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こころとサイエンスコミュの退屈は危険なサイン(長文注意)

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退屈は危険なサイン(長文注意)
BORED?

「仕事や交通渋滞やきまりきった日課のせいにしてはならない。退屈に勝つには、集中することが重要だと研究者は言う。その瞬間を大切に生き、生きがいを見つけることで退屈を撃退できる」 … アンナ・ゴスリン

=退屈しやすさテスト= (これは、トピを読み終わってからやるといいですよ)
あなたは簡単に退屈してしまうタイプだろうか。このテストで調べてみよう。
各設問に対するあなたの答を「全然そんなことはない」を1点、「まったくその通り」を7点としてスコアをつける。どちらでもないときは4点だ。

*(アスタリスク)がついている設問には逆の得点づけをする、(「全然違う」なら7点、「まったくその通り」なら1点、どちらでもないときは、4点)

28の設問すべてに対するスコアを合計する。この質問票は、オレゴン大学の心理学者ノーマン・D・サンドバーグとオレゴン研究所のリチャード・F・ファーマーが開発した退屈傾向スケール(BPS:Boredom Proneness Scale )からとったものだ。

高スコアは退屈しやすいことを示す。スコアが低い人は退屈傾向傾向も低い。ヨーク大学の臨床心理学者ジョン・D・イーストウッドらがトロントで調査したときの対象集団の平均スコアは99で、集団の3分の2が含まれる「正規領域」は81〜117だった。
スコアが135超または63未満の人はわずか2.3%だった。

1、自分が行なっている活動に集中するのは容易だ。*
2、働いているあいだ頻繁に、自分がほかのことを心配しているのに気がつく。
3、時間はいつもゆっくり流れているように感じられる。
4、気がつくと、何をしたらいいかわからず「自らをもてあましている」ような気分でいることが多い。
5、無意味なことをしなければならない状況によくはまってしまう。
6、他人のホームムービーや旅行の写真を見せられると、ものすごく退屈する。
7、心にいつも何かの計画があり、何かすべきことがある。*
8、ひとりで楽しむのが得意だ。*
9、しなければならないことの多くが、反復的で単調だ。
10、何かをやり始めるとき、たいていの人よりも多くの刺激を必要とする。
11、やっていることのほとんどに喜びを感じる。*
12、めったに自分の仕事に興奮を感じない。
13、通常どんな状況でも、何かをやることをみつけたり、興味を保ち続けることができる。*
14、ほとんどの時間、何もしないでただ座っている。
15、辛抱強く待つのは得意だ。*
16、時間はあるのに、することがないというkとがよくある。
17、行列に並ぶなど、待たされる状況で、非常にいらいらする。
18、朝起きると新しいアイデアが浮かんでいることがよくある。*
19、胸がわくわくするような仕事を見つけるのは難しいだろう。
20、人生でもっとやりがいのあることをしてみたい。
21、ほとんどの時間、自分の能力以下の仕事をしていると感じている。
22、よく人から、クリエイティブで想像力があるといわれる。*
23、興味のあることが多すぎて、全部をやる時間はない。*
24、友人の中では、自分が何かを最も長く継続してやっている。*
25、何か興奮するような、ときには危険なことをしていないと、退屈で死にそうになる。
26、心から、幸福を感じ続けるには、変化やバラエティに富んでいないとだめだ。
27、テレビでも映画でも、やっていることはいつも同じに思える。何もかもが古臭くなってきている。
28、若いころには、しばしば単調で退屈な状況におかれた。
     〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
静かな暗い教室。あなたはいらだちながら疲労と戦いはじめる。頭上のプロジェクターのうなりが気になり、スライドに集中できない。あなたは聞くのをあきらめて、意味もないいたずら書きをはじめる。
もうずいぶん前から教授の話は頭に入ってこなくなっている。あなたは退屈している。

どんな人でも、ときには退屈するものだ。たいていはそれを単調な環境のせいにする。「西洋文化ではふつう、退屈は『なにもすることがないこと』と定義されている」と西フロリダ州立大学の心理学者スティーブン・ボダノッチは言う。

実際、退屈の影響に関する初期の研究は、工場の流れ作業のような単調な仕事を強いられた人々に焦点を合わせたものだった。
しかし、退屈はただ周囲の状況に自動的に付随してくるものではないと研究者は言う。むしろ退屈は主観的な感覚であり、意識のいくつかの側面に根ざしたものだ。退屈のレベルは人によって異なり、退屈を感じにくい人もいれば、たとえば外交的な性格の人のように、退屈に弱い人もいる。

