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文芸の里コミュのSF 未完「9」 「子供のなかの子守唄」の巻

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 四歳になった翔太は、父親と動物園に行く約束をして、その日の来るのを、心待ちにしていた。しかし父親の職場は、週休二日制の大きな会社ではなく、朝早く家を出て、帰宅も遅く、息子と顔を会わせる機会も少なかった。そんななかで、二週三週は瞬く間に過ぎて行った。
 翔太は昼間の長い時間を、父親に動物園へ連れて行ってもらえる日を夢見て過ごした。数字は読めなくても、指を折って数えることは分かっていて、左右の手の指が全部折れてしまえば、一箇月の三分の一が過ぎたことを意味した。右の親指からはじまって、左の小指を折り終わったとき、翔太はカレンダーに向かって、クレヨンで赤く印をつけた。
 そうやって三つ赤い印が並べば、一箇月が過ぎるのだ。赤い印が増えれば、嬉しいというものではなかった。印は約束が果たされなかった、虚しい日々を教えているのである。翔太はクレヨンの赤い印だけでは満足せず、赤い印を青いクレヨンでまとめて囲い、さらにその上全体を、青で塗りつぶしたりした。
「翔太何なの、その青いのは?」
 母親が気になって、そう訊いた。息子の指運びを見ていると、カレンダーの空白部を青いクレヨンで塗りつぶしてしまいかねない、斑気のようなものを感じたからだった。息子は何も応えなかった。本人さえ気づかず、行いそのもが回答であることも不思議ではない。
「翔太も心待ちにしているのだから、今度の日曜日には連れて行ってあげてね」
 妻はカレンダーの印を夫に示して、そう言った。青く塗りつぶされた説明にはなっていなかった。
「うーん、日曜日はあいにく同僚の佐藤の結婚式なんだよな」
 夫は腕組みした手で、顎を擦って言った。
 翔太は既に寝てしまっていた。帰宅が遅く、このところ息子と顔を会わせていなかった。
「同僚、同僚って、先週はゴルフの付き合いで出かけたでしょう」
「仕方がないよ。先週は専務の付き合いだし、結婚式は俺たちが結婚したとき、さんざん世話をしてくれた仲間だからね」
 夫はそう言って結婚式に出席したが、新郎新婦が新婚旅行に旅立つのを駅に送ると、日のあるうちに帰宅して、息子をパソコンの前に坐らせた。動物園に連れて行けない罪滅ぼしに、YOU TUBEの動画で動物たちを呼び出してやろうと考えたのである。
「何がいい、キリンか、河馬か、ライオンか、縞馬か、虎か、狸か?」
 これだけ例を挙げているのに、それには乗ってこず、
「パンダちゃん」
 と息子は言いもしなかった動物の名を、しかもチャン付けで口にした。こいつマスコミに毒されているなと思ったが、言われるままにパンダを検索して出してやった。
 最近パンダの赤ちゃんが誕生したというので、新聞やテレビでも、「これで経済効果が240億円」などと動物園のある地元の商店街では大騒ぎしていたので、息子にパンダがいいなどと言われるといい気持ちはしなかった。
 しかし動物園行きを果たしていない負い目から、パンダの動画を検索して並べてやった。掃除をする飼育係の後を追って、脚に纏わる子供のパンダがいた。これがいい。父親もそんな気になって、サムネイル版をクリックして画像を引き伸ばしてパソコンの中央へと運んでやる。
 喚き声がして、動画のパンダの子どもかと思ったら、息子が洩らしたものだった。
 パンダ舎の掃除をする飼育係の女性の脚に、子供パンダが纏わりついて、離れようとしないのを、もぎ取るのに懸命になっていた。飼育係は脚から剥がしたパンダの子供を、パンダ舎の中に立つ枯木まで運んで、二股になった枝に掴まらせて、掃除の現場に戻る。すると枝に置かれたパンダの子供は枯木を這い下りて、また飼育係を追いかけて脚に掴まるのだ。もたつきながら走るパンダの子供の動きが、歩きはじめの人間の子供の足運びとも通じていて、ユーモラスだった。翔太ばかりか父親のほうも、面白がっているのは明らかだった。
「もう一回か」
 などと自分が見たさに、二三分でつきた動画をクリックして再生したりした。
 他にも似たような動画はあって、親と子供は厭かずに見入った。
「場所はどこだ。和歌山県か。ちと遠いな」
 近くの動物園にさえ連れて行けない父親は、実現が不可能でもない口振りで、そんなことまで言った。

