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白人が嫌いですコミュのアメリカの歴史→日系人強制収容所

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「ア・ジャップ・イズ・ア・ジャップ」→ジョンL.デウィット将軍

名古屋では「JAP」(ジャップ)というクラブあります。ジャンルはソウル、ディスコ、ファンクなどの70年代のクラブミュージックです。ダンスフロアは狭いのに音楽と雰囲気は暖かくてフレンドリーと思います。クラブ名なんですが、日本人には「JAP」の言葉は意味無いのでしょうか?俺はこれを最初見た瞬間に気持ち悪かったんです。なんとなく北米の白人のひどい人種差別的な歴史を思い出しています。日系人ならこの歴史を忘れません。日本に住む日本人はこの歴史をご存知でしょうか?日本の学校ではアメリカの本当の歴史を教えられるのでしょうか?日本人/東洋人は欧米で人種差別を経験した事はあるんでしょうか?

―――――
日系人強制収容所 Internment Camp(インターンメント・キャンプ)
→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B3%BB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%8F%8E%E5%AE%B9

日系人の強制収容
(にっけいじんのきょうせいしゅうよう)とは、太平洋戦争/大東亜戦争時においてアメリカ合衆国政府によって行われた日系アメリカ人や日本人移民、及びペルーなど中南米の連合国に在住する日系人と日本人移民に対する強制収容所への収監政策である。

日系人だけに対する仕打ち
なお、この法令はすべての「敵性外国人」に向けたものとされ、実際にアメリカ国内において一時的に強制収容された半数以上は日系人で、残りは日米間の開戦直後にアメリカに対して宣戦布告を行ったドイツやイタリア系のユダヤ系を含む移民とその子孫であった。さらにアメリカが経済、政治的に大きな影響力を持っていた中南米諸国でも、日系人のみならず、ドイツ系やイタリア系のユダヤ系を含む移民とその子孫が一時的に強制収容された。

―――――
日系人強制収容所(Internment Camps)
→ http://likeachild94568.hp.infoseek.co.jp/shuyo.html

「ア・ジャップ・イズ・ア・ジャップ」→ジョンL.デウィット将軍

「よい日本人か悪い日本人かなんて見分けられない」、「ジャップは(どう転んでも)ジャップだ」”A Jap is a Jap.”デウィット将軍の有名な言葉。当時流行語にもなった。ちなみに、このセリフはこう続く。"it makes no difference whether he is an American Citizen or not...I don't want them...They are dangerous element."(アメリカの市民か市民ではない、同じ...彼らはいらない...彼らは危険なものだ)

1942年3月2日、デウィット将軍(General John L. DeWitt)は、日本人の血が8分の1以上入っている人々に対して、太平洋沿岸各州の西半分とアリゾナ州の南から立ち退くよう命じた。8分の1というと、曽祖父の代に1人でも日本人がいればこれにひっかかるわけだ。在米日系人約126,000人のうち110,000人以上がこの命令の対象となったとされる。そしてこのうち3分の2は、アメリカで生まれ、市民権を持つ二世であった。

屈辱の立ち退き

 西海岸に住む日系人は、ただちに住居を立ち退いて所定の仮収容所に集合すべし――。

 大統領令9066号によって、日系人の強制収容は現実のものとなる。彼らに与えられた時間は限られていた。これまで汗水たらして働き、ようやく自分のものとした財産のほぼすべてを数日のうちに処理し、立ち退かなければならない。持っていくことを許された荷物は一人あたりスーツケース2個のみ。家や会社、農場などをどうするのか、家具は、ペットは・・・? 運の良い者は、心あるアメリカ人の友人に管理を任せることができた。しかしほとんどの日系人たちは、持ち物を二束三文で売り払い、売れないものはそのまま置き去るしかなかった。(*1)

 にわか政策で収容所の建設工事が間に合わなかったため、日系人たちはまずAssembly Centers(アッセンブリー・センター)と呼ばれる仮の集合所に収容された。各地に設置されたこの仮収容所は、町の集会場であったりフェアグラウンドであったりしたが、中でも悪名高いのがサンタ・アニタ(Santa Anita)やタンフォラン(Tanforan)の競馬場である。急場しのぎの住まいとして日系人たちに割り当てられたのは、悪臭立ち込める馬舎だった。短期間とはいえ馬小屋に人間を押し込めるというこの処遇は、誇り高い日系人たちのプライドを踏みにじり、彼らを屈辱と絶望の谷に突き落とした。そして、ようやくその仮収容所を後にした彼らが電車に乗せられ、超距離移動の末に降りたところで目にしたものは、荒野の砂嵐の中、連々と立ち並ぶバラックの群れだったのである。