そこで、新世代の科学者たちは、この退屈という人間らしい感情の心理学的基盤を解明しようと奮闘している。その結果、じつは退屈というのは一般的に考えらえているよりも複雑なものであることがわかった。退屈は単一の概念ではなく、いくつかの種類があるのだという。

意識のひとつの側面である注意のレベルは,退屈にとって重要な役目を果たしている。だから集中力を改善できなければ、退屈しにくくなるかもしれない。
感情的な要素も退屈に関係している。たとえば、自分の感情を理解するのが下手な人や、気分に流されて注意散漫になりがちな人は退屈しやすい。

退屈を回避することは、単に日常生活の問題にとどまらない。退屈しやすい人は、うつ状態や薬物依存などの病的状態に陥りやすい。さらに、そうした人たちは学校や職場でも他人との交流が下手で、学業や仕事の成績もかんばしくない傾向がある。退屈の源を探れば、そうした病的状態や好ましくない行動を妨げたり、治療したりできるようになる可能性がある。

<心の単調さ>
退屈に関する研究は100年ほど前から行なわれてきた。初期の研究のきっかけとなったのは、たくさんの工場労働者が退屈のせいで生産性を落としているという実情だった。そこで、退屈な仕事が労働者にどのような影響を与えるかが調べられるようになった。

たとえば英国立産業心理研究所の心理学者A・ハドソン・デイヴィースは1926年にブリティッシュ・メディカル・ジャーナル誌に発表した論文で、退屈は精神的疲労と似たものであり、流れ作業における細かな断片化された作業の反復と、そうした作業に対する興味の欠如が原因で生じると報告した。

デイヴィースはまた、退屈には個人差があり、工場労働者の間でも、退屈に陥りやすい人とそうでもない人がいると指摘している。

「この種の作業に従事しても退屈をしない人もいれば、非常に変化に富んだ作業に取り組んでいても、いつも気を滅入らせ、生活が単調だと不平ばかり言っている人もいる」。
1930年代後半、退屈の基盤を実験によって調べようと考える研究者が現れた。
ニューヨーク市立大学の心理学者ジョセフ・バーマックもそのひとりだ。
彼は退屈は眠気に似たものだろうと考えた。そこで、大きな数の足し算を連続して行なうといった反復的作業をしている被験者に3種類の興奮剤(アンフェタミン、エフェドリン、カフェイン)を投与したところ、作業中の疲労や眠気、不注意、そして退屈の報告が減ることがわかった。

また、学生の被験者に金銭的報酬を与えると、興味がわいたように見えた。
以上から、退屈を感じるのは覚醒の度合いが低いことと、モチベーションの不足の組み合わせが原因と考えられた。

それから10年以上経った1951年、オーストラリア生まれの精神科医オットー・フェニヘルは『思考の組織と病理(Organization and Pathology of Thought)という本を著し、あるタイプの退屈について記述した。この種の退屈は、個人のやる気や希望が抑圧されることが原因で起こり、そのため当人は目的を失ったように見える。フェニヘルはそのような「病的」な退屈を一般的な退屈と区別した。彼によれば、一般的な退屈とは「単にしたいことができないとき、あるいはしたくもないことをやらされているとき」に感じるものだ。

その後30年間は、退屈に関する研究は数も少なく、断片的なものがときおり発表されるだけだった。ようやく1986年になって、オレゴン大学の現名誉教授で心理学者のノーマン・D・サンドバーグと、当時彼の教え子だったリチャード・F・ファーマー(現在はオレゴン研究所に所属)が、おそらく退屈に関しては最も統合的な研究を発表した。

彼らが考案した28の質問からなる「退屈傾向スケール(BPS)」は、退屈を形質として測定するために考案された心理測定スケールとしては初めてのものだった。(スケール:ものさしという意味)

退屈傾向スケールは、どのような状況で退屈を感じやすいかを調べるテストだ。ほとんどの人が、明らかに反復的であったり、単調であったり、無理やり拘束されるような状況では、一時的な厭世感に陥る。たとえば長い列に並ぶというような状況だ。しかし、もっと頻繁に退屈を感じるような人もいる。