 次の日から、父親はまたいつもと変わらない出勤がはじまった。翔太の前に日曜も祭日も、連休さえもなく過ぎて行った。
 翔太はカレンダーを赤と青で塗るくらいでは飽き足らず、オレンジや褐色や黄を加えて塗りつぶすようになった。それを見て母親は、吾が子に絵の資質があるのかもしれないと、冊子になった画用紙を買い与えたりしたが、翔太はカレンダーにしか興味を示さなかった。それも目の敵にするように、空白部を塗りつぶしていった。
 カレンダーの月が替わって、新しくなると、翔太は久しぶりに新鮮な風景に出会えた気分になって、居並ぶ算用数字を縦に割るようにして、一本の枯木を描いた。その幹にパンダの子供を連れて来て、掴まらせた。
「翔太、なあにその木に掴まっている変な格好をしたものは?」
「パンダちゃんだよ」
 と子供は言って、もっと木の上に掴まらせるのだったと悔しがっていた。しかしそんな心の内面は、母にも誰にも言えなかった。
「パンダちゃんなの。それなら、もっと綺麗な所に描いたらどうなの。数字がびっしり詰まったところじゃなく、ママが買ってあげた画用紙に描いてあげなさい」
 母がそう言うと、それを撥ね退けるように、
「違うよ、これは数字じゃなく、葉っぱだよ」
 と声を張り上げた。母はそれ以上子供に逆らうのを避けて、カレンダーの前を離れた。
 翔太は父親と見た動画で、解せないことがあった。枯木に置かれたパンダの子が、すぐにも木を離れて飼育係を追っていく場面だった。どうしてもっと木に掴まっていないのだろう。一口に、与えられるものより、自分から求めていくもののほうがいいから、などと片付けてしまえるものではなかった。そこで翔太は、彼なりにパンダの子に木を高く登らせたくてならなかった。自分なら、飼育係を追いかけたりしないで、上へ上へと木を登るだろうと思った。その願いを叶えたくてならなかった。

