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保守言論人の実態ー西尾幹二論コミュの第15弾 天皇制廃止の新バイブルとなった、西尾の新著『皇太子様への御忠言』

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 西尾幹二の新著『皇太子様への御忠言』は、日本の極左人士や極左団体・極左政党の間で、大人気である。共産革命の中核である天皇制廃止の運動として、近年では、2002〜6年の“女系天皇主義による皇室典範の全面破壊”に次ぐ働きをなしている。
 例えば、北朝鮮人である上に“極左の中の極左”田原総一郎は、ゴリゴリの天皇制廃止論者なのは衆知だが、西尾のこの本がもたらす天皇制廃止の効能の高さを鋭く見抜き、TV番組でとりあげ大宣伝した。さる八月三十日深夜のテレビ朝日の「朝生」である。この本は、コミンテルン三二年テーゼに匹敵するほどの、新しい天皇制廃止運動に決定的なバイブルとなるだろう。今上天皇の崩御後に新天皇に即位される徳仁殿下への攻撃に用いられるのは必定で、その即位阻止に想像を絶する働きをなす。天皇制廃止運動の極左側からすれば、これほどの実弾プレゼントはかつて例がないと欣喜するのは当然だろう。
田原総一郎も、TVの司会をしつつ、西尾のこの本をベストセラーにしたいという意図がありありだった。この本が、さも皇統を守らんがためと詐称しつつ、ただやたらに口汚く、次期天皇・皇后である皇太子両殿下に対する(批判ではなく)中傷誹謗と人格攻撃に終始する、皇室の自爆を狙うあくどい本だからである。
なお、この「朝生」番組は、かくもトンデモ極左番組だが、西尾幹二の本性と底意を明らかにした。第一に、西尾幹二とは、皇統護持とか、皇室擁護とか、わが国の最重要問題に実は何一つ関心がなく、この本の執筆動機も自分の売名行為からでそれ以外は何もないという事実が、暴露されたことである。第二は、西尾幹二がハチャメチャな超分裂の言動をなして、精神異常者であることを、視聴者広くカミング・アウトしたことである。

一、天皇制廃止運動の第二戦線――天皇退位論から皇太子殿下への人格攻撃へ
 戦後の天皇制廃止の革命運動は、顕教的な、共産党のあからさまの天皇制廃止を別として、もう一つの系列がある。大東亜戦争とともに開始されており、すでに七十年ほどの歴史がある。密教的に、巧妙に偽装された天皇制廃止運動のことで、ここでは、次の五つを提示しておこう。

? 天皇退位論(1945〜52年)
? 「民間から皇太子妃」論(旧皇族女子の皇后絶対阻止)
? 美智子皇后陛下への事実無根の攻撃(『週刊文春』、1993年)
? 共産党と小泉純一郎首相連合の女系天皇導入の皇室典範破壊
? 西尾幹二の(雅子皇太子妃批判の形で)皇太子(次期天皇)殿下への人格攻撃(2008年)

?の「天皇退位論」とは、戦後すぐ近衛文麿に公言されたものである。これは、南原繁そして中曽根康弘その他に継承される。この問題ついては、次回以降に詳述する機会を設けたい。
 一般に、天皇退位論について、「昭和天皇が大東亜戦争の戦争責任をとられて、皇太子(今上天皇)に譲位されるだけで終わるもの」だとの俗説が流布されている。が、この俗説は嘘である。実は、退位された昭和天皇に対して、その後、戦没者や戦災者に対する補償請求として、何万、何十万件の損害賠償請求の裁判闘争が予定されていた。天皇は無答責だが、退位された元・天皇にはそんな特権はなく、洪水のような訴訟をすべてご自分で弁護士を雇い戦わなければならないが、これが「天皇退位論」の主目的だった。さらに、民事だけでなく、死刑判決のある刑事裁判も不可避であった。共産党トップの野坂参三は「昭和天皇の退位と皇太子への譲位」論者だったが、次のように回顧している。

  「退位後の昭和天皇については…軍の最高統率者である大元帥としての、その戦争犯罪を裁き、処罰すべきだとという考えは念頭にありました」(『東京裁判への道』、NHK出版、174頁)。

