や『怪傑ゾロ』『ベンハー』『禁じられた遊び』『ロイ・ビーン』『ロールスロイスに銀の銃』とか『ゲッタウェイ』など。

ロック雑誌のロッキングオンを発見して初めて買ったのも、ここの本屋さんだった。当時は、発行人の渋谷陽一がNHKラジオの「若いこだま」の土曜日担当から、NHKFMに移り、「ヤングジョッキー」という一時間番組のDJを始めた頃で、ロッキングオンは、まるで知名度もなく、まだ隔月刊だった。

カラーなのは表紙だけで、64ページ程度の薄い雑誌だった。ほとんど同人誌レベルのため、来日ミュージシャンとアポを取ることもできず、架空インタビューと称して、想像で作ったインタビュー記事を載せていたりした。買い始めて何冊目かで、急に280円に値上げしたのを覚えている。ところがそれまではいくらだったのかは、記憶にない。180円だったか。一挙に百円も値上げするだろうか?

田中屋書店高松店でロッキングオンが売り切れている時は、肴町の本店に行った。月刊になってからは、東山堂本店でも見かけるようになった。そのうち、ロッキングオンはどんどんメジャーになり、どこの本屋でも売られるようになった。

それにしても、高松書店の並びに開店するメリットは何かあったのだろうか? どういう見込みがあって開店したのだろうか? どこの本屋さんも、一年二年で消えてしまったわけではなく、それなりに何年か続いていた。ということはそれなりに経営が成り立っていたわけだ。盛岡には、このほかにも小さな本屋さんがまだまだあった。なんで成り立っていたのだろうか、謎だ。


●田中屋書店本店/肴町
●久保庄書店/肴町

高松の田中屋書店について書いたので本店についても。この本屋さんもいつの間にかなくなっていた。

「田中屋書店本店」は、肴町というか、肴町のアーケイドから、喫茶店の「車門」などのある通りを曲がってちょっと先の左側にあった。旧川徳デパートの裏あたり。肴町ではなく生姜町というのかもしれない。田中屋書店と並んで、一軒おいて隣には「久保庄書店」という本屋さんもあった。両店とも、一〇坪くらいの店舗面積で、店構えも似ていたので、私の記憶の中ではごっちゃになっている。両店とも、床が三和土、みたいな感じだった。私が小学校の頃、「東山堂本店」の四階を除いて、マンガの在庫がもっとも多かったのが上の橋の「みみずく書房」で、その次が田中屋書店本店か久保庄書店だった。特に青年コミックの在庫が多かった気がする。二軒ともいつなくなったのか、まったく知らない。

何年も前に、盛岡の知人から茶畑に田中屋書店という名前の小さい本屋さんがあると聞いたが未確認だ。その店が現存しているかも不明。さすがに茶畑は私のテリトリー外だった。そもそも私が本屋さん巡りを頻繁にしていたのは、小学校5年と6年の頃だ。欲しいマンガ本を探して、市内の商店街をてくてく歩いて回り、本屋さんを見つければ中に入って確かめる、という作業を行っていた。小学生の歩きだから行動半径は必然的に小さい。


●久保庄書店ステーションデパート店

久保庄書店の支店についても書いておこう。その昔、盛岡駅の地下は、ステーションデパートと言った。なにやらごちゃごちゃした店がコマ単位よりは少し広めの面積で入っていたような気がする、と書くと、ちょっと悪意が透けて見えるか。その中に一軒、本屋さんがあった。久保庄書店となっていたから、生姜町の久保庄書店の支店だったのだと思う。もちろん現在はステーションデパートごと(というか名称だけで中身はそんなに変わっていないか…)、本屋さんもなくなっている。

ここの久保庄は、エロに特化した本屋さんだった印象がある。扱っている書籍、雑誌の半分は、エロ系だったと書くと、誇張のしすぎだろうか。盛岡のエロ本の一大供給地だったと思う。とにかくエロ本が山積みで、ろくに整理もされていなかった雑多な印象がある。

高校くらいになると、さすがにエロに興味もわいてきたが、当時の限られたバイト代の中でやりくりしていた私にとって、欲しい本の優先順位は他にあったため、ここの本屋さんで買い物をしたことはなかった。が、高校の同級生、特に電車通学の連中は、エロ本を頻繁に購入していた。

コメント(2)

 久保庄書店のステーションデパート店は80年頃、地下街が「パルモ」と改名した辺りから暫く存在していたと思います。流石にその頃になるとエロ本の比率は減っていたようですが、妙に間取りが複雑な構造だったので奥まで行くのが大変でした。
 (新幹線開業前後の時期はフェザンの誠山房とともに立ち読みスポットとして使っていました)
 
 今でも構造としてはそうですがあの地下街は不思議な凝縮感の様なものがあって好きな場所です(これだけでも一文書けそうですが)90年代の終わりころには改札の左側にさわやがオープンしてだいぶ印象が変わりましたが、そのさわやも駅の一階に移転しましたね。
>いんべさん

そうそう、久保庄書店、間取りが変でしたね。
90年代には地下にさわやがあったのですか、まるで知りませんでした。

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