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安井仲治コミュの名古屋市美術館での「安井仲治展」に行ってきました。

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展覧会は3月6日まで。

招待券が手許にありますので、先着5組の方にお譲りいたします。
どうぞ、御一報下さい。

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January 29, 2005
  
「安井仲治展」を観に名古屋へ帰った。昨年、事前調査中のTさん、Iさんとお会いして展覧会の詳細をお聞ききする機会に恵まれた(しかも、名古屋名物「ひつまぶし」を食べながら)。学生時代、491の出版案内で仲治の写真集刊行を知ったのだが、何年もその本の実現を待ちかね、やがて、音沙汰のない日々となってしまった経緯があり、生誕百年を記念する今回の企画には、待ちかねる身の喜びがあった訳。昨秋、前会場、渋谷区立松濤美術館での展示状況を友人、知人から教えられ、さらに、期待が高まる展覧会となっていた。
  
 モノクロ写真220余点をどんな会場構成で観せてくれるのか?、わたしにとって近しい存在である名古屋市美術館は白川公園内にある。告知看板は『サーカスの女』強い写真だ。真っ直ぐに会場へ進みたかったが、まず、学芸課に寄って挨拶。そして、世間話。午後の講演会の関係で来客も多く、盛り上がっての一時となった。
  
 この美術館の良い所は、会場正面の空間が強いインパクトを与え、観客の気持ちを日常から展示空間へ誘う役割を効果的に演出している事にある。今回は、進むと「水」の飛沫。個々の入場者がそれぞれに抱える問題と作品のイメージがつながる。リアリテイであって信託。写真らしいアプローチである。右に折れて会場に入ると、ワインレッドの上品な色彩の壁に『生誕百年 安井仲治展』の文字、ライティングの効果で「展」の文字と「Nakaji Yasui 1903-1942 Photographs」の表記が反射して、床面に光の揺らぎを作り出している。これは期待できると、さらに進む。今度は黒い壁面に写真が並べられ展開されている。額装された白黒写真は、普通、美術館のニュートラルな壁面に埋没して魅力を失う。本展では黒と赤と青。明るい赤や落ち着いた赤、黒に近い青、あるいは、格調高いグレー。こうした色彩のアクセントで視線を上手く誘ってくれるから、銀塩のしまりやゴム陰画の淡さを、捉えやすくなっている。上手いやり方だ。しかし、残念な事に会場で知人と会ったり、2時からの講演会が気になったりして、更なる集中は妨げらてしまった。
  
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今日の講師は写真家の森山大道氏。開演一時間前には人が並び初めて、二階の入口から、すぐに階段を降り一階のフロアへと続いてしまった。それで、わたしも急いで、その列に並ぶ。知っている顔も幾人かあって、関心の高さに驚かされた。森山さんだから当然だね。しばらくして、開門してくれたので、知人と世間話を少々。開演までに30分以上の時間があったので展覧会を再び覗く。会場で黒コートの森山さんに気づき、カッコイイなと見とれてしまった。
 
 森山大道氏の話は、作家である自身の体験を交えて、仲治から受けた影響を真摯に打ち明けたもの。『仲治への旅』と云う写真集も刊行した氏は、スランプだった時期に仲治の「箱一杯のコンタクトを何日もかけ、ゆっくりと見た。そして、目から鱗が落ちた。「写真と云うのはこんなにも自由である」と教えられた」と云う。裕福な環境に仲治はいたけど「写真の本質はプロフェッショナルではなく。アマチュアリズムの中にある。僕の気持ちもアマチアだと思っている」など---「コンタクトを見ていると、僕も写真家だからビンビン伝わる」として、会場に展示されているコンタクト写真の拡大にも言及された。仲治さんは「巨大な山脈であるけど、人を寄せ付けないと云うのではなくて、深くて懐が広いといった印象を持っている。」氏は「天才で、都会人で、知識人である。」「僕は42年写真をやっているけど、何時も追いつけず、気が付くと安井さんの背中を見るばかり」なんですと続けらた。スライド等も紹介されて、森山さんが好きだと云う写真も教えていただいた。『犬』は当然だけど、例えば『ネギの花』(76) 『背広』(88) 『朝鮮集落』(109)  真似をしたいけどなかなか難しいと『斧と鎌』(31) 「 安井さんは極端なトリミングをされる。撮ったものが全てだとは思っていない。ものすごいトリミングをしても平気である」などと、言葉が熱い。
   
