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大泉黒石コミュの著作・刊行物リスト

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私は卒業論文の一部として『大泉黒石 著作・刊行物リスト』の作成を行いました。
そのリストがこの度、学校の研究雑誌に掲載されることとなりました。
その中身を少しずつ、ここに書いていこうかなと思ってます。

疑問点等がありましたら続けてコメント下さると嬉しいです。

コメント(12)

初めて書き込みさせていただきます。えーじと申します。

「著作・刊行物リスト」、期待しております。黒石の名は十数年前、『幻想文学』という季刊誌(の別冊?)に掲載されていた「黄夫人の手」という短編を通じて知りました。その独特の文体に惹かれましたが、その頃出ていた緑書房版全集までは金銭的に手が届きませんでした(浪人中だったし…)。講談社学術文庫から『ロシア文学史』というのが出た時も、いつか買おうと思っているうちに絶版になってしまい、これも持っていません。その後忘れかけていましたが、最近、浅羽通明氏の『アナーキズム』(ちくま新書)という本を読んでいたら、黒石の名前がチラッと出てきて久しぶりに思い出し、このコミュを見つけた次第です。

大泉滉さんのお父さんだったということも初めて知りました。確かに似ていらっしゃいますね。私にとって「気になる謎の作家」であるこの人のこと、もっと知りたいと思います。どこか気概のある出版社が作品集かなんか出してくれたら嬉しいですね。

よろしくお願いします。
ありがとうございます。
今でもたまにはコクセキも出てくるようで、嬉しく思います。
もっっっと普及させたいです!!

昨日学校から出来上がった研究雑誌が届きました。
さらに、抜刷が大量に!!みんなに配り歩け・・・ってことですかね。。
しかし、形になったことが非常に嬉しいです。
国会図書館の論文検索で、今まで4〜5つ程度しかでてこなかったのに、そこに私のが加わることができるので!!!!(たぶん)
まぁ、それは・・・そのうちのそのうちのそのうち・・・でしょうけど。
ちなみに
『大泉黒石 著作・刊行物リスト』   です。
例の抜刷です。
雑誌名やら、大学名やら書きたい所ですが、
ここではやめておいた方が良さそうですね。
時間ができたら皆様にメッセージにてお知らせするかもしれません・・・
さて、スタートです。

1ーーー1917年11月

『トルストイ研究』

「杜翁の周囲(1)」

・大泉黒石全集未収録作品。
・確認できている中で、もっともコクセキの作品で最初に掲載されたもの。
(本人曰く、最初の作品は『中学世界』という雑誌。しかし確認できず)
・内容がすごい!!!驚くべきことは、1919年9月に中央公論で発表される「私の自叙伝」の元になっていること。
この時代、この環境でトルストイのことを鼻の赤いおじいさん扱い・・・
怖いもの知らずです。でもそれがコクセキです!  
2ーーー1917年11月 (大正6年)

『トルストイ研究』

「杜翁の周囲(2)」

→・大泉黒石全集未収録作品。
 ・1の続編。
 ・相変わらず・・・
  トルストイの研究誌なのに、トルストイのことをすごい表現している。。。
  だから他の作家たちに目つけられちゃうんです。
  そのせいか、これ以後『トルストイ研究』に
  載せてもらえることはなかったのです。
 ・もちろん、「杜翁」とはトルストイのことです!
 ・一般的にコクセキのデビュー作は
  大正8年11月『中央公論』の「私の自叙伝」と言われています。  
  確かに有名になって一躍脚光を浴びたのはこの時です。
  けれど・・・実はその2年も前に
  その元になるものを書いていたのでありました。
ほー、そうですか。トルストイ研究が最初の作品なんですか。
雑誌に載せてもらえなくなるって、どんなこと書いたんですか? コクセキにますます興味を持ちました。
1・2に関する内容

「老人はふと振り返った。鼻の頭が赤かぶのように赤くなって、今にも水鼻がその赤くなった鼻の頭から落ちそうに思われた。」
「爺さんの大きな横平な鼻の頭は蕪の根のように赤くなって、灰色の口髭にぶら下がっている鼻汁が、口をもくもく動かすたびに落ちそうであったが、爺さんは何時かなそれを啜り上げようとしない。」

→この爺さんこそがトルストイです。コクセキは青年時代トルストイに実際にロシアで会ったことがあり、しかもコクセキの故郷がトルストイの家の近くだった、ということだそうです。
 あと、「トルストイに田舎路で会って、石を投げつけたら、怒って真っ赤になって石を投げ返してきた。」という話も書いてあります。
 書いててなんだか恥ずかしくなってきました・・・
 しかも、この時期「トルストイズム」真っただ中ですからね。。。
 他にもありますが、とりあえずこれくらいで。
 『俺の自叙伝』『人間開業』どちらでも読むことができます。
 のちのち書く予定ですが、改題が激しいのです。
 
なるほど、トルストイを馬鹿にしたくだりというのは、そんな感じなんですねー。
こんばんは。
トルストイのコミュではありませんが、昨日の朝日新聞夕刊にトルストイの晩年に関する興味深い本が出たという記事が載っていました。大文豪も実生活は大変だったのですね。
詳しくは以下へ。

http://book.asahi.com/clip/TKY200702260290.html
ずっと放置していました。
コクセキの存在すら自分の中から消えつつありましたが、
こないだ卒論を見つけて、コクセキが懐かしくなりました(>д<)

著作・刊行物リスト、どうにかいつか仕上げたいものです☆
1・大正6年 1917/11 雑誌:『トルストイ研究』 「杜翁の周囲(1)」

2・大正6年 1917/12 雑誌:『トルストイ研究』 「杜翁の周囲(2)」

3・大正7年 1918/8〜9? 雑誌:『露西亜』 「露西亜の伝説俗謡の研究」

4・大正8年 1919/05 書籍:磯部甲陽堂 『露西亜西比利ほろ馬車巡禮』

◆1、2、4は今までに研究論文・エッセイなどで言及されていない。
◆また、全集にはすべて未収録。
5・大正8年 1919/5 『婦人問題』 「露国インテリゲンチャ婦人の民主的運動」

6・大正8年 1919/6 『太陽』 「オムスク政府建設史」

7・大正8年 1919/7 『解放』 「露西亜時事閑話ー鉄砲売りー」

8・大正8年 1919/7 『解放』 「露西亜水郷印象記」

9・大正8年 1919/8 『解放』 「露西亜時事閑話」

10・大正8年 1919/9 『中央公論』 「幕末武士と露国農夫の血を享けた私の自叙伝」

◆世間一般にはNO10の『中央公論』が最初に書いたものだと言われていたけれど、ホントはその直前に『解放』に連続で書いたりしていたことが分かった。

◆NO6〜9は他に言及された論文ナシ。

◆NO10は黒石の代表作で、これで一躍有名に☆★
⇒【全集第一巻にも収められている。ちなみに、『中央公論』の「説苑欄」に掲載された。】


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