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M・ブランドルコミュのマーティンの思い出を画像と共に語りましょう

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何かおもしろい画像やすごい画像、思い出深い画像や話があれば貼って下さいカメラ
またそのエピソードなんかも付けていただけると嬉しいですウインク



ではまず若かりし頃のマーティンから目がハート

'83でしょうかね、若いなああせあせ
一緒に写ってるアイルトン・セナも若いウッシッシ(画像右の左)二人ともまだ24歳位かな。
真ん中の画像の後ろを走ってるのがアイルトンですね。
エディ・ジョーダンのチーム(EJR)からイギリスF3に出場中で、
みなさんもご存知の通りこの年、アイルトンと壮絶な争いの末2位に終わりましたがまん顔

コメント(81)

ちょっと画像が悪いですが、92年日本GPの表彰台ですわーい(嬉しい顔)
BLANYさん>
ありがとうございますぴかぴか(新しい)
今でも覚えてますが、このあと3人で帽子飛ばしましたよね。

あとアデレードの何かがあればどなたかお願いしますねウインク
久々の書き込みですぴかぴか(新しい)

この年のアデレードはウイリアムズの全滅、
セナがマンセルに追突しリタイア等荒れた展開で生き残り、
またよく結果を残しているサーキットで見事8番グリッドから3位表彰台ウインク
有終の美でシーズンを終えることができました。

ところが皆様も知ってらいらっしゃる通り、
生涯最高のシーズンとなったベネトンでのシートはこの年限りとなりましたふらふら

翌'93のシーズン、ただ単にパトレーゼが移籍してくるという理由だけで契約できなかっただけなのか、
詳しい事情をお知りの方がいましたら教えて下さい。

リカルドや彼のファンには悪いですが、振り返ると明らかにパフォーマンスが悪かったですよね冷や汗
ピケもブランドルとパトレーゼも大好きなドライバーです。ピケが首になった時はウォーキンショーを恨んだもんですあせあせ
確実な走りのブランドルも一年で放出も政治絡みとはいえ勿体ないものです。
パトレーゼはウィリアムズで引退すべきでしたね。
ベネトンのマシンとパトレーゼのヘルメットがあんなに似合わなかった組合せはないですたらーっ(汗)(同じ事を思ってるファンの方多いでしょ?)
パトレーゼはやっぱウィリアムズかブラバムが似合ってます。
なるほど、みなさんありがとうございましたウインク
完全に政治的理由ということだったんですね。勉強になりました。
ウォーキンショーのコネも肝心な時に役立たずだったのか...あせあせ

確かに私もリカルドは93年の結果で完全に男を下げたと思いましたあっかんべー
ちょっと話が脱線しますがブラバムのBT54がとても似合ってましたぴかぴか(新しい)
当時のベネトンはシューが有利な立場でしたでしょう〜

シューが嫌がったとかなかったんかな?
それともイタリア人乗せろの圧力とか?

ブラバムかっこええですよね!!BMWカラーリング似合ってた♪
シューとは表面上は仲良かったように見えたんですけどね〜あせあせ
マーティンが後半に結果を出して肉薄したのに危惧したのか?
人間関係ってわからないものですよね冷や汗
翌93年、リジェチームに移籍しました。
折りしもこの年から創設者のギ・リジェがオーナー兼監督の座から退き、
元AGSのシリル・ド・ルーブルが収まることになった。

チームメイトは大の仲良しであるマーク・ブランデル、古舘いわく解説者泣かせ再結成あせあせ
これまでどちらか1人はフランス人を起用していた同チームでしたが、
2人ともイギリス人という組み合わせになりました。

マシンはジェラール・ドゥカルージュ設計のJS39、
エンジンはワークスではなくメカクロームのカスタマー仕様ながら、
ウィリアムズと同じルノーRS5を獲得ダッシュ(走り出す様)
ミッションもウィリアムズFW14Bの物を搭載。

マシンの見た目、キレイさもさることながら、
開幕前にこのパッケージングに大いに期待したものですぴかぴか(新しい)
なぜなら前年のマシン、JS37は型落ちのRS3搭載で、
マシントラブルがやたら多かったからですふらふら
ただしこのJS39は当時の流行であった、
アクティブサス等ハイテクはほとんど搭載されず、
その為かサーキットによってタイヤの磨耗が激しかったり、
速さに多少のムラはあったが随所で速さを発揮ダッシュ(走り出す様)
特に当時最強だったルノーパワーを十分に発揮できる、
高速サーキットでは中堅チームでは最速で、
4強の一角、当時最悪の状態だったフェラーリにも迫る勢いでした。
というよりもエンジン単体では確実に勝っていたものと思われますあせあせ

最終的には3位表彰台1回王冠入賞が6回と安定した成績を残し、
チームメイトのマークと共にコンストラクターズランキングも5位へと導きましたぴかぴか(新しい)
たしかパッシブサスでフランスで予選1,2,3,4がルノーでしたっけ?