「ママはこれから買物してくるからね。翔太、おやつは何がいいの? バニラ、チョコレート、ストロベリー」
 と母が訊いた。翔太がぼんやりしているので、もう一度訊いた。
「翔太、何がいいのか訊いてるでしょう.いつものストロベリー味でいいのね」
「うん」
 と翔太は感心がなさそうに言った。
「変な子、いつもはあんなにうるさくせがんだくせに。それとも、翔太も一緒に買物に行く?」
 それにははっきりと首を横に振った。今は動物園以外に興味がなかった。
 母はそのまま出かけて行った。
 母親がいなくなると、ふと翔太に閃くものがあった。どうして今の今まで、それに思いつかなかったのか、不思議なくらいである。
 翔太がリビングのガラス戸を開けると、ベランダの中央に観葉植物のゴムの木が一本、己を主張するように立っていた。マンションの床には、不釣合いなほど、太くて大きな木だ。大きいといっても、鉢植えに植えられた木だ。
 一年前に他界した祖父が、丹精して育てた木なので、その息子である父親も手放せずにいるのである。毎年蝉が来て鳴いたし、雀や鳩もたまに来て留まった。もっと他の鳥が来ることもあったが、いつもゴムの木を見張っているわけではないので、鳥の種類までは分からなかった。
 翔太はゴムの木の植えられた瀬戸の大きな鉢に足をかけた。ひやっとしたが、むしろ心地よい感触である。ゴムの木の幹は、この季節を敏感に受け入れてぬくまっている。もう少ししたら蝉も来て鳴くだろう。
 これまでこの木を登る対象として見たことはなかった。
昨日父親とパンダの子供の動画を見なければ、思いつくことはなかったに違いない。そのときだって、パンダ舎の中に立つ枯木と我が家のゴムの木が繋がりはしなかった。それがつい先程、母親が出かけて一人になったとき、悪戯に唆されるように浮かんできたのだった。
 その思いつきに火がついたとなれば、取り除くわけにはいかなかった。山があれば登らずにいられない山男のように、身近に木があれば、登らないわけにはいかないのである。
 彼は今、ゴムの木の幹に手を這わせて、厚ぼったい葉の無造作な重なりの上に、青く仕切られたように覗く、深い青空に目をやる。あそこまで行くのは無理としても、厚い葉に仕切られた幾通りもの青い果実は、どうしても手に入れなければならない。そう思うと同時に、瀬戸の鉢から足を幹に移して、全体重をゴムの木に委ねた。体重を他者にあずけるという体験は、親に抱かれたときの体感が薄ぼんやりと残っているだけである。今こそ、この木の幹は、自分を支えているのである。あのパンダの子は馬鹿だ。こんなにしっかり支えようとしている木があるのに、それを見捨てて、飼育係の脚にしがみついていったのだ。
 翔太が二十センチ三十センチと登るにつれて、外の世界が広がってきた。翔太が住んでいるのは、マンションの三階である。建物自体は十階建てである。マンションのある土地は、森とまでは言えないものの、小公園として体裁を保っていて、木々も豊富だ。登るにつれて普段壁に隠されている木の樹冠の部分が見えてきた。それが意外に近いことに、今更のように驚いていた。しかしこのゴムの木のほうが高い位置にあるのだ。去年の夏、蝉が下の樹冠から湧き出すように飛んできたのも判る気がした。彼等は少しでも高い木を目ざしていたのだ。翔太が緑の葉に仕切られた青空を志向するように、高い木で鳴こうと決めていたのだ。
 翔太はさらに高度を増し加えて行った。するとゴムの木の揺れが大きくなってきた。彼は昨年震度五の地震を経験している。現在の揺れはそのとき程のものだ。彼は怖れと好奇心の板ばさみにあって、どちらに動くか自分でも分からなくなっていた。彼は登った。目を瞑って、周りの世界を消し、自分の内だけで闘おうとした。
 ふっと不安になり、目を開いた。揺れ方が自分では制御できないものになっていた。空が流れ、光が星屑のように目に飛び込んでくる。何とゴムの木だけでなく、瀬戸の鉢ごと嵐のように揺れているのだ。 
 さっきゴムの木に登ろうとして、鉢に足をかけたときは、固くどっしりしていて、びくともしなかったのに、どうしたことだろう。木と一体になって揺れている。
 自分に木を揺らすほどの力があるとは思えない。では今地震が起こっているのだろうか。敷地を挟んだ前のビルは、揺れていなかった。遠くのビルもしっかり建っているように見えた。ただ翔太は、揺れている自分の目で見ているから、そのビルたちが、しっかり不動の状態で建っているとは断言できなかった。ママに聴けばいいと思っても、スーパーに出かけたきりだ。  
 翔太はそのママに救いを求めるというのではなく、泣き出した。一方その自分の泣き声に目覚めて、さらに上へと体をずらしていった。やりかけた仕事はやり終えねばならなかった。崩れた積み木は、積みなおさなければならなかった。彼は幹の最上部へと手を伸ばした。揺れ動きつつも、天頂に切り取られていた青い空を掴み取ろうとした。このとき木の揺れがいったん収まって、その代わりのように静かに傾いで行った。
