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保守言論人の実態ー西尾幹二論コミュの第16弾 浅薄な詭弁と下劣な口吻で“有頂天”

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(第15弾の続き)
五、「マリー・アントワネット擁護が、フランス王制維持の分水嶺」
――的中したバークの炯眼
 皇后および皇太子妃に対する批判は、いかなるものであれ、必ず天皇制度廃止の極左革命運動に利用されるし、その道具となる。この原理原則を、世界で最初に「発見」したのがバークであり、“人類の知的遺産”『フランス革命の省察』であった。
 フランス革命が勃発して直後の1789年秋、「ルイ王家の居城」ヴェルサイユ宮殿から、殺害の恐怖下で、ルイ十六世ならびに王妃マリー・アントワネットならびに皇太子ルイ十七世ならびに二人の王女が追放され、凶器に囲まれてパリまで強制連行の行進をされられる事態を、遠くドーバー海峡のロンドンで耳にしたバークは、次のように書いた。英文学の名文としても必ず授業される箇所なので、英米文学科卒であれば、誰しも知っていよう。

「私(バーク)が当時皇太子妃殿下だったフランス皇后陛下(マリー・アントワネット)にヴェルサイユで拝謁したのはかれこれ17年前(1773年)でした。確かにこの地球にーー妃殿下はそこに触れているとも見えませんでしたがーーこれに優る喜ばしい姿が輝いたことはありませんでした。私は、妃殿下が今やまさに歩み入らんとする高きところに美を添え、活気を与えつつ、心なし地平線の上方にあるとお見受けしました。妃殿下は、あたかも明けの星のごとく、生命と光輝と喜びに満ちてきらめいていました。ああ、何たる革命でしょう。…熱烈に、遠くから、丁重きわまる愛を受ける称号に加えて、尊敬を受ける称号を妃殿下が得た時にも、私は、その妃殿下が、(16年後に)汚辱に対する鋭い解毒剤を密かにその胸に抱かねばならぬ境地に陥ろうとはよもや夢想だにしませんでした。
貴婦人に慇懃な人々の国、名誉と騎士道を尊ぶ人々の国にあって、そうした災厄が皇后の上に下るのを生きてみようとは夢思いませんでした。皇后陛下に対する侮辱の脅威が瞥見されただけでも、一万もの剣が抜き放たれて復讐に閃くものと私は信じていました」(半澤孝麿訳)。

 バークがこれを書いたのは、ルイ王家パリ強制連行事件から、さらに一年後の1790年秋であった。まだ王制維持派も根強く、王殺し(モナルコマキ)派のジャコバン党と王制廃止・共和政体派のジロンド党が絶対多数とはなっていなかった。実際にも、翌年1791年秋には立憲君主制の憲法が公布されて、革命は下火になると英国民のほとんどは想定していた。
 だが、バークは、この1789年10月に起きたルイ王家パリ連行事件をもって、王制廃止どころか必ず処刑されるだろうと推断した。バークの炯眼は、やはり“千年に一人”と言われる天才であった。
 しかも、あれほど贅沢で驕慢かに見えたマリー・アントワネットは、その後の丸四年間、偉大なる徳性の光彩を放ちつつ、1793年10月16日の処刑への日を迎えていくのである。バークは、この四年間を次のように予測したが、皇后は最期の断頭台に生を閉じるまで、実にその通りであった。
 
「皇后陛下は、それ(パリ強制連行)に続く日々をよく耐え、夫でもある国王の投獄、自らに幽囚、友人の亡命、侮辱的阿諛の言上、積る不幸の重みすべて、こうしたことどもを自らの身分と血筋に恥じぬ振舞いで、また信仰と勇気をもって鳴ったマリア・テレジア女帝の息女たるにふさわしい振舞いで、平静に耐え抜いておられるとのことです。ローマ婦人(前六世紀のルクレティア)の威厳に共感し、最悪の事態に立ち至っても最期の汚辱からは自らを守るであろう」(半澤訳)。

