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「お気に入りに追加」を使う人 コミュの 日記の紹介 (単発用) 

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これは小さな、
遠い世界からのプレゼントで、私たちの
     音
    科学
   画像
  音楽
 考え
感じ方を表したものです。
私たちはあなたたちの中にいるのかもしれません。
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89 (CP:http://zhp.jp/528o )↑
 
マイミクじゃない人の日記も読んでみませんか。
 
あるいはどれか、あなたの日記をここで、私たちに読ませてくれませんか。
日記はわりとマメに書いてる人が多いのに、たくさん参加者がいてもコメントが少ないコミュニティ、よく見かけます。
とても内向的な日本人気質な印象も ..。
 
いろんな人の日記を読みふけってて感じるのは、
何気ない日常のスケッチにも、人の心を打つ、ハッとさせられるいい話の多いこと多いこと。
 
日記には深みと個人性、トピックには広がりと共通性、それぞれに魅力があります。
どちらにも偏らず、もっとSNSを便利に利用できたらと、公開性のより高い日記の使い方として、このトピックを提案します。
 
学校・会社・団体・サークル・ゼミ・地域・同年代・音楽・スポーツ・ゲーム・映画・本・マンガ・アート・テレビ番組・芸能人・有名人・お笑い・PC・インターネット・グルメ・お酒・旅行・動物・ペット・車・バイク・ファッション・占い・趣味・ビジネス・経済・学問・研究・アダルト・などなど..あらゆる物事はつながり、
そして誰もが様々に係わりあってる。
リアルにそう感じませんか?
 

BGM: come by bicycle http://youtube.com/results?q=%E8%87%AA%E8%BB%A2%E8%BB%8A%E3%81%A7%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A7

コメント(12)

 


最近過去をよく振り返るもうやだ〜(悲しい顔)

唐突で瞬時に色々と。
その中の1つ、忘れられない想い出

小学校1年生だったか…

ほんの数ヵ月間だけクラスにいた外国人の女の子。

何処の国の子かもどの時期にいたのかも、もぅ覚えてなぃんだけど、小柄で肌の色は黒めのアフリカ系の子だった。(気がする)

外国人を物珍しく思う幼かった私達は、言葉も通じないその子にあまり近寄らなかった気がするあせあせ(飛び散る汗)

ある日の授業で、私は図書室に返却しなければいけなぃ本を自宅に忘れてしまい、泣いてたあせあせ(飛び散る汗)

それだけで?(白)って今考えるとバカバカしぃけどその時は重大なミスあせあせ(飛び散る汗)

クラスのみんながちゃんと返却していく中どぅしよぅかとただただ泣いていると、彼女がそっと私の肩をたたいた。

そして、自分の持っていた本を差し出し、私に返却するよぅに促した。

私は驚いたダッシュ(走り出す様)

言葉が通じなくても、私が何故泣いているのか、何をしたぃのかを解ってくれていたから。

あの子の事が未だに忘れられないわーい(嬉しい顔)


言葉なんて関係無い!
と気付かされた瞬間だった泣き顔ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

人の感じ方、表現は言語に関係無く共通だ

と幼いながらも実感したあの一瞬だった。

それからすぐ女の子は母国に帰ったんだけど、今何してるんだろ〜とか、覚えてるかなとか、働き出した今でもふと思い出すほっとした顔
会えるものなら会ってみたいなぁぴかぴか(新しい)
 






(『『ありがとう』と言いたい』
 
 ある人の日記。
 承諾を得て転載しました。
 w a r m a r t :))
 
 

夕食のあと、ベッドに寝転びながらラジオを聴くのが日課になっている。

美味しいお料理をいただき、満腹になり、満足し切ったおなかでほくほくと部屋へ向かう。

ベッドとは反対側にある灯りをともし、ごろんとベッドに寝転びおもむろにラジオのスイッチをぽちっとひねる。

このラジオは数年前、近所の量販店の家電コーナーで購入したものだ。

白いのでほこりが目立ちやすいのが難点だが、なかなか重宝している。

われながら役に立つものを購入した、と悦に入っている。

ラジオとCDとカセットが聴ける簡素な作りのもので、最低限の機能しかついていないが、機械に疎い私にはこれで充分である。

そのラジオから外国のテンポの良い音楽や、DJのいささかわざとらしいほど陽気な声が流れてくる。

顔が見えないのに、いや、顔が見えないからなのか、声の持ち主に何となく親しみを感じる。

DJの提供する陽気な話題とは逆に、ぼんやりと灯りのひとつだけついた部屋で私はしだいに落ち着きを取り戻してくる。

いかにも満足気にベッドから腕をだらんと垂らしてみたり、横向けになってみたり、仰向けになって思い切りのびをしてみたりを繰り返す。

体と心と、外界を取り巻く自然のリズムが調和してきて、とくとくと時を刻み始める。

この時間を愛している。
 






聴覚以外の感覚が自由に使え、想像力に委ねているせいか、ラジオはテレビより自由になれる気がする。

居間からはゴールデンタイムのテレビの、けたたましい笑い声が聴こえてくる。

テレビは時に疲れる。

もちろん観ていて楽しいものや感動するもの、ためになるものも多いが往々にしてそう感じる。

朝から晩までこちらが必要ともしていない情報を流し続ける。

少し前、「サザエさん症候群」という言葉がはやっていたが、日々暮らしていてその時間の特性や雰囲気を、時間ごとに区切られたテレビの番組によって決めつけられてしまうことが多いような気がする。