これが現実だとすれば、昭和天皇は退位されたあと仁和寺に遁世(「落飾」)される段取を、一九四四年から四五年の戦争中、近衛文麿は工作していたが、これは退位に誘い込むために、近衛文麿が考えた狡猾な罠でしかなかった。退位後の昭和天皇に安息は与えられず、仁和寺に隠棲することは許されていない。仁和寺の門跡・岡本慈航は近衛文麿にコロリと騙されていた。
吉田茂が、一九五二年、昭和天皇の退位を迫る中曽根康弘に「非国民め!」と反撃したが、退位後の情況を正確に予測していたからだった。昭和天皇の退位が起こす大混乱の中で、父君の譲位において即位された新天皇(明仁皇太子)に、皇室廃止宣言を出させる大噴火的なキャンペーンを抑えることなどできない事態の発生は明らかだった。
稀有な英邁さの昭和天皇自身による断固たる拒否、ならびに、日本人以上に昭和天皇を尊崇していたマッカーサー元帥の天皇擁護の壁にぶつかって、「天皇退位」に失敗した近衛文麿一派の残党と共産党は、その後の天皇制廃止の作戦を「戦争責任論」に集中するに至る。
ところで?についても多少は言及すべきだが、いったん省略させていただく。?は小泉信三がキー・マンだが、彼は本当に皇室尊崇派だったのか。それとも吉田首相を上手く誑かして、皇太子を洗脳すべく東宮に潜入した「反・天皇」のスリーパーだったのか。偽装仮面の下の正体について、もう暴かれる時が来たのではないか。

二、皇太子妃殿下批判に名を借りた、陰険・悪辣な皇太子殿下への人格攻撃
 西尾は、この著を書いたのは皇太子妃問題を憂える余りだと称しておきながら、実は皇太子殿下への中傷誹謗だとポロリと本音を漏らしている。「雅子さんではなく皇太子への批判」「皇太子は帝王教育を受けていない」と「朝生」で発言したからである(『正論』11月号、166頁)。そして、「朝生」の最後の方では、「私が書いたことで一番喜ばれているのは皇太子殿下、その方です」とまで憶測の発言をしていた(同、167頁)。中傷誹謗の人格攻撃されて喜ぶ人など、この地球上に一人もいない。
西尾の精神分裂症はひどく、その妄想からの発言だろう。西尾の異常性は事実確認もせずに、皇太子殿下が、自分の本をお読みになられていると勝手に決め付けていることでも歴然としている。さらにまた、西尾は、妄想上に、他人の心を自分に都合よく忖度し「喜ばれている」など、無責任に吹聴する。これでは「非国民」以下で、病院に収監する必要がある。

 さて、本論に入ろう。王制廃止の革命運動は、過去二百年以上の世界史において、すべてフランス革命に学んで、そのバリエーションしかない。ロシア皇帝ニコライ?世皇室皆殺しのレーニンであれ(1918年)、毛沢東のマルクス主義に国中が思想汚染されたネパールの王様追放劇(2008年)も、ルイ十六世の王座からの武力追放・軟禁(1792年8月)と処刑(1793年1月)に至る過程の研究から考案されている。
 歴史や伝統の無い無神論国家を理想とするフランス革命が1780年代に(突然的に)萌芽したとき、真っ先に、二つの中傷誹謗プロパガンダ戦が大規模に開始された。一つは教会攻撃であり、もう一つがオーストリー皇室から輿入れされたマリー・アントワネット王妃攻撃である。
前者はヴォルテールが中心人物だったし、後者はすでに死んでいたルソーの『人間不平等起源論』を下敷きにしていた。『人間不平等起源論』は、王制を暴力で打倒せよと絶叫した、人類初の暴力革命の指南書であって、それ以外ではない。ルソーは「平等」が民衆を暴力や破壊に誘導する魔力があるのを発見して、それを活用するが、自分は絶対独裁者であり、他の人間とは違うとの人間不平等観の持ち主だった。
 西尾幹二の『皇太子様への御忠言』は、このマリー・アントワネット王妃攻撃を模倣したもので、その目標は、(分裂症は一定レベルに悪化すると自らの言動の目的は認識できないから)本人が意識しているか否かはわからないが、一直線に天皇制廃止に繫がっている。マリー・アントワネット王妃が贅沢であったのは事実だが、誰かを殺したわけではない。何か重大な国法違反をしたわけではない。贅沢が即、王制廃止や処刑に相当するとは、狂気の暴論・極論だが、これがフランス革命の本質だった。
 しかも、革命の萌芽期、王妃攻撃だからと安心し、その芽を刈り取ることをせず油断したのが「善良なお父さん」と国民広くに愛された、政治音痴のルイ16世だった。西尾幹二の雅子妃殿下攻撃は、皇太子攻撃であり、それは次期天皇攻撃であり、天皇制度そのものに対する攻撃なのは、明らかだろう。ならば今、刈りとらなければ、悪性の癌細胞となって、日本国民のすべてを思想汚染する。
しかも、この西尾幹二の『皇太子様への御忠言』の出版と宣伝には、実は恐ろしい裏がある。周到な天皇制廃止運動のネットワークの一環として、無定見な西尾幹二が選ばれ、西尾が“猿回しの猿”のごとくに踊り狂った事件と見做すのが真相だからである。この事件の真実は、国民広く正しく衆知されねばならない。

