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Blind MelonコミュのA Devil on one shoulder and an Angel on the other

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「 A Devil on one shoulder and an Angel on the other〜a stroy of Shannon Hoon」
とっても長いタイトルですが、シャノンの事が書かれた本がアメリカで出版されました。
Blind Melonを追い続け、インタビューし取材してきた方によって書かれたものです。生前の数々のインタビューやバックステージの様子、メンバーとの秘話、写真…などなど、色々載せられているようです。

日本での出版はおそらく無いだろうから、と勉強するつもりで注文しました。
今週中には届く予定。
また届いて読めたら(時間はかかるだろうなぁ…)感想など書きたいと思います。

コメント(49)

肩の上の天使と悪魔〜シャノン・フーンとブラインドメロンの記録 
グレッグ・プラトー

目次
はじめに
登場人物
シャノンの少年時代
グレン,ブラッド,クリストファー,ロジャースの少年時代
アクセルとシャノン
ロサンゼルス/ブラインドメロンの結成
キャピタルレコード/クリスジョーンズ/結成前夜のセッション
ダラム/スリーピングハウス/サウンドガーデン・ツアー
シアトル/120ミニッツ・ツアー/ブラインドメロン
すし詰めバンツアー
No Rain
No Rain の成功
ニールヤング,レニークラビッツ・ツアー/雑誌ローリングストーンの表紙に
サタデイナイトライブ/ジャパンツアー/”Change"/アメリカンミュージックアワード/ヘッドラインツアー/カート・コバーンの死
復帰/欧州ツアー
ウッドストック’94
ローリングストーンズ・ツアー
”Soup"
シャノン’94−’95
’Soup’発売
’Soup’ツアー
1995年10月21日
その後
次のメロン
どうやってブラインドメロンの音楽が復帰するんだ?
シャノンの思い出
エピローグ
ディスコグラフィー
謝辞
出典



はじめに

あれは1993年の暖かい夏の午後だった。もっと正確に言うと,コネチカット州ニューヘブン,7月9日だ。私と数人の仲間はロングアイランドからニューヨークまで,ブラインドメロンというお気に入りのバンドのショウを見るために旅をしていた。ショウが行われる場所はかえる広場と呼ばれていた。その場所に着いてから,我々には一つ小さな問題があることに気がついた。そのショーは,21歳以上でなければ入れなかったのだ。私ともう一人の仲間だけが入場する条件を十分に持っていた。かえる広場の外に立ってショーの始まりが近づくのを感じていた。それはとてもわびしく見えたと思う。その時,我々は背が低めで長髪のピッピーのような格好をした男が,バックパックを背負って歩いてくるのを見ていた。”やあ”彼は気安く話しかけてきて,PrimusのT-シャツを本気で褒めてきた。
それが私にとって短く,そして忘れられないシャノンとの付き合いの始まりだった。
