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文芸の里コミュのSF 未完「5」 羊と山羊の巻

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ショッピングモールに付設した公園のベンチで、僕は電子本を読んでいた。というより一冊読了して、次に何を読もうかと端末の中を物色していたと言ったほうがいい。
 今まで通路を挟んだ前のベンチに集っていた老人たちが、近くの店舗に散ってしまい、辺りはひっそりしていた。<そして誰もいなくなった>と僕は呟いていた。〈そして誰もいなくなった〉は今まで物色していた端末の中に出て来たアガサ・クリスティーの小説のタイトルだった。そのタイトルと僕の身辺の状況が近接してきて、思わず口をついて出て来たというわけだった。
 次に読むのはこれだな、僕は何となく目星をつけ、前のベンチに再び目をやった。誰もいなくなったベンチには、一匹のネズの猫が毛繕いをしていたのだ。したがって、誰もいなくなった、と嘆息する資格のあるのは、僕よりこの猫のほうかも知れなかった。
 考えてみると、いや考えてみるまでもなく、僕がここショッピングモール公園のベンチにやって来たとき、通路を挟んだ前のベンチに、この猫はいたのである。猫は日だまりに心地よさそうに寝そべって、肩といわず背といわず舐めていたのである。僕がこちらから口を鳴らして呼んでも、見向きもしなかった。むきになって呼ぶと、一二度顔を振り向けたが、一瞬のことで、それからはまったくの無関心だった。うるせえなあ、とくらいは思っていたのだろう。そこに老人たちが三々五々集まって来て、猫の動きが活発になった。老人たちが猫に与える餌をそれぞれに取り出して、与えたからである。
 これがあるから、僕がいくら呼んでも振り向かなかったわけだ。僕は猫の現金さが分かって、それはかねがね自分の感じてきた猫のイメージと大きく隔たってはいなかった。一方でごく最近耳にした猫の評価を納得できないものにした。それは梟が神から聴いたとする動物のランク付けに、首肯できないものを感じたからである。
 外形の見立てからでは、心の内まで見ることのできない人間が、判別しやすいように、神はさまざまな動物を創って人間の選択を助けていると、梟は僕に教えたのである。その上で、人間は同じ顔かたちをしていても、羊と山羊が入り混じって生活していると語った。それによると、さまざまな動物も、羊と山羊に分けられるのである。
「犬は飼主に従順に見えても、犬は山羊なのよ」
 と梟が語ったとき、僕は即座にいくつかの事例を挙げて、異をとなえた。実際最近ぶつかった涙ぐましい体験を話して聞かせた。
 よく出かけるスーパーでの出来事だった。そのスーパーに一人暮らしをしているらしい老人が、犬を連れて買物に来ていた。犬を店内に入れることはできないから、自家用の自転車にロープで繋いでスーパーの外で待たせていた。犬は店から人が出てくる度に神経を集中させ、飼主を見失うまいと必死だった。自転車で来ているのだから、ロープで自転車に繋がれている犬が置き去りにされることはないと分かっていても、犬の不安は、出て来る人出て来る人、確認しないではいられなかった。
 一時間も経過して、いつもなら出て来ていいはずの飼主の老人は現れなかった。犬は不安のあまり、明るい店内に向かって二声三声短く吠えた。声を聴けば、買物の途中でも出て来てくれるとでもいうように。
 さらに二十分も待ち続けていると、青褪めた表情の老人が一人の男の店員に連れられて出て来た。しかし犬と自転車を無視して歩み去り、その表情は何とも険しく冴えなかった。暗く希望がなかった。何か良からぬ事態に見舞われたなと、犬は直感した。飼主を引っ立てていく男の店員が悪者に違いないと判断したが、吠えて噛み付くようには育てられていなかったから、様子を見るだけでとどまった。スーパーを離れて、帰り道とは別の方向に消えた老人を待つ犬の心境は、どんなものだったろう。
 僕はどういうわけか、そこまでは目撃したのである。しかもその後、スーパー近くの書店に寄ったり、ゲームセンターでパチンコを弾いたりして、時間をつぶし、さて帰宅しようとして、スーパーの横を通ったときもまた、この犬に遭遇していた。僕の目に留まったのは、横倒しになった自転車を引っ張って進む、涙ぐましい犬の姿だった。いくら力んでも横転した自転車を引くのは、バンバ競争をする馬ほどの力を必要としただろう。犬と自転車は、まだスーパーの敷地内だった。犬は舌を出して喘ぎ、前進しようにも自転車のペダルが窪みに嵌って動かなくなっていた。そこにスーパーの店員と老人が戻って来たのである。
 老人は自分の犬と自転車を認めて足を止めた。
「あんたの自転車か?」
 と店員が言った。
「へい」
 老人は大きく頭を下げてうべない、横倒しの自転車を見下ろしていた。犬は喜悦を全身に現して、尾を固めて振っている。尾の振りが固いのは、店員への敵意に違いなかった。
「爺さん、二度と商品には手を出すなよ。刑事さんも言ったように、今回は目を瞑ってやるからよお。二度としたら容赦しないよ」
「すいませんでした」
 老人は二度三度頭を下げた。店員はそのままスーパーへと歩み去った。