三、在日朝鮮人たちの天皇制廃止運動に担がれた西尾幹二
王(ルイ十六世)の処刑を狙ったフランス革命も、最初から王様への讒謗キャンペーンでもって、それを開始したわけではない。あくまでも第一歩は、(いったん王を避けて)王妃に、暴言の嵐をぶつけたのである。これによって、王様ですら、いかに批判しても構わないのだとフランス国民に慣れさせた。
この、血塗られたギロチンのフランス革命の初期過程をそっくり模倣して、それを実践したのが、現『WILL』編集長の花田紀凱であった。1993年、『週間文春』の編集長の時、あらん限りの嘘偽りででっち上げた捏造記事を次々と出して、畏れ多くも美智子皇后陛下を攻撃した「主犯」こそ花田紀凱その人だった。“平成の天皇制廃止運動”の烽火第一号を上げたアナーキスト革命家、それが花田紀凱の真像である。花田紀凱を「保守」だと思っていた方は、自らの無教養と無知を大いに反省し恥を知るべきである。
この花田事件は、余りのむごい記事に、美智子皇后陛下が失語症となられたことで、文芸春秋社の田中健吾社長が慌てて花田編集長を馘首して、本件が詮索されるのを闇に葬り去った。日本における皇室擁護の勢力の弱体さと無気力さは、その後の花田紀凱が生きている事実が証明する。二〇〇二年に始まる、“女系主義の導入による天皇制自然消滅”の案は、花田が無事である実験結果も考慮されて、錬られたものである。
花田紀凱は、その後、月刊誌『マルコポーロ』を発刊し、次に女性誌『UNO』を発刊し、続いて『WILL』編集長となった。『UNO』はスペイン語の「1」かのように説明されていたが、美脚を誇る朝鮮人美女「神田うの」の「うの」の転用である。花田の私的な交際範囲の人脈はみな、朝鮮人ばかりである。『WILL』の同人的な人物で元『諸君』編集長の堤堯も、むろん朝鮮人でアナーキスト(ディアスポラ)である。
さて、皇后陛下を失語症に追い込んだ、『週間文春』/花田紀凱の“世紀の真赤な嘘記事”とは、次のようなものであった。もちろん、皇居自然林は、一本たりとも伐られていない。悪魔のような讒謗と中傷の洪水だった。

1993年9月23日号のタイトル;「美智子皇后のご希望で、昭和天皇が愛した皇居自然林が丸坊主」
同、小見出し;「認証式より交際が大事?」「お手植えの桜並木に伐採案」「なぜ皇居内に白樺
         並木が」「洋服新調代が三千五百万円」
1993年9月30日号のタイトル;「天皇・皇后両陛下は自衛官の制服がお嫌い」
以下略。
しかし、読者その他から轟々たる批判が『週間文春』に向けられると花田紀凱編集長は開き直っ
て、次のような厚顔な詭弁で応酬し、弁明も謝罪もしなかった。