生活の中に刺激的な出来事がないとだめな人、自分ひとりでは楽しみをみつけられないため、ヒマな時間をもてあまし退屈してしまう人、あるいは人生の意味や目的が見いだせず、そのせいで“実存主義的”退屈に苦しむ人などだ。

退屈しやすい人は、不安、うつ、薬物依存や飲酒癖のリスクが高く、怒りや攻撃的行動を見せたり、対人関係が下手な場合が多い。さらに学校や職場でも成果がなかなか上がらないという結果が、ボダビッチらが過去20年間にわたって行なってきた研究で示されている。

<Fast Facts>
1、ほとんどの人が退屈を状況のせいにするが、心理学者は、退屈という感情は非常に主観的なもので、意識のいろいろな側面に由来していると考えている。さらに、退屈しやすい人にも個人差がある。他人より退屈しやすい人もいるし、逆に退屈しにくい人もいる。

2、退屈は画一的な概念ではなく、いくつかのタイプがある。たとえば列に並んで待っているときに一時的に感じる退屈や、人生への深い不満を伴う「実存主義的退屈」などがある。

3、退屈は感情的な要素とパーソナリティ特性の両方に関連がある。また、注意力の問題も関係しているので、集中力を高めるテクニックによって退屈を減らせるかもしれない。

<目新しさを求める>
ボダノビッチとオクラホマ州立大学のJ・クレイグ・ウォレス、ウエストフロリダ大学のスティーブン・カスが2005年に行なった退屈傾向スケールの分析で、退屈しやすさには二つの重要な要因があることが示された。

一つ目の要因は外部からの刺激だ。人は目新しさや興奮、バラエティに富んだものを求める。ボダノビッチによると、一般に男性は女性より退屈しやすいとされ、ここで高いスコアをとる。「退屈するのは環境から十分なものを与えられていないからだ、というのが男性の心理だ」と彼は説明する。

外交的な人がとりわけ退屈しやすい傾向にある理由も、外部刺激への欲求で説明できる。単調な作業に関して初期に行なわれた多くの研究で、外交的な人のほうが作業の能率が下がりやすく、正確さを欠くことがわかった。

ロンドンにある精神医学研究所のパーソナリティ研究の先駆者、ハンス・アイゼンクによれば、外交的な人の場合、最適な覚醒レベルを保つには、多様な刺激を常に受け続ける必要があるからだという。

この考えと一致するが、外交的な人は「刺激欲求尺度(sensation seeking scale)でもたかいスコアを出す傾向がある。このスケールは、個人がどのくらい刺激を渇望しているかを測るもので、1960年代にデラウェア大学の心理学者マーヴィン・ズッカーマンが開発した。

退屈しやすさを調べる質問も含まれている。しかし、すべての研究で外向性と退屈に関連性が見いだされているわけではない。外交的な人の中には、無味乾燥な作業に自分で少々興味をもてる工夫をする部分を加味し、退屈をうまく避ける工夫をする人もいる。

1975年、英キール大学の心理学者A・B・ヒルは、32人の大学生を被験者として、画びょうを拾っては刺すというひどく退屈な作業をさせる実験をした。16人の外交的な学生は、同数の内向的な学生よりも、はるかに変化に富んだやりかたでその作業を達成した。

作業の方法にささやかながら興味をもてるような変化を加えることで、外交的な学生は刺激のレベルを引き上げたのだ。

つまり、外交的な人は一般に外部の刺激を多く求める傾向が強いが、自分で刺激を作る能力には個人差があるということだ。これが、ボダノビッチが退屈傾向スケールの結果から導き出した二番目の重要な要因だ。

趣味や関心が多岐にわたる創造的な人は、どのような状況でも何か興味のもてることを見つけ出す能力があり、そのため、そう簡単には退屈しない。サンドバーグはこう語る。
「仏教の僧侶のようにじっと黙って座っていても退屈しない能力を磨くべきだと思う。
心の内面や人生、娯楽や成長の中に楽しみを見つけられるようにならなくてはならない。」

このように心の中で楽しむことができる技術を身につけていないと、結局、どんなときも外部の世界には興奮や目新しさが足りないということになってしまう。「脳はいつも刺激を求めていて、しだいにはもっと多くを求めるようになる。これにはキリがない。これで十分だと思えることはないのだ」とボダノビッチは言う。

退屈を追い払うためにスリルを求めると、感覚刺激を求める破壊的な行動をとるようになり、喫煙、公共物などの破壊行為、ギャンブル、ドラッグなどに走る。例えば92人のスコットランドのティーンエイジャーを対象に2005年に行なわれた研究では、ドラッグに手を出す理由の上位に「退屈」がランクされた。