彼に我々の問題を話した後,彼のバンドがステージあがろうとするのを気にせず,彼はそれについて気にかけてくれているようだった。”心配しなくていいよ。何かが起こるだろうから”と彼は言った。”俺たちが出て行くとき,内側の誰かがそこの非常口を勢い良く開けるんだ。そしてみんなドアに突進する。”幾つかの曲では,私と友達は会場の中にいることができた。シャノンはステージから,若者たちがそうやって会場に入ってくるのを見るのがとても嬉しいと話した。ショーの後,我々はギタリストのロジャー・スティーブンスと会った。彼はとてもフレンドリーで,シャノンのようにファンとおしゃべりするが好きだった。特にバットホールサーファーズのCD: independent Worm Saloon(彼が見せた一枚)に関して,彼の声は一段と大きくなった。話題は,どれぐらいブラインドメロンが飛躍する瀬戸際にあるかについてに移っていった。バンド仲間とバンに乗って出発する前に”もし俺たちが有名になったとしても,俺たちは変わりたくないね。みんなと一緒にいたいんだ”と彼は言っていた。スティーブンスの言葉は,すぐに現実となった。
その夜のショーは,私が見たシャノンがいた時のバンドの中で,ベストのものではなかったが注),かえる公園でのショーは私にとって最も忘れがたいものだ(注:初めて私が彼らを見た1993年3月25日,ニューヨーク州ウェットランドのショーから,最後に見た1995年の9月19日,ニュージャージー州,トレードウィンズでのショーまで)。言うまでもなく,それはバンドのメンバーの二人に会ったことがその理由だ。バンドだけではなく,特にシャノンはファンに近くて,そして本当にファンを大切にしていた。
それ以来,ブラインドメロンは私の好きなバンドの一つとなった。その他バンドを含め100を超えるショーを一年を通して見たが,結局ブラインドメロンのようなバンドには出会わなかった−これは本当のことだ。また,幸運にも,これまで伝説的な幾人かのフロントマン(イギーやオジー,アリス等)のライブを見ることができたが,今でもシャノンはこれまで見たフロントマンの中でも最高の一人だ。彼のステージ上での動きは予測不能で,彼は音楽に反応するままに動き回っていた。ステージ上では,彼は本当に音楽と一体になっていた。
そしてもちろん,彼は,最前列の観客の上から他の客の頭上に飛び込み,人の波でサーフィンをする興奮したファンが,粗暴な警備員に殴られるのを避けるため,二度もショーを止めるような愛すべきシンガーでもあった(ああ,確かに私も他のショーでは参加したよ)。
ブラインドメンロンの曲について,私がいつも感じていたことを最も適切な一言で表すと”ピュア(純粋)”ということだ。その時代にいたすべてのバンド以上に(確かにそのほかにも幾つか偉大なバンドはあったものの),ブラインドメロンは特に純粋な音楽性を持ったロックバンドのひとつだ。彼らのアルバムを聞くと,自分が彼らのリハーサルルームの真ん中に座って,まさに今曲が演奏されているのを聴いているように感じるだろう。最近のポピュラーミュージックの状況を見渡してみると,大部分の近年のロックバンドは,本物の音楽というものを,彼らのアルバム”Blind melon””Soup" "Nico"から少しは学んでも良いのではないだろうかと思う。
私はシャノンの個人的なことを知らなかったが,今でも私は,1995年10月のシャノンの早すぎる死の知らせを聞いた時の悲しみと衝撃と失望感を思い起こすことができる。私は当時,ブラインドメロンはストーンズやレッド・ツェッペリンのように偉大なアルバムを続けて発表していくようなキャリアを残していくものと確信していた。ブラインドメロンがセカンドアルバムである”Soup”を発表してから13年近く経ってしまったが,このアルバムは,この文章を書いている間,そしてこの日を,私をその当時の素晴らしい日々に戻してくれる。今までの人生で最も好きなアルバムは何ですかと聞かれる度に,私は"Soup"だと繰り返し答える。
 誰かの話が語られるに値するのであれば,シャノンとブラインドメロンはきっと賛成してくれるだろう。心の準備は良いかい?それでは荒っぽいドライブに出かけよう!