皇后陛下や皇太子妃殿下に対する讒謗は、皇室廃絶の主要な革命手段である。西尾幹二・花田紀凱が共犯した、今般の『皇太子様への御忠言』の出版事件は、この革命シナリオに沿ったものであった。この悪書の出版のもたらす深刻な事態は、もう理解されただろう。
狂信的な天皇制廃止凶徒の花田と、過去四十年間にわたって「ボクは天皇制や皇室には何の関心もありません」と豪語してきた西尾との、ならず者国家ならぬ、ならず者同士が算段した、今般の「天皇制廃止のための新バイブル」刊行は、皇統護持を義務と考える真正の国民は決して許してはならない。物理的な意味ではないが、花田・西尾に対する「殺害」をしないとすれば、皇統を守ることをわれら国民は放棄したに等しい。
尚、蛇足だが、西尾幹二の人格をもう一度おさらいしておこう。中学歴史教科書運動のトップでありながら、平然と「採択なんか、どうでもいいことだ」と嘯いたように、自分がいつも論壇で脚光を浴びることのみにしか関心のない、そんな人物である。西尾とは、「保守」を標榜していてはいるが、(マルクス主義が全くないのは認められるが)愛国的な国家意識は空無で存在しない、「非左翼・非保守」というほかない矮小な人物である。譬えれば、“金が入る旦那を見つけてはすぐ媚びを売る芸者”に似ている。“自分が目立つテーマが見つかると、すぐにそれに飛びつき、その専門家だと詐称し、大袈裟に歌舞く論客”だからである。

六、浅薄と欺瞞と虚偽のみ横溢する『皇太子様への御忠言』。
『皇太子様への御忠言』を一読して感じるのは、皇室に対する尊崇の感情が皆無という、異様な雰囲気が漂っていることだろう。皇室典範が定める敬称、「殿下」を用いず、平然と「様」「ご夫妻」とか、天皇制廃止のために朝日新聞(共産党)が流布した用語を用いるものが、皇室や皇統護持などまじめに考えているはずはない。敬称は、尊崇の感情に沿ったものであり、敬称否定は、皇室への尊崇を着実に破壊して、国民の尊崇を基盤とする天皇制度そのものを切り倒すに至る。
例えば、皇太子妃殿下の国連大学ご訪問問題を取り上げているが、真にこの問題を憂慮するならば、古森義久氏の提唱するように、国連大学をつぶすのが、まず真っ先にすべきではないのか。それこそが、本件を完全に解決させるのだから、そうすることが皇室を護らんとする“国民の義務”であるのは自明だろう。だが、西尾は、国連大学をつぶして、極左思想の汚染から皇太子妃を守ろうとは、言外にすら示唆一つない。
しかも、皇室を護るためには、?旧皇族の皇籍復帰、?皇室の藩屏たる公家の制度的復活、?皇位継承者の配偶者を原則皇族とする慣行の確立、?刑法における不敬罪の復活、?敬称・敬語の徹底など、緊急を要する重要課題が幾多もある。しかし、『皇太子様への御忠言』には、これらのことは一行もない。あるのは、どうでもよいことばかり。支那の王朝との相違とか、中学生でも知っていることばかり。要するに、この本は薄っぺらいのである。浅薄さが特徴の本である。素人の無学性だけで書かれているからである。だが、これには目を瞑っても、トンデモない誤謬の多さには唖然とする。
例えば、ルソーが民主主義を提唱したという(六七頁)。だが、『人間不平等起源論』は、人間と動物は同じである、法と道徳と医者・薬と男女間恋愛と王様のある文明社会は人間を不幸にするから、法のない、道徳のない、医者・薬のない、家族のない/恋愛もない/レイプによる性交ができる、王様のいない、そんな野蛮な自然社会に暴力革命すべきである、と説いた狂本である。これが民主主義なのか。
ルソーの『社会契約論』とは、私有財産と法のない、独裁者の命令だけの全体主義体制を史上初に論じたものである。「人民は立法してはならない、<立法者=独裁者>の命令のみが法とすべきである」と主張した内容が、どうして一般通念上の民主主義なのか。西尾幹二は、ルソーの一冊も読んでいない。西尾の哲学音痴はひどく、ニーチェを専攻しながら、ニーチェ哲学が皆目わからず、学位論文は「ニーチェ伝記」で誤魔化すという恥ずべき行為をなしている。
西尾とは、皇室問題など論じる以前の人物である。常識も一般教養もゼロというよりマイナスだからである。例えば、次の卒倒するような内容でも自明だろう。