強制収容所の内側

 全米10箇所に設置された収容所と、そのおおよその収容人数は次のとおり。(*2)
Manzanar (California)  10,000人
Tule Lake (California) 16,000人
Poston (Arizona)   20,000人
Gila River (Arizona) 15,000人
Minidoka (Idaho)   10,000人
Heart Mountain (Wyoming)10,000人
Granada (Colorado)   8,000人
Topaz (Utah)     10,000人
Rohwer (Arkansas)   10,000人
Jerome (Arkansas)   10,000人

強制収容所――。この呼び名は日系人の間で使われる言葉であり、英語の名称とは少し違う。アメリカ政府の用いた正式な呼称は「War Relocation Center」(ウォル・リロケイション・センター)(戦時転住所)。一時的な転居先、というニュアンスだ。“快適な住居、豊富な食べ物、不自由のない管理環境”と過大広告を打った政府のプロパガンダを、本気で信じていたアメリカ人もいたらしい。しかし、現実はもちろん程遠かった。「収容所」以外のなにものでもないこの施設を、日系人は「Internment Camp」(インターンメント・キャンプ)もしくは「Concentration Camp」(コンセントレイション・キャンプ)と呼んだ。

 「日系人たちをアメリカ市民から隔離すること」を第一目的とした収容命令の意図に従って、収容所はほぼすべてが人里離れた荒野や砂漠の中に作られた。物資も管理体制も何もかもが確立していなかったその初期は、ひどい無秩序状態であったという。

 板張りの壁の隙間から隣の部屋が丸見えのバラック。机も椅子もない部屋。間仕切りのないトイレ。支給がないのなら自分たちで何とかするしかないと、器用な日系人たちは材木を拾ってきて(あるいは所内の材木置き場から盗んできて)家具を作る。砂漠の砂を持ち込んでくるすきま風に対応するため、石を拾っては隙間につめ、ダンボールを持参してトイレに入る。与えられた最低限の生活を、なんとか豊かにしようという日本人らしい試みが、あちこちに見られた。そんな彼らのささやかな生活を、銃口を内側に向けたガード・タワー(監視塔)が昼夜を問わず監視し、有刺鉄線のフェンスが外界との接触を阻んでいた。

収容所内の自治

 日系人たちの言うとおり、これは「リロケーション・センター」とは名ばかりの「強制収容所」に他ならない。有刺鉄線の外に出ることは禁止され、日本人の血を引くというだけで彼らは、砂漠の中の掘っ立て小屋に押し込められたのである。

 しかし、日本語の「強制収容」という語感が生むイメージとは少々異なる部分もあったようだ。収容所といえども監獄ではない。所内の移動は自由だし、個々の自主的活動はある程度認められていた。人々は収容所内で「就職」し、それぞれに見合った仕事によって報酬を得ることができた。(*3)ひとつの収容所に、およそ1万人以上が暮らすのである。これはすでに、「都市」であった。ありとあらゆる仕事があり、ありとあらゆる施設があった。農場に工場、床屋や雑貨屋などの商店、学校、教会、警察、裁判所、劇場に果ては賭博場まで。無いのは、外へ出て行く自由だけだった。

 そもそも戦時中の、経済的にも困難な時期である。政府としても、日系人収容所にあまりにも多額の費用を費やすわけにはいかない。基本的に、収容所内は日系人たちの自治と自給自足に任せる、というのがアメリカ政府の方針であった。トップの管理職にはもちろんWRA(*4)から派遣された白人が就くのだが、実務はすべて被収容者たちが行なった。所内の食事のために彼らが作った農作物は、がんらい農業に長けた日系人の本領発揮とばかりにすばらしい出来を見せ、収容所外にまで「輸出」されてアメリカ人たちの食卓を賑わした。

 戦争が長期化すれば当然収容所生活も長引く。変化のない毎日に、日系人たちは暇を持て余した。そんな殺伐とした収容所生活を彩ろうと、二世の若者たちを中心に野球やフットボール、合唱などのクラブができた。学校では、外部から教師がやってきて授業を行い、教会は各種のパーティーを主催し、集会所では舞踏会なども実施された。これが政府から強制的に与えられた仮の生活であるという事実を除けば、そしてそこに起因する様々な問題を忘れてしまえたなら、物事はごく平穏に進んでいたともいえる。

割れてゆく日系社会

 しかし、クラブ活動やパーティーなどでは発散できないわだかまりも、ある。押し込められた不満、はけ口を失ったエネルギーの矛先は米政府やWRAに向けられた。いくつかの収容所では管理体制への不満からストライキが頻発し、当局との小競り合いや発砲事件に発展するケースも見られた。(*5)