そして「この番組の時はこれをしなければならない」と、時に憂鬱になったり、慌しく過ぎ去ってしまう。

テレビを消して、時そのものをゆっくり味わってみると、自分が今この瞬間に本当にしたいこと、しなければならないことというのが、心の奥深くから自然と聴こえてくるような気がする。

時を味わい、人間の心と体と自然界との調和、リズムを一致させることによって、最高に心地良い状態が生まれ本来の時のリズムのなかに溶け込んでゆけるように思う。

如月、十六夜、水無月、夏至、立秋、寒露、立待月、霜降…

昔、テレビもラジオもまだ存在しなかった時代、人々は惑星の運行や時に美しい名前をつけた。

自然の時のリズムと人間本来のもつ体内時計のリズムが分断されず、美しく調和されていた時代。

人間は惑星の運行や季節の移り変わりの中に存在し、決してそれらのリズムから切り離されてはいけない。

テレビやラジオ、パソコン…、文明の利器の恩恵を十二分に享受しながら、時折それらの存在しなかった時代に想いを馳せてみる。

研ぎ澄まされた五感の自由な遊びと、それらで聴く宇宙のリズムはとても心地良さそうだ。
 






(『ラジオの時間 その1・その2』
 
 ある人の日記。
 承諾を得て転載しました。
 w a r m a r t :)
 

http://www.youtube.com/watch?v=YwxsWIYJI2A&fmt=18)
 
 

夕食のあと、ベッドに寝転びながらラジオを聴くのが日課になっている。

美味しいお料理をいただき、満腹になり、満足し切ったおなかでほくほくと部屋へ向かう。

ベッドとは反対側にある灯りをともし、ごろんとベッドに寝転びおもむろにラジオのスイッチをぽちっとひねる。

このラジオは数年前、近所の量販店の家電コーナーで購入したものだ。

白いのでほこりが目立ちやすいのが難点だが、なかなか重宝している。

われながら役に立つものを購入した、と悦に入っている。

ラジオとCDとカセットが聴ける簡素な作りのもので、最低限の機能しかついていないが、機械に疎い私にはこれで充分である。

そのラジオから外国のテンポの良い音楽や、DJのいささかわざとらしいほど陽気な声が流れてくる。

顔が見えないのに、いや、顔が見えないからなのか、声の持ち主に何となく親しみを感じる。

DJの提供する陽気な話題とは逆に、ぼんやりと灯りのひとつだけついた部屋で私はしだいに落ち着きを取り戻してくる。

いかにも満足気にベッドから腕をだらんと垂らしてみたり、横向けになってみたり、仰向けになって思い切りのびをしてみたりを繰り返す。

体と心と、外界を取り巻く自然のリズムが調和してきて、とくとくと時を刻み始める。

この時間を愛している。
 






聴覚以外の感覚が自由に使え、想像力に委ねているせいか、ラジオはテレビより自由になれる気がする。

居間からはゴールデンタイムのテレビの、けたたましい笑い声が聴こえてくる。

テレビは時に疲れる。

もちろん観ていて楽しいものや感動するもの、ためになるものも多いが往々にしてそう感じる。

朝から晩までこちらが必要ともしていない情報を流し続ける。

少し前、「サザエさん症候群」という言葉がはやっていたが、日々暮らしていてその時間の特性や雰囲気を、時間ごとに区切られたテレビの番組によって決めつけられてしまうことが多いような気がする。

そして「この番組の時はこれをしなければならない」と、時に憂鬱になったり、慌しく過ぎ去ってしまう。

テレビを消して、時そのものをゆっくり味わってみると、自分が今この瞬間に本当にしたいこと、しなければならないことというのが、心の奥深くから自然と聴こえてくるような気がする。

