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つねみコミュの恒見村(現 門司区恒見町・恒見)

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筑前国恒見村(現門司区恒見町)

地名は宇佐宮の「国々散在常見名田」(宇佐大鏡)に由来すると、考えられます。

常見名田とは「治開田」あるいは「甲乙領主」よりの寄進地の事で、当地にも宇佐宮領が所在した。
吉志村の東に位置し東は海に臨む。

吉志郷には、宇佐宮領も所在し、建久八年(1197)の豊前国図田帳写(倒津文書/鎌二)に宇佐宮領「加納恒見庄九十町」の内に「吉志十丁」とみえる。

鎌倉期に下総氏(のちの門司氏)が下向、のち吉志系門司氏が土着。

南北朝動乱では武家方として活躍する(貞治四年四月「門司親尚軍忠状)。

応永の乱後に大内氏家督相続争いが勃発すると、吉志系門司親常は大内盛見方に馳せ参じる。

永禄四年(1561)の門司城合戦では、恒見村は門司へ向かう大友勢の通路となり、永禄四年十月十日の毛利隆元袖判児玉就方軍忠状写(萩藩閥閲録三)には「十月九日敵通路恒見」と見える。

元和八年人蓄改帳に恒見村とあり、高318万石、家数76、人数194、牛15、馬9、と見える。

慶応二年(1866)第二次幕長戦争で長州藩に占領される。

元和八年(1622)には沿岸漁業や、船頭に率いられた数十人の水主による大型漁船を用いた沖合漁業などが盛んであった。

硝石灰製造は安政三年(1856)浦中で大見由助により開始され、後の恒見鉱山となった。

鎮守の恒見八幡神社は天長元年(824)の勧請と伝え毎年五月に小倉藩主の代参があったという。

西福寺(現浄土宗)光円寺(現浄土真宗本願寺派)などがある。西福寺は天長元年の創建である。

コメント(2)



いったい、恒見八幡神社は……なにを祀ってあるのか……?


地元の方に…ご存知の方はお知らせ下さい……。




なぜ、毎年5月に藩主がわざわざ、この恒見神社にお詣りするのか………?


何か意味があるはずですが……?

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