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クラシックマジック研究コミュの松旭斎 天洋 Tenyo Syokyokusai

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松旭斎 天洋 Tenyo Syokyokusai(1888〜1980)

本名、山田松太郎。天一の親戚筋にあたる(姪の子供)。
天一門下に入門し、天松と名乗る。
天一からは、サムタイを直に教わったという。
その後、天勝一座の野呂支配人に薦められ天洋と改名する。
天勝一座の旗揚げなどにも協力するが、自身も一座を組み、活躍する。
1931年(昭和6年)にはマジックショップ天洋(奇術用具販売店)を設立。三越デパートに出店し大いに流行る。これがのちの(株)テンヨーとなる。
戦後は主に四男の山田昭に(株)テンヨーを任せ、さらに発展を遂げる。
進駐軍からのショー依頼ではマジシャンの全権を握り、格付けを行っていた。
「松旭斎でなければマジシャンではない。」という名言を当時残したといわれている。
それくらい、松旭斎の発展と広がりに尽くした功績は計り知れない。
著書に『奇術と私』(テンヨー、1976)がある。
直系の弟子では、引田天功と島田晴夫が有名である。
引田天功を受け継いだプリンセステンコーは、この天洋系の流れになる。
現在最高齢の松旭斎である天暁は天洋系である。

コメント(4)

『◆奇術界のドン 松旭斉天洋さん◆
松旭斎天一、天勝の流れをくむ松旭斎派の総帥として君臨し、日本奇術界の総元締めであると思っていた。
「とんでもない。松旭斎の名前なんて、この頃では誰でも勝手に名乗っています。」』
P109近藤幸三著「□奇術■その魅力その世界」朝倉出版1984年

こうしたことからも当時、松旭斎の名前が勝手に一人歩きし、本家や宗家などには全く関係なく松旭斎を名乗る人物がたくさん現れていたようだ。
戦後の日本のマジック界において唯一、水芸を演じられる人が天洋だった。
その後、二代目天勝が南米公演のために水芸を始めたのが昭和26年ころである。
昭和31年、大映で映画化されたカラー作品の若尾文子主演『滝の白糸』の水芸指導は天洋である。
戦後、天洋は天一が行った「七変化」を再演している。その時に共演していたのが、天暁、天旭。
主役の天洋が、裃を着て和妻を演じ、ぱっと脱ぐと人力車曳きになる。
お客さんを乗せこんで争いが起こり、人を殺す。
お坊さんが現れたりする、など。
天洋が一人で何役もこなすという寸劇コメディマジックだった。

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