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「セユ」コミュのEpisode11:ロダ03

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 僕はその暑い小学校からの帰り道でロダに出会った。

 夕暮れに染まる都会的な街並みの一体どこから聞こえるのかと思えるほどの量の蝉の声が、僕の心を酷く苛立たせた。まったく。暑い。それだけでなんだか腹立たしい。
 小学校というところは全く面白くない。僕は膨れっ面をしていた。赤いランドセルなんて僕が使いたい筈がないじゃないか。それを嫌がったらお父さんはお母さんを殴るようになった。最近お父さんのお酒の量が増えている。お母さんはお父さんに殴られて泣きながら謝っている。毎晩。もう3年も。お母さんがよく出て行かないものだ。
 それに、小学校に入ってからは、女子トイレに入ることを強制されて困る。一回男子トイレに入ったら、中にいた同級生たちは大騒ぎして、「変態女」って僕を呼んだ。ふざけるなって。お前たちが女子トイレを覗くのと一緒にするな。
 だから僕は、今は使われていない教室の間にある男子トイレにいつも入っている。面倒な世の中だ。トイレ一つにも一々気を使わなきゃいけないなんて。紳士は大変だ。

 でもそんなこともお母さんにはいえない。お父さんがまたお母さんを殴るから。

 お父さんは会社の社長をしているって聞いたけど、どんな会社かは分からなかった。学校の宿題で「お父さんの仕事を調べよう」なんてのがあったときは、お父さんはなんだかマジメに答えようとしなかった。単に「お父さんはね、大きな会社の社長なんだよ。」だって。
 ただ、会社が新宿にあるってのは聞いてたから、お母さんと新宿に行くたびに「お父さんの会社はどこにあるの?」なんてきいたものだ。お母さんはとても優しいから、「さぁ、もしかしたらあれかもね?」とかいい加減に言っていた。多分だけど、お母さんも知らなかったんじゃないかな。

 もうすぐ夏休みだから、そうしたらあの嫌な小学校に行かなくてすむ。だからこの帰り道はいつもと比べて少し気分の軽いものだった。まぁ、暑いことを除けばだが。

 ロダは、蜃気楼が見えるほど暑いこの道で、電信柱に寄りかかるように座っていた。
 ロダは、なんだかお葬式に来ていくような、真っ黒なスーツを着ていた。ワイシャツは白い絵の具に紫を一滴垂らしたくらいの色だった。髪は真っ黒でパーマがかかっていて、なんだか外国人みたいだった。
 ロダは、ひどく疲れていたようだった。僕はその姿を見てなんだか怖くなるより早くかわいそうになって、ポケットに入っていたお金でロダに飲み物を買ってあげた。ロダは一瞬驚いた顔をしたけど、それをごくごくと飲み干すと、僕の目をまっすぐに見つめ、言った。
「ありがとう。お嬢ちゃん。」
 またこれだ。
「お嬢ちゃんなんて言うな。僕は男だよ。」
 赤いランドセルを投げ捨てたくなる。赤いランドセルを持っていれば女なのか。大人はこれだから嫌いだ。
 でもロダは、他の大人みたいに驚いたり、すぐに僕を否定したりせずに、にっこりと微笑んで言った。
「それは失礼。ありがとう。坊や。おかげで少し元気が出たよ。」
 ロダはすっと立ち上がった。ロダはすごく背が高かった。僕の学校で一番背の高い体育のイサオカ先生くらい高い。
「お兄さん、大丈夫?」
 オジさんというよりは、お兄さん。そんな雰囲気。
 ロダは優しい顔をして言った。
「坊や、君は男の子だろう?同じ様に私は女なんだよ。」
 へー。そうかそうか。通りで色っぽい筈。素敵なお姉さんだ。
「坊や、お礼に何か甘いものでも食べに行こうか。」
 ロダは笑った。眉が整えられており、汗で多少落ちはしていても、化粧をしていたようであった。しかしあごはがっしりしていた。歳はいくつくらいだろう。お母さんと同じくらいかもしれないけど、もしかしたらもっと上かもしれない。でも、20代といっても全然不思議じゃない。なんていうか、歳を気にする大人をあざ笑うみたいにチョウエツ的
な顔をしている。
「いいよ。」
 帰りが遅いからって心配するような親じゃないし、家に帰ってもすることもないから。

 ロダは近くの喫茶店で僕にチーズケーキをご馳走してくれた。適当な暗さのカフェ。年季が入っているのか、或いはそう見せかけているのかは分からないけど、レトロな雰囲気の調度品。水出しコーヒーとかいう砂時計のオバケみたいな機械があった。マスターは白いワイシャツに黒いエプロン。なんだか大人の来る場所みたいだ。
 僕とお母さんがよく食事をするミスター・ドーナッツとかとは全然違う。
マスターは随分と音楽にうるさいらしく、最初にかかっていたサティのピアノの次のレコードを時間をかけて選んでいた。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が流れ始めた。僕は五年前からヴァイオリンを習っている。いつかこんなのを弾いてみたいな。
 僕とロダは無言で何分か過ごした。どこの録音かは知らないけど、なかなかの演奏だった。
 ロダはコーヒーを一杯注文した。煙草を吸おうとしたけど、僕の顔を見て慌ててはこに戻した。大人だなーって僕は感心した。僕のお父さんなんて、僕の前でぷかぷか煙草を吸っていたのに。
「別にいいよ。」って言ったら。「ありがとう。」ってにっこり笑って煙草を吸い始めた。ラーク。煙草の銘柄はよく分からない。でもお父さんの吸っているセブンスターよりはよっぽど綺麗だった。