 会場は森山ファンで埋めつくされている。一時間程の後、質疑応答となった。10人程の方々であろうか、それぞれの質問に応えられる森山氏に好印象を持った。 終了後、持参した『にっぽん劇場写真帖』にサインを頂き、さらに、ツーショットでの記念写真も撮らせていただいた。感激。
   
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その後、Tさんから学芸課で安井仲治氏のご子息、仲雄さんを紹介してもらう。好印象の紳士、都会の人だ。兵庫での展覧会が待ち遠しい。そんな訳で、兵庫県立美術館のK氏とも続けて世間話。
  
 夜は久し振りに会場で会った、知立の友人Y氏と美濃路名駅店へ。手頃な価格の上、美濃古地鶏使用で上手い焼き鳥屋。わたしの楽しみはもちろん味噌カツ、何本も頼み、ビールもグビグビ、京都では食べられないので、ここぞとばかりの意地汚さ。御免なさい。古い友人は銀紙書房の後見人でもあるので、ちょっとした株主説明会。新しい本の計画やら、経営へのアドバイスやらと、馬鹿話をえんえん続けて、9時半頃、お開き。良い気持ちになったヨッパライ。地下鉄に乗ったら、中村日赤で眼が覚めた。戻るつもりが判らなくなって岩塚まで行き、やっと引き返したら、また、眠ってしまって、あわてて下車したのが新栄町。再び乗ったのは良いのだが、またまた睡魔。今度は池下で起きる。それから、今池に戻り、やっとの事で桜通線に乗り換え、自宅のある桜山に辿り着いた。地上に上がると強い雨。時刻も11時30分となっていた。素面なら20分で帰れるのに、東山線の藤ケ丘と高畑の間を行ったり来たりしていたのだろうか。刺激的で楽しい一日だった。

January 30, 2005
  
マンションの踊り場へ出ると、北西方向の遙か先に伊吹山。冬の空気は澄んでいる。朝風呂に入ってリフレッシュし、昼前に美術館へ。今日はゆっくり、しっかりと観る予定である。
 安井仲治は市井の何気ない片隅の日常を独特の造形感覚で切り取り、人間への興味と都市における距離感の鋭さを写真を用いて表現した。「アマチュアをきわめ、アマチュアを越えたところにいる、写真家」観る人であるこの天才は、あらゆる表現の原点を示し、21世紀に至る写真家達のDNAに拭い去れない眼の記憶を植え付けてしまたのである。
  
 エントランスの『水』からして東松照明の「占領」を連想させるし、ブラッサイやナギの眼や手があり、『横顔』はウイリアム・クラインの「ニューヨーク」そして、『蝶』は奈良原一高といった案配。あらゆる写真家の代表作のイメージが重なってくる。わたしは、作品を丹念に追いながら、写真の歴史を追体験して行った。
  
 わたしにとっての安井仲治は、名古屋市美術館で開催された「日本のシュールレアリズム展」で対面した『斧と鎌』の圧倒的なリアリティ、都市生活者が持ってしまう孤独なリアリテイと同義であった。昨日、会場でこの写真と再会した時には、展示位置に不満を持ったのだが、今日は違う。対置した壁の角から『兵士』『機関銃』『花』『水』『秋風』と続く、一連の流れは、視線の動きと画像のバランスを共振させる配置で、納得させられた。これは、学芸員に力量があってこその展示であり、感謝。多くの写真を使って共鳴させながら現す強さは、一枚だけの写真が示すそれとは異なった効果を発揮する。一人の作家の中でこれだけ多様な表現が可能であった事に驚き、黒い色彩からグレーの帯にしたがって会場を巡った。

 これまでのわたしは『犬』の写真を良いと思っていなかったのだが、プリントをじっくり見ていると、眼の表情に惹きつけられた。それに、鉄格子に当たる朝の光も素晴らしい。ニュープリントでこの力なのだから、仲治が焼いたものは凄かったのだろうと思った。こんな見方をした背景には、写真に添えられた「写真家の言葉」(注)の力があるだろう。病気になったお子さんが回復に向かった時、病院で撮った写真。実験動物に触れながら仲治は「この犬は御覧の通りである。朝の爽やかな光が檻に輝いていて、それはこの犬の眼を一層あわれにみせているのだ。----大人は得てして苦しい事ばかり覚えているが、矢張子供はえらい」と1936年のアサヒカメラ誌に書いている。
 わたしは、会場で『子供』(N9)『横たわる女』(22)『検束』(N14)『海女』(52)『顔』(111)『孤影』(107)等、さらに幾つかの仲治写真に惹かれたのだが、特に『横たわる女』にはまいった。小出楢重ではないか。安井冨子蔵とある1930年代のヴィンテージは、当時の黄色い地色の厚紙が、無造作にカットされたままのマットに入れられ、写真自体も経年変化を伴いつつ、それ故になんとも艶めかしい女性の肢体となっている。昨日も今日も、行きつ戻りつ何度も覗き込んだ。素晴らしい写真である。可動壁の丁度良い位置に置かれているのも有り難かった。重ねて感謝。

