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善竹弥五郎コミュの善竹弥五郎 舞台写真見つかる

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兵庫初の人間国宝・善竹弥五郎    神戸新聞 2004/02/13




 兵庫県内で初めて人間国宝となった大蔵流狂言方、善竹弥五郎(一八八三?一九六五年)らの大正時代の舞台を撮影したガラス乾板写真が、このほど大阪で見つかった。当時の狂言の舞台を記録した写真は少なく、能楽史上、貴重な資料となりそうだ。(小阪英樹)

 写真は、大阪府高槻市の渡辺太一郎さん(89)が、父で写真家だった翠璋(すいしよう)さんの遺品を整理中に見つけ、天野文雄・大阪大大学院教授(能楽史)の研究室に寄贈した。感光剤を塗ったガラス板に撮影するガラス乾板写真で、キャビネサイズ。一九二四(大正十三)年九月二十三日、神戸・湊川公園にあった湊川能楽堂での舞台を写している。

 この日は、弥五郎の五男圭五郎(一八?九七年)の初舞台。猿皮を欲しがる大名が、猿曳(さるひき)(猿回し)から子猿を脅し取ろうとする名曲「靱猿(うつぼざる)」の一場面で、猿曳を弥五郎、子猿を圭五郎を演じている。後見が当時十歳だった三男玄三郎さん(89)=高槻市。

 玄三郎さんは「初めて見る写真だが、確かに圭五郎の初舞台。猿曳は祖父の二世茂山忠三郎の予定だったが、直前で病に倒れ、父が代役を務めたのを覚えている」と振り返る。
 弥五郎の孫で、狂言方の忠一郎さん(63)=神戸市東灘区=も「祖父の写真は残っているが、おじ圭五郎の初舞台のものは見たことがない」という。

 天野教授は「当時の能楽写真は、ポーズをつけて静止した撮影が多く、動きのある実際の舞台は少ない。重要な資料だ」と話している。

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