「ドラッグを使用するのは、何か愉快なことをしていたのが途切れたときだ」とニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチの臨床心理学者マクウェリング・トッドマンは言う。彼は精神医学と薬物依存の関連から退屈について研究している。

<集中力>
退屈は注意とも関係している。集中できないときには、何かに関心をもつことは難しい。このことは、試験環境を操作して、ある作業に取り組みにくくするという方法で実験的に証明されてきた。

1989年に行なわれたある実験で、クラーク大学の心理学者、ジェームズ・レアードとロビン・ダムラッド・フライは、隣の部屋でテレビを音を出さずにつけておくなどして、被験者の気持ちをごくわずかにそらすような状況をつくりだした。すると被験者は聞き取り課題を「退屈」だと感じた。被験者は何のせいで気が散るのか認識しておらず、自分が注意散漫になった理由がわからなかった。

しかし、テレビの音量を上げると、被験者は音のせいで集中できないと述べた。実際、何人かの学生は、気を散らすようなものがなければ、聞き取り練習で聞いた内奥は興味深かったと言った。

この結果は「退屈を特徴づける行動要素は、なんとか注意を維持しようと努力していることだ」というレアードらの仮説を裏付けている。

病的な集中力欠如が原因で退屈が生じることもあるだろう。ボダノビッチとウォレス、カスによる148人の大学生を対象とした2003年の研究で、退屈傾向スケールのスコアが成人の注意欠陥多動性障害(ADHD)の評価値と関連していることがわかった。

カナダのオンタリオ州にあるウォータールー大学の認知神経科学者ダニエル・スミレックは同大学の心理学者アル・シェーンとジョナサン・カリエと共同で、退屈傾向を日々の注意欠如と関連づける結果を出した。

日常的注意欠如とは牛乳を食器棚に、コーンフレークを冷蔵庫にしまってしまうような状態をいう。2007年6月、同研究チームは304人の大学生を対象に、日常的注意欠如の傾向と、彼らが自分の感情や周囲の環境を意識しているかどうかを調べ、その結果を報告した。加えて、日々の物忘れ、注意散漫、うつ病についても評価した。

この研究で、忘れっぽく、注意散漫になりがちな学生は退屈傾向スケールのスコアが相対的に高かった。さらに、統計モデルから、注意散漫は退屈傾向だけでなく、抑うつの高スコアにも関連していることが示唆された。

抑うつは、否定的な気分、人生の意義が感じられないなど、退屈といくつか類似点があるとシェーンは言う。活動に焦点を合わせることが常にできないため、そうした活動がとてもつまらなく感じられるのだろう。「注意は、無意味感、抑うつ、退屈の3つを関連づける共通項だ」とシェーンは言う。
一方、退屈とは「フロー」と呼ばれるものと正反対の状態だと考える人もいる。フローとは、ある作業に難なく集中でき、それにのめりこむように没頭できる状況を指す。フリー理論の創始者、クレアモント大学院大学の心理学者ミハイ・チクセントミハイによれば、フローが起こるのは、「ある人の技能が当面する課題の難易度にマッチし、作業に明確な目標と即座のフィードバックが含まれているとき」だという。

作業が簡単すぎると退屈になる。逆に作業が難しすぎると思えば不安を感じるようになる。たとえば2003年にチクセントミハイらが526人の高校生を対象に行なった研究では、難易度が高い作業であっても、学生が自覚している技能とつり合いがとれているならば、フローが起こりやすいことがわかった。

<そんな気分になれない>
また感情的な要素も、注意深さ、フロー、そして当然ながら退屈に影響を与えることがある。現在ニューメキシコ大学の名誉教授である教育心理学者のメアリー・B・ハリスは、ムードモニタリング(気分監視)と退屈を関連づけた。ムードモニタリングとは、自分の気分を吟味して、それに意識を集中する傾向を指す。

2000年、ハリスは170人の大学生に退屈傾向スケールの質問票に記入してもらい、さらに別の質問票で、フローをどのぐらいの頻度で経験するか、自分はムードモニタリング派かムードラベリング派かを答えさせた。