 名古屋市美術館の会場は、中央の辺りが吹き抜けになっていて、二階の企画展示室2の様子を下から伺うことができる。二階からも逆に見ることができるわけで、二つの会場が一体としてある効果を演出している。今回の安井仲治展の出口には、愛用のカメラが2台(ライカIIIbとスーパーイコンタ)置かれている。そして、右手の判りにくいコーナーには文献資料と仲治が描いたと云う静物の油絵。書籍小包(?)の上にバナナと卵とペンチが配されたモダンな絵なのだが、近づいて拝見すると、郵便物の消印には「Paris」とある。さもありなん、気持ちが解るよな。
  
 地階の常設展示室3では、丹平写真倶楽部、満州写真作家協会の共同撮影である「他者へのまなざし<流氓ユダヤ><北満のエミグランド>」の展示。仲治の眼の非凡さを感じた。常設展示室では山本悍右先生の『影』、ここでは、モダニズムとリアリテイ、清楚なエスプリと関西人のユーモア。二人の先人の仕事を思って複雑な心境。そして、中に入って河原温の「I GOT UP」シリーズに気付いた。起床時間を示す絵葉書20枚が、壁の丁度良い高さから庇となった部分にレイアウトされている。表と裏がバランス良く示された展示方法と相俟って、この現代美術は仲治の思想をDNAの中に持っている。この示し方は最近、学芸員のHさんが発案されたそうで、見事に作者の意図を観客に伝えてくれている。ニューヨークから伝わる仲治の眼。昨日、森山さんに「もし、安井仲治と一緒に写真を撮りに行ける場所があったとしたら、何処が良いですか」と観客のNさんが質問されていたけど、森山さんの答えは「ニューヨーク」だった。わたしの腰骨の辺りの高さに設定された葉書は、近づいて見下ろさないと知覚されない。何も無いと思ったフラットな壁に近づくと、サーっと現れる摩天楼だったりするもの。安井と森山と河原がセッションしている----
  
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集中して会場を巡ったので、疲れてしまった。それで、遅い昼食に味噌煮込みうどんを食べにプリンセス大通りの山本屋総本家に入る。名古屋人以外には不評の味だが、わたしの身体はこれを求める。普通煮込みで税込み892円。グツグツ、アツアツの鍋からあせってうどんをすくい取ると真がある。まずは、レンゲで蓋に味噌をすくって、フウフウしながら飲む。しかる後、うどんを食すと、丁度良い柔らかさになっていた。幸せである。

 夕方、母親と世間話。その後に、いつもの店「まどか」で兄と食事。立山を飲みながらの、美味しい一時となった。そんな訳で、京都に戻ったのは10時前。今日は無事の帰宅だった。やれやれ。

   
注)『犬』の他にも『さる回わしのさるについて』『工事場』『相剋』『肌』などに、当時の雑誌で発表された仲治の言葉が添えられている。   

コメント(3)

石原さん、ご感想ありがとうございました! 

石原さんの目の動きに沿って私の観覧時の思考の記憶が再び励起されて来まして、たいへんありがたく思います。再度カタログを見返していろいろ考えたいと思っています。

また、森山さんの言葉もご紹介いただき感謝致します。「安井さんは極端なトリミングをされる。撮ったものが全てだとは思っていない。ものすごいトリミングをしても平気である」というところなどは、会場に足を運んだ者にとっては非常に共振する言葉ですね。

ではまた「マン・レイ友の会」でも宜しくお願い致します。
BlaueReiterさん、

わたしは会場の右手、前列3段目にいました。森山さんのすぐ前です。興味深いレクチャーでしたね。重いカタログのテキストを読みながら、今日も、いろいろと考えています。

お便り有難うございました。

今後とも、宜しくお願い致します。
いいなあ。いま名古屋なんですか。衝撃を受けて数ヵ月経ちますが、いまだ忘れられずまた観たいです。

白井晟一という建築家が建てたらしいのですが、東京の松濤美術館も凄く良かったです。名古屋に行ったら是非そこに行ってみたいです。
http://www.nichibun-g.co.jp/product/magazine/dome/onepoint/onepo17.htm

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