ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

初代内閣総理大臣 伊藤博文コミュの伊藤博文「年表」−6

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


● 1886年  井上毅(こわし)らと憲法草案起草開始

井上毅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E6%AF%85
中央集権国家の確立に尽力して政党政治に強く反対した井上ではあったが、法治国家・立憲主義の原則を重んじて、その原則で保障された国民の権利は国家といえども正当な法的根拠がない限り奪うことが出来ないと考えていた。そのため、これらを否定するような反動的な主張に対しては毅然とした態度で立ち向かったという


● 1887年  井上馨外相の条約改正交渉挫折

● 1888年  (48歳)枢密院議長となる。首相の地位を黒田清隆に譲り、憲法草案の最終審議に尽力。 

● 1889年  【U】 大日本帝国憲法発布 大隈重傷


【U】大日本帝国憲法 

○ 伊藤が反省したこの憲法の欠点。?無記名投票 ?貴族院(上院)に予算の議決権を与えた ?統帥権

?明治憲法は民族の英知の結晶
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=10492545&comm_id=240830
?大日本帝国憲法―その1
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=8627371&comm_id=240830
?大日本帝国憲法―その2
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=8650749&comm_id=240830
?大日本帝国憲法―その3
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=8651915&comm_id=240830



● 1890年 (明治23年)第一回衆議院議員選挙。超然主義に基づく立憲制運用を試みる。
山県および松方内閣の貴族院議長に。
【V】 教育勅語発布 帝国議会開設


【V】教育勅語(後日に詳しく資料を転載しますが)

○ 大日本帝国憲法には道徳を説いていなかった。憲法は国家の歴史・伝統を基礎として作られるものであり、その中には伝統的道徳律を基本理念として述べなくてはいけない。その典型が聖徳太子の十七条の憲法である。これには政府官僚の心得や国民道徳が定められていた。明治になって作られた新しい憲法には、このような伝統的な倫理・道徳が書かれていなかった。そのために、それをおぎなう意味で「教育勅語」という伝統的な道徳的徳目が国民・官吏の精神的支柱となるように作られた。

○ 西洋には聖書という宗教的道徳律があったので必要なかったが、これから新生国家を築いて行く日本にとっては、このような倫理観は必須の国民の心の規範となるものであった。そしてこれからの日本国民は、今までの主君であった大名・殿様ではなく、国家を象徴する天皇に忠誠をつくして国家建設に邁進することが求められた。明治においては藩を超えた日本という共同体への忠誠という健全な国家精神を育てていく必要があったのです。

○ 教育勅語の精神は西郷隆盛の思想とも共通するのではないかと思います。西郷は明治になってからの日本が西洋かぶれとなって、武士の大和魂、日本精神を失ってしまったことを嘆いていた。「こんな国を作るために、わしは明治維新をやったのではない」と。日本の伝統に戻れと叫んで、西洋式装備の政府軍と西南戦争を戦い亡んでいった。彼は日本政府の魂の中にある西洋と闘ったのだ。朝鮮・中国と連携して西洋列強の覇道を食い止め、東洋王道の精神を復活したかった。そのために朝鮮との連携を求めて「遣韓使」として向かうつもりだった。決して征韓論の立場で向かおうとしたのではない。 

○ 西郷と同じ思いをもつ人々がいた。それは明治天皇も憂いておられたところだった。日本の伝統がすたれつつある姿を憂いて、日本の伝統的精神を復活するために教育勅語を編纂したのでした。その精神は神話の時代から掘り起こして日本の国の伝統とは何かを問い詰めている。

○ 私も教育勅語は過去の遺物で否定さるべきものという風に批判的に見ていました。しかし日本を天皇を中心とした国体をもつ独特の日本文明国家と見なすならば、悠久の歴史をもつ皇室の皇族方が、道義国家の模範的姿として存在していた事実を認めなくてはいけないのです。 

○ そして明治天皇自らがこの教育勅語の精神を自分のものとするように自己研鑽に励む、と宣言されている事実を知らなくてはならないのです。決して「上から従え!」と押し付けられたものではない。軍国主義に利用された時期もあったが、本来は日本国民を道徳律の最たるものでした。これを論語の素読のようにそらんじて戦前の日本人は道義的人間となることをめざしたのです。 

○ 戦後はこのような規範がないために自由・人権の氾濫した安っぽい国家と国民となってしまった。古い中国の論語などの四書五経を有り難く素読するくらいなら、教育勅語を素読してその精神を自らのものとする国民をなってほしいと乞い願います。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

初代内閣総理大臣 伊藤博文 更新情報

初代内閣総理大臣 伊藤博文のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。