ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

「セユ」コミュのEpisode13:カサ04

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「もう一度確認するけど、あんた、カサね?」
 女は受話器の向こうから繰り返し僕に尋ねた。すでに壊れてしまった僕にとってその声の持ち主を思い出すのは非常に困難な作業だ。僕は先ほどから記憶をずっと整理しているが、セユの声以外は僕には思い出せなかった。
 ああ、セユの声、距離感がつかめず、耳元で囁かれるようにも、遠くから呼びかけられるようにも聞こえる声。常に欲情しているようでもあり、あらゆる自分以外の全ての存在を否定するような響きをも持つあの声。セユ。セユ。セユ。
「答えなさい。」
 女は語気を強めた。しかし僕の思考は既にセユに支配されていた。セユの声、セユの口、セユの体。
 受話器の向こうから女のため息が聞こえた。
「いいわ。あんたはカサね。今からそこにいくわ。」
 女は電話を切った。電話が切れたことで僕は思う存分セユの記憶に溺れることが出来た。
 甘美で、官能的で、ひどく退廃的な記憶。セユは僕を覚えているだろうか。愚問。腹の中の虫がそう言って笑う。蛾の痕跡がさらに大きな声で笑い出し、周りを飛ぶ蝿達も一斉に笑い出す。
 貴様は終わったのだ。貴様はもうどこにもいけないのだ。貴様は死んだのだ。貴様はセユに食われたのだ。それだけだ。食事を終えた烏は飛び去るだけさ。
 奴らはそう笑った。
 そのうちに僕も笑い出した。そうか。電話もきっと錯覚なのだ。僕はセユに食われて死んだのだ。おかしくてたまらなかった。貴子と別れたときとは全く異質。貴子。貴子って誰だったっけ?記憶が混乱する。セユに出会う前の僕は一体何をしていたのだ。セユと出会ってからの記憶は甘い霞がかかったようにぼんやりとしてはいるが、僕の中に確かにある。しかし、それ以前の記憶は僕にはほとんどなかった。セユに記憶を食われたのかもしれない。

 そんな風に僕が自分の人生、あるいはセユとの記憶を反芻していると、ドアをノックする音がした。さっきの電話は妄想ではなかったのだ。鍵は開いているはずだ。僕はそのことをノックする人物、恐らくはあの電話の女に伝えようとしたが、体が動かない。それ以前に声が出ない。僕はベッドと一体になり、合わせて一つの物質と化している。物理的に僕が出来ることは、感じることだけだ。受動的物体。それは生物か?残骸だ。食い残しだ。セユの。また僕の思考はそこに戻る。セユ。君は何故消えたのだ。
 ドアは突然乱暴に開いた。僕は力を振り絞ってドアの方を見る。シンプルな1Kのアパートだ。ベッドから入り口はまっすぐに見える。そこには女が一人立っていた。
 女はベージュのふんわりとしたブラウスの下に白いタートルネックを着ていて、にタイトなブルージーンズをはいていた。女は僕の部屋の荒れ果て具合に一瞬怯んだ様子を見せたが、すぐに土足で上がりこんできた。赤いバンプス。靴先の色が所々落ちている。女は部屋に散らばる様々な障害物を避けながら、僕の眠るベッドの隣にやってきた。そして僕を見下ろす。

「カサ。久しぶり。私がわかる?」
 女は二十代半ばといったところか。ああ。分かるよ。君はセユじゃない。セユじゃないんだ。
「あんたったら何ヶ月も連絡しないんだから。ねえ、何があったの?」
 誰だ?貴様は。蝿が囁きあっている。蛾の痕跡が邪推する。僕の腹に巣くう生物は笑い続けている。
「君は、誰だ?」
 僕はなんとかそれだけを言葉にして、女に伝えた。
「まったく。重症ね。まずはうちに来なさい。それからよ。タクシー呼んであるから。」

 女はいったん部屋を出ると、タクシーの運転手と二人がかりで僕を部屋から運び出しタクシーの後部座席に横たわらせた。運転手は病院に行ってはどうかと女に提案したが女は首を振った。
「ちょいと複雑な事情でね。あんたも巻き込まれたくはないでしょ?」
 運転手はあい分かったといった様子で首をすくめた。なれたものだ。

「とりあえず吉祥寺駅まで。そっからは細かく指示するから。」
 女と運転手は何か世間話をしていたが僕は何も考えられなかった。キチジョウジってどこだ?僕はそもそもどこにいたのだ?

