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文芸の里コミュのチョットコイ 完  15<マタイ 11・28>の巻

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 ☆チョットコイ 完



15 <マタイ・11−28>の巻


 姉が電話で、小綬鶏を町のあちこちで見かけると話していたのを思い出して、ぼくは市立図書館に出かけ、調べてみた。雑誌閲覧コーナーで、週刊誌をあさっていると、俳句の投稿ページに、こんなのが出ていた。
 囀りや
 なかに奇妙な
 チョットコイ
  〈舞坂町 みかん船〉
 舞坂町はここから相当離れているので、あのなじみの小綬鶏とは考えられなかった。国民の文芸とも言われる大衆的な俳句の世界に登場していることからも、町のあちこちで小綬鶏を見るという、姉の話に誇張があるとは思えなかった。
 そしてこの俳句の選者の寸評が面白い。ついでなので、それをそっくり写し取ってみよう。
〈私はまだ小綬鶏に出会ったことはありませんが、会いたい鳥のトップがこの鳥です〉
 会いたい鳥のトップとは、小綬鶏も有名になったものである。おそらく街のあちらこちらで小綬鶏を目撃したとか、チョットコイと呼びかけられたとかいう話が度々あって、心に留めていたとき、投稿された俳句の中に、この俳句を発見したということなのだろう。探せばこの鳥の記事は、ほかにも出てくると思えたが、小綬鶏にばかりかかわってはいられなかった。ぼくが当面しているテーマといえば、紫陽花の美と、その対極の萎れた紫陽花の醜を世に問うて、紫陽花の花の凋落時期を遅らせることはできないかという、大きな問題を抱えていた。それは紫陽花の花に限らない、高齢化社会を迎える人間の問題として、植物学者に鋭意取り組んでもらいたい素材だった。そんなことを考えながら植物図鑑のコーナーへ足を運んでいると、隣り合った児童図書のコーナーから突然、
「チョットこれ見て」
と女の子が仲間を呼ぶ声に、ぎくりとして足を止めた。しかしここは森の中ではなく、女の子の声も、チョットコイではなく、「チョットこれ見て」だった。それでもぼくの足は、呼びかけられた女の子の仲間と歩調を合わせて、児童図書のコーナーへ踏み込み、女の子が指し示しているグラビア写真の後ろに、その仲間の女の子と並んで立った。呼びかけに仲間が寄って来た気配に、
「お母さんカンガルーの、袋の中から、コアラの赤ちゃんが顔を出してる」
 と呼んだ女の子は写真の説明に入った。相手が写真を確認した頃合いを見て、
「で、しょう」
 と、仲間と勘違いして右後ろのぼくに、顔を上げた。女の子はいっしゅん目色に狼狽を見せたが、悪びれもしなかった。
「そうだね。それはコアラのあかちゃんだね。下にもそう書いてある。コアラのお母さんが毒蛇に噛まれて死んだので、カンガルーがお母さん代わりに預かっているらしいね」
 ぼくは付き添ってきた保護者のように、そう言った。
「コアラの赤ちゃん超かわいい」
 仲間の子が遅れて会話に参加してきた。