グレッグ・プラトー(ニューヨーク,2008年4月)

追伸
疑問やコメントがあれば,メールにて連絡をください(gregprato@yahoo.com)。また,この本に挙げた以外のブラインドメロンの写真は,下記サイトにて見ることができます。www.myspace.com/gregpratopage.
             登場人物
 [注:説明と肩書きはこの本が取り上げた当時のものである]

トーマス・アントナ[アリスドーナツのシンガー,94年にブラインドメロンとツアーを実施]
ビル・アームストロング[ブラインドメロンの友達]
ニコラス・ベクテル[94年当時のブラインドメロンのアシスタント]
ジェリー・カントレル[アリスインチェインズのギタリスト,92年にブラインドメロンとツアーを実施]
ギルビー・クラーク[ガンズアンドローゼスのギタリスト,93年にブラインドメロンとツアーを実施]
ダニー・クリンチ[写真家]
マイク・クリンチ[ガンズアンドローゼスのプロデューサー]
コリン・コームズ[アクセルローズの個人アシスタント,シャノンのL.Aでの近所の友達]
ポール・カミングス[ブラインドメロンの92〜95年の間のツアーマネジャー]
ティム・ディヴァイン[キャピタルレコードのA&R:アーティスト・アンド・レパートリー(新規アーティスト発掘)担当役員]
ライル・イーブス[ブラインドメロンの91年から95年までのサウンドマン]
ジョン・フォゴット[キャピタルレコードのプロモーション担当上級役員]
ブルックス・バード・グラハム[グレン・グラハムの妻]
グレン・グラハム[ブラインドメロンのドラマー]
ジェレミー・ハモンド[キャプタルレコードのマーケティング/商品開発担当役員]
ネル・フーン[シャノン・フーンの母]
シャノン・フーン[最初のブラインドメロンのシンガー]
マイク・アイネズ[オジー・オズボーンとアリスインチェインズのベーシスト,92年にブラインドメロンとツアーを実施]
ジョミニク・ジョナサン[キャピタルレコードの広報,メディア担当者]
マイケル・ケルシー[スティッフ・キッテン(ブラインドメロンの前のシャノンのバンド)のギタリスト]
カート・カークウッド[ミートパペッツのシンガー/ギタリスト,94年にブラインドメロンとツアーを実施]
ジェナ・クラウス[ブラインドメロンの友達で,アルバム”Soup”の”Mouthful of Cavities”で共演]
ダフ・マッケイガン[ガンズアンドローゼスのベーシスト,93年にブラインドメロンとツアーを実施]
ヘイル・ミルグリム[キャピタルレコードの社長(89~92年),会長(92〜93年)]
ステファン・モーセス[アリスドーナツのドラマー,94年にブラインドメロンとツアー実施]
マイク・ナポリターノ[’Soup’のアシスタントエンジニアー,’Nico’のプロデューサー]
ジョージ・ヌーネス[キャピタルレコードの国内販売部員]
オーウェン・オルザック[93〜95年のブラインドメロンのサウンドマン]
マイク・オスターフェルド[93〜95年のブラインドメロンのステージマネジャー]
エバ・パフ[キャピタルレコードの販売促進代表]
ロバート・プラント[レッドツッペリンのシンガー]
ジョン・プラム[ブラインドメロンのエンジニア]
マーク・ポラック[ブラインドメロンの友達]
バーバラ・プライズメント[キャピタルレコードのレーベル責任者]
リキ・ラックマン[ロサンゼルスのキャットハウスのオーナー,MTVのヘッドバンガーズボールの司会者]
チャールズ・ラッジオ[インクランドマネジャー,ツアーマネジャー]
クレイグ・ロス[レニークラビッツのギタリスト,93年にブラインドメロンとツアー実施]
シシー・シュルメイスター[アリスドーナッツのベーシスト,94年にブラインドメロンとツアー実施]
シェリー・ショウ[ガンズアンドローゼスとブラインドメロンのIMCのエージェント:売り込み担当]
スーザン・シルバー[サウンドガーデンとアリスインチェインズのマネジャー]
リサ・シンハ[シャノンの長年のガールフレンドで,シャノンの娘であるニコ・ブルー・フーンの母親]
デニス・スキナー[キャピタルレコードの製品マネジャー]
ブラッド・スミス[ブラインドメロンのベーシスト]
クリス・スミス[ブラッド・スミスの兄弟]
キム・スミス[ブラッド・スミスの妻]
ロジャー・スティーブンス[ブラインドメロンのギタリスト]
マーロン・ストルツマン[ブラインドメロンの友達]
マイルズ・タケット[インクラインドギタリスト,チェリスト,’Soup’でチェロを演奏。94年のウッドストック他多くの曲で共演。メンバーと親しく,相互に影響を与えた。]
キム・テイル[サウンドガーデンのギタリスト,91,93,95年にブラインドメロンとツアーを実施]
クリストファー・ソーン[ブラインドメロンのギタリスト]
ヘザー・ソーン[クリストファー・ソーンの妻]
トラビス・ワレン[現在のブラインドメロンのシンガー]
ブライアン・ウィトス[インディアナ時代からのシャノンの友達,メリッサ・ウィトスの夫]
メリッサ・ウィトス[インディアナ時代からのシャノンの友達,ブライアン・ウィトスの妻]
バズ・ゾラー[フラワーヘッドのギタリスト,92,93年にブラインドメロンとツアーを実施]
MuchMusicの会員リスナー:自伝を書く機会があるとしたら,最初の段落はどんな言葉で始めたいですか?

