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高齢者情報資料室コミュの山口美江さん 父の誇り 傷つけない

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山口美江さん
父の誇り 傷つけない
認知症告げ 近所と協力

タレントで雑貨店も経営する山口美江さん(47)は、認知症の父、俊雄さん(2006年9月に76歳で他界)の介護に直面しました。一人っ子で、母は16歳の時に他界。父と2人で築いた穏やかな暮らしが一変します。

アルツハイマー病と診断される前から、「年なのかなあ。それにしてもちょっと……」とは思っていました。

父は、父の兄と一緒に横浜で貿易会社を経営し、数字に明るかった。1998年に68歳で引退してからも、私の店の経理を見てもらっていました。暗算でしていた計算を、いつからか電卓に頼るようになりました。おしゃれで全身パーフェクトな格好だったのが、合わない柄を着たり、真夏に毛糸の靴下をはいたり。

幼い時から「口を閉じていないとアホに見えるぞ」と何度もしかられたのに、父自身が口をぽかんと開けた、見たことのない表情をするように。老いを感じましたが、指摘するのがかわいそうな気がして言えませんでした。

2004年9月早朝、山口さんは、グレーのスーツを着込み、うつろな顔で玄関を掃除する父親を発見する。「名古屋に出張に行く」など意味不明な言葉に、「脳の血管が切れた」と覚悟した。その異常行動は風邪薬を大量に飲んだせいと後でわかったが、運んだ病院でアルツハイマー病と診断された。

医師には、前頭葉が欠損して風邪薬を飲んだことも忘れている、ゆっくり病気が進行して、やがて人格も変わってしまうと言われました。

○甘く見ていた
その時は割と冷静でした。私には、父と2人で暮らし、父にかわいがられた30年の歴史があります。父のことは知り尽くしていると、病気を甘くみていたんですね。

ちょうど翌年の6月から半年間、店の改装工事で仕事を休むことになりました。散歩やかかりつけのクリニックに通い、父の生活のペースを崩さないことを心がけました。

中華街を一緒に散歩すると、店の前を通るたびに、「オイスターソース買ってくる」。しまいには6本になりました。さりげなく「重いから持とうか」と言うと、気まずそうな顔をして……。

父はプライドが高い人だったから、できるだけ否定せず、気持ちに沿うようにしたかった。近所の商店街の人にも、病気を伝えました。「船が入ったので、バナナを200キロ・グラム運んで」と頼まれた青果店は「わかりました」。アカデミー賞をあげたいほどの演技です。それで父は気分良くなり、すぐに忘れてしまうのです。
2人でファミリーレストランで食事をしていたら、目をじっと見つめられ、「本当にありがとう」と言われました。じんとしていたら「そろそろ結婚しようか」。すとんとがけから落とされたようでした。私に割り当てられる役割は、恋人だったり、娘だったり、日々違うのです。

徘徊(はいかい)が始まると、体はいたって元気なので、タクシーで豪快に遠くまで出かけて戻って来られなくなる。身長178センチの父を押しとどめようとして、戸を力任せにバタンと閉められ、私の腕の骨にひびが入り、心も傷つきました。
父の愛情が薄れたわけではなく、病気がそうさせたとわかってはいましたが、在宅は限界。要介護度4と判定され、ちょうどパズルが合うように、ケースワーカーが探してくれた病院に入院しました。

処方の薬が効いたのか、父は入院仲間と和やかに会話を交わし、昔のおおらかな姿を見せてくれました。会話の中身は、意味が通じないのですが、本人は楽しそうです。

父が認知症になるまでは、漠然と怖い病気と思っていました。でも、病院で認知症の人に接すると、それまでの生活や性格、それぞれのヒストリーが表れている。みんな同じように壊れてしまうと思っていた自分の中の偏見に気づかされました。

仕事をしながら、介護や入院の手続きなど、煩雑な制度にも悩まされ、人の人生を背負う重さを痛感したと山口さんは振り返る。介護を終えた今、自分の老後を見つめるようになった。

アルツハイマー病と診断されてから約2年後、父は腸ねん転の緊急手術を受け、体調を崩して亡くなりました。

○人脈と貯金必要
父の介護では、父の兄の一家や、かかりつけのクリニックの医師から建設的なアドバイスをいただきました。商店街の人にも支えられました。
とにかく介護は一人で抱え込まない。人のネットワークが不可欠です。社交的であるべきだと実感しました。

悲しいことだけれど、お金をためないとサービスを受けられないのも現実です。父の入院時、4人部屋でしたが、1か月に約25万円も請求され、父の年金と私の貯金で賄いました。

自身の老後を考えると不安ばかりですが、人脈を作り、貯金をしなければと思っています。(聞き手・大森亜紀)

やまぐち・みえ タレント、雑貨店経営。1960年、横浜市生まれ。上智大卒。テレビ番組のキャスターやCMで注目を集め、横浜中華街で輸入雑貨を扱う「グリーンハウス」を経営。介護体験をまとめた本「女ひとりで親を看取(みと)る」(ブックマン社)を1月に出版した。

◎取材を終えて 「介護はまだ先」と思っていた山口さんの体験を聞き、身につまされる人は少なくないと思う。働き盛りで仕事を持ちながら、親の人生を一人でどう支えるかは、少子化、晩婚化時代の切実な問題だ。明るい口調で大変な介護体験を語る山口さんからは、粋でウイットに富んだ俊雄さんへの愛と感謝の気持ちが伝わった。互いを思いやりながらの介護には、それまでの親子関係の温かさがにじみ出ていた。

読売新聞
2008/5/11
YOMIURI ONLINE 医療と介護  介護・老後
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kaigo/note/20080511-OYT8T00202.htm

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