 ただ往々にして、ストライキにより困るのは白人管理者側ではなく、当の日系人たちなのである。たとえば食堂がストを起こせば、食事にありつけなくなるのは被収容者たちだし、トラック運転手たちのストは物資の輸送を滞らせ、所内は深刻な物不足におちいる。冷静な人々の間からストライキに対する批判があがるのは当然だった。管理者側はそこに目をつけ、反スト派の日系人たちを取り込んでゆく。自分の判断で管理局側につく日系人もいたし、私利私欲のため、あるいは被収容者全体のためを思って両者の折衝に尽力しようとする人々もいた。こうした反スト派の者たちは、しばしば同胞から「inu(犬)」呼ばわりされ、白人や米政府にすりよる裏切り者のレッテルを貼られたという。

 こうして、悲しい構図が生まれていった。日系人同士が、その狭い収容所社会の中で、お互いにいがみ合う。隣のブロックのあいつはイヌだ、あの奥さんの旦那は日本狂信派だ――。むりやりに閉じ込められた集団社会は、その内部で、切ない分裂を決定的にしていった。さらにこのような分裂は、親子・家族の間柄をも引き裂いていったのである。

註:

(*1)当時、日系人の家々に「Internment Sale」(インターンメント・セール)などと書かれたチラシが貼られ、足元を見て買い叩こうとする商売人たちが追いはぎ同然の行為を繰り返していたという。白井「カリフォルニア日系人強制収容所」pp53〜54によれば、米政府は「火事場泥棒式のやからを防ぐために、指定した倉庫に荷物を持ってくれば戦争中保管して、戦後きちんと返すと言って、悪徳商人を取り締った。しかし敵国政府のいうことなどてんで信用しない日本人は、荷物の保管を申請しようなどしなかった」。日系人を転居はさせるものの、財産まで奪うわけではないという建前上、政府も一応の措置はとっていたわけである。このとき保管庫を利用した人びとの荷物は、政府の言葉どおり戦後無事に戻ってきたという。
(*2)Kitano, Japanese Americans. p72.
(*3)白井「カリフォルニア日系人強制収容所」pp75〜76によると、労働報酬額は専門職月19ドル、一般16ドル、アルバイト給12ドル。当時の最低労働賃金よりかなり低い額ではあるが、食住が保証されている収容所内では妥当な線とも言える。(ただ、あくまで賃金はこの3パターンしかなかったため、個人の能力や頑張りが反映されないという不満はあった。)このようにして得た金によって、贅沢はできないながらも、被収容者たちは所内の売店から外部のものを買うことができた。
(*4)WRA = War Relocation Authority、戦時転住局などと訳される。強制収容の段取り、収容所の管理などを行なう事務局。
(*5)1942年12月のマンザナー暴動、1944年5月のツールレイク射殺事件等。数えあげればキリがない。

参考文献:

Weglyn, Michi. Years of Infamy: The Untold Story of America’s Concentration Camps. New York; William Morrow and Company, Inc., 1976.
白井昇「カリフォルニア日系人強制収容所」河出書房新社 1981
カール米田「マンザナー強制収容所日記」PMC出版 1988

コメント(8)

>日本人には「JAP」の言葉は意味無いのでしょうか?

白人に騙されたのか、
もしくは、
ただの無知で差別用語だとは知らないのか、
のどちらかでしょう。

白人が作った差別用語は、今でも残りますね。
皮肉をこめて、この言葉は白人が作ったのだ、と言えます。笑

Let's not forget about AUSTRALIAN RACIST HISTORY... "G'Day Mate!"ウインク  

本のタイトル:
「オーストラリア日系人強制収容の記録」

著= 永田由利子。

太平洋戦争中、アメリカ、カナダだけでなく、オーストラリアでも日系人の強制収容はあった。その数、約4300人。さらに、ドイツ・イタリア系は、戦後もオーストラリア社会に受け入れられたが、日系人のほとんどが敗戦後日本に強制送還された。知られざる歴史の事実に、初めて光を当てた労作!