時を味わい、人間の心と体と自然界との調和、リズムを一致させることによって、最高に心地良い状態が生まれ本来の時のリズムのなかに溶け込んでゆけるように思う。

如月、十六夜、水無月、夏至、立秋、寒露、立待月、霜降…

昔、テレビもラジオもまだ存在しなかった時代、人々は惑星の運行や時に美しい名前をつけた。

自然の時のリズムと人間本来のもつ体内時計のリズムが分断されず、美しく調和されていた時代。

人間は惑星の運行や季節の移り変わりの中に存在し、決してそれらのリズムから切り離されてはいけない。

テレビやラジオ、パソコン…、文明の利器の恩恵を十二分に享受しながら、時折それらの存在しなかった時代に想いを馳せてみる。

研ぎ澄まされた五感の自由な遊びと、それらで聴く宇宙のリズムはとても心地良さそうだ。
 






(『ラジオの時間 その1・その2』
 
 ある人の日記。
 承諾を得て転載しました。
 w a r m a r t :)
 

http://www.youtube.com/watch?v=YwxsWIYJI2A&fmt=18)
 
 

東京で作品を作っていた時の事を思い出した時、その時に出会った人の記憶が甦ってきた。
 
とある年、彼女が受け取った、とある年賀状の差出人が分からず少しの時間悩んだそうだ。
 
文面は以下。
 
「未来の私へ。
こんにちは。
ちゃんと生きていますか?
元気で生きていますか?
私は過去からあなたを見守っています。
元気でいますように。
幸せでありますように。」
 



それは、1985年の筑波科学万博の企画「ポストカプセル2001」で
2001年の元旦に届けるというものがあって
過去の自分が未来の自分に送った年賀状だった。
 
当時、彼女はまだ小学生ではあったが
未来の自分について考えた時、
病気でもう生きてはいないだろう・・・・と思いながらも
未来を心配しながら書いたという。
 
「まだ子供なのに随分未来を悲観してたんだなあ。
でも、それでも子供心に“幸せになって欲しい”と
強く願っていたんだなあ」と感じたという。
 
とは言え、その年賀状を見た時、子供の頃に悩んでいた事を思い出したという。
テストの点が悪かった。
お母さんに怒られた。
運動会でビリになった。
 
今となってはそんな事で人生が終わるわけではないのに
あの頃は真剣に悩んでいたよね・・・・。
と数人で言いあった。
 
きっと今、私達が真剣に悩んでいる事も
あと10年、20年すれば
「なぜこんな事で悩んでいたんだろう・・・」と
思う時が来るんだろうね・・・・。
いつか笑って「それがどうした」ってくらい
悩みをどんどん突き抜けて生きていくのかもね?
と言って我々は別れた。
 
彼女は編集者としてまだ頑張っているだろうか?
 

東京、私はその地へ行くたびに、その記憶が忘れられず
「何がなんでも生きなくちゃ!」と
思うのです。
 




(『過去からの手紙』
2010/08/14 19:22↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓ 
 
 ある人の日記。
 承諾を得て転載しました。
 

http://www.youtube.com/watch?v=h-KTsUMEoNM&fmt=18↑
http://www.youtube.com/watch?v=hAoyWYcNcIA&fmt=18
http://www.youtube.com/watch?v=I-03LjcEnqU&fmt=18)
 
 


恩師という言葉を

想い浮かべ

恩 感謝 を伝えたい人を
思い出していました。

私はいまでこそ、人前で講義したり、誰とでも話すことができるようになりましたが、小さな頃は、極端な引込思案で内弁慶な子供でした。
だから、宿題をやってきた人! と言われても、やっているのに手をあげなかったり、言いたいことも言えずに、一人ぼっちでいることが多い暗い子供でした。
劣等感の固まりでした。
小学一年の時の女性の担任には、はっきりと、私はこういう融通がきかない、何を考えているかわからない子供は嫌いなんです! と言われたくらい涙
これ今の時代ならかなりの問題発言ですよね。
 
ところが、学年が変わって、大橋先生という男の先生になった時、はじめて、今までにないくらい褒めてもらえました。
みんながやり残した掃除を黙ってしていたりすると、
やあ、すごいな。気遣いが素晴らしいよ。
と言ってくださったり、具合が悪い子が嘔吐したとき、背中をさすっていたら、
ナイチンゲールになれるよ。
とにこやかに言ってくれたり、なによりも、大橋先生に教えられたことは、言葉の素晴らしさと文章を書く喜びです。
私は頭も悪かったし、全てにおいて劣等感だらけだったのに、ある日、作文を選んでくださり、
着目点が人と違うことを誇りに想いなさい、
と文章を書くときの文章の組み立てかた、言葉の選び方など本当に丁寧に放課後に教えてくださいました。
みんな、笑っちゃうかな?
そのとき書いた野毛山動物園の作文は神奈川県で優秀賞を取りました。
これが私のたったひとつの勲章かな(笑)
大橋先生はいつも変わらぬ態度に笑顔でした。
その後私は転校し、大橋先生とも連絡は取れなくなってしまいましたが、私にはじめて自信と笑顔の素晴らしさを教えてくださった恩師です。
探しだせるならば探して、心からお礼をいいたい気持ちです。
 