 その翌日のことだった。不穏なクマのニュースが、この街の人々の目を釘付けにして駆け巡ったのである。この街に限らず、全国放送として報道された。
 その突如起こった事件というのは、こうだ。ぼくの家とは、街の中核を挟み、南西に位置する山麓の住宅地だった。朝、これから出勤しようとしたその家の夫が、車に乗り込もうとしているところに、クマが現れ、男の首に咬み付いて押し倒し、着衣ごと胸を引き裂いて肝臓だけを抉り取って逃げ去ったというのである。夫のただならぬ声に、奥さんが飛び出して来て、夫がクマに襲われている現場を目撃して、悲鳴を上げると同時に、卒倒し気絶する。近所の人の目撃談で、クマは奥さんの悲鳴に逃げ出したらしい。しかもクマは、そこから二百メートルと離れていない場所で、第二の凶行に及んでいる。やはり出勤しようと車に乗り込もうとする男の背後から襲いかかり、同じ手口で肝臓を抉り取っている。熊の胆として珍重されてきた、その持主たるクマが人間の肝臓を狙ったというのだから、前代未聞の怪事件である。単にクマに襲われただけでは片づけられない、猟奇的な事件である。むろん報道では肝臓のみをあさったなどという生々しい表現はしていなかった。しかし七日前そのクマにかかわってきたぼくとしては、復讐にやって来たクマとしかうつらなかった。クマにとってはぼくでなくとも、人間であれば十分だったのだ。肝臓ばかりを狙うことだって、複数の人間を殺めるために悪魔の仕掛けた便法といえるだろう。ただ人肉だけが嗜好の対象なら、一人で十分だったはずだ。それはその前の動物実験で証明されている。クマは一頭や二頭の動物では満たされず、何頭もの鹿や猪を襲っている。クマからすれば、ただ一途に肝臓欲しさから凶行に走らざるをえなかったのだ。その結果クマは山から追放された。ぼくはそれに一役買って、高枝切り鋏で脅し、クマをたじたじとさせたのであった。クマの目にその状況が焼き付いていないわけはなかった。
 クマを海に追い払ってから、七日が経過している。イカダに乗って何日か漂流したあと、そのイカダが打ち寄せる波に乗って、舞い戻って来たのだ。ぼくにはそうとしか考えられなかった。クマはシロフクロウを相当怖れていたから、やすやすと山に戻って行けたとは思えない。それだからこそ、襲う相手を動物から人間に切り替えたのだ。味を占めたクマが、人間を襲うのを二人だけでやめるとは考えられない。死者は二人だけだが、負傷者は数人いたようだ。うまく逃げられたものもあったかもしれないが、クマのほうで捕まえてはみたが,あまりに華奢で、これでは目標の肝臓も小さいに違いないと、巨漢の男に目移りして、そちらへ突っ走ったともいえるのである。報道の記事によると被害に遭った二人の男性は、ともに大柄で、巨漢だった。これは大物の鹿や猪が狙われた例でも、事情を知っているぼくからすれば、容易に推理できることだった。
 どうしたら更なる悲劇を防げるだろうか。ぼくは焦った。テレビやラジオ、デジタル新聞に耳目を傾けるのも怖かった。しかしクマを追い出すのに手を貸した人間として、逃げてはいられなかった。どうすれば次の悲劇を防げるのか、できればあのフクロウに相談したかった。フクロウはぼくに、動物の世界に起こることは、やがて人間界で起こることの予兆にすぎないのだと語ったはずである。その手本を示すように、人間ではなく動物が直に介入してきたのである。本来なら人間の手によって引き起こされたかもしれないのである。山では実際にクマによる犯罪が引き起こされたのだから。ぼくは無性にフクロウに会いたかった。会って人間界に起こったことを告げたかった。そしてどのような対処方法があるかを尋ねたかった。
 外を市役所の広報車が、クマの被害を告げて外出を控えるように呼びかけて行く。
 広報車が走り去って辺りが静まったとき、レースのカーテンの窓に、爪で引っ掻くような、不協和な音がして、見ると鳩が翼をばたつかせながら、何か叫んでいた。ぼくは勝手口の木戸を開いて鳩を招いた。鳩は素早く木戸口まで飛んできて地面に降りると、小さなマリのようになって入って来た。ぼくは二羽の小綬鶏に続く山の来訪者として、ソファに迎えた。鳩は脚に言付けを巻いていた。それは五六本のごわごわしたクマの毛だった。相棒のクマが、どうしようもない相手を示すために提供したものと思えた。ぼくがクマの毛を指につまんで見ていると、鳩はそのぼくの胸に飛び移って、嘴をキツツキのように振り立ててつつきはじめた。
「分った。ぼくの肝臓を狙ってクマが街へ向かったから、気をつけよということだな。それをモリフクロウに言われてやって来たんだな」
 ぼくはそう言って鳩を両手に掴んでソファに戻した。フクロウに会いに行こうかとまよっていたところだったので、とてもそれどころではなくなった。