このリジェみてたらドラッグが大きいなぁ〜っていつも思ってました。

でも高速&路面νがいいコースではかなりええ走りしましたよね!!

ドイツでベルガーと争ってたですね!
http://w11.mocovideo.jp/movie_detail.php?KEY=521780&REL=1

そうですね、ホームコースでは大活躍でしたぴかぴか(新しい)

ホッケンハイムでベルガーと争ったのはマークでしたがまん顔
せっかく書いていただいたのにごめんなさい...。

直線の速さを生かし予選6位と好調でしたが、
オープニングラップでオストシケインをスピンしながら、
ショートカットしてしまいました。
その為結局10秒ピットストップペナルティを食らって、
完走こそしましたが後方に埋もれてしまいましたふらふら
不可抗力のアクシデントだったと思うんですけどね、ツイてない冷や汗
そうですね!
リジェルノーだったので載せときました台風
後は94年のベネトンコピーカーのネタふって下さい〜るんるん
日本ではギのセコいやり方ばかりがメディアを通じて伝えられていましたよね冷や汗
実際彼の人間性がどうなのか知りませんが、
それ位じゃないとF1チームの監督なんて務まらないのかもしれませんね。

しかしながらマシンとドライバーは十分としても、
怪しげなド・ルーブルが収まってからここまで好成績を収めるとは思いもしませんでしたあせあせ
後に収賄で逮捕された時に、「あ、やっぱりねあせあせ」って思ったのは私だけ?

イモラの画像ありがとうございますぴかぴか(新しい)
ザナルディが得意のファイアー走行を見せる等、
荒れましたが生き残り、1周遅れながら3位に食い込みました王冠

あとこれ、ずっと気になっていたのですが、3位なのでデカいトロフィーあせあせ
'93年リザルトモータースポーツ
1:南アフリカ(キャラミ)     12/R
2:ブラジル(インテルラゴス)   16/R
3:ヨーロッパ(ドニントンパーク) 22/R
4:サンマリノ(イモラ)      10/3
5:スペイン(カタロニア)     18/R
6:モナコ(モンテカルロ)     13/6
7:カナダ(モントリオール)     7/5
8:フランス(マニクール)      3/5
9:イギリス(シルバーストン)    6/14
10:ドイツ(ホッケンハイム)    6/8
11:ハンガリー(ハンガロリンク) 13/5
12:ベルギー(スパ)       11/7
13:イタリア(モンツァ)     12/R
14:ポルトガル(エストリル)   11/6
15:日本(鈴鹿)         15/9
16:オーストラリア(アデレード)  8/6
合計 入賞7回で13ポイントを獲得、表彰台1回という結果でした。

画像はモナコGP、お得意のサーキットで見事6位入賞ぴかぴか(新しい)
当時流行だったメゾネットリアウイングが付いていますねダッシュ(走り出す様)
第3戦のドニントン、
アイルトン・セナのオープニングラップで3台ごぼう抜きしてそのまま優勝、
のスーパードライビングばかりが記憶に残りますが、
ここではマシンの相性が悪かったのか予選も22位とメロメロの展開がまん顔
たった7周でリタイアという結果でした。
レースも雨で各チームのタイヤ交換回数が史上最多となる内容でした。
>ザナルディが得意のファイアー走行を見せる等

まるで横浜中華街のようだぁ!!〜古館アナ実況懐かしい〜w
懐かしいですねあせあせ彼はよく燃やしていましたので衝撃
チャンプカーでの事故で足が不自由になってしまいましたが、
WTCCでまだまだ頑張っていて、今シーズンはブルノで久々に優勝しましたよね王冠
チャンプカーからF1復帰の頃のウィリアムズは並チームだったし以前のロータス無限の頃は最低だったしF1では縁がなかったですね。
チップガナッシの時が一番輝いてました。
ちなみにカートのフレームメーカーでザナルディっていうメーカーあります。
ブルーとホワイトのマシンです。
由来は本当にザナルディからきてます。

私はイタリアのマラネロ(カート界のフェラーリ)っていうマシンに乗ってまするんるん

話それましたたらーっ(汗)
'93年はモナコ以降はカナダ(画像左)、フランス、得意のハンガロリンク、ポルトガルと、
ヨーロッパラウンドに入っても散発的に入賞を繰り返しました。
ただホームコースでは入賞こそしたもののタイヤ交換回数が多く表彰台を逃し、
地元シルバーストン(画像右、レース前?)では予選6位から終盤入賞圏内を走行中にスピンや、
ホッケンハイムでは上記の通り(ブランデルはベルガーとやり合って表彰台)と、
今一つ噛み合わない展開も続いてしまいましたがまん顔