大橋先生に教えて頂いた文章を書く喜びや表現する喜びは今も心の支えです。
褒めて育てる。
笑顔で見守る。
個性を伸ばす。
教師として一番に大切なことを実行なさった先生でした。
今もお元気かな。
浦島小学校、私の大切な思い出の詰まった学校です。

プリザーブドフラワーは、次の講座でリースに香りをつけるというテーマで見本に作ってみました。
私が教えているのは、大人の生徒さんですが、大橋先生のように個性を大切に心を汲めるような、そんな人間関係を作っていけるように目標にしたいです。
 




(『大橋先生』
2010/09/08 23:54↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓
 
 ある人の日記。
 承諾を得て転載しました。
 

http://www.youtube.com/watch?v=4QpNrSvHA_w&fmt=18↑)
 
 


 はずかしながら。

 わたくしが、作詞・作曲をした歌が、この世に存在していたりします。

 存在しているだけです、流通はしていません。

 そんなこと言ったら、おれにだって、わたしにだってと仰るかたがいるでしょうか?

 一応、my song は、自分以外にその存在を知っている人がいちゃったりします。

 そういう意味で、この世に “存在して” います。“認識されて” いる、と言い換えてもいいかもしれません。

 なんとなく、こはずかしいものですね。いわゆる『真夜中に書いた手紙』でも読まれているようで...。

 存在するって、こっぱずかしいものなのでしょうか。認識されるって...。 生きるって...。(以下略)



 さて、先日、友人のライヴを観賞しに行きました。その友人のライヴを観るのは、かなり、ひさしぶりでした。

 なんとなく、なんにも言わないでいきなりライヴを観に訪ねて行って驚かせてみようと思ったのですが。

 わたしのほうが逆に驚かされました。

 その、わたしが作った歌をいきなりうたいはじめたからです。

 最初は、なんの曲か分かりませんでした。なぜなら、旋律が違っていたからです。

 けれど、詞は、わたしが書いた(存在させた・認識させた)そのままの、一字一句変わらないものでした。

 人は、予測もできないことが起こると言葉を失うものなのでしょうか。

 それまでノリノリでライヴを観ていたわたくしでしたが、思わず顔をそむけ、黙り込んでしまいました。

 で、そのまま何事もなく、次の曲へ行ってくれれば良いのに。友人ときたら、その歌の成り立ちを説明しはじめてしまいました。

「さっきの曲は、今そこにいる○○○○(私の名前)さんが書いた曲……の詞だけを頂戴して、勝手におれなりのメロディーをつけました。べつに○○さんの曲がだめってことじゃないんだけど。自分でうたう歌は、自分のメロディーでうたいたかったのでそうしました」

 とかなんとか。

 いやあ、あせりますね。なんの予告もなく、心の準備もなく、自分の隠された過去を暴かれたようで、ひさしぶりに冷や汗をかきました。しかも、びっくりさせようと思った相手に 100倍にして返されたようで。やられたという気持ちでいっぱいでございます...。

 ところで、一緒にそのライヴを観に行っていた女性の友人から、

「勝手に曲を変えられたりして。いいの?」

 と聞かれました。

 ふむ。たしかに、ちょっと考えると、失礼な ...ということなのですかね?

 でも、なんとも思いませんでした、いえ、むしろうれしく思いました。

 よく、メロディーだけもらって、詞は自分のオリジナルでうたう、というのは聞いたことがあるような気がします。が、その逆、というのは、めずらしいような気がします。

 曲じゃなくて、詞なんだ、というのが意外でもあり、また、だからこそうれしかったのかもしれません。

 わたくしの場合、特にその歌に関しては、一番伝えたいところは、詞です。その詞をうたいたいが為に曲をつけました。ええ、若かりしころ。ああ、はずかし。

 ですから、その歌に関しては、詞を伝える為に、メロディーが、あります。

 もし、詞が大切な荷物だとしたら、メロディーは、それを載せて運ぶ乗り物のようなものなのです。
(で、歌い手は、その乗り物を運転する運転手?)
 まあ、ですから、乗り物がなんであろうと、わたしの伝えたかったこと(=詞)が運ばれてゆけば、それで十分だ、と思うのです。
 伝達方法は違えども、詞は、運ばれてゆくのです。
 そして、日々は続いてゆくのです。
 そんな、秋晴れのある日の出来事でございました。
 # ほんとはね、詞と旋律とが一体となった、もう、それ以外の組み合わせも、それ以上の組み合わせも考えられない楽曲 ...というのが理想形なんでしょうか?
 