 ここで「ぼく」の視点では書けないところを、作者の視点で少々補っておこう。クマはイカダに乗って曳航されているとき海に飛び込んで逃げ出し、岬に渡って、そこを追放された山に向かって駆けだしたのである。シロフクロウの目が光っていて、山で生きていけるとは考えられなかった。頼みは相棒のクマだった。彼は自分を海に葬る行列には加わっていなかったから、頼めば匿ってくれると信じた。匿ってくれるからには、食べものだって与えてくれるだろう。そう思って相棒が獲物を銜えて引きずってくるのを、相棒の棲み処である穴倉で待っていた。そうすれば自分はそこから肝臓を引き出して食べ、残りの肉は相棒が食べ、更に残った屑は狐に処分させよう。そう考えて、うろついている狐にその旨を話し、だから相棒が獲物を捕まえるのに協力するように言った。そうすれば狐たちの貰い分も多くなると、けしかけた。狐は大きな図体のクマ二頭では、残る肉などないだろうと危ぶんで、そうクマに洩らすと、クマは言下に跳ねのけた。
「あんなもの臭くて食えるか。俺様に要があるのは肝臓だけだ」
 クマがそう凄んで狐を見るので、狐は自分まで餌食にされる気がして逃げ出してしまった。相棒のクマに訊いてみようとしたが、そのクマは木の実ばかりを漁っていて、別の穴倉に寝泊まりしていた。狐は今こそシロフクロウに取り入って、信用を回復するときだと考え、シロフクロウを訪れてクマに聞いた目論見を余さず話してしまった。シロフクロウは追放したクマが戻ってきたと知らされて、普段は大らかに見える広い額に皺を寄せて、苦渋に満ちた表情になった。殺処分は動物の世界でも禁じられていたのである。漂着していたイカダは、天の導きとも考えたのに、そうならなかったことが、新たな大きな悩みとなって浮かび上がってきた。相棒にも見捨てられたとなると、クマの行き先は限定されてくる。人間世界である。そこでモリフクロウのところに相談に行った。モリフクロウは、小綬鶏を通じて知った唯一の知人である人間に危機が迫っていると察して、すぐ鳩を呼んで、その人に伝えるように頼んだ。モリフクロウはその人の家を訪れたこともあり、隙だらけの人間であることも知っていた。しかもその人間が、イカダに乗ったクマを高枝切り鋏で脅して、陸から離したことも聞いていた。クマにとっては憎むべき人間であり、復讐するとすれば、いや人間界に活路を見出すとすれば、その人間の肝臓を抉り取り、食らうことがらはじめなければならなかった。