シャノン:”なぜ?”だね。
           シャノンの少年時代
リチャード・シャノン・フーンは,1967年9月26日,インディアナ州,ラファイエットで生まれた。
ネル・フーン:沢山の雑誌や新聞は,シャノンが悲惨な少年時代を送ったと書き立てている。シャノンは生まれた時から甘やかされてダメになった,十分な愛情を与えられずみんなシャノンを嫌っていた…警察以外は(笑)だとか。だけど彼は本当に可愛がられていた。だから,もし私が何か悪いことをしていたのだとしても,彼の父親が同じように何か悪いことをしていたとしても,私たちが彼をとても可愛がったことは事実よ。私の娘のアンナ[シャノンの姉]がいつも”シャノンは選ばれた子供だった”って言っているわ。彼は愛される運命を持った一人だって。また,娘はいつも自分やトム(シャノンの兄)よりもシャノンは特別な存在だったって言ってる。トムは素晴らしい男なのに誰も彼のことを話そうとしないって。私の二人の孫は今軍隊にいる。そのうちの一人はもう二度もイラクに行ってる。そしてきっと彼は3度目の準備をしているわ。アンナは,みんながいる限り,シャノンがここに来ようとしなかったことをきっと神様は既に知っていたって言ってた。だから彼は特別なんだってね。
シャノン・フーン:俺の故郷はインディアナポリスから一時間ほど離れたラファイエットというところなんだけど,そこはトウモロコシ畑しかないところでね。ガキンチョはトウモロコシの房をよく引っこ抜いてた。それはちょうどあんたがトウモロコシの先端から出てる小さい房を引き抜くようなもんだ。なんであんたがそんなことをするのかは分からないけどね。
ネル・フーン:私たちはシャノンが大きくなる間ずっと田舎で生活したわ[インディアナ州 デイトン]。そこはラファイエットから6マイル離れていたけど,私たちはそれよりもっと遠くのグラベル通りというところに住んでいたの。シャノンは,棒を銃の代わりにしてそこらじゅうを走り回ったり,木に登ったりしていたわ。私たちは15マイルも離れた学校までシャノンを送ったものよ。シャノンは良い生徒だったわ。暴れん坊だったけど,スポーツを続けるために必要な成績を維持していた。シャノンにとって最も厳しい罰は,悪い成績をとってレスリングとフットボールを続けられなくなることだったのよ。
シャノン・フーン:俺は全くの体育会系だったね。相手をぶん殴ること抜きにして,ピンボールは楽しめなかったよ。
ネル・フーン:シャノンはまだ小さい時から空手を始めていたわ。彼は異常なほど活動的だったのよ。彼は家の中を歩くことができなかった−いつも走り回っていたから。そして彼はすごく気難しい子供だったから,私は両親のところに行くことすらできなかったの。いつもこんな感じだったからよ『あら嫌だ!ネルとディック[シャノンの父親]が来るって!シャノンも連れてこようとしているみたいよ!』。彼らはシャノンを愛していたけど,シャノンはひどいいたずらっ子だったのよ。だから私はシャノンを医者に連れて行ったの。その時,医者はリタリンを処方したわ。だけど私はどんな種類の薬も彼に飲ませたくなかった。だから私はこう思ったの。「分かったわ。シャノンが自分をコントロールできないのなら,私たちがなんとかしましょう。」ってね。シャノンはとても背が低かった−当時三つの空手道場があって,そのうちの一つだけがシャノンの年齢でも通うことができた。シャノンは大きな成功を手にした−9歳になるまでに黒帯の初段を取っていたわ。彼はその歳では信じられないほどエネルギッシュで小さな選手だった。私たちは彼と一緒に旅をした。彼の父親と私は彼を7つの州に連れて行ったけれども,彼はこれまで一度たりともトロフィーを家に持ち帰らなかったことはなかったわ。彼はずっと選手として成長していたのよ。
シャノン・フーン:母親とは良い関係を保っているよ。俺は父親みたいな運動選手になれるように体を鍛えていたね。
ネル・フーン:実際,私は彼[ディック・フーン]に出会った頃のことを思い出せないのよ。シャノンは多くの点で彼の父親に似ているわ。ディックは沢山お酒を飲んだけれども本当に素晴らしい父親だったわ。大部分の人たちは,彼はそうではなかったと考えているけど,実際にはディックにとってシャノンは彼の人生そのものだったのよ。当時,ディックはレンガ職人で,私はデイトンのバーでマネージャーとして働いていたの。
マイケル・ケルシー:7年生の頃から,いつもシャノンのエネルギーには気づいていたよ。ある種のエネルギーっていうのは,何にも面白いことを言っていないのに人を笑わせるもんだ。ある種の目がくらむような個性は,人を引力のように引きつけるんだ。