(『I'm Your Vehicle, Baby』
2010/10/01 19:51↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓
 
 奈桜(nao)サン(32357395)の日記。
 承諾を得て転載しました。
 

http://www.nicovideo.jp/watch/sm12617254↑
http://www.youtube.com/watch?v=eimjmlWiP9I)
 
 


彼女のことをよく考える。
どんな気持ちだろうと思ってみるけど、想像しきれない。

飛んでいきたい
違法トンネルをくぐってでも行きたい
ただ、会いたい・・。

そんな、言葉にも もうできないほどの切望、
そして毎日突きつけられる現実に絶望、
それでも家族との対話を欠かさず・・

ガザと日本とのギャップ。
日本社会にあって一人だけこころがガザにある孤独。
ガザの家族とともに生きているのに一人だけ日本にいる孤独。
日々は過ぎていく。葛藤、希望、絶望の繰り返し。


一度お会いしたことがある。おっとりとしているのにお茶目、とても可愛らしい声の人だった。側にいるだけで癒されるようで、もっとたくさん話が聞きたかった。

その後起こったあの2008年から9年にかけての「ガザ紛争」のとき
離れたままでいる家族の身に、いつ何が起こるか分からない状態で・・

いや、その時の話はいまは止めておこう。
私がいまここで話すべきではないような気がする。


それより、私がお伝えしたかったこと、いや彼女から下のニュースを通して受け取ったメッセージは、人生は続くということ。

どんな状況にあっても、どんな経験をしても、命のある限り人生は続く。

人生の続く限り人は生きる。

彼女が元気でいる姿を見ることができて嬉しかったのと、
着実に何かをやっていく実行力に感心感動感銘感服・・・なんて言ったらいいんだろう?

早速飛んでいってすごいねーがんばってるねーよかったねーえらいねーごめんねー

って言いたい。


http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/201865


彼女は例え一人の力でもパレスチナを占領から開放させようと努力するだろう。
ガザの封鎖を解けと一人でも訴え続けるだろう。

パレスチナに関する講演会や報告会がもっと手軽に開けるような場所が必要で、それを自分で作っちゃったんだろうと思う。

イベントのない時でもみんなが集まれるような、少しずつでも、一人ずつにでも何かを伝えられるような、そういう場所にしたいんだろう。
とっても彼女らしい。

カフェは彼女が仕事の休みの日にだけオープンするようだ。

前もって電話をするようになっているらしい。

彼女の健康と家族との再会と、パレスチナの解放、すべてうまく行きますように、祈るばかり。
 




(『飛んでいきたい』
2010/10/07 18:35↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓
 
エルサレム在住、ある友人の日記。
承諾を得て転載しました。
 
2010/10/06 西日本新聞朝刊
『パレスチナのブックカフェ開店へ 早良区の藤永さん』
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/201865↓
 
> 中東のパレスチナに関する書籍を中心にそろえたブックカフェ「ヤスミン・ライブラリー」が24日、福岡市早良区西新にオープンする。店を開くのは、パレスチナ人の夫(38)を持つ同区の会社員、藤永香織さん(39)。夫ら家族8人はパレスチナにいるが、イスラエルによる封鎖で会えない日々が続く。藤永さんは「パレスチナを幅広い視点で知ってほしい」と、個人で集めた約200冊を同店で公開する。
> 藤永さんは大学時代にイスラエルやパレスチナを訪問。卒業後の1997年から2年間、パレスチナ自治区のガザ地区にある障害者施設でボランティアをした。2001年に結婚したが、イスラエルから配偶者ビザが発給されず、観光ビザでガザに滞在していた。
> 反イスラエル闘争が激しくなるにつれ、イスラエルはガザ封鎖を強化。藤永さんはエジプトで夫と面会していたが、06年を最後に会えていない。家族と暮らしたのは通算でも8カ月ほどという。
> 藤永さんは、パレスチナの取材経験があるジャーナリストを福岡に招いて講演会を開催している。だが、「継続的にパレスチナのことを伝えることが必要」と考え、同店の開設を決めた。
> 店は西新4丁目のマンションの一室。店名は、パレスチナでの藤永さんの愛称で、アラビア語で「ジャスミン」の意味。
> 書籍はパレスチナだけでなく、イスラエルやイスラム教に関する専門書、滞在記など幅広い。また、現地のオリーブオイルやハーブを販売し、アラビア語教室も開く。
> 1日1回、夫と電話で話す藤永さん。夫はアラビア語教室の開講を喜んでくれたという。藤永さんは「気軽に店に立ち寄ってほしい。そして、パレスチナに行きたいと考える人が一人でも増えてくれたら」と期待する。
> 開店時間は土曜・日曜・祝日の午後1‐9時。
 

http://m.youtube.com/watch?v=XeoKpuc6WwI)
 
 

悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことが、いろいろ蘇ってきて辛いです。
ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。
彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。
だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。
彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。
そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。
何日か経ったとき、避難所のリーダーが耐えきれずに怒鳴り散らして彼らを追い返してくれました。
彼らがいなくなっても、彼らに受けた屈辱は消えませんでした。
 