  「皇后バッシングと批判を受け、ご心労の原因と名指しされた皇室報道の真意は何か。それは忍び寄る皇室の危機に警鐘を鳴らし、<開かれた皇室>ムードに疑問を呈した、皇室の繁栄を願えばこその企画だった」(1993年11月11日号)。

 “べらぼう”とは、このような花田流破廉恥釈明を指すのであろう。この「花田/週刊文春のキャン
ペーン」こそ、犯罪的な「開かれた皇室」主義の最たるものではないか。「開かれた皇室」論を糾すな
ら、このような記事は万が一にも書くまい。また、文芸春秋本誌や女性週刊誌の皇室記事の原則
禁止を打ち出すはずではないか。しかし、その種のことは一行すら書いていない。
 そして、それから十五年を経た2008年、ただ目立ちたいだけの卑しい売文家で、学識や知に大
きな問題と欠陥ある、東大の最下級の劣等性出身の西尾幹二に目をつけ、焚きつけたのは、花田
紀凱その人であった。四本の雑文を『WILL』誌に書かせ、時を移さず単行本にし、本ができる前に
朝鮮人仲間の田原総一郎にTV番組で紹介してくれと依頼し、“第二戦線の天皇制廃止運動”の
再開に華々しく成功したのである。                                       

四 西尾幹二よ、バークの『フランス革命の省察』を一頁でよいから読んだらどうか
 西尾幹二とは、歴史も知らないし、哲学・思想もさっぱり解らない、いわゆるゲテモノ学者である。
例を『皇太子様への御忠言』から一つ。

  「国民主権を民主主義や平等と理解するのはかまわない。ただそれを…アメリカニズムと見做すなら…」(104頁)。

「国民主権」は、1789年8月のフランス人権宣言で史上初めて出現した言葉であると、小学校5年生のとき習った。だが、西尾は、フランス思想をアメリカ思想だと言う。西尾の歴史知識は、小学校5年生の水準にない。「平等」はルソーが史上初めて提唱したのも、小学生でも知っている。『人間不平等起源論』である。だが、西尾の頭では、ルソーはアメリカ人らしい。
しかも米国憲法は、「自由」と両立しない「平等」を原則否定することを定めた。これゆえに、米国では、「平等」概念は、1960年に始まる公民権運動までほとんど存在しなかった。リンカーン大統領の黒人奴隷解放も、黒人を奴隷ではなく「第二種の米国市民」に扱おうとするもので、「黒人と白人は平等である」との思想は皆無である。「反・平等」思想をアメリカニズムと言っても間違いではないが、これを逆さにするとは、西尾幹二は学者でなく、花田が「西尾はどうせ猿レベル」と診たのは正しい。また、米国憲法は、世界で最も露骨にデモクラシーへの軽蔑を基調に、その基本政体を定めたもので、民主主義礼讃のワイマール憲法などとは対極にある。上記の西尾の文はすべて間違いだらけである。
さて、皇室批判は、決して活字でないしてはならない。これは、王制を戴く、高貴なる民族・国民の心すべき事柄の筆頭である。エドマンド・バークの、次の一文を拳拳服膺して欲しい。

 「われわれは、皇室を聖別し、何人といえどもしかるべき注意なしに皇室の欠点や腐敗を覗きに近づかないようにしました。皇室の冒した誤謬に近づくに当たってはさながら父の傷に対するごとく、敬虔な畏怖と震えながらの憂慮をもってするようにしました」(訳は半澤孝麿、「国家」を「皇室」に変更)。

西尾幹二よ。『皇太子様への御忠言』を執筆するに当たって、敬虔な畏怖があったか、震えなが
ら書いたのか、自問してみたまえ。日本酒をがぶ飲みしながら、書いたのは間違いなかろう。原稿を花田紀凱に渡すとき、ゲタゲタ笑い転げていたのも間違いなかろう。吉田茂的に言えば、西尾幹二とは「非国民!」である。                            

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