 翔太は木と一緒に倒されていき、気がついたときは、手摺りの外の出ていた。木の揺れが変調をきたし、手摺りの鉄を支点にして、上下に揺れていた。翔太の足はゴムの木を離れて空中に泳いでいる。全体重を支えるために、手は幹を掴んでいたが、指は幹の太さを抱え込めるほど長くはなかった。腕と手の疲れは急速に高まり、押し寄せてくる。叫ぼうにも声が出ない。自分の声の代わりに、下のほうで叫ぶ女の声がする。母親の声ではない。女の声に誘われて、いくつかの声が重なってくる。慌しく窓やガラス戸の開く音がして、翔太は自分が注目の中にいる気がしてくる。
 転落したらどんなことになるか、そこまで考える余裕はなかった。指と腕の疲れが激甚に押し寄せてきていた。
 痺れたような感覚で、痛みはない。叫び上げる女たちの声にしたがって、木に掴まっていなければいけないとは思っても、体力の限界で、もうその時間はなかった。これで最期だな。曖昧な麻痺したような意識のなかでも、それは分かった。ひょんなことから、終りが訪れてしまったのだ。
 四歳の幼子は、残っている最後の力を振り絞って体を揺すり、反動をつけた。ゴムの木が、凝固したゴムの弾力を、一時に解放するときが来たとでもいうように、大きくしない、揺れに揺れた。その弾力の頂点に来たと、世界が認めた瞬時に、翔太は手を放した。燕のように滑空して、何メートルか飛んだ。しかし最後は力が失せて失速し、落下した。地上にではなく、二階近くまで伸びてきている松の樹冠へと落下した。そこはコウノトリの巣の上だった。まだ卵はなく、これから産卵とそれにつづく抱卵に入るための営巣を終えたところだった。そこへ天からの贈物のように幼子が降ってきたのだから、コウノトリの夫婦が驚かなかったはずはない。  
 そのときは雌が一羽産卵のために坐っているだけで、雄はいなかった。餌をあさりに出ていたのだろう。翔太が失速して落下したと書いたが、正しくは着地とすべきだった。巣の上に着地するには、その上で失速する必要があった。だから巣の上にまっすぐ降りるためには、そこで失速しなければならなかった。
 雌のコウノトリは、幼い子が降って来ると知ると、自分がつぶされるのを避けて、とっさに横に飛んだ。そしてすぐ巣に舞い降りて、幼子を観察した。産卵もしていないのに、こんなに大きな子が孵ってくるとは、奇跡といえる。不思議だ。しかし今は、それを訝っているときではない。天からの授かりものと見て、大切に迎え入れるときだ。そう考えてヒナ「?」に与える餌を探しに飛び立った。
 地上の木の下では、コウノトリの巣の上に落ちた幼子
を心配する大人たちが集まって、その数は見る見る膨らんでいった。ケイタイで警察に連絡し、間もなく救急車がサイレンを鳴らして駆けつけてきた。しかしどうやって、救急車が木の上の子供を救出できるのだろう。そう考えた群衆の中の中年男が、捻り鉢巻きをして木に登りはじめた。しかしこの男とて、木登りの達人ではあっても、どうやって幼子を救出できるだろう。それでもこの男の取った行動は正しかった。子供に近づいてみなければ、傷の程度とか、気絶しているか、いないか、最悪の場合は息をしていないなど、つぶさに観察して地上に伝える必要があったのである。
 救急車が到着して二人の警官が降りてくると、木を見上げてマイクで叫んだ。
「傷の状態を教えてください」
「見た感じでは、傷はないようです」
「どんな格好で倒れてますか」
「仰向けです。目は動かしていますが、声は出していません。泣いていません。呻いてもいません。ただ目をぱちくりさせているだけです」
 このとき餌を探しに行った雌のコウノトリが、口に長いものをくわえて戻って来た。
「何だあれは」
 警官の一人が声を大きくした。
「蛇じゃないかしら」
 集まっていた主婦の一人が言い、それに主婦たちの声が交じって、どよめきとなった。まさかとは思うが、長くて動いているとなると、ほかにどんな解釈ができるだろう。
「梯子車か、ヘリか。木もあり、建物がせまっている周囲の環境を考慮すると、梯子車が妥当でしょうね」
 警官の一人はマイクをケイタイに切り替えて声を送っている。
 木に登った男が、コウノトリと遭遇した。
「うっひゃー!」
 そんな悲鳴が男から洩れた。コウノトリは銜えてきた獲物を、いったん巣の上に置いた。巣に接近した男を撃退させなければならなかった。そのためには嘴を自由に使えるように空けなければならなかった。都会で生活するコウノトリにとって、人間は敵ではなかった。見かけない捻り鉢巻きこそが、目の敵にしなければならない存在だった。それで空いた嘴を捻り鉢巻きに向けてきたのだ。男は命の危険を感じて、巣を離れ、木を滑り降りた。嘴に摘まみ取られた捻り鉢巻きが、一本の手拭いとなって建物の間を木の葉のように舞い落ちていった。
 男は更なるコウノトリの攻撃を逃れて、松の木を降りながら、
「ウナギ、ウナギ、蛇じゃなく、養殖池からかすめてきた、ウナギ。子供に命の心配はないね、安心、安心」
 そんな言葉を断片的に吐き散らして地上に立った。