ムードラベリングとは、自分の気分を分析して分類できる能力を言う。その結果、ムードモニタリング派は、退屈傾向スケールのスコアが高く、フローを経験しにくいことがわかった。ハリスは、自分自身の感情ばかり気にしていると「現在の状況に熱中しにくく、フローを経験する機会も減る」と結論づけている。
ムードモニタリング傾向が強い人は、何かの活動に従事するときには努力して注意力を維持する必要があり、その結果、すぐに退屈を感じやすくなる。一方、ムードラベリング派にとっては、退屈はそれほど問題にならない。彼らは自分の感情を正確に評価することによって、上手に退屈感を忘れ、いまやらなければならない作業に集中できる。

ボダノビッチとウェストフロリダ大学のホープ・M・セイブが308人の大学生を対象に行なった1998年の研究でも、同様の結果が出ている。前向きな自己洞察(自身の内面の状態を意識すること)をする学生は、全体的に退屈しにくい傾向にあった。対照的に、否定的な自己洞察(くよくよ自己批判を続けるのが特徴)が強い人は、退屈傾向スケールのスコアが高かった。

自身の心の状態を理解することは、それが注意に影響を与えるか否かにかかわらず、退屈にとっての重要因子かもしれない。1951年、フェニヘルは退屈を精神分析学的に説明しようとした。彼の説によれば、欲求や願望が抑圧されると、自分の存在が無目的で無意味に感じられるようになると言う。そういう人々は自分がなにをしたいのかわからなくなってしまうからだ。

退屈は幸福と達成感につながる活動を見つけられないことから生じるという説もある。
これを部分的に支持する実験的証拠がある。2007年に、トロントにあるヨーク大学の臨床心理学者ジョン・D・イーストウッドらは、アレキシサイミア(失感情症)の尺度で高いスコアをとった学生は退屈傾向スケールのスコアも高いと報告した。

アレキシサイミアの人は、自分の感情を理解したり表現したりすることが下手で、感情が抑制された現実感の乏しい生活を送る。

注意欠陥問題の有無にかかわらず、退屈にこうした原因があるという証拠が、イーストウッドらの未発表の研究で示されている。206人の学生を対象とし、退屈傾向スケールのスコア、成人ADHDの診断、感情意識スケールを分析した。

その結果、注意レベルの低さと感情自覚の低さは、どちらも退屈しやすさとかなり強く関連しているが、どの程度は別々であることがわかった。

極端な場合、どうしたら幸福を感じられるかがわからないために、すべてが無意味に思われて、より深刻な実存主義的退屈に陥るおそれがある。

また、現実的な事柄や他人からの圧力によって、重要な人生の目標や夢をあきらめた場合にも、実存主義的退屈が生じるだろう。

2000年に、現在セントフランシス大学に所属する臨床心理学者リチャード・バーグディルは、彼自らが「人生の退屈」と名付けた6つの例を発表した。

「人生の退屈」とは、人生の目標をおろそかにしたために感情的に矛盾した精神状態になり、常に退屈感につきまとわれている状態だ。たとえば、かつて生物学者になる夢をあきらめたある女性は、大嫌いな夫とともに空っぽの巣の中にいるように感じていた。

また別の男性は、信仰を追求することを職業として選んだために、天文学者になる望みを棄てた。「退屈するということは、現実世界から離れることなのだ」とイーストウッドは結論づけている。

<退屈と脳>
退屈を神経学的に解明した研究はまだないが、前頭皮質に損傷を負った患者たちの研究から、退屈という感情の生物学的基盤に関する手がかりが得られている。(図の赤い部分)
そのような患者では、感情や認知について奇妙な減少がいろいろ見られる。たとえば退屈が高じたり、知覚刺激を極端に求めたり、わざと危険な行動に出たりするようになる。

このことから、退屈(あるいはそれとは正反対の感情)の一部は、この脳領域の活動から生じるのだろうと考えられている。前頭皮質が損傷した患者には注意欠陥障害も見られ、このことからも退屈と集中力欠如の関係がうかがわれる。

脳画像研究によって、前頭葉には時間知覚ネットワークも存在することが示されており、前頭葉にダメージを受けると時間知覚が歪められる場合がある。そらにいくつかの別の研究で、退屈に陥りやすい人は、それほどでもない人に比べて、時間がゆっくり経過するように感じる傾向がある。

