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初代内閣総理大臣 伊藤博文コミュの伊藤博文「年表」−7

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● 1891年 大津事件。
枢密院議長として議会対策に関し内閣助言・しばしば内閣とも摩擦。


【伊藤博文の発表の時には、伊藤が犯人を死刑にしなかった裁判官を三権分立をよく守ったとほめた、ということしか言わなかったですが、初めて以下を読んでみて危機に敏速に対処された明治天皇と明治の国民の姿に感動しました。 
彼らのなかの武士道がもつ合理的精神や誠の心が日本を救ったと信じます】



「国難・大津事件」

来日中のロシア皇太子が凶漢となった警官に襲われた。
戦争になって植民地に転落するか、亡国の危機迫る
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog161.html


(略)
事件の報は、1時間後には明治天皇のもとに届き、ただちに 政府要人を集めて御前会議が開かれた。現地からの電報が紹介されると、一同の顔から血の気が引いた。

ロシア側が怒って宣戦布告することも予想される。そうなれば日本に勝ち目はなく、属国か、植民地にされてしまうであろう。現在、神戸港に停泊中の7隻の艦隊だけでも、大阪や東京を砲撃して、火の海にできるのである。あるいは、賠償として千島などの領土を要求してくるかもしれない。天皇は、自ら陳謝を兼ねて、おもだった大臣らとともにニコライに見舞いに行く、と異例の決心をされた。

当時、近衛師団の少尉であった石光真清の自伝によれば、「われわれは腰を抜かさんばかりに驚」き、部下に営内待機を命ずると、「下士官二人はガタガタふるえ出して、復命も出来ずに歯をかちかちと噛み鳴らすだけであった。」

(略)
お見舞いの後、ロシア皇帝からの初めての電報がもたらされた。大事に至らなかった事を喜び、「陛下がこのことにつき色々ご配慮下さったことを感謝いたします」と、明治天皇の誠意に満ちた配慮を十分汲み取った内容であった。

国民の間では、天皇にならって自分たちもお見舞いをせねば、という機運が全国的に広まり、学校は謹慎の意を表して休校となり、神社、寺院、教会では、皇太子平癒の祈祷が行われた。見舞電報は一万通を越え、見舞い品も長持ち16棹に達した。

(略)
ロシアの外務大臣ギールスは、事件発生直後は激怒して日本政府を責める言葉を繰り返していたが、日本の天皇、政府、国民の誠意溢れる態度に皇帝も皇后も十分満足しているので、この事件についての賠償は一切要求しないとの意向を伝えた。

(略)
犯人・津田三蔵をどう処罰するかも、重大な問題であった。 内閣としては、津田を極刑にして、ロシア皇帝、国民を納得させる必要があると判断した。(しかし日本の国内法では無期懲役しかなかった)

(略)
いっそのこと、ロシアがよくやっているように、刺客を使って津田三蔵を暗殺させては、と提案した大臣までいたが、元老・伊藤博文は、怒声に近い声で「いやしくもわが国は法治国家であり、そのような無法は許されぬ。」といさめた。

(略)
松方首相は、大審院(最高の司法裁判所)院長・児島惟謙(これかた)児島を呼び、悲痛な声で「なんとしても、津田三蔵を死刑にしなければならないのだ」と言った。児島はこう答えた。
「私個人の感情としては、津田三蔵のような人物は、国家の大罪人として八つ裂きにしてもまだ足りないほどに思っております。ただし、法律は国家の精神です。いかなることがありましょうとも、これを断固としてまもることが、国に対する忠義であります。

(略)
津田を死刑にせねばロシアと戦争になるかも知れず、法を曲げて死刑にすれば、それを口実に欧米諸国はいつまでも条約改正に応じないだろう。内閣は窮地に陥った。

内閣全体に一人反対してあくまでも憲政を護ろうとする児島を勇気づけたのは、明治天皇から直接賜った勅語「今般露国皇太子ニ関スル事件ハ国家ノ大事ナリ 注意シテ速カニ処分スベシ」であった。「注意シテ」とは、法律の適用を誤って国家の恥としてはならない、との意味であると児島は受け止めた。

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