 間もなく梯子車が到着し、幼子は無事救出された。傷は一つもなく、自分に何が起こったのか、それが分からないでいることが、唯一心の喪失といえば言えそうだった。
 騒いでいる所に、母親が買物から帰って、翔太が梯子車で保護される所をつぶさに見た。もう一つ自分の住むマンションのベランダの手摺りに、顔を出して倒れているゴムの木の有様を見た。
 検査のため、翔太には入院の処置が取られた。

 病院には夫が駆けつけて、関係者に頭を下げていた。昨日息子に見せたパンダの子供が木登りをする映像のことも正直に話した。息子にせかされている動物園行きの約束を、果たしていないことが、今日のお騒がせの原因になったと告白した。また観葉植物としては、マンションに不釣合いなゴムの木を手放す決断をした。

 一週間後、正確には六日後になるが、日曜日が廻ってきた。
「動物園に行くぞ!」
 父親はいささかの躊躇いもなく、息子に言い放った。妻は粗品を持って近所まわりをするために、今回の動物園行きは断念した。
 父親に言われ、翔太は一瞬顔を曇らせた。しかし彼は今回の事故を通して、大きく成長していた。それはあのパンダの子供たちが、掴まされた木を離れて、飼育係を追い回わしていた幼心が分かったのである。それはパンダが生まれたときから、ミルクを与えられ、排泄にいたるまで、世話を焼いてきた飼育係の乙女たちは、パンダ舎に立つ一本の木より、ずっと大切な、なくてならぬ存在だったのである。コウノトリにウナギを口に押し込まれそうになって、必死にそれを拒みながら、コウノトリの目が真剣に切なそうに見開かれているのを目の当たりにして、パンダの子供の心が理解できたのである。
 ウナギを寄せ付けない翔太に身を揉んだコウノトリの雌は、ウナギを足で押さえて嘴で切り刻み、細切れにしていった。その中から、骨のない一切れの白身を摘むと、幼子の口に持ってきた。翔太はいらないと首を左右に振ったが、これ以上コウノトリの親を苦しめるのに忍びなく、差し出された肉片をそのまま口に入れた。母親がよく買ってくるバニラ味のアイスクリームと似ていた。
 今日買物に出るとき、何味にするか訊かなかっただろうか。ストロベリーと応えなかっただろうか。これはストロベリーとは違うなと、翔太は思った。しかしもう首は振らなかった。ともかくも幼子が肉片を口にしてくれたので、コウノトリの母親は次の肉片を用意しようと、足元の解体したウナギに嘴を伸ばした。
 救助の梯子車がするすると昇ってきたのは、そのときだった。コウノトリの母親は狂乱状態になって、梯子車の先端に立つ救助隊員の男を攻撃した。こうなることを予測して準備していた麻酔銃を、至近距離から撃った。
 コウノトリは翼を防禦服のように使用して緩やかに羽ばたき、木の根元に人間の酔っ払いのように横たわった。翼を半分開いたまま。そのコウノトリを、梯子車に随行してきた動物園の車に運び込み、走り去った。そのコウノトリの今後がどうなるのか、報道はなかった。元の場所に放されるとは、ちょっと考えにくかった。近くには自分に託された幼子を護ろうとして命がけで闘った、その幼子の住むマンションもあるのである。
 しかも仰天同地の異変に遭遇したコウノトリの雄は、あれ以来一週間にもなるというのに、一度も姿を見せないのだ。そんなところに、悲劇の雌鳥を放すとは考えられなかった。いやしくもコウノトリは、特別天然記念物にも指定されているのである。
 そんな鳥が都会の真ん中に生息していたこと自体が解せないことで、テレビや新聞の報道もある種の曖昧さに包まれているのは止むを得ないのかもしれなかった。
 人間の飼育係とパンダ、動物の鳥と人間の幼子、立場は逆になっているが、翔太はパンダの子供の心がよく分かったのである。
 父と子は動物園の鳥類のコースを辿り、コウノトリ舎の前に立っていた。少し離れた水辺に三羽の鳥が瞑想する物腰で立っていた。脚と嘴が黄色で、黒い嘴をしていたあのコウノトリではなかった。曖昧な扱いをされていたあのコウノトリが、ここで保護されているとも限らなかった。
 翔太はコウノトリ舎の金網に左右の指を食い込ませて見ていたが、あのコウノトリはどこからも出てこなかった。
 父と子は順路に沿って歩き出した。ペリカンやフラミンゴやツルといった大型の鳥園を過ぎると、何の変哲もない草原になった。そこを山鳥やそれに類する鳥がひょこひょこと歩いていた。そのとき翔太は、異様な声を耳にして足を止めた。
「どうした」
 父親も足を止めた。
「チョットコイって鳴いた」
 父親にその声は聴こえなかったから、息子の背を押して歩みを進めた。鳥園がつきるところで、息子はふたたび足を止め、
「また鳴いた」
と後ろを振り返った。

 父と子は動物園を出ると、休日の人で賑わう下町の飲食店街を歩いた。初夏に入ったばかりで、土用には遠かったが、鰻屋は活気に満ちていた。鰻を焼く煙と匂いのせいもあるだろう。店の入口に何気なく銀色のバケツが置かれ、中に生きた見本のウナギが一尾、身を沈めていた。そのバケツに、うっかり翔太が足をぶつけたらしく、ウナギが浮上して水面を叩く音が弾んだ。この音は父親の耳にもはっきり聴こえて、
「ここにするか」
 と息子に訊いた。翔太が頷くのを見て、二人は鰻屋の暖簾をくぐった。父親は生ビール、息子はサイダーを前にして、鰻丼の運ばれてくるのを待った。
 このときから翔太は鰻丼が好物となり、その出費も馬鹿にならず、父親も同僚と梯子ばかりもしていられなくなった。

子供のなかの子守唄

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