こうしたことから、時間知覚をつかさどる前頭葉のネットワークに障害が起こっても、作業に従事する能力が損なわれる可能性があると考えられる。



<退屈と戦う>
退屈の治療法は、退屈という感情そのものと同様、非常に多彩だ。刺激の少ない仕事のせいで退屈を感じているなら、転職するか作業をもっと複雑でやりがいのあるものにして、労働環境を豊かにすれば解決できる、とチクセントミハイは提案する。

スーパーマーケットの店員なら、お客と直接に会話することに時間をかけるようにして、サービスを改善できるかもしれない。サンノゼ州立大学(カリフォルニア州)の心理学者ウィリアム・マクベインが長距離トラックのドライバーを対象に1970年に行なった研究では、運転中に通り過ぎた物体を数えるなどの心理的ゲームをしたドライバーは、ほとんど退屈を感じなかったと報告した。
しかもそういうドライバーは安全運転だった。

余暇にも退屈を感じるようになると、人は新たな興味や技能、趣味を見つけようとするだろうとボダノビッチは言う。彼自身も退屈と戦ってきた。

彼は、通勤の道を変えてみつなど、毎日の単調な暮らしにスパイスを加える努力をしている。周囲の世界に対する見方を帰る試みもしているという。

「訓練すれば、環境の豊かさが見えるようになってくるものだ」と彼は言う。
「知覚的に世界の美を認識する方法を見つけられれば、たとえば木の葉を見てただ緑色だと思うのではなく、さまざまな色合いと形があると感じられれば、きっと退屈を感じにくくなるだろう」

↓コメント欄に続く

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「訓練すれば、環境の豊かさが見えるようになってくるものだ」と彼は言う。
「知覚的に世界の美を認識する方法を見つけられれば、たとえば木の葉を見てただ緑色だと思うのではなく、さまざまな色合いと形があると感じられれば、きっと退屈を感じにくくなるだろう」

また、このような練習をすると注意力が増し、自分の気分にとらわれにくくなり、退屈する度合いが減ることがある。メルボルン大学の心理学者たちの2007年2月の報告によれば、10日間のマインドフルネス・トレーニングを受けた瞑想の初心者は、トレーニングを受けなかった初心者と比べて、注意の持続と作動記憶に関連する作業の成果が向上した。そして、くよくよ考え込むことや、抑うつの症状も減ったという。

また、子どもたちの場合も、心を活発に働かせ、想像力が必要な方法で遊ばせ、受け身で何の工夫もいらない手っ取り早い遊びをなるべくさせないようにすると、退屈を感じにくくなった。
「私たちは子どもにテレビや携帯音楽プレーヤーなどの娯楽を豊富に与えることによって、退屈と戦うための内面的スキルを磨く機会を彼らから奪っているのだ」とサンドバーグは言う。

チクセントミハイは「スポーツやゲームなどの活動的な遊びからも、フローが生まれやすい」と述べる。退屈に対処する方法は、他の病気の治療にも役立つ可能性がある。たとえば、かつての麻薬常用者がうまく退屈に対処する方法を学べば、再発の可能性は減るだろう。

ニューヨークにあるベス・イスラエル医療センター麻薬中毒診療所の薬物依存者156人を対象に進んでいる調査研究で、トッドマンは、患者たちが薬物を絶ち続けられるかどうかを示す信頼できる唯一の指標は、患者が自己報告する退屈の程度であることを発見した。

もちろん、退屈にもいいところはある。研究に参加した人の多くが感じているように、退屈したときは思考と内省の機会ともなる。また、ある作業に退屈するなら、それが時間の浪費であり、続ける価値がないことを知らせるサインとなる。

「退屈と戦うのではなく、そこで立ち止まって、その経験から学ぶのもよい」とイーストウッドは言う。実際、多くの学者が、退屈は活動を起こすための刺激剤になると考えてきた。1995年にノーベル賞受賞者の詩人ジョセフ・ブロッキーは、随筆にこう書いている。

「退屈に襲われたら、それを喜んで受け入れなさい。退屈に打ちのめされ、水底まで沈みなさい。不快な出来事に出くわしたとき、どん底まで落ちるのが早ければ早いほど、浮上してくるのも早いものだ」。

ボダノビッチはこう付け加える。
「退屈の悪い作用に負けずにいられるなら、退屈は意欲を生む大きなモチベーションとなる」。

著者:Anna Gosline
カナダのバンクーバー在住の科学ライター。オンライン科学雑誌「Inkling」編集者も務める。彼女が退屈することはめったにない。(翻訳:古川奈々子)
個人的にこれはとても参考になりました。(^^;)

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