 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
 
しかし、ほんとうの復興など、そんなにすぐできるわけがないのです。
そういう報道が為されだすくらいから、必要な物資や、必要な人的支援や、必要な資金などが明確になってくるいっぽうで、反比例的に「助けを求めている!」という報道は減少します。
さっきまで国じゅう挙げて「力を合わせて」といっていたのに、さらっと忘れるのです。
そういったときにこそ、小さな情報を拾って、みんなに呼びかけてあげてください。そして応えてあげてください。
 
いまみたいに、テレビが連日特番をやっている情況では、
みんな「なにかしたい」と思っています。
献血に長蛇の列ができたりするのです。
それはそれで、たいへん価値のある行動だと思います。
しかし、血液もいつまでも保つわけではないので、献血の行列がなくなりかけたときこそ献血をするべきです。
いま、自衛隊、全国の自治体の救援部隊、さらには外国からの援軍も被災地に投入されていっています。
彼らがまずは現地入りして、救援の統制系統の下地を整えた状態であれば、ボランティアは活きてくる可能性もあります。
ただし、彼らの指揮下に入ることが最低条件です。
 
 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
 
いま、私たちができることは、「呼びかけに応えること」です。
「呼びかけたい」のであれば、「呼びかけに応えよう」と呼びかけるべきです。
政府、各自治体、身元のしっかりした組織や企業の呼びかけに、積極的に応えるべきです。
なにより、いまできることは、募金を「すること」です。
(独自に街頭に立ってよびかけることではなく・詐欺が横行します)
呼びかけるとすれば、身元のしっかりしたところへの募金を呼びかけるべきです。
それくらいしかないのです。
でも、いまはそれがいちばんありがたいのです。
私たちは復興に必要な技術を持っていません。
私たちは復興に必要な訓練を受けていません。
でも、それぞれの財布から出る色のついていないお金は、
絶対に復興の邪魔になりません。
 
また、この災害は、明確に国難です。
株価も下落し、甚大な経済的損失も待っています。
そして、それは国民が働いて埋めていくしかないのです。
だからこそ、被災していない人たちは、それぞれのところで、一所懸命規律正しく働いて、税金を納めることこそ、ほんとうに被災していないみんながやるべきことです。
日本はこれくらいでは沈まないのです。
なぜなら、私たちはまだ生きていて、きょうも規律正しく一所懸命働けるからです。
「大災害にもかかわらず暴動が起こらない・秩序が乱れない」と、外国人たちは、日本人に対する敬意を新たにしています。
だから、首都を空襲されても、原子爆弾を投下されても、日本人は強く生きているのです。
そんな記憶はない私も、阪神大震災で被災して生きているのです。
だから。
日本人としての誇りを失わずにそれぞれの場所で強く生きることこそが、大切なのです。
 
2011/03/13...14
http://xdl.jp/diary/↑
 


2011年東北地方太平洋沖地震に対する支援活動
http://ja.wikipedia.org/wiki/2011%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E6%94%AF%E6%8F%B4%E6%B4%BB%E5%8B%95
 
http://m.youtube.com/watch?v=dzGMOFBdiWE
 
http://m.youtube.com/watch?v=Vnhena5QVl8
 
 

“危機的状況の中の希望”
 
先週の金曜、港町・横浜にある我が家を出て、午後3時前、いつも行く新宿のホテルにチェックインした。
普段から私はここに週3〜4日滞在し執筆活動やその他の仕事をしている。
 
部屋に入ってすぐに地震が起きた。
瓦礫の下敷きになると判断し、とっさに水とクッキー、ブランデーのボトルをつかんで頑丈な机の下にもぐりこんだ。
今にして思えば、高層30階建てのビルの下敷きになったらブランデーを楽しむどころではないのだが。
だが、この行動によってパニックに陥らずにすんだ。
 
すぐに館内放送で地震警報が流れた。
「このホテルは最強度の耐震構造で建設されており、建物が損傷することはありません。
ホテルを出ないでください」という放送が、何度かにわたって流された。
最初は私も多少懐疑的だった。
ホテル側がゲストを安心させようとしているだけではないのかと。
 
だが、このとき私は直感的に、この地震に対する根本的なスタンスを決めた。
少なくとも今この時点では、私よりも状況に通じている人々や機関からの情報を信頼すべきだ。
だからこの建物も崩壊しないと信じる、と。
そして、建物は崩壊しなかった。
 
日本人は元来“集団”のルールを信頼し、逆境においては、速やかに協力体制を組織することに優れているといわれてきた。
それがいま証明されている。
勇猛果敢な復興および救助活動は休みなく続けられ、略奪も起きていない。
 
しかし集団の目の届かないところでは、我々は自己中心になる。
まるで体制に反逆するかのように。
そしてそれは実際に起こっている。
米やパン、水といった必需品がスーパーの棚から消えた。
ガソリンスタンドは枯渇状態だ。
品薄状態へのパニックが一時的な買いだめを引き起こしている。
集団への忠誠心は試練のときを迎えている。
 