 ぼくは鳩の来訪で、モリフクロウを尋ねて行くのを断念した。行けば鳩まで遣わしてきた彼女の心配を無視するばかりか、フクロウがこの家でぼくに語った教訓を、まったく理解していないことになる。彼女によれば、動物の行いは人間に置き換えてみることが可能であり、むしろそう預言的に見るべきであるとも語っていたのである。
 ぼくに鳥語が判るはずはなく、彼女の意味不明な呟きや仕種を資源として、圧倒的に多い沈黙を通して、彼女の瞑想を送り届けるといった会見の内容だった。モリフクロウは森の中で、そうやって一羽だけで毎日哲学者のように瞑想しているのだから、場所をソファに移したからといって、大きな変化があるはずはなく、瞑想の中で諄々と湧いて来るものをぼくに送り届けていたに違いなかった。そういった対話であったから、その場では開けなかったものが、その後になって夢や時間の経過の中で、朧げに浮かんでくるものが多かった。
 ぼくはクマが狙っている人間はぼくだけでないことを知らせたくて、上質紙を細く切って、そこに人間の上半身の略図を二つ並べ、胸の辺りに赤いボールペンで×印をつけた。そして人間の隣に、二人を襲ったクマの略図を書いて鳩に見せた。鳩はもうこんなことが起こっているのかと、呆れた顔をして見入っていた。それから頭を低くしてソファの上を右から左、左から右へと慌ただしく歩き回った。あなたもクマにはくれぐれも気をつけてくれ、という身振りのようだった。分ったという合図に、今度はぼくが頭を何度も低く垂れた。書いた紙を細くたたんで鳩の脚にセロテープで貼りつけた。すぐにも引き返して行こうとする鳩を引き留め、テーブルに水羊羹の入っていた小さなビニール製の容器を四個並べ、そこに牛乳、オレンジジュース、リンゴジュース、イチゴジュースの順に注いでから言った。
「せっかく来てくれたのに、こんな慌ただしいもてなししかできなくて、申し訳ない。平和になったら、ここで宴会を開こう」
 鳩はせっかく注いだぼくの苦労をねぎらって、全部を一口ずつ飲んで、最後は一番好物らしい牛乳を三口飲んで、床に飛び降りると、せかせか勝手口まで走り、ぼくが木戸を開けるとバット火が点いたような羽搏く音とともに飛び立って行った。
 ぼくはリビングルームに戻ってテレビのスイッチを入れた。胸騒ぎがしていたがやはり三人目の悲劇が起こっていた。三人目の犠牲者は駈けつけていた警察機動隊の隊員だった。
しかも二十名の隊員を率いて装甲車で乗りつけていた隊長だったのだ。彼は上層とも連絡を取り、特異なクマの生態を、生きた状態で研究したいとの学者の意向をくんで実地に臨んでいた。二名ずつ分散して配置についていたが、クマは遠くから彼を認めると、真っすぐ飛び込んで来た。長身で堂々とした体格の彼は、クマの理想にかなってもいたのだろう。自分に向かってくると知った隊長は、まず空砲で脅し、次に麻酔銃で狙いを定めて待った。
「どうも奴は、俺を狙ってるらしい、目をそらさずに真っすぐ向かってくる」
 首に下げた通信機器で、コンビの部下に言った。
「隊長、私もそちらへ向かいます」
 部下は道一つ隔てて、クマを待ち構えていたのだ。
 麻酔銃の発射音がし、荒い息遣いに物々しい別の息遣いが交錯するのを、部下は走りながら通信機器で耳にした。そして悲劇は起こった。
 部下が距離にして数分の現場に駆け付けると、倒れた隊長の上にクマが乗って、隊長の首の辺りに咬み付いていた。部下は弾丸がクマを貫通して隊長に向かわないように、筒先の角度を街の方へ逸らして撃った。クマが隊長の上に崩れ落ちなかったことに、安堵はしたものの、力を残したクマが自分に向かってくるので、そのクマに二発目の銃弾を浴びせた。クマは今度は怯んで、部下とは逆方向に走り出した。力を落としてはいるが、まだ倒れない。部下はただちに救急車を要請して位置を教え、懸命に隊長をかばっていたが、逃げたクマを追わなければと、走り出した。目撃者の話から、クマは中心街をはしりぬけて、郊外の畦道をふらつきながら駆けて、物置風の小屋に消えたと知って、部下はその方向へクマを追った。
 クマは農家の物置に入り込んでこと切れていた。その前に救急車で病院に運んだ隊長の不幸を伝えられていた。悲劇だ。いたましい殉教だ。部下は傍にいながら無力だったことを悔いた。
 クマが車の入れない畦道の中の納屋で死んでいることから、死体を車道まで運び出すのがひと苦労だった。納屋は農家の母屋から七、八十メートル離れて、田の中に立っていた。クマの四本の足を天秤棒に括り付け、それを前二人、後ろ二人、都合四人の警察機動隊員が担いで移動させることになった。大きなクマだった。ヒグマに匹敵するほどの図体だった。
 ぼくはその様子を、新聞のデジタル版の動画で知った。クマの骸を農家の庭に置くのも躊躇われて、機動隊員は前へ足を進めた。デジタル版の動画は、そのあたりの情景にしぼって撮られていた。
 ぼくはその動画にひきつけられ、目が釘付けになった。担がれるクマに寄り添うようにして傍らをヨチヨチ走っている鳥がいた。吊り下げられたクマの横手から、顔を振り仰いで、何やら叫びながら伴走している。チョットコイだ! 
 ぼくはその画像を詳しく見るために、静止画像にする。叫ぶ鳥の嘴の先を、カメラの目線が追っている。農家の屋根の側壁が入っている。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい…マタイ11−28」
 かろうじて、そう読める。これだったな、小綬鶏がぼくに現れて、チョットコイと叫んだのは。そしてぼくに欠けていたのは、このカメラの追う目線だった。この静止画像の中では、チョットコイの脚から、風にそよぐエノコログサの穂、そして農家の側壁に記された聖句が、一直線に連なっていたのだ。
 この映像を撮るには、地面に片頬をつけなければならなかった。ぼくの写真には、この低い目線が欠如していた。
 ぼくは疲労にも似たショックを受け、クリックして静止画像を動画に戻した。クマを運ぶ機動隊員の掛け声や路傍の草の擦れる音に混じって、チョットコイ、チョットコイと小綬鶏の声は間違いなく入っていた。あの鶏だ。名前も付けてやらなかったあの小綬鶏だ。
    
チョットコイ・完 


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