 女の部屋に入るときもタクシーの運転手と女の二人がかりだった。女は運転手にチップを含め、多めに料金を払った。
「さ、まずは風呂に入りな。あたしが洗ってやるから。」
 2DKの部屋。僕の死んだ筈の脳が囁く。ここに来るのは初めてではない。
 女は僕の汚れた服を脱がし、自分は袖と裾をたくし上げて僕の体をたっぷり時間をかけて洗った。髪を洗い、髭も剃られた。
 そして男物の服を用意し、僕に着せた。そして二部屋のうち使っていないほうの部屋に僕を連れて行き、鏡の前に立たせる。
「ほら。鏡見てみなさい。ちっとはマシになったよ。」
 僕は鏡の中の僕を見る。誰だ。これは。僕の記憶に残っている僕の顔とは別人のようになっている。真っ白な顔。こけた頬。
「なんか食う?」
 僕は曖昧に返事をする。使っていない部屋?ここにも以前来たのか?
その部屋は小さな仏壇があった。位牌とお鈴。線香。そして、遺影。20代後半のサラリーマンか。それなりに社会的地位もあり、遊びも一通りやったというような顔。部屋にはその仏壇と鏡以外にクローゼットが一つと本棚が一つしかなかった。恐らく僕が着ているのはこの男の服なのだろう。本棚には何冊かの本があったが、僕にはそのタイトルすら読めなかった。
「ほら。お粥とかなら食べられるでしょ?」
 女はちゃぶ台を運んできて、お粥とお茶を置いた。そして座り込み、灰皿を置いて煙草を吸いだした。ヴァージニア・スリム。
 僕は食欲を感じなかったが、なんとか茶碗一杯の粥を食べきった。そしてお茶を飲んだ。女はその間に五本のヴァージニア・スリムを吸っていた。女は複雑な視線で僕を見ていた。
「よく食べられたね。えらいえらい。」
 女はにんまりと笑うと僕の頭をぐしゃぐしゃと撫で、すぐに食器を片付け、キッチンで皿洗い始めた。
 何かを食べたのは何日ぶりだろうか。僕は突如猛烈な眠気に襲われた。そしてそのままちゃぶ台に突っ伏し、眠り始めた。

 どれほど時間が経ったのだろう。目が覚めると、頭の上に女の手が乗っていた。女はちゃぶ台の向かい側に座ってずっと僕の様子を見ていた。
「おはよう。」
 女は言った。妙に安堵した声だった。カーテンが暑いために外が夜なのか昼なのかは分からない。僕は左手にしていた腕時計に目をやった。
 しかしその時計は完全に壊れている代物だった。割れたガラス、歪んだ文字盤、重力に抗えず、腕を振るたびに変わる時刻。これでは時刻は分からないな。
「おはよう。」
 僕も答えた。不思議と発音が楽に出来た。僕が死体のようになっていたのは単に食べていなかったのと寝ていなかったのが原因だったのだろうか。頭の靄が晴れたような気分だった。
「随分寝てたわよ。もう1日半くらい。」
 確かに女の格好は変わっていた。今日はダークネイビーのブラウスに白いフレアスカート。
「おかげでスッキリしたよ。ありがとう。久しぶりだね。ルカ。」
 全てが明確に理解できた。全く、人間なんて、なかなか死なないものだ。
「あんたったら昨日の朝なんて今にも死にそうな顔してたわよ。私が行かなかったらきっとあのまま死んでたわね。」
「ありがとう。しかしとっくに僕のこと忘れてるのかと思ったよ。最後にあったのは旦那さんの葬式の…少し後だったよね?あれは新宿だったっけか?」
「そうなるね。あの時は悪かったわね。危うくあんたをキズモノにしちゃうところだったわよ。」
「それについては別に構わないよ。それよりも、今回は何であんなにもいいタイミングで僕に電話を?」
 ルカと最後にあってから四ヶ月は経っていた。ルカと最後に会って約一ヶ月後に僕はセユに出会ったのだ。そして、あの三ヶ月があった。そしてセユが去ったのが一週間前。電話が昨日。話が出来すぎてはいないだろうか。ルカが1日遅れていたら、僕は死んでいたのだろう。
「ん〜とね、まぁちょっとした噂を聞いてね。あんたのことが気になったのよ。」
ルカは相変わらず綺麗だ。未亡人にはとても見えない。子供もいないのだから、再婚する気はないのだろうか。まぁ僕がとやかくいうことではないのだが。
「ニックか?」
「残念。」
 意外。ニックは渋谷のしがないバーテンだが、顔は広い。だから新宿の噂を聞いたのではないかと思ったが。
「あの女が何ヶ月も姿をくらましたってだけで新宿は大騒ぎだったのよ。色んなマフィアが持ってる風俗店とか売春婦での売り上げが3割上がったって噂聞いたわ。おかげでその利権めぐって毎日抗争。一時は機動隊出動しかけたんだから。」
 ルカは笑った。そうだ。ルカも今では新宿では知られた顔なのだ。それもそうだ。あれだけのことをしたのだ。もはやニックよりルカの方が新宿の裏事情に詳しいかもしれない。
「そんであの女が復帰したのが五日前。これは本当に大騒ぎよ。おかげで危うく消滅しかけてたあのファミリーも持ち直したって噂よ。」
「それだけでよく僕絡みの事件だと分かったね。」
 ルカは、ふと視線を外した。そしてヴァージニア・スリムに火をつけ、静かに煙を吐いた。