担当編集者より:

 日本人の海外旅行先として人気のオーストラリアは、日本とは太平洋戦争中、敵国同士でした。広大な太平洋を戦場とした日本軍ですが、まさかオーストラリア本土へも攻撃を仕掛けていたとは(ダーウィンには65回の空襲、シドニー湾にも潜航艇で侵入)、というのが正直な感想です。

ましてや、開戦当時、1000人以上の日本人・日系人がオーストラリアに残留していたこと、そして開戦後すぐさまオーストラリア当局によって拘留、強制収容された事実、その他の地域──東南アジアや南太平洋などの、オランダ領・フランス領・その他の英領──で拘束された約3000人の日系人がオーストラリアに送り込まれたことなど、この本を担当して初めて知りました。

 アメリカやカナダの日系人たちが強制収容された歴史については、本や映画、芝居にもなったりしているので、少ないながらも知識として持っていましたが、オーストラリアについては、「カウラ戦争捕虜集団脱走事件」くらいしか知りませんでした。

 この本を作って強く心に残ったことは、「白豪主義」を国是としたオーストラリアの敵国人収容政策は、ドイツ・イタリア系に甘く、日系には厳しい、有色人種に対する差別政策であったこと、しかしながら、その抑留者に対する待遇は、日本側の捕虜に対する虐待とも言える待遇に比べて、「天国」と「地獄」くらいの差があったことです。

 そして戦後も、日本の同盟国であったドイツ系・イタリア系の移民たちがオーストラリア社会に残留、受け入れられたにもかかわらず、日系人は「すべて日本へ強制送還」という政策がとられました。

 この本には、日本が戦争を始めた時、敵国に生活基盤を置く日本人がどのような状況に置かれるのか、その具体例が書かれてあり、多くの日本人が海外に生活拠点を移している現在、戦争を回避することが我が身を守る最も近道で確実な方法であることが、この本を通して理解してもらえるのではと思いました。

 オーストラリアに移住してみたいと考えている人には、ぜひ読んでいただきたいと思っています。

(真鍋かおる)
>> CHICHIさん
皮肉にオーナーは日本人です。どちらかでしょう?日本人のオーナーが反日本人の人種差別用語を使ったので、知らなかったかも知れません。一応ジャップは人種差別用語ですね。

欧米人が作った差別用語は、いっぱいあります。今まで利用されています。「差別」だけではなく、"race"レイス(人種)のコンセプトの全部は19世紀の欧米の植民地主義者と帝国主義者の作り事です。

本当は、「人種」は植民地主義の欧米人の想像から作り話です。「人種」のアイディアはただ西洋の植民地主義・帝国主義の結果です。白人優越感を強化するために色んな擬似科学者が18世紀以降「人種」のコンセプトを勝手に作りました!

欧米人の最大遺産は、非西洋人の人間性を失わせることです。

そのオーナーは日本人ですか。
そしたら、きっと差別用語だということが気づいていないのだと思います。

昔から作った人種のコンセプトとか、こんな歴史があるということが、ほんとに呆れますよねー。笑
まったくです。
「JAP」は英語。だからクールなアメリカン言葉と思われたかな(笑)

人種のコンセプトに対しては、以下の本は面白そうと思います。

―――――
 
電球「歴史のなかの人種―アメリカが創り出す差異と多様性」―中條 献

出版社/著者からの内容紹介
アメリカ合衆国における「人種」概念の形成と変容を社会の動きをもとに、歴史的考証を加えながら、読み解いていく。歴史のなかで形作られ、自明なものとされていった人種の概念を考察する。歴史を丹念に、真摯な目をもって読み解き、更にわれわれはどう生きるべきか、今後の指針をも探った、渾身の力作!

内容(「BOOK」データベースより)
「アメリカ」とは何か?「民主主義」「発展」の裏に潜む、複雑な人種・民族問題、国家概念、支配・差別構造を歴史史料の緻密な分析をもとに時代の流れの中で的確に捉え、鋭く解き明かす。

レビュアーより
人種という概念がいかにたくみにつくられていったか。またいかに人々に自明のものとして刷り込まれていったか。科学や統計のまやかし、また人々の意識のなかでの形成...これは歴史のなかの過去の話だけではなく、われわれのなかの問題でもある、ということをこの書は深く認識させてくれる。
また現在、何かと取り沙汰されている「アメリカ」の根源、国の本質もわかってくる。
著者の真摯な研究姿勢、眼差しも伝わってくる好著!

―――――

電球「人種概念の普遍性を問う―西洋的パラダイムを超えて」―竹沢 泰子 (編集)

内容(「BOOK」データベースより)
新たな共通語としての人種概念をめぐり、その歴史的検証と包括的理解に向けて人文科学と自然科学の研究者が初めて協働した画期的成果。圧倒的な欧米ヘゲモニーがもたらす狭隘な人種理解にたいし日本、アジア、アフリカから、地域を超えた強烈なオルタナティヴを呈示する。

内容(「MARC」データベースより)
人種概念をめぐり、その歴史的検証と包括的理解に向けて、人文科学と自然科学の研究者が協働。圧倒的な欧米ヘゲモニーがもたらす狭隘な人種理解に対し、日本、アジア、アフリカから、地域を超えた強烈なオルタナティヴを呈示。

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