ただエンジンがルノーでミッションがウイリアムズ製の為か、
このJS39はマシントラブルが比較的少なかったように感じますねぴかぴか(新しい)
第13戦イタリアGP
スタート直後のレティフィロでの混乱で12位からジャンプUP、
ところが9周目、7位走行中にその混乱でデーモン・ヒルとの接触で後退していたセナに、
アスカリシケインで追突され共にコースオフ、リタイアとなりましたがまん顔

若い頃のライバル同士、仲がいいのか悪いのか...冷や汗
追記、ありがとうございますぴかぴか(新しい)
シルバーストンではミッションの故障だったんですね。失礼しましたがまん顔
しかしながらこういうところでもし全て結果が出ていたとしたら、
フェラーリを超えていたかもしれませんね冷や汗

それにしてもモンツァでケガがなかったか聞きにきたって、
マーティンってホントにいいヤツですよねあせあせ
93年のフェラーリアクティブサスは序盤は最悪な動きでしたよね^^;

あの時はパッシブサスのリジェやザウバーの方が良かったはずですよ♪

最後まで対抗できたんはエンジンが強かったリジェですよね!

ドライバーも申し分なかったし。
ええ、ホッケンのバンピーなストレートでもF93Aはフラフラでしたよねがまん顔

ザウバーは毎年後半に進むにつれバッド(下向き矢印)ですよね(未だに冷や汗)。
何しろ発足からしばらくの間、車作ってたのが、
マシンの進化を嫌うあのレオ・レスですから仕方ないんでしょうあっかんべー

見た目さほど改良もされずにシーズン後半まで好調を維持できたのは、
このJS39の基本設計がよかったからでしょうかぴかぴか(新しい)
鈴鹿での日本GP前に鈴鹿、アデレードは、
このジタンによるスペシャルエディションのアートカーを、
1台走らせるとチームから発表されましたウインク

もちろんそれは25号車だろ?って思ってたらやっぱりその通りにあせあせ

雨の鈴鹿では結果が出ませんでしたが(TVではほとんど映らなかったがまん顔)
最終戦、得意のアデレード(画像右)では予選8位から6位入賞と、やはり有終の美を飾りましたぴかぴか(新しい)

あとどうして鈴鹿で画像中のような状態になったのかわかる方、教えて下さい冷や汗
これが下位に沈んだ原因だったのかな。
ジタンアートカラーかっこよかったですよね!!

二台ともこれにしとけばよかったのに・・・開幕からw

ホワイトとブルーが絶妙にマッチしておりました^^

こう見るとロゴもなくカーナンバーもなったのですね〜(リジェって小さくはあり)
そうですね〜、これカッコよかったですよねぴかぴか(新しい)
開幕からこれにしちゃうと、LOTOとか他のスポンサーに影響があせあせ

初FL、ひょんなことから逃してしまったんですねふらふら
レートのヤツめ、あの頃の鈴鹿のシケインはパッシングポイントじゃないだろがまん顔
でもこの肩書きがあってこそマーティンなような気もしますあせあせ
いまだにブランドルが優勝出来なかったのが不思議でなりませんたらーっ(汗)
あとFLくらいの記録もたらーっ(汗)
うーん、生真面目で地味過ぎたんかなぁ〜泣き顔
レートのせいでFLとれなかったんだ(笑)・・・。初めて知りました。
でもFLもPPも勝ちもないというところがブランドルらしさですしw

92年ももう少しチャンスに恵まれていればなー。
94年もプジョーのエンジンがもうちょいマトモにねえ(苦笑)

だけどスポンサーもなく派手さもない彼が88年や90年みたいに一時はシートを失いながらも96年まで現役をはれたということはやはり腕で認める人がいたってことですよね。

ブランドル、最近ミニチャンプスから1/18と1/43でB191Bが出ましたね。
BT58とかでないかな・・・。
無理か・・・。
間違いなく認められていたんだと思います。
しぶとくマシンをゴールまで運んでいましたからねぴかぴか(新しい)

しかしミニチャンプスも何で今更191Bなのでしょうかね冷や汗
もちろん買いますがあせあせ
BT58も可能性はなくもないですが、ちょっとマイナーすぎますよねがまん顔
翌'94年シーズン前、在籍していたリジェチームのドライバーラインアップも早々と決定しました。
それは当時新人のパニスと亜久里の元チームメイト、ベルナールでした。