ブライアン・ウィトス:奴と会ったのは,中学生の時のレスリングの練習でだったよ。そのとき俺が奴について感じたのは,チビで細い文字通りのガキだなってことだね(笑)俺。たちが互いを知ったのはスポーツを通してだった。俺たちは外ではいつも問題を起こしていたんだ。レスリングの試合のことを思い出すよ。高校生の頃,奴と俺は2つの体重別のレスリングのクラスに別々にいたんだ。奴は俺を完全に叩きのめした。さらには別のやつを担ぎ上げて,そいつを床に叩きつける前に俺たちのレスリングチームの方を振り返ってウィンクしたのを思い出すよ。奴はほとんどいつもパーティーの主役だったね。間違いなく惹きつけられるよ,笑顔がそこらにある限りはね。シャノンがパーティー会場に入ってくるとみんな足を止めて彼を見るんだ。短い髪とその他もろもろを合わせて,高校では奴はとてもハンサムだったからね。
リサ・シンハ:私たちはマカッチャン高校に一緒に行っていて,私はそこで彼と出会ったってわけ。確か84年ごろだったわ。私たちはスポーツを通じて出会ったのよ。彼はとても有名で,みんな彼が好きだったわ。彼は筋金入りのレスリング選手で,そして私は体操選手だったから,お互い近くで一緒に練習することが多かったのよ。お互いいつも気のあるそぶりをしていたわ(笑)。
そして全学年のみんなと一緒にトラックを走ったりしたわ。彼は棒高跳びの選手でもあったし,私は高跳びの選手でもあったの。だから私たちはいつも一緒にいることができて,お互いのことをよく知ることができた。また,彼はフットボールの選手でもあったのよ。
ネル・フーン:幾つかの新聞がシャノンは両親のためにスポーツをやっていたと書いているけれども,シャノンは何かしたくないことがある時は決してそれをしなかったわ。そうね,もちろん私たちは子供達がドラックに手を出さないようにスポーツをすることを勧めたわ。特にシャノンはスポーツに忙しくさせておく必要があったの。彼はどんなスポーツでもすごい結果を残したわ。彼はスポーツを本当に愛していたから,スポーツをし続けることは簡単なことだったのよ。
シャノン・フーン:俺は、少しでも左翼がかった言動をすれば、ひどい仕打ちを受けるような環境で育った。家に帰って当時の写真を見ると、そこにはきちんとした身なりをした短髪の体育会系の自分がいる。その写真の男の目に、俺は自分を守ろうとする当時の自分の姿を見ることができる。 当時のことはどんな時も決して忘れないし、俺の心の深いところに記憶されている当時の人々と仲良くやっていこうとする気は俺にはもうないけれども、そんなことはもはや俺にとって重要ではないんだ。
ブライアン・ウィトス:おれたちがやることと言ったら、喧嘩か女のどちらかだったね。俺が覚えているのは、あるハロウィーンパーティーのことだ。おれたちはでっかい喧嘩にまきこまれたんだ。4対4だったね。男が地面にシャノンを押さえつけたんで、おれがそいつをシャノンから引きはがしてやったんだ。その時にはもうシャノンは空手の黒帯をもっていた。その時俺は男を地面に抑え込んでいたのを覚えている。シャノンはスローモーションのようにゆっくりと立ち上がってきて、男の後頭部を蹴りつけたんだ。俺は”マジかよ”って感じだったね。もう言葉も出ないというか。その後、その男は俺を芋の入った袋のように放り投げて、シャノンを後ろの野次馬のところまで押していったんだ。その時、誰かがナイフを抜いて、シャノンの背中を刺したんだよ。結局奴は17針も縫う羽目になった。可笑しいことに、後頭部をけられた男がシャノンに掴みかかり、押さえつけた後にこう言ったんだ。『お前は病院へ行った方がいい』ってね。
リサ・シンハ:彼はファイターだったわ,でも彼の父親もファイターだったのよ。
ネル・フーン:町のどこかでトラブルが起こったとしたら,シャノンが関係しているほうに賭けたほうがいい。きっと彼が友達を助けているはずだから。バーで喧嘩があったならシャノンはそこにいるはずよ。彼はいつも巻き込まれていたから。彼はきっとやられている人を見つけて,助けようとしていたんだと思う。だってシャノンはすごくタフだったから。あるとき彼のいとこの一人が喧嘩に巻き込まれて,そのいとこは自分を守ることができなかったから,シャノンが代わりに戦ったの。十中八九シャノンは牢屋へ入った中の一人だったわ。彼が口を閉じていた方が良い時はいつも騒がしくて,結局は口を開いて巻き込まれることが何度もあった。だから彼が現場にいたら,いつも警察は彼を牢屋へ連れて行こうとした。このことについてはとても心を痛めた。だってシャノンがいつも悪いわけではないと思っていたから。私は何度も彼がラファイエットの警察に連れて行かれるのではないかと考えた。誰もが自分の名前を持っているけれど,ここではあなたがそこにいたただけで、あなたは牢屋に行くことになるってことを意味しているのよ。

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