「会ったのよ。あの女と。」

 会ったのよ。あの女と。
 ルカの台詞を静かに心の中で反芻する。
突然僕の心臓の鼓動が早まる。ルカが、セユと?
「いつ会った?」
「三日前。」
 僕のところを出て行って五日後。僕が蛾を殺した翌日だ。

「セユは、なんて言ってた?」
 僕は動揺を隠そうと言う。しかしもちろんそんなことは不可能だ。動揺。セユがなんと言っていたか。セユは僕をどう思っていたのか。セユは何故去ったのか。

「いえないわ。私達の約束だから。ただね、あんたが死ぬんじゃないかって心配してたよ。私にそれとなく様子を見るようにって言ってるみたいだったな。」

 僕はさらに酷く混乱した。僕を壊したセユが僕を助けた?矛盾しすぎている。
「つまり僕はセユに助けられたのか?」
「間接的にはね。ねぇ、あんた、直接助けたのがあたしだって分かってる?」
 ルカは笑って短くなった煙草の火を消した。そしてヴァージニア・スリムをもう一本取り出す。
「それ、一本くれるか?」
 ルカは何も言わずに一本くれた。そしてジッポで火をつける。ルカがジッポ?ああ。ノボルさんの遺品か。
「ほら、吸うのよ、火を。初めて?」
 僕はうなずく。
「煙をね、二回吸う感じかしら。肺の奥まで吸い込んで、一気に吐き出すの。」
 ヴァージニア・スリムの煙が僕の肺を満たし、ノボルさんの部屋の天井に向けてまっすぐに伸びた。
 ダウナー系の薬を軽くODしたような脱力感。セユの舌は煙草の味がした。セユの吸ってた煙草の銘柄はなんだったんだろうか。
 セユ。僕は気づくと煙草を吸いながら涙を流し始めていた。そういえばセユがいなくなってから泣くのはそういえば初めてだ。
 ルカは僕の頭に手を乗せ、子供をあやすように僕を撫でた。
「煙草の煙が目に入ったんだよ。Smoke gets in your eyesだよ。」
 強がりの後半は言葉にならなかった。
「あんたはさ、大したもんだよ。よくやったね。カサ。偉いよ。『新宿烏』と三ヶ月も一緒にいて生きてたんだからさ。昇なんてさ、『新宿烏』と三回会っただけで死んじまったんだからさ。」
 僕の涙は止まらなかった。手も震えだした。嗚咽が入り始める。なんとか煙草を吸い続ける。初めての煙草だったが、むせはしなかった。
「あんたは生きてる。あの烏のことは忘れてしばらくうちにいなよ。」
 涙でフィルターがグシャグシャになり、僕は震える手で煙草の火を消した。どそしてえる手で頭を抱えた。そして涙それから一時間ほども僕の涙は止まらなかった。
ルカは僕が泣き止むまで静かに僕を抱きしめてくれた。そして優しく繰り返し繰り返し囁いた。
「良く生きていてくれた。あんたにまた会えて嬉しいんだよ?私はさ。」
「ルカ、僕を壊してくれよ。このまま生きるのは辛いんだ。」
「私にはあんたは壊せない。あんたは生きるんだ。それがあんたの宿命だよ。あんたは生きるんだ。昇とあんたは違う。カサ、生きろ。すべてはそっからだ。終わりじゃない。カーテンコールさ。あんたが生きてるかぎり、幕はまた上がるんだよ。」

 僕はルカに抱かれながらひたすらなき続けた。セユとの三ヶ月を思い、壊されてしまった僕自身を思い、僕を壊しながらも助けてくれたセユを思った。

 そうだ。幕は上がったのだ。だが、どんなステップを踏めばまたセユまでたどり着けるのだろうか。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

「セユ」 更新情報

「セユ」のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング