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文芸の里コミュの潮のように 未完 2

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 奈美は地元から一番近い街にある大学の教育学部へ通学するようになっていた。新しくできた三人の学友がみんな車を持っているので、奈美も欲しくなったが、それはまだ口にせず、どうしても車が必要なときには、父の車を借りて、父の勤め先の村役場までタクシーで行ってもらうことにしていた。タクシー代は奈美が出費した。そのお金は彼女が自家の仕事のアルバイトをして稼いだものを充てていた。
 奈美が大学二年になって、母が腰を痛めたことから、重い荷の持ち運びができなくなり、二人の時間給のアルバイトを雇っていたが、奈美もその二人にならってタイムカードを押して同じ時間給のアルバイト代を稼いでいた。その額も相当嵩んで、もう少しで新車の購入に届きそうだった。学友の兄に車のディーラーをしているものもいて、その兄に会わせるとまで言われていたが、奈美は踏み切れないでいた。必要なときだけ、父に頼めば貸してくれるからだった。ただその時のタクシー代は、奈美のアルバイト代から出していたのだが。
 父親のタクシー通勤が三日ほどつづいたとき、父は役場から帰宅するなり、こう言った。
「今日職場で、からかわれたよ。『**さん、村役場の係長でいながら、タクシーの送り迎えとは、言い御身分ですな』だってよ」
「娘に貸せと言われたといったら、『それは娘さんに、車買ってと、ねだられているってことですな。買ってあげてくださいよ』
「そうだろうか」
「そうに決まってます」
と西山君は言って聴かないんだが、奈美、おまえの本心もそうか」
 と父は奈美に目を向けた。
「まさかあ。友だちも何人か車通学しているから、あったほうが便利だとは思うわよ。電車やバスの時間も待たずにまっすぐ帰って来れば、それだけ家の仕事も手伝えるしね」
「そうすればアルバイトの貯金も増えて、新車の購入にも手が届くというんだな」
「私は卒業して社会人としてのサラリーで、手に入れるつもりだから、今は必要なときは、パパの車で辛抱するわよ」
そんな奈美が、どうしても車が欲しいと言い出したのは、その年も暮が迫り、街角にジングルベルが流れるようになった頃合いだった。
車は欲しいが、新車ではなく、乗りこなした父親の車がいい。車を貰う代わりに、新車は父に提供するというものだった。そうするのは親孝行からではなかった。どうしても父親の古い車が欲しかったのである。
「どうしてまた、そんな奇妙な思いつきに取りつかれたんだ」
と父も母も訝ったが、奈美は事情は話さず、言い出した線を固持した。

 この辺りでそろそろ、大学で見初めた奈美の相手の男について、触れておかなければならないだろう。 
 その日、ドイツ語の授業があって、奈美は大教室に詰めていた。授業がはじまって少しした頃、後ろのドアから七八人の男子学生が教室に入って来た。一目で折り目正しさはなく、どう見てもアプレの印象が強かった。どんな社会の片隅にも、こうした食み出し者はいるものである、心から染まっているわけではなくても、一見してその柄が見えてしまうようなものたち。後ろのドアから雪崩を打つように入り込んできた一行は、単位の取得が正常にいっているとは見えなかった。おそらく四年間では卒業できずに、留年しているものも何人かいたのであろう。そういうはみ出し者は、単独で行動するよりも、同じような者のグループに与した方が生きやすいために、仲間に交じっている者が大半なのであろう。
入り込んできた一行のために、授業は一時中断されて、彼等が席に就くのを待つといった雰囲気になっていた。教授も黙認して、そう考えているらしかった。
奈美も初めから席に就いていた学生たちにならって、一行が空席を見つけて落着くのを待っていた。十分近くも遅刻して、それを悪びれることもなく入って来た者たちを、冷ややかな目で眺めながら、その中に一人、グループには所属していながら、どうしてもその中にとけこんでいるとは思えない者のいるのが、目の片隅に入っていて、心を落着かせなかった。遅れて飛び込んで来た者たちの、皆が皆頭髪がぼさぼさだったわけではない。ちゃんと整髪剤で固めたり、ドライヤーをきかせている者もいたのでる。身だしなみなら、このグループの方が一般の学生より、総体的に決めていたのである。ただ奈美の目に飛び込んで来た一名だけは、頭髪がぼさぼさで髭も剃っておらず、上着やズボンにも整えたあとが見えなかった。表情はどうかというと、緊張感はなく、深く思い込んでいる印象も感じられなかった。ただ俯いて、その狭い視野の中に、彼自身を抱え込んでいるとでもいうような感じだった。
彼は奈美の前列一つをはさんで、窓際の席に坐った。奈美は斜め後ろから彼を観察する位置である。彼は何か思い込んでいるようでもあり、長らく思い悩んでいる間に、習い性のように、そんな表情が身についてしまったようでもあった。教科書は開いていても、目で追っている様子はなかった。そのしるしのように、彼はこっくりをしたのだ。すぐ自分の動きで目覚めたが、またこっくりをした。
「あの人、寝ていないんだわ」
奈美はそんな感想を抱いた。そんな彼に、奈美のどこからか愛情が湧くのを覚えた。
 授業が終り、教授は出席をとりだした。奈美は斜め前の彼に注目していた。最後の方だった。「サジョウ マサヒコ」が彼の名前だった。掠れた声で返事をした。サジョウ マサヒコ。奈美はその名を忘れないようにノートの下に書き留めた。
 

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