この年のマーティンのシートはなかなか決まりませんでした冷や汗
しかしながら雑誌ではマクラーレン入りの噂が囁かれるようになりました。
チームは当初ナイジェル・マンセルと交渉をしていましたが、合意に至らず。
結局マーティンがそのシートに納まりはしましたが、
決まったのは開幕戦ブラジルGPの直前、テストもほとんどなく開幕戦はぶっつけ本番。
また途中までは1戦毎の契約だったような気がします(違っていたらゴメンなさい)がまん顔

チームメイトは後にチャンプとなるミカ・ハッキネン、
マシンはニール・オートレイ設計のMP4/9、
エンジンはこの年から初参戦となるプジョー製獅子座でA6(V10)でした。

左足ブレーキシステム等、新しい試みを実施したが、
初年度のプジョーが予想以上に期待ハズレの出来で苦戦。
さほどパワーもあるわけでもない上に、やたらとオーバーヒートによるエンジンブローが多く、
真夏のヨーロッパ高速3連戦、地元フランスのマニクールの決勝では、
ルノーの看板の前で2台共炎を上げてエンジンブロー衝撃
イギリスGPではマーティンがフォーメーションラップ中にエンジンに不調をきたし、
スタートと同時にエンジンブロー、文字通りのロケットスタートで0周リタイア、
といった散々な内容でチームも10数年ぶりの未勝利となりましたふらふら
B191BはシューマッハのB191が出たからじゃないですかね?
おかげでB191でピケとモレノ、一部の変更だけの亜流のB191Bでブランドルがでたんじゃないですかね。
しかし1/18はモレノのファンの人なんか泣いてるんじゃないかな(^^;

マクラーレン入りが決まったときは92年ほどではないかもしれないけど期待したんだけどねえ・・・。MP4/9は本当にわたしのなかではエンジンブローの思い出しかない(汗)どっかのGPでロン・デニスが「あああ・・・」みたいな感じで頭をブローの直後の映像に出てたのが忘れられない。

'94年リザルトモータースポーツ
1:ブラジル(インテルラゴス) 18/R
2:パシフィック(TIサーキット英田)   6/R
3:サンマリノ(イモラ) 13/8
4:モナコ(モンテカルロ) 8/2
5:スペイン(カタロニア) 8/11
6:カナダ(モントリオール)       12/R
7:フランス(マニクール) 12/R
8:イギリス(シルバーストン)        9/R
9:ドイツ(ホッケンハイム)       13/R
10:ハンガリー(ハンガロリンク)     6/4
11:ベルギー(スパ・フランコルシャン) 13/R
12:イタリア(モンツァ) 15/5
13:ポルトガル(エストリル)       7/6
14:ヨーロッパ(ヘレス)        15/R
15:日本(鈴鹿) 9/R
16:オーストラリア(アデレード)     9/3

開幕戦から予選18位と大苦戦、この年はなぜか予選で中盤に沈むことが多かったです。
またその開幕戦ではマシン不調でスロー走行中に、アーバインが原因となる多重クラッシュに巻き込まれ、
宙に舞ったフェルスタッペンのマシンのリアタイヤが頭に当たり、
ヘルメットにヒビが入る程の衝撃を受けましたが無事。あの時はTVの前で青ざめました冷や汗
TI英田では表彰台まであと一息というところでオーバーヒート、
ハンドルを叩いて悔しがりましたがまん顔

上記の通りマニクールとシルバーストンもエンジンブロー衝撃

マーク・ブランデルが焦って避けてますあせあせ

右:ロン・デニスと一緒に
ハンガロリンクでは残り1周というところで、またもやエンジントラブルに足元をすくわれましたがまん顔
リタイヤ直後にインタビューに来た川井ちゃんに冷たい対応をしてしまい、
次のレースで謝りに行きましたあせあせ

大雨の鈴鹿では、スピン・クラッシュしたところにマーシャルがいて、
跳ね飛ばしてしまいました。
幸いこのマーシャルの命に別状はありませんでした。


それでもリタイアが多いなりに入賞5回、うち表彰台2回、
合計16ポイントを獲得し、シーズン7位となりましたぴかぴか(新しい)

右:愛娘と一緒?
中でもこの年のハイライトとなったのはモナコではないでしょうか。
アイルトン・セナへの黙祷で始まったが、ベンドリンガーが予選中に重傷を負うなど、
前戦の悪夢をまた引きずるようなレースでしたが、
得意のモンテカルロでベテランらしくしぶとく上位に上がり、
気付けば2位表彰台という結果でしたウインク

シューマッハ、ベルガー、フラビオらと表彰台での画像カメラ
最終戦アデレードモータースポーツ
ヒル、シューマッハの接触でシューマッハのチャンピオンが決定したレースでしたが、
サバイバルレースを生き残り表彰台に登るぴかぴか(新しい)
ちなみにこのレースの優勝はスポット参戦のナイジェル・マンセル。

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