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初代内閣総理大臣 伊藤博文コミュの?明治の世と日本精神

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1年前に東郷平八郎について学んで発表した時の参考資料に、伊藤公のことが少し載っていましたので、他の文章とともに転載いたします。

明治の世から大東亜戦争まで日本人の気質は変わっていなかった。 それはわずかな武士の魂が教育によって国民一般にまで浸透して高い士気を保ち続けていたからです。 戦後その精神は復興と高度成長に振り向けられましたが、豊かとなった後でその精神は見失われつつあります。 あの世界を驚嘆させた日本精神の復活を乞い願います。



モラルと規律の高さ

・ 伊藤博文はもしロシアが九州に来襲したら、一兵卒となって武器をとって戦う覚悟だと決意をのべました。 朝野をあげて恐るべき敵から必死で国を守る気概を明治の人間はもっていました。
 
・ 「負ければ国も自分たちの生活もない」という意識が全国民にあり、重税に抗議して反政府運動が起こることもありませんでした。
 
・ 日本海海戦に勝利した時には「自分たちが苦しい中で造った自分たちの軍艦」が勝ったという思いで全国が歓喜の渦に巻き込まれたのです。 国と国民とは運命共同体という一体感がありました。 



・ 旅順攻略戦での将兵は不眠不休での塹壕堀りや、貧弱な防寒具に、不衛生な環境に耐えていました。 戦争という重労働にもかかわらず食事は粗末でした。 奈良漬、千切り大根、梅干、たくあん、卵、ジャガイモなどが一つ、飯に少し付く程度でした。 薬は征露丸(正露丸)のみだったのです。 

・ 体格ではロシア兵が勝るにもかかわらず、銃剣をふるって戦う白兵戦でも小さな日本兵が強かったのは、自分のため、家族のため、国家のためと考える日本人の高いモラルに支えられていたからです。

・ 多くの政治家や軍人が日清・日露戦争のすぐあとに急死している。 いかに国を挙げての戦争の対して一身を捧げたか、また責任感がであったかの証拠です。



・ 現在の日本にみられる政治家や企業責任者が自己保身のために責任回避をする姿は明治日本のトップには見られませんでした。 皆、自らの命も顧みず自己の責任をまっとうしていました。

・ 臥薪嘗胆の上、困難な苦しい戦いをし、9万もの戦死者を出して勝利したのに、賠償はなく領土割譲は南樺太だけ。 民衆は怒り日比谷騒乱事件を起こしました。 それほど国民は自分たちが律儀に戦った自分たちの戦争の「あかし」がほしかったのです。

・ 日本人の律儀さと武士道と愛国心が日本を守りました。 日本兵の任務を遂行する律儀さは世界の絶賛を浴びました。 また元・武士が日本軍には多くいて規律を徹底させていました。 外国兵は恐怖のために逃げ帰る自国の兵士を後ろから射殺する部隊をもっていました。 

日本軍兵士は困難な作戦でも逃げることなく多くの奇跡的作戦を成功させていました。 日英同盟の関係で多くの英国報道陣が戦場へ向かい、日本兵の活躍を世界に向けて発信し、世界の軍事常識をくつがえす日本軍の活躍に世界は驚嘆しました。



・ 二〇三高地のロシア兵の間で白い日本兵のうわさがありました。 いくら機関銃で撃っても死なず突撃を繰り返す様にロシア兵のなかには気が狂ってしまう者も現れました。 日本には当時白い軍服はありませんでした。 死んでも突撃を繰り返す日本兵の霊魂の哀れで勇猛な逸話として語られました。
(この話は昔若い頃に、私が日露戦争に最初に関心を向けた話題でした。 哀れをもようし、今も胸が熱くなります)

・ 日本人は国家を守るために国民戦争を戦い、多くの尊い犠牲者は国を守った。 その犠牲の上に日本は条約改正や国際的地位の向上がなされたのです。 国や家族と守るために身を犠牲にして国を救った英霊としての戦没者に感謝すべきです。 犬死ではありません。
  
・ 不平等条約を改正するためには外国に日本を文明国と見なしてもらうために朝野を挙げて必死の努力をはかった。 天皇は永年の習慣を自ら改め、断髪し、率先して洋服に着替えた。 そのため断髪に反対し反乱しかけていた武士たちも断髪に応じた。 また昔の葬式は白装束で行なわれたが、欧米並みに黒にするように政府から通達があり黒い衣装に変わった。

(この白から黒に変わった習慣の変遷は知らなかったです。 日本国民の意識の柔らかさの象徴でしょう)

(日本国民は国を挙げて、先祖代々の習慣まで変えても、祖国のために心の革命をなしたのです。 私を滅して公に奉ずる精神で武士も、武士の魂であったチョンマゲを切って自己犠牲の精神を日本国民に率先して示したのでした)



コメント(1)

以下は上記について私の日記にコメントいただいた方への返答です。



仮想敵国・欧米に学んで日本国家を強化し、その暁には反転して欧米を凌駕しようというのが日本の国是でした。 明治の自由民権運動は、決して国をないがしろにするような反体制運動ではなかった。 

その批判的精神を継いでいると称するサヨクマスコミや政党は、民権と称して人権で武装し、まさに日本精神と皇室を葬って日本人民共和国を目論んでいる共産主義亜流です。


伊藤博文について学べば学ぶほど、武力による覇道を嫌い王道を望む平和主義者であったとわかるのです。 愛国保守陣営とは一線を書く、いわゆる軟弱融和主義と非難される要素をもつ人物なのです。 

それは明治維新を成し遂げて非業の最期を遂げた先輩たち、多くの憂国の志士に対して、この国を滅ぼしては申し訳ないという気持ちでした。 この日本を危機にさらしてまで国権を発揚することに反対でした。 


彼が暗殺されずに生き延びていたら韓国を独立国へ導き、ロシア・清とも友好条約を結んで、アジアの平和に貢献したかもしれません。 それは外国との友好関係が第一であり、日本が満洲・韓国で特権的地位を有することに憂慮する立場でした。 

日本が真にアジアの平和を望むのなら、後進アジアに譲歩して日本の権益を損なうことがあったとしても、相手の権益を重視する姿勢をとるのが、彼の政治姿勢のような気がしてきました。 

サヨクは彼のことを憎悪しますが、彼こそサヨクが非難するアジア侵略とは縁遠い政治家だったのです。 サヨクこそ伊藤博文を再評価して顕彰すべき思慮深い人物なのです。 その意味で改めて伊藤の生涯を見たときに、愛国保守陣営が顕彰すべき人物とは少し異なる姿が見えてきたのです。 


10月末に「先人に学ぶ人間学」で彼について学んだことを発表しますが、愛国保守系の講演会で発表するには、大変な学びをさらに続けないといけない気持ちになっています。

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