 僕はチーズケーキを半分食べてから、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
「ねぇ、お姉さん、なんであそこに座ってたの?」
「ちょっと疲れちゃってね。坊やが買ってきてくれた飲み物のおかげで元気が出たんだよ。」
 ふーん。そうか。しかし、ご馳走してくれるお金を持っているなら、自分で買えばよかったのに。

「坊や、名前は?」
 ロダはすごく優しい声をしている。男の人みたいに温かい声。ボーイ・アルト?なんとなく悲しい声。
 僕は下を向く。一番嫌な質問の一つだ。
「言いたくない。」
 山口彩子。ヒドい名前。でも、みんな僕をこう呼ぶ。アヤコちゃん。
「分かった。言いたくないならいいんだ。ごめんね。」
ロダはなんだか僕が何も言わなくても分かってくれる感じがした。
「お姉さん、名前は?」
 ロダは複雑な顔をした。もしかしたらこの人も僕と同じなのかもしれない。きっとそうだ。
「私は、ロダ。」
 ロダ?変な名前。
「変な名前。外人さんなの?」
「いいや。日本人さ。私も君と同じで自分の名前をあんまり言いたくないからね。私が付けた、私の名前。ロダ。素敵でしょ。」
 ロダは春の風で膨らむカーテンみたいにふんわりと微笑んだ。素敵な人だな。
 ロダ。ロダ。ロダ。いい名前。
「僕もそんな風に自分で名前付けた方がいいかな?」
 いつしか僕は、このお姉さんが自分と同じだという確信に至っていた。
 きっとこのお姉さんも、男の名前つけられて嫌がってるんだろうな。だから自分で名前を付けているんだ。
「うん。あだ名にしてさ、みんなにそう呼んでもらえばいいよ。私はそうした。」
「でも先生は僕のこと名前で呼ぶよ。それにどんな名前がいいかわからないよ。」
 僕はふくれた。しかもちゃんづけで呼ぶのだ。アヤコちゃん。サイテー。でも家じゃ嫌な顔も出来ないから仕方なく返事している。お母さんがこれ以上泣かないように。
「君もロダになればいい。」
 ロダは少し悲しげな顔をして言った。
「そしたらお姉さんと一緒だよ。一緒に遊べないよ。」
 僕はやっと見つけた仲間のこのお姉さんと仲良しになりたかった。色々話したいことがあった。きっとロダもランドセルの色で悩んだんだ。トイレのことで悩んだんだ。水泳の授業や、身体測定や、何やかんやで悩んだんだ。
「私も昔ロダに会ったんだ。そのロダは男だった。その人は私の話を聞いて全部に頷いてくれた。うんうんって。でもいなくなっちゃった。だから私がロダなんだ。」
 ロダがロダにあう日。なんだか話が難しくなってきた。僕は残りのチーズケーキを食べ始める。ベイクドチーズケーキ。下半分が全部チーズでできてるみたいに香りが強くてすごくおいしい。ヴァイオリンソナタは三楽章に入る。僕らの会話と全然あっていない。コロコロと明るい響き。
「そして私もじきにいなくなる。時間が無いんだ。だから、君を待っていた。君がロダになるんだよ。」
「なんだかよく分からないな。」
「いつか分かる。ところで、私はもう行かなくちゃいけないんだ。お金は払っておくから、坊やはゆっくり食べてからお店を出るんだよ。それと、私に会ったって話はしちゃいけない。君のご両親にもね。約束できる?」
 ロダはすごく複雑な顔だった。何かの映画で見た決死の覚悟の戦士?僕には分からなかった。まだ9歳なのだ。無理もない。
「うん。」
「さよなら、ロダ。いい男になりなよ。
 こうしてロダは、去っていった。

 それ以来、ロダとは会っていない。ロダが何物だったか、良くは分からない。もしかしたらロダはヤクザか何かで、それで逃げていたのかもしれない。そして、死んでしまった。
 では、なぜあんなに目立つところにいたんだろう。僕ですら見つけてしまえるような、電信柱の影。きっとロダは僕に見つけて欲しかったんだろうと思う。うまくいえないけど。ロダは、僕を待っていたんだ。もしかしたらロダの言っていた前のロダもそうかも知れない。
 なんだか難しくてよく分からないな。でも、分かる事実は一つだけ。

僕は山口彩子という名前をいつか捨てるんだ。そして、ロダと名乗る日が来る。
でも、それはきっと小学校にいるうちじゃないな。せめて中学校に入ってからにしよう。ロダ。悪くない。山口ロダ?苗字はいるのかな?まぁいいや。

そして僕は小学校を卒業すると、お父さんを説得して私服登校の私立中学校に入った。制服なんて着るなら死んだ方がマシだから。

そして、僕は13歳の誕生日にロダになった。

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