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戦争映画コミュの戦艦大和 沖縄戦主砲発砲問題

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資料見つけました。「戦艦大和」 平間洋一編 講談社選書メチエ 145p−146p

第三波の攻撃が始まった時、米軍側は「大和はダメージを受けて傾斜しているが安定した速力で航行している」(85)との認識を持っていた。しかし、実際は傾斜を復元できず、速力も急速に低下し瀕死の状態になりつつあった。また、対空砲火も散発になり、米軍機は、「わがもの顔に徹底的に爆弾、魚雷を投下」(86)する形になった。この時に大和は主砲を発射したが、至近距離に迫った敵機にやみくもに発砲しても全く効果はなく、艦長伝令の川端二曹は、その様子を次のように回想している。

艦は一度大分傾斜してから復元した。主砲は艦がすっかり傾いてダメになってからも、撃ちたいと言ってきた。その悲壮な気持ちに打たれて、第一砲塔に撃たせることにした。しかし軸先が焼けて弾がただ水面を走っていった。(87)。

一方、これを見た第三波攻撃隊の空母イントレピット所属パイロットは、「大和の主砲はまだ発砲し続けている」と報告した。(88)この作戦中に大和が主砲を射ったのはわずか三回だけであったが。(89)、本格的な米軍機の来襲以後、対空砲火として発砲したのはこれが最初で最後となった。

この本が引用した文献および注釈
(85)RG 38 BOX 216,Action Report, Commander Task Force 58.4.
(86)小林健「戦艦大和主砲指揮所に地獄を見た」 丸 1978年 210頁
(87)吉田満・原勝洋「日米全調査 戦艦大和」(文芸春秋社、1975年) 56頁
(88)Spurr,op,cit.,p.287.
(89)具体的な発砲状況や発射弾数は不明であるが、大和の主砲発射は次の通りである。
  ・第1回(10時17分):米軍偵察機に対する威嚇射撃
  ・第2回(12時32分):第一波襲来に際しての戦闘始の合図
  ・第3回(14時すぎ):第3波に対する対空砲火

コメント(7)

うーん、不謹慎な感想かもしれませんがこりゃもう趣味の世界ですね…
平間氏のこの本は引用・参考が多いのですが、こういう本を読む場合、原資料を曲解していないか見極める必要があります。ここで上げられている参考文献(のうち、入手可能なものだけでも)についても、目を通されることをお勧めします。孫引きを安易に信用するのは危険ですよ。

ご存知かと思いますが、坊の岬沖海戦での大和の戦死者は乗組員の9割以上に達しています。そのため、大和最後の戦闘については多くの部分が詳らかになっていません。個人的には主砲の発砲はなんどかあったと考えていますが、戦闘中にいつ、何斉射したのかについては、最終的には永遠の謎かなぁと思っています。
なすびさん<そうなんですこれ引用本なんですよねぇ。
一応日米双方の証言が一致してると思われるので、引用しました。
しかし肝心の発砲時(特に3回目)の艦上の情報がありません。25mm対空要員の手記も読みましたが、対空戦闘時の主砲の話は出てません。ただ艦上が大混乱、血の海のなか主砲が発射
されたのかどうかが・・知りたいのです。
この機会に何冊かあたったんですけど、はっきり対空戦闘時発砲について書いてあるのは、この本だけでした。(まだ探すつもりですけど)
 八杉康夫さんという、艦橋の最上部で主砲砲撃の測量(測距儀)をしていた方の手記「戦艦大和 最後の乗組員の遺言」によると、この方は大和乗艦は天一号作戦(沖縄特攻)のみで、その時一度も主砲を撃っていないそうです。レイテ沖海戦で活躍した主砲三式弾の威力を見られるかと思っていたのに、それができなかったといいます。

 敵機が、視界の悪いところを測量できない高さで飛んできたため、主砲を撃つどころか測量しても「範囲外」になってしまい、それで最初に撃ち始めたのが機銃だったとか。
 砲術長が主砲を撃つ許可を有賀艦長に求めても、主砲の煙幕で大和が大きく見え標的になりやすくなるため、艦長はついに主砲発砲許可を出さなかったのです。何度も許可を求めるやりとりは、八杉さんが伝声管で筒抜けになっていたのを聞いたそうです。
 八杉さんはこうもおっしゃっています。「大和が主砲を撃ったと証言した生存者の方もいますが、2回乗艦した方はレイテ沖海戦と混同している方もいらっしゃるようです。映画などで主砲を撃ったとするくらいはいいですが、ちゃんとした史実で撃ったことにされると困ります。」

 生存者が少なく、年々ご存命の方が減っていること、中には記憶違いのことを証言されているケースも考えられるので、真相は闇の中でしょう。私は八杉さんが一回しか乗艦されていない点と主砲発砲に大きく関わっていた点を考慮すると「未発砲説」を支持します。
 
YASU.mさん、はじめましてのご挨拶もなしに、大変失礼しました。

児島襄氏の『戦艦大和』(文春文庫)は主砲方位盤射手であった村田元輝氏に多く取材して書かれたノンフィクションですが、この本では村田氏の証言を元に、対空戦闘開始と同時に主砲を瞬発射撃した様子が描かれています。

出典は忘れましたが、方位盤旋回手であった方の証言では、主砲は対空戦闘では前部と後部に分化され、射撃開始は艦長の号令でやるが、後部の主砲射撃は後部射撃指揮所の指揮官が行うことになっていたそうです。ということは、村田氏が引き金を引いたとき、前部砲塔のみ発射した、ということになるでしょうか。

村田氏の証言は原勝洋・吉田満共著『ドキュメント戦艦大和』(これも文春文庫)にも見ることができます。今手元にないのでうろ覚えですが、「一斉撃ち方で触接する戦闘機に対して発砲した。照準点は誤差を考慮して自分なりに工夫した。初めのうちはかなり斉射を行ったと記憶している」という内容だったはずです。

村田氏は大和の竣工当時から乗艦しており、大和の数少ない主砲射撃(訓練も含めて)のすべてに直接関わっている(というか、方位盤射撃ではこのひとが引き金を引かないと弾が出ない)方です。
氏の証言を使った上記の文献を見る限りでは、レイテとの記憶の混乱などは考えにくいような気がします。

八杉氏は数少ない生き残りの中ではおそらく、もっとも精力的に講演活動や執筆をされている方だと思います。この方の証言は大変貴重なものだと思います(いちど生で講演をお聞きしたいです)。
ただ、八杉氏の配置は艦橋トップの主砲射撃指揮所で測的手だったそうですが、ここは戦闘中は密閉され測距レンズを通してしか外を見ることはできないはずですので、戦闘の様子をどこまで知りえたかは個人的には疑問に思っています。主砲の射撃はなかったと証言されていますが、1000ポンド爆弾命中時のショックと発砲の衝撃とを区別するのは難しかったのではないか。

この問題を追及する場合、もうひとつ落とし穴があります。方位盤射撃でない、各砲塔の独立撃ち方があったとすれば、射撃指揮所にいた兵にはわからないということです。

真相はやはり、「藪の中」になりそうな気がしますが、自分で納得のいくまで調べてみることは大切なことなので、応援しますよ。
がんばってください。

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