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クラシックマジック研究コミュのジャグラー都一

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ジャグラー都一(Juggler Toichi 1909?〜1960?)

昭和期に活躍したマジシャン。本名、小田登。神戸市役所勤務の傍ら城地都夢(ジョージ・トム)の名で活躍。一陽斎正一に師事し一陽斎都一となる。昭和29年(1954)4月ジャグラー家再興を師から託されジャグラー都一を名乗る。得意技は一陽斎派の胡蝶の舞楽、金魚釣り、メリケンキャップ、紙幣焼却、5枚カードなど。駅の階段で転倒した際に手をかばったため、あるいは折れたメガネが頭に刺さり死去したと言われる。門下には一陽斎秦玉、ジャグラー禎一、ジャグラー晴一らがいる。

参考文献
『日本奇術文化史』p385

コメント(3)

「中国古書の一説をひもといて、江戸末期の奇術の名人柳川一蝶斎が心血をそそいで創作し、「胡蝶の舞楽」と名づけ坐して演じたものを、現代に至って筆者立ち技で上演し、しかも若き方々にも興味深く鑑賞できるよう、庶民的な味をもったものに改案したのである。

 養老滝五郎なる人が、養老派独特な蝶を創ったので、演じ方にも今では柳川派と養老派の二つがある。この話はもう三十年ほども前のこと、わたくしがある片田舎の劇場に行ったとき、若い頃、手妻師だったという老人(当時既に70歳をすぎるとか)が来訪され、親しく伝え習い、また聞いたものである。

 現在、大阪で帰天斎正一という老奇術師が、養老派の「蝶」を演じられていますので、一度暇をこしらえて門を叩き、柳・養二派の相違点と養老派の演じ方を、『奇術研究』愛読者のみなさまへ、お報せする機会を早く得たいものと考えております。」

ジャグラー都一『奇術研究6号(1957)』p7
「消息
ジャグラー都一師(本名は小田登)

九月二十八日の夜、京都市四条の南座における日立演芸会に出席され、のち、帰宅すべく京都駅発午後八時五十五分の神戸行急行に乗車せんとした際、駅ホームにて転倒して頭部を強打され、出血多量のため、意識不明に陥り、駅前の福島病院(下京区七条新町北)に入院加療中。昏睡状態が持続して、かなりの重症の由。一日も早く回復されて、舞台人としてのご活躍をお祈りする。因に、師は独特な芸風をもち(本誌第十八号新載「日本奇術師素描」参照)ステージマジシャンとしては、保田春雄師とともに双璧と謳われている。

本号印刷中、十月五日午前、師の訃報に接しました。わが奇術界、稀に見る名手を失ない、等しく痛惜に堪えない。ここに衷心、哀悼の意を捧げ、ひたすら師の冥福をお祈りする。」

『奇術研究19号(1960)』p47
「一つの手練奇術を、どうにか形にするには、だいたい一千回の練習を要する。それを芸として売り物のするには、さらに三年から十年の年季を必要とします。一にも練習、二にも練習、三にも練習ですよ」

「アマチュア奇術の隆盛をみた現在、金で買えるネタ物を演じていたのでは、アマチュアと同じことを繰り返すことになって見劣りするのが当然だ。だから、新しいアイディア第一で、見物人に受けること絶対まちがいなしのステージ マナーのある演出でなければ、プロとしての値打ちはない。つまり、わたしの芸道の方向でもありますが、なんどもいうように、稽古に稽古を重ねて、技を磨いてこそ、初めて見物人の前でご披露できるのです。技巧の洗練は、一種の美しさをかもし出すものですが、不思議な主題に、美しい感覚をともなってこそ、ほんとうの奇術の芸というものです。」

『奇術研究18号(1960)』p26

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