 あの犬は老人がどんなに貧しく、惨めな状況にあっても、そんなことで飼主を見捨てるようなことはしなかった。その犬の飼主への従順には、曇り一つなく、美しかった。にもかかわらず、その犬が山羊であるとは、どうしても承服できなかった。しかしそれを持ち出して、いくら梟にたてついてみても、神に逆らうだけだった。梟は神にのっぴきならぬ方法で教えられたものを、僕に告げただけだったからだ。

 僕は再び前のベンチに横たわる猫に目をやった。猫は毛繕いを終えて目を細め、モールの上に浮かぶ白い雲のあたりに視線をやっていた。買物に散って行った老人たちが、買物をして戻って来るのを待っているのだろうか。梟が僕に話したところによると、猫は羊だった。猫が羊というのも解せないことだが、神がそう教えたというのだからしかたがない。これは犬が山羊というのと同じくらい、消化しにくい問題だった。この逆であったら、納得できたのかもしれない。つまり、猫が山羊で、犬が羊に分類されていた場合だ。
 そんなことを考えていると、猫が急に立ち上がって、落ち着きを欠いた動きをはじめた。老婦の一人でもやって来たのだろうか。しかし猫はモールの方角ではなく、その逆の方へ気を配ってあたふたしている。その方角から、鈴の音がチャラチャラしてすぐ、猫は意を決したとばかり、ベンチを跳んで、二つ三つ大きな跳躍を見せて僕のベンチへ向かって来たのだ。しかも僕の脚の裏側へと回りこんで、人間の脚を盾にするべく、体を屈めたのだ。逃げ込んだ猫を探して、追っ手のごとく走り込んできたポメラニアンとダックスフントがいる。二匹は鈴を鳴らしながらロープを取る婦人の手を引っ張って、僕の脚の後ろに逃げ込んだ猫を探し当てた。二匹の体重を併せても、どっしりした一匹の猫の重さに満たないほど、まったく怖さも凄みも感じさせない、ペットの弱弱しさだ。何故このしっかりした骨格と体重を具えた猫が、こんな飾りみたいなものに怯えているのか。二匹は僕の脚の後ろに隠れた猫に、挑みかかろうとして、キャンキャン声を張り上げている。
「タロちゃん、ジロちゃん、そんな弱い猫をからかっちゃ、いけません」
 婦人はそう言って、ロープを引っ張った。
 僕は猫を犬の視線にさらしてやろうとして、開いていた脚をできるだけ閉じてやった。すると体を横向きにして蹲っていた猫は前向きの体勢になって、僕の脚の後ろに小さく身を屈めた。

 このとき僕の中に、思いがけなく隻句が閃いた。冷酷なものほど強いという片言だ。猫より犬の方が強いのだ。弱ければ人間がかばってやらなければならない。というより、あんなに馴染んでこなかった猫が、人間の脚を盾にして逃げ込んできたのだ。弱いのが羊で、強い方が山羊ということか。僕は梟の言葉を反芻しながら、そう呟いていた。
 しかし、そうはいっても、犬を山羊として扱うには、十分納得するまではいかなかった。あの従順な犬を、山羊の分類に入れるには躊躇いがあった。
 僕の前で喚き散らしていたポメラニアンとダックスフントは、強引に婦人にロープを引っ張られて、離れて行った。一歩遅れて、猫も姿を消した。僕は「そして誰もいなくなった」を注文して電子書籍をダウンロードした。
 僕も間もなくそのベンチを後にして、気晴らしのために、これまで踏み入れたことのない街なかへ分け入った。どうしてか、歩き回らずにはいられない心境だった。
 街は寂れていき、木立が多くなった。木立の暗い陰が及んできて、得体の知れないものに捉えられているような気になった。
 目に見えない霊的なものが、人を捕えて動かすようなことが、実際に起こりうるのだろうか。神は偶像崇拝をことに嫌うとされているが、偶像から漂い出るものとは、どういうものなのだろうか。そんな思いにかられて、ふと目を上げたときだった。もう辺りは暮色に包まれていたが、外灯の下に狛犬が貌をいからせて、僕を睨んでいたのだ。
 これだな、犬の点数を押し下げ、山羊にまで格下げしてしまっているのは。そう直感すると、胸の上に楔を打ち込まれたような気分になり、息が苦しくなった。
 僕はそんな感情から解放されなければいられない気持ちに急かされ、息を止めて足を速めた。息をしてはならない思いと、息をしなければ苦しさに追い込まれていく、板挟みに遭っていた。
 狛犬が偶像だと思うと、猫だって、招き猫になっているではないかと、反論が突き上げてきた。その一方で、招き猫なんて、たわいのないもので、小綬鶏がチョットコイと鳴くのと大差ないと思えてきた。するとその小綬鶏が、近くで鳴いた。


  ◇

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