現時点での最大の不安は福島の原発だ。
情報は混乱し、相違している。
スリーマイル島の事故より悪い状態だがチェルノブイリよりはましだという説もあれば、放射線ヨードを含んだ風が東京に飛んできているので屋内退避してヨウ素を含む海藻を食べれば放射能の吸収度が抑えられるという説もある。
そして、アメリカの友人は西へ逃げろと忠告してきた。
 
東京を離れる人も多いが、残る人も多い。
彼らは「仕事があるから」という。
「友達もいるし、ペットもいる」、他にも
「チェルノブイリのような壊滅的な状態になっても、福島は東京から170マイルも離れているから大丈夫だ」という人もいる。
 
私の両親は東京より西にある九州にいるが、私はそこに避難するつもりはない。
家族や友人、被災した人々とここに残りたい。
残って、彼らを勇気づけたい。
彼らが私に勇気をくれているように。
 
今この時点で、私は新宿のホテルの一室で決心したスタンスを守るつもりでいる。
私よりも専門知識の高いソースからの発表、特にインターネットで読んだ科学者や医者、技術者の情報を信じる。
彼らの意見や分析はニュースではあまり取り上げられないが、情報は冷静かつ客観的で、正確であり、なによりも信じるに値する。
 
私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。
「この国には何でもある。
本当にいろいろなものがあります。
だが、希望だけがない」と。
 
今は逆のことが起きている。
避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。
東京も物や電力が不足している。
生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。
 
だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。
大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。
だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。
だから私は信じていく。
 




(村上龍 タイムアウト東京編集部翻訳)
2011/03/17 NYタイムズ
http://www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17Murakami.html↑
2011/03/18 タイムアウト東京
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2581/↑
 
2011年東北地方太平洋沖地震
PC:http://ja.wikipedia.org/wiki/2011%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87
CP:http://www.sjk.co.jp/c/t.exe?y=http://ja.wikipedia.org/wiki/2011%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87
 
http://m.youtube.com/watch?v=E9dcOaBkSWg
 
 

  “歴史は繰り返す”
 
偶然だが、私は地震の前日、数日後の朝日新聞の朝刊に掲載された記事を書いていた。
その記事は1954年のビキニ環礁における水爆実験で被爆した漁師に関する記事だった。
私が彼のことを聞いたのは19歳のときだった。
後に彼は核抑止力の神話とそれを支持する人々の高慢さを批難するのに生涯を捧げた。
あの大震災の前日にあの漁師を思い起こすことになったのは一種の悲しい予兆だろうか。
彼はまた原子力発電所とそれがもたらす危険性とも戦った。
私は日本の近年の歴史を次の3つのグループの人々の視点を通して見る方法について熟慮を重ねて来た。
つまり、広島や長崎の原子爆弾で亡くなった方々、ビキニ環礁の水爆実験で被爆した方々、そして核施設の事故で犠牲になった方々である。
日本の歴史をこうした事件を通して考えれば悲劇は自明である。
今日、原子炉の危険性は現実になったのを確信することができる。
今全貌が明らかになりつつあるこの災害がどのように終わろうと、私は克服しようとする人々の努力には全幅の敬意を払っているが、この災害の意義はどう考えてもあいまいではあり得ない。
日本の歴史は新たな段階に入った。
そしてもう一度我々は核の力の犠牲になった人々の目の視点に立たねばならない。
苦しみながらも勇敢さを見せた男性たち、女性たちの視点に。
現在の震災から何を学ぶかは、この震災を生き延びる人々が過ちを繰り返さないと決意するかどうかにかかっているのだ。
 
この震災は、劇的な方法で、2つの事象を結びつけている。
日本の地震に対する脆弱性と、核エネルギーに代表されるリスクに対する脆弱性である。
前者はこの国がもとより直面してこなければならなかった現実である。
後者は、地震や津波によりもさらに壊滅的であることがあきらかになるであろうが、人災である。
日本広島の悲劇から何を学ぶであろうか?
2008年に亡くなった現代の日本の偉大な思想家の一人、加藤周一は、原子爆弾と原子炉に言及して、千年前に清少納言という女性によって書かれた『枕草子』の一節を引き、「とても遠くにあると見えるものも、実際には、とても近い」ものだと言っている。
核の悲劇も、遠く非現実的な仮説に見えるかもしれないが、その可能性はしかし常に我々の身近にあるのである。
日本人は核エネルギーを工業的な生産性の文脈で考えるべきではない。
広島の悲劇から経済成長の「レシピ」など引き出すべきではない。
地震、津波、そしてその他の自然災害のように、広島の経験は人類の記憶に深く刻まれるべきである。
人の手で生み出されたからこそ自然災害よりもはるかに悲劇的なのである。
原子炉を建設することで人間の生活をあからさまに蔑視する過ちを繰り返すのは、広島の犠牲者の記憶に対する、可能な限りで最悪の裏切り行為である。
 