 「雅子妃の母方の祖父チッソ株式会社会長の江頭豊氏の死に際し、皇太子ご一家が弔問に赴いたのには驚いている。…水俣病問題の対応に当たった社長当時の江頭氏には被害者に対する暴言を吐いたなどの問題があり、ご夫妻は葬儀に行くより被害者への謝罪に行くほうが当然、先であるべきだった」(88頁)。

水俣病は水銀農薬の薬害であって、チッソとは何の関係もない。科学的に明白すぎる。荒唐無稽な「水俣病の原因=チッソの排水」というでっち上げられた説が裁判で確定したが、これは一九六〇年代の化学/応用化学の学界における通説に真っ向から反するものであった。化学に疎い裁判官の重大な過誤がなした、日本の戦後史に最も暗い冤罪事件、それが「水俣病=チッソ」の捏造である。故・桶谷繁雄ほか、当時の東大や東工大の化学関連の教授たちで、水俣病を水銀農薬の井戸水への(台風による)流入もしくは井戸への故意の投下と考えなかったものは一人もいない。また、水俣病発生と同時に、日本の農薬メーカーはすべて水銀農薬の生産を中止したのも、重要な情況証拠である。
西尾幹二が、この箇所を、誰に吹き込まれたかを公表すべきである。『皇太子様への御忠言』の背後関係が、さらに明らかになるからである。

 西尾幹二の皇室をめぐる言論は、言論人としてあるまじき、他意や悪意ばかりが秘められているし、その主張に矛盾や乖離が多すぎる。断筆が勧告されるべきと考えられる。理由は次の通り、明らかだろう。
美智子皇后陛下に対しては、心からの尊崇ではなく、雅子妃殿下を相対化して貶めるレトリックとして意図的なべた褒めをするという、不敬をなしているばかりでない。もし、それほど、美智子皇后陛下を尊敬するのであれば、美智子皇后陛下にあらん限りの罵声と讒謗を浴びせた花田紀凱を糾弾しなければならないが、西尾は、この「(不敬罪があれば一九九三年に逮捕・起訴されている)犯罪人」花田と組んで皇室本を出版した。
この事実は、西尾幹二の本心は、紛れもなく天皇制廃止であることを示している。実際にも、「この私も…天皇制度の廃棄に賛成するかも知れない」と宣言している(40頁)。天皇制廃止でありながら、さも皇室を思う愛国者ぶる演技と口吻は、西尾の野卑で低劣な人格と符号する。
花田紀凱が過激な天皇制廃止狂であるのは、西尾幹二への旧皇族・竹田恒泰氏の批判(『WILL』七月号)に対し、朝鮮人でコミュニストの久保紘之に代理で悪罵を浴びせさせる悪辣なやり口でも明らかだろう。『WILL』八月号の「袞竜の袖に隠れる<竹田論文>大批判」。
そればかりでない。ごろつき以下の久保の超えげつない論考ではまだ足りないとばかり、花田紀凱は「読者投稿大特集 主婦たちの雅子妃問題」を掲載するという念の入れ方で、竹田氏を徹底的に罵倒して抹殺するという挙に出た。だが、この読者投稿はすべて捏造と考えるのが常識的判断だろう。なぜなら、共産党のプロパガンダ(嘘宣伝)と同じ手法で、読者の名前はない。U・Mとかの偽名にしたことは、実在しないと解してよい。
もし、花田紀凱に通常の日本人の感覚がひとかけらでもあれば、西尾幹二自身に反論させたはずである。竹田氏は、コリアン花田紀凱の怖さや「精神異常者」西尾幹二のあくどさをお知りにならなかったのが、あのような(久保紘之の)侮辱論文に遭遇される事態になったのである。
         つづく

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