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ランバール公妃コミュのHotel de Lamballe

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トピ立てさせて頂きます。

Parisに現在も残るPrincesse de Lamballeの面影を感じる事が出来る場所があるのですが。パリ16区、アンカラ通り17番地に現在も“Hotel de Lamballe”(ランバル邸)があります。

この建物は1700年頃にローザン公爵が入手し、摂政時代にその妻であるローザン公爵夫人が住んだ事に因り、よく知られていたようで、代々著名な貴族により相続されました。公爵夫人はこの館で義兄である回想録で有名なサン・シモン公爵ルイ・ド・ルーヴロワとその夫人、妹のブルゴーニュ公爵夫人、ロウ夫人らを招いて優雅で素晴らしい宴を催したと事が夙に知られています。公爵夫人は1734年までこの館に住み、夫人の没後にセサック侯爵夫人に売却されました。その後も代々相続され1775年にはリュィーヌ公爵へ受け継がれ、最終的にランバル公の父親であるパンティエーヴル公爵が手に入れます。1768年に20歳で急死した公の残された未亡人の妃がランバル公妃です。1783年にパンティエーヴル公爵はルイ14世時代に植えられた鬱蒼とした木々に囲まれセーヌの素晴らしい眺望を楽しめるこの館を、マリー・アントワネットの女官長としての立場にも拘らずその寵を新参のポリニャック伯爵夫人に奪われ不遇を託つ公妃に与えました。この義父は2つの素晴らしいパヴィヨンのある庭を挟んで隣接する館(現在はレイヌアール通り)に住み、ヴェルサイユの宮廷を退いた公妃と行き来したそうで、近隣のラ・ミュエットの城館に住んでいたエリザヴェート内親王を招いた事もあったそうです。

公妃は革命が起こるまでこの館に住み、革命後に一度は国外へ亡命します、しかしその後の運命はコミュのトップの解説の通りです。公妃の死後この館は革命政府の“イミギュレ法”(亡命者の個人資産は当人が死去したとみなされ国家に没収されました)によりにより政府に没収されましたが、1797年サルディニア国王と共和国政府との交渉により公妃の甥で相続人であったカルロ・エマニュエーレ・ディ・サヴォイア・カリニャーノに受け継がれました。その後は1845年まで銀行家のバグノー氏の所有となり、続いて医師のエスプリ・ブランシュにより医療施設として使用され、1852年に息子のエミール・ブランシュに相続されました。ここでは詩人で作家のジェラール・ド・ネルヴァルが療養の為に二度ほど滞在した事でも知られ、作曲家のグノーも滞在し、なにより1893年に詩人で劇作家のモーパッサンが死去した場所として知られています。

現在はこの建物は駐仏トルコ大使館として利用されています。

画像は左からオテル・ド・ランバルの建物の一部と、シャルパンティエによって描かれた油彩を元にした描かれたブルボン・パンティエーヴル家の家族の肖像(左からパンティエーヴル公爵、ランバル公、ランバル公妃、後にオルレアン公爵フィリップ・エガリテの妃となるルイーズ・マリー・アデレード、右端がパンティエーヴル公爵の母親のトゥルーズ伯爵夫人)とランバル公妃の紋章。

コメント(1)

rougeさま

おお!、素晴しき御注釈!ぴかぴか(新しい)。管理人よりお礼申し上げます。これからも色々ご教示くださいませ。

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