日本が戦争に負けた時私は10歳だった。
その翌年新しい憲法が公布された。
私はその後何年にもわたって、我々の憲法に明記された、戦力の不保持や後の非核三原則(もたず・作らず・持ち込ませず)を含む平和主義が、戦後日本の基本的な理念の正しい表象たり得ているかを自問し続けてきた。
実際には、日本は段階的に再軍備をし、1960年代の密約でアメリカ合衆国が核兵器を持ち込むことが可能になったため非核三原則は無意味になってしまったが、戦後の人間の尊厳の理念は完全に忘れられたわけではない。
亡くなられた方々は我々がそうした理念を尊重するよう監視しているし、亡くなられた人々の記憶があるから我々は政治的現実主義の名のもとで核兵器の破滅的な性質を過小評価するわけにはいかない。
我々は分裂している。
現在の日本があいまいに見えるのはそのためである。
アメリカの核の傘に守られた平和主義者の国なのだ。
福島原発の事故で、日本人が再度、広島や長崎の犠牲者と連帯し、核の危険性を認識して、核の賛成派が提唱する核抑止力の幻想を払拭することが望まれている。
 
成熟したと一般に見なされる年齢に至って、私は『我らの狂気を生き延びる道を教えよ』という小説を書いた。
今晩年に差し掛かって、私は『最後の小説』を書いている。
私がこの狂気を何とか生き延びることができれば、その本の冒頭でダンテの『神曲』の最後の一節、「そして我々はもう一度星々を見るために外に出た」を引くつもりである。
 


(大江健三郎 HISTORY REPEATS)
2011/03/23 ニューヨーカー
PC:http://www.newyorker.com/talk/2011/03/28/110328ta_talk_oe↑
CP:http://www.sjk.co.jp/c/t.exe?y=http://www.newyorker.com/talk/2011/03/28/110328ta_talk_oe↑
http://blog.livedoor.jp/itobun/↑
 
http://www.youtube.com/watch?v=dENGxFil-bQ
 
http://www.youtube.com/watch?v=QCbW7bUVNw4
 
http://www.youtube.com/watch?v=CGqFXRqdDwk
 
 

> 浮気は、本人じゃなくて相手(現パートナー)が決めることじゃないかな。
 
> 浮気って「裏切り」って意味合いで使われてると思いますが、本人は例えばその10分間や・その10日間・その10ヶ月を自分自身に対しては裏切ってないはず。
 
> よく結婚式や離婚慰謝料では、今だけでなく将来も愛しあうことを正当だとしますが、それは宗教や政治が求める正しさにすぎなくて、それに対して一般の日本人は別に信仰や政治思想が強いせいじゃなく、挙式や入籍しないと「変」だからするだけだろう、と思う。
 
> そういう、形の約束を破棄されたことを裏切りだと呼べるのは、本人じゃなくて相手じゃないでしょうか。
 
> もし、思いつく限りの強い愛情があるとしたら。
> 明日から相手が自分じゃない人を愛そうと・何人かを同時に愛そうと、そうした変化しつづける相手に心を乱されずに、(現実問題として別れるにしろ別れないにしろ、)相手への愛情の履歴を汚すことなく自分の愛情をも変化させてゆくものだろうと思う。
 

> 「相手への」(自分の)「愛情の履歴を汚すことなく」。
> つまり例えば、
> “私は数年前にそのときの相手に浮気されて、怒り狂いました”
> って人は、相手が変化したら途端に受け入れられない・または独占欲でできている愛情だった、という自分の恋愛遍歴で、汚れると思うんです。
 
> 昔にベストセラーになった『誰のために愛するか』という本には、
 
> 「私は相手が泥棒だろうと、好きになればついてゆきます。
> その代わり相手も、そういう相手がいて支えつづけていればいつか、泥棒をやめようと決心してくれるでしょう」
 
> というような内容がありました。
> これは、泥棒がいけないという当たり前の話よりも、相手が泥棒だろうと愛情は起きるということのほうが重要かと思います。
> 世の中の正しさと関係ないところで愛情は起きて、さらに著者はもし相手が死ぬまで泥棒のままでも、愛情の基本は変わらないんじゃないかなと僕は思いました。
> だとしたら美しいなと。
 

あるマイミクさんの日記へ書いたコメントです。(加筆訂正)
 
何だか禁欲的な意見ですが。
例えば競技とか武道とかのスポーツが大好きだとしたら、ちょっとした才能でいい成績を獲るだけじゃなく、さらなる成績のためなら、辛い練習も貯金のような快感にできたりする。
あるいはそうした行動がなくては奥を深めたり・高みに達することもないはず。
 
愛情は人生の課題の大きな1つで、で人生って野放図な野原じゃなくて、道場だと思う。
じゃなければ飽きたらない。
 


http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=14784225
 
http://www.youtube.com/watch?v=2